でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『豆の上で眠る』湊かなえ

 今日も『おらおらでひとりいぐも』じゃねえのかよ、と思われるかもしれないが、芥川賞は独特の〈気〉みたいなのがあって連続で読んでいると自家中毒が起きるので間隔を置いている。嘘だけど。

 ちなみにW・H・マクニールの『世界史』や『戦争の世界史』、『蜻蛉日記』や『更級日記』などの古典といった感想を書きにくい類の本もちらちら読んでいたりする。外出中は青空文庫を開くときも多い。読書感想と言いながら、半分くらいは本ではなく本を読んだときの自分の話をしている気がする。重要なのはそれなりの文量を日常的に生み出すことにあると思っているので、今後も思いつきでスタイルは変えていくつもりだ。

 私が尊敬しているブロガーの方は一撃で発射できる文章量(ひとつの起承転結)が1万字近いのだが、長さを気にさせないほどユーモアがあり、機知や示唆も豊富で読みやすい。対して私は一度に抱えられる文章量が二千字程度になる。単純にそのくらい書くと他に書くべきことが見当たらなくなるし、私自身が書くことに飽きてしまう。その辺を見極めるのが、こうして書くことの理由である。

 

 それでは無駄話はこのくらいにして本作について。

 とにかく非常に重厚なミステリー作品だった。スピード感、深まっていく謎、見え隠れする狂気とは裏腹に核心を覆う冷徹さ、すべての謎が氷解したときのカタルシス。完璧だった。謎が解決しても、読者の心に残されるものは解決される見込みのない、途方もなく大きな疑問にすぎないところがいい。謎だけでなく、それを取り巻く日常にこそストーリーの本質がある。これこそミステリー作品だ、と大きな溜息を吐いてしまった。

 実はある程度読み進めるまで、著者を「三浦しをん」と勘違いしており(バカだ)なんかちょっと重苦しいけど『舟を編む』や『まほろ駅前多田便利軒』みたいな感じになるんだろ、とのんびり構えながら読んでいた。読み進めるほど影の深さと情感の鋭利さばかりが高まっていき、くすりと笑えるようなハートフルさがまったくないのでなにかおかしいと思い、作者の名前をもう一度確認して自分の間違いに気がついた。

 ミステリーを読むときに知らず知らず固めてしまう本能的な理論武装をせず、憐れにもノーマークの裸一環でぶらっと物語に入っていってしまったため、いつもよりテーマの重さが骨身に効いた気がする。構えずに読む、というのは無意識では難しいので貴重な体験ができた。裏表紙にあるようなあらすじを読まずに(無遠慮な帯広告で意図せず目に入ってくる場合もあるが)作品を読むのは私の基本姿勢だが、より徹底して表題も作者も知らずに本を読んだら楽しいだろうか。今度やってみよう。

 

 また脱線している。話を戻そう。

 この奇妙なタイトル『豆の上で眠る』は、一見なんのことやら皆目見当も付かない。冒頭で正体はすぐに明かされるのだが、それがこの物語においてどんな意味を持つのかは最後まで読まないと見えてこない。むしろ、最後まで読んだときにこのタイトルに秘められた真の意図に身震いすることになるだろう。ここで考察を加えたいのは山々だが、それに触れることは物語の面白さを削いでしまうことになるので敢えて避ける。この作品はまっさらな状態で、100%楽しめる環境で読むに値する傑作だと思う。

 興を削がない程度に極めて抽象的に内容を語らせてもらうと、この小説には様々な絶望がこれでもかと書かれている。濃淡、強度、コントラストこそ違うものの、そこに含まれているのはネガティブなカテゴリーに属するものに違いない。ところが、それが魅力となって読者を惹きつける。そしてストーリーの足を重たくするようなこともない。

 本作の謎、その本質自体は極めてシンプルである。ある人物が、本物か偽物か、だ。その事件や事情が主人公の現在と当時の記憶を行き来して語られていくのだが、その入れ替わりがテンポを乱すことなく、かえって複雑な糸の絡み方がよく見えるような機能をしている技巧に舌を巻く。ひとりの女の子のすぐ横で事件を追いかけているような臨場感が常にあり、もうちょっと先へ、あの次の角まで、というような感覚であっという間にラストまで突き進んでしまう。

 所詮フィクションや物語の脚色とわかっていても、あまり直視したくはない人間の汚い部分や後ろ暗いところ、本来は美しいはずの友愛や思慕が生んでしまう狂気をのびのびと描いてゆく姿からは辻村深月の作品を思い出した。あちらはワルツのように軽やかに人間の心を踏んでいく感じだが、こっちはざくざくと軍隊の行進のように隙間なく迅速に踏まれていく気がする。どちらもいい仕事をしている。

 ただの陰惨な事件であればミステリー作家なら誰でも書くことができるだろうが、手のひらに乗るようなコンパクトさで、それでいてずっしり重く、なおかつ目を離すことができないような〈収まりの良い陰惨さ〉というのは、なかなか真似できないのではないか。やりすぎると作風やテーマが壊れてしまうし、足りないと深みが出ない。著者の場合は明らかにやりすぎのような気がするが、文章のテンポとストーリーの面白さで無理矢理読者を付き合わせるような求心力を作り出しており、それが恐ろしくも楽しかった。

 

 三浦しをんと勘違いしていたくらいなので、湊かなえの作品も今作が初めての読書になる。いろいろ手にとって読んでいるつもりだったが、有名な作家の作品でも案外読んでないものだと痛感した。不幸な事故か幸運な出会いか、刺激が欲しくなったら著者の作品をまた手に取ってみよう。とはいえ、滅入る話は苦手なのでその機会はだいぶ先になりそうだが。