でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『真実の10メートル手前』米澤穂信

 ずいぶん前にミステリーのベストセラーを特集した棚で見つけ、タイトルが気に入って購入した作品。衝動買いした本の宿命として積ん読の山に一度埋没したが『氷菓』をたまたま読んだことから「著者が一緒だ」と気が付いて発掘。しかし作品の時系列として先日読了した『さよなら妖精』があることを知り、先にそちらを読むために再び長い眠りについたのだった……。

 というわけで、購入から一年以上経ってやっと読んだ。最初から『さよなら妖精』のメインキャラクターだった太刀洗万智が登場してびっくり。前作では別の主人公の一人称で物語が進んだため、太刀洗の心情は他人の目線からしかわからなかった。なのでいきなり神秘のヴェールの裏側というか、ボーナスステージに突入したようで面食らった。もともと喜怒哀楽の感情表現が控えめ(というかほとんどない)な上に無口なキャラクターだったので、この人の視点で物語を始めて大丈夫か、という心配が最初の3ページくらいまではあったものの、気がつけば物語に没入していた。

 

 冒頭より始まる表題作『真実の10メートル手前』は限られたヒントから行方不明者の捜索を行うのだが、まあテンポが早い。物語は新聞記者となった太刀洗が捜索の道すがら同僚へあらましを説明することで、推理と捜査が同時並行的に進んでいく。次々とマジックを見せられてはその種明かしが行われるのを繰り返しているような感じで、物語は核心に向けて走り抜ける。そして、ある地点でその足が止まる、いや、止める。見事な緩急とタイトルへ帰結していくテーマが美しい。ミステリー作家の職人技を見た気がした。

 他に、心中事件の不可解な自殺方法からその背景を暴き出す『恋累心中』、なにが〈謎〉として提示されているのかがわからないまま一気に解決編へ突入する『綱渡りの成功例』はオーソドックスなミステリーの趣向から芯を外しながらも、巧みな構成が随所に伺えて面白い。そして『さよなら妖精』の後日談(というには歳月が流れすぎているが)となる『ナイフを失われた思い出の中に』が、本作ではもっとも太刀洗の心情や本質がうかがい知れるドラマとして興味深い作りとなっている。

 

 どのエピソードにも一筋縄ではいかない独特の不可思議が施されていて、その結び目を眺めているだけでも面白い。そして著者の描く登場人物たちがその結び目を解くときにどんな表情や動きを見せるのかは、謎の面白さをさらに引き立て、さらに魅力的なものにしている。

 著者のあとがきによると『王とサーカス』は太刀洗を主人公とした長編小説ということなので、今度はそちらを読まねばなるまい。こうして気がつけば既刊をほとんど網羅するファンができあがってしまうのだから、作家と読者の関係性というのもなかなか不思議なものがある。