でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『百年泥』石井遊佳

 言わずと知れた第158回芥川賞受賞作。今回は受賞者がふたり、そして両者とも作家としてはそれほど若くない(という言い方に留めておこう)ことも話題となった。読書が趣味、を名乗る身としては芥川賞直木三十五賞の受賞作くらいは読んでおかなくてはなるまいと思っており、今回も義務感からいつもより気持ち少し厚めな文藝春秋を購入した次第である。今日は石井遊佳『百年泥』の感想から。

 

 正直、昨日の『このミス大賞』ほどではないが、芥川賞の受賞作品も読んでいて素直に面白いと感じることはまれである。前回の受賞作である沼田真佑『影裏』は久々に面白かったな、と感じたのは新鮮に覚えている。その前となると私の趣味にあった作品はちょっと思いつかない。

 そんな中で、この『百年泥』はタイトルを一目見たときから素敵なセンスだと思って期待していた。芥川賞は中身以前にタイトルがあまり好きになれない。新人賞の側面が強いのだから、もっと破天荒な表題で出てきてもいいだろうと思ってしまう。芥川賞受賞作でタイトルが良いものとなると、藤沢周の『ブエノスアイレス午前零時』くらいしか思いつかない。あとは長嶋有の『猛スピードで母は』も覚えている。それ以外は比較的無難か、遊んでいるにしても大人しい。あくまで私の好みによれば、だが。

 そうした前例を前に、いかにも濃密で一筋縄ではいかなさそうな『百年泥』というタイトル。小耳に挟んだあらすじによれば、それはインドの日本語講師を務める主人公が現地で百年に一度の大洪水に遭い、その濁流によって押し寄せられた〈百年泥〉から自分自身を見つめ直していく物語であるらしい。面白そうだ。俄然期待が膨らむ。

 そして、今日を迎えたわけだが。

 

 奇譚モノやんけ! 騙したな!

 

 ……奇譚モノというのは、そういうジャンルが世の中にあるわけではなく、私が勝手にそう呼んでいるカテゴリーだ。フィクションの中でもファンタジーやSFに対する比重が大きく、それでいて基本的には日常をベースにした物語を展開していくタイプをそのように認識している。それは妖怪や怪異が生活に侵入してきたり、現実とは似て非なる異世界を舞台にしているような、まさしく「奇譚」と呼ぶに相応しい、一種の御伽噺だ。

 もちろんそうした作品が嫌いなわけではない。むしろそういう嘘八百の世界こそリアルに描ける技巧を私は愛している。三崎亜記『鼓笛隊の襲来』がその分野では白眉であろうし、村上春樹の短編にもこの類の話は数多く見られる。決して嫌いなわけではない。

 ただ興を削がれたのも事実で、こちらとしては密室殺人が起きたから本格ミステリーが始まるんだろうなと思っていたら、密室を作り出したのはゴーストの仕業で魑魅魍魎が魔界から現れる中、銀髪オッドアイの美少女が身の丈もある聖剣を振り回してそれと対峙する無気力主人公ハーレム道中が展開しちゃったみたいな裏切られ方をしてしまった。作者はなにも悪くない。勝手に理想像を拵えていた私が悪い。そういえば、芥川賞だった。

 

 さて、この奇譚モノであるが、芥川賞では比較的多く目にすることができる。最近の受賞作では本谷有希子異類婚姻譚』、小山田浩子『穴』がこのカテゴリーに入るだろう(他にもあるかもしれないが、全部を網羅しているわけではない)。

 なんの変哲もない日常や普段の生活に、あるポイントを境に〈怪異〉が入り込む。それは次第にその侵食と勢力を広げ、気が付いたときには日常はまったくの〈異世界〉となっている。主人公はその世界で自分自身や自身を取り巻く環境と対峙し、なにかを得て、多くの場合は失って、元の世界へと戻る。しかしそれはすでに元の世界なのか、元の自分なのか、境界はとても曖昧になっている。本、という孤立した存在と物語があり、それを読んだ別の孤立した存在である読者(私)とが同調や共振を行って脳内に作り上げた世界と奇譚とは、不思議な立体感を持って読者に迫ってくる。それが奇譚モノだ。

 しかし例に挙げた作品に比べて『百年泥』は、怪異、あるいは異世界の侵略が唐突で強烈だ。地に足のついた現実としてのお話から、明らかな虚構・ファンタジーの世界へ入り込む段階における下準備や心構えが一切ないまま、気がつけばそこは異世界である。先ほどまで洪水の後処理に追われる、百年泥にまみれた通勤途中の橋を渡っていたはずの主人公は異世界の中にいる。泥の中から現れる、ありえたかもしれない誰か。かつてあったはずの何か。いま在る誰かを構成する、過去にあった何か。そうしたものが一気に噴出して、読者を包み込む。

 インドという国の異国情緒を味わいながらページを捲っていた読者がなんとなく感じていた不思議な感覚は、実は異世界の瘴気であった、という驚愕。そしてその途方もない広がりと喧しい雑踏のようなざわめきを経てたどり着くのは、対照的に物静かでほとんど静止した過去との対話である。小説でしかできない突飛な展開でありながら、この雰囲気はジャコ・ヴァン・ドルマルの映画『ミスター・ノーバディ』のような倒錯感に近いかもしれない。

 

 以上。なんだか感想自体はものすごく褒めているような感じになってしまったが、個人的にはそんなに楽しめたわけではない。ただ、ここまで書いた通り、妙な手応えはしっかり受け止めてしまっているので、まあ、この作品にやられているということなのだろう。著者の文章力と構成力は新人とは思えない抜群の流麗さを持っており、今後の文壇での活躍は十分に期待できるだろう。次回作は、私とウマが合いますように。