でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

いった年きた年

新年を迎えてから早いもので一週間が経過した。四十九日は明けたとはいえ喪中の身であるので新春の挨拶は控えさせていただくが、今年も何卒よろしくお願いいたします。

 

昨年は大学卒業以来、久しぶりに暇を持て余した一年だった。仕事を辞めて四月に実家に帰った。大学進学から十五年ぶりに故郷での生活がスタートした。里帰りを果たした翌日から水稲の種まきを朝から晩まで手伝わされ、ゲストではないことを思い知った。稼業である農業は継ぎたいようなそうでないような、採算が取れないようなら本腰を入れるつもりはないが親父が元気なうちは付き合ってやってもいいとは思っている。やってるうちに面白くなることもあるので、やんわり期待しておこう。

忙しいが口癖の割に大して忙しくない親父の農作業を手伝いながら、職安にて就職先を探す日々が続く。半ば想像してはいたものの、地方中核市の惨状は求人情報の業種と給与がなにより雄弁に語ってくれた。新潟もそこまで恵まれた仕事環境ではなかったと記憶しているが、こちらは酷いの一言に尽きる。県内ニュースでは「有効求人倍率が過去最高を記録した」と景気回復を反映する喜ばしい出来事のように紹介されていたが、ようは人手不足と就労ギャップが二人で大きな悲鳴を上げているに過ぎない。今後も地方は疲弊して行く一方だろうが、ただただ痩せ細り死んでいくわけにはいかない。そこら辺は立ち回る覚悟をしてきたのでそんなには落ち込まなかった。最悪でもコメが作れるので餓死はしない。それが農家の強みだ。

楽観的背水の陣(なんだそれ)が功を奏したのか、秋の終わりに来春からの仕事が決まった。少し時間は掛かったし気を揉むことも多かったが、自分の社会的ステータスを鑑みれば上々の就職先だ。こちらで生活していく目処が立ち一安心した。

安心して十日も経たないうち、祖母が亡くなった。夏場に体調を崩してからはあっという間だった。それでも無職の身だったので毎日のように見舞いに行けたし、仕事が決まったという報告もできた。結局それが最期の孝行になってしまった。二十年ぶりに表札から家族が欠けたとき、この春に私が帰ることはどこか運命付けられていたように感じた。その後は葬式を通して田舎の様々な人間関係とパワーバランス、奇妙なしきたりを体験しながら目まぐるしく年が暮れていった。親戚がひとり完全にボケて一週間世話をすることになった。老人介護の体験版をプレイしながら、なるほど、すっぱりと突然いなくなってしまった祖母にはあの世で会ったら「ばあさんアンタ本当に最高だったぜ」と伝えなくてはなるまいなと思った。気がつけば除夜の鐘を聞いていた。

 

年賀状も来なければ初詣にも行かないので実感には乏しかったが年が明けた。しかし箱根駅伝を見終える頃には「ああ、すっかり2018年だなあ」と身体が順応しているので不思議である。昨年までは初市を慌ただしく迎えた直後に連休を控えるプチ繁忙期に心を砕いていたものだが、それが随分昔のことのように感じられる。もう三ヶ月もすればこの暇さ加減を羨ましく思い出しているのだろうが、恐ろしいことにいまの自分はぼんやりと「早く働きたいなあ」と思っていたりする。勤労意欲に目覚めたというより貯蓄が芳しくないからというのが大方の理由であることは否定しない。

四月からは社会復帰ということで、この自由と放埒の日々も残すところ三ヶ月を切っている。こんなに自由な時間を手にすることは老後まで訪れないだろうと思うと「なにかしなくては」という強迫観念めいたものがじわりと胸を掴んでくる。しかし旅行に出るには金が心もとないし、特別やりたいことも思いつかない。焦って無理な真似はせず、無職のストレスフリーな生活が板についてしまっているので、それを模範的社会人に合わせる方向で残りの時間を使おうかと思っている。とはいえ基本的には規則正しい生活をしているので、あとは日中の時間を区切って多少生産的なことに使おうかという程度だ。この文章はそのルーチンにおける夕食後の嗜みみたいなものである。

度々書いているが、私はなにかを書くことに対してもう少し真剣になりたいと思っていた。しかし昨年から続く暇を持て余す生活の中でもさほどなにかを書いたわけでもなければ、それに役立ちそうなものを意識してインプットしたわけでもない。Twitterの140字を日に何回か放出できれば、それ以上の出力は必要としていないようだ。書くのは確かに好きだが、趣味でも創作やエッセイの真似事はできそうにない。それでもたまには、今回のように纏めて自分の考え方をざっくり書いてみたいという欲求に身を任せることもできる。それだって2000字が精々なので大したものではないが、書いているうちは脳味噌がくるくると回っている感覚があって楽しい。いまはそれだけで良いと思っている。

正月に久しぶりに会った友人に「年を取ったね」と言われた。私は容姿も性格も変わらないと称されることが多いので少し驚いたが、よくよく考えてみれば当然のことであろう。しかも相手は中学生の私と比較しているのだから分が悪い。精神的に大人になれない部分はいまだに多いが、身体は疲れやすくなったし肌はカサつくし腰回りはだらしなくなってきた。私も彼女も今年は35歳になる。来年には年男を迎え、そうなればアラフォーは目前だ。次に会うときはもっと老けて見られるのかもしれないが、多少面白い話題を持っていけるようにしたい。ひとつ目標ができた。

今更多くを望むではないが、まだまだ興味の尽きないものは散在している。それらを突き回しているうちに、おそらく分水嶺を超えて行くのだろう。思ったようなナイスミドルには程遠いが、今後の人生にも面白いものが転がっていそうな予感はある。それ以上にたくさんのしんどいことや煩わしそうなものもチラチラ見えてはいるが、その辺は上手に交わしながら面白いものは大事に拾っていくことにしよう。