でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『鼻』曽根圭介

「昨日『百年泥』の感想だったのに『おらおらでひとりいぐも』の感想じゃないんかい!」というツッコミがありそうだが、私は同時平行的に数冊の本を読むタイプなので傾向がブレる。歴史や評論、経済など少し堅めな本を一冊、それに疲れたときに息抜きになりそうな緩めの小説を一冊、先日自らに課題図書として与えた一冊で計3冊がだいたい手元に重ねられている。今日は、少し前に読み終えた曽根圭介『鼻』の感想を書く。

 

 さて。いろんな本を読んでいるぜ自慢をどこかでしてしまったような気がするが、ホラー小説は今作で初めて読んだかもしれない。本作は「第14回日本ホラー小説大賞短編賞」を受賞しているそうで、試しに日本ホラー小説大賞で検索をかけてみたが受賞作はいずれも未読だった。第2回大賞作品の『パラサイト・イヴ』を知っているくらいだが、この作品はメディアミックスに成功して一時期ブームになったので知らない人のほうが少ないだろう。

 というわけで初ホラーである。ホラー。そもそもホラーとはなんだろうか。確かに背筋がぞっとするような気持ち悪さのあるエピソードばかりが纏められた一冊ではあったが、私がイメージする〈ホラー〉とは少し違っていたというのが正直なところだ。

 ホラーといったらなんと言っても幽霊が出なくてはならない。悪霊、霊魂、呪い、そういう精神的でありながら物理的に危害を加えてくる存在。貞子で有名な『リング』がアメリカでヒットしたのは、そうした幽霊の存在が新鮮だったからという話を聞いたことがある。確かに向こうのホラーは、モンスターや怪人が現れるスプラッタとの垣根が曖昧で「危害を加える」能力自体の恐ろしさが先に立っているような印象を受ける。一方で日本的幽霊は危害を加えなくても(加えてくるけど)存在そのものが不気味なのだ。ただ窓や鏡に映る、物影を通り抜ける気配がする、そういう生活の中に侵入する理解できない〈存在〉の恐ろしさがジャパニーズ・ホラーの面白さとされた。……というような話だったと思う。

 

 そうしたことを鑑みれば、ホラーと小説とは非常に相性がいいように思えてくる。小説の場合、映画やドラマのように音楽で視聴者の不安を煽ることはできないし、気味の悪い映像を突然大写しにするような不意打ちも不可能なので一見不利に思える。しかしそれらは上記の例で言うとスプラッタ的な演出だ。幽霊的な演出となれば小説のほうに軍配が上がる。

 読むことで作り出されるお話は、読者の心の内に居場所を見つけて育ってゆく。すなわち読者の中で一番気持ちの悪い形に、一番不気味なようにホラーの要素を吸い上げて怖がってくれる機能が小説の場合は自然とはたらくのだ。そして小説の場合、目を背けても物語は止まってくれない。映像の場合、視聴者は受動的に作品を眺めているため、どんなに恐ろしくても恐怖の波が過ぎ去るのをぎゅっと目を瞑って耐えていればよい。ところが小説の場合はそんなことをしたら、物語は一番恐ろしいところで停滞する。読み進めなければ怪現象は止まらないのだ。どんなに気味が悪くても、嫌な気持ちになろうとも、そこを自分の足で通過しないことには結末にたどり着くことはできない。もちろん読み終えたからといってすべての恐怖が氷解するとも限らない。まさしく幽霊的な嫌がらせに向いている。

 今更だが、ホラー小説と言うとTwitterで「読んだのを後悔するくらい怖い」と評判だった小野不由美の『残穢』が真っ先に思い出される。私はあまり怖いのが得意ではないのだが、こうして書いているうちにホラー小説で存分に怖がりたい欲求が高まってきたので次回本屋に出かけたら買ってこようと思う。精々読んだことを後悔しよう。

 

 すっかり脱線してしまったので本線に戻る。この『鼻』であるが、表題作の『鼻』の他に『暴落』と『受難』の計3作が収められている。いずれも、幽霊が出てくるホラーではない。

 結局生身の人間の狂気が一番怖いよね、というタイプなので「サイコホラー」に分類されるのだろうか。どの作品も嫌な感じがとても瑞々しく、イヤーな雰囲気を楽しめた。最近では「サイコパス」という単語もなんだか安っぽくなってしまって、心理テストやキャラクター付けの一環のようなロマンのない概念になってしまったが、この作品の中では実に生き生きと躍動しては黒々としたイヤラシさを描いている。

 また小説だからこそ騙せる、という構成も大きい。ミステリーでいうところの叙述トリックというか、読者がミスリードによって作り上げていた世界をがらりと変えて真相を明らかにするような芸当は、小説でなくてはなし得ない。この試みは特に『鼻』で真価を発揮している。この世界のぐんにゃり感は新鮮だった。

 他に『暴落』ではディストピアめいた世界観がじわじわと自身を締め上げてくるような気持ちの悪さが、『受難』では日常と薄皮一枚を隔てて意思の疎通が不可能になる絶望感をひしひしと感じることができる。どのお話もあまりテクニカルになりすぎず、スピード感と恐ろしさを両立させることが十分に計算されている。とても楽しく、気持ち悪がらせてもらった。

 

 以上。幽霊に関しては一考察抱えているので、そのうち纏めてお目にかけたい。