でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『夜また夜の深い夜』桐野夏生

 秘密めいた手紙から幕を開ける物語は、ナポリのスラム街から始まる。偽名を使うことを強制し、住居を転々としながら整形手術すら辞さない秘密主義者である母親と二人きりで生活している少女からの手紙。日本人の名前(舞子)を持つ彼女は、それを唯一の拠り所とし、訪れたことのない日本に思いを馳せながらいつか日本の地を踏みたいと語る。その後も母親との衝突や、小さな出会いなどのエピソードをしたためた彼女の手紙が続き、次第に我々読者の生活や思想に近づいてくるのかな、と思ったところで物語はぐいと舵を切る。そのまま真横をものすごい速度で過ぎ去ったと思ったら、あとは見えなくなるまでバイオレンスとサバイバルを従えての全力疾走。こちらとしては手を振って見送るしかない。そんな小説だった。

  呆気にとられた、というのが本を閉じた直後の感想である。決して面白くなかったわけではないが心底楽しめたわけでもない。テーマやメッセージは取り逃がしようがない程度に強く、十分に把握しているのに物語の全容が見えてこない、という感じだろうか。強いところやぎらぎらしたところはつぶさに観察できるし、概要は冒頭のように纏められるのだが、やはりうまく飲み込めていないような、仕留め損ねたような、不思議な読後感がある。

 

 例えば、物語は主人公・マイコが日本人でありながら難民キャンプで育ったという異色の経歴をもつ〈七海さん〉に宛てた手紙から始まる。物語が進むなかでマイコには母親は本当は犯罪者なのではないかという疑念が生まれ、はずみの家出からアンダーグラウンドな世界、日陰者としての生活を余儀なくされるようになる。このような経過を辿るうち「このあと七海さん目線の物語が始まって、母親の秘密がわかるんだろうなあ」とか「ややもすると精神を病んだ七海さんが作った別人格の冒険譚なのかもしれん」などと今後の展開を予想するのだが、そうした想像はすべて裏切られるのだ。

 予想に反するのは、この物語には終始マイコ自身の話しか出てこない点だ。いかにも意味ありげな母親の言動。逃走の最中に出会い、共に生活することになる初めての友達になるワケアリの女性たち。彼女らと一緒に行う危険な仕事を通じて育まれる連帯感。仕事の報復をしようと彼女らの動向を探るマフィアの影。さらにはマイコ親子の正体を追う人々も現れ、ミステリーとサスペンスの気配はいよいよ濃くなっていく。……いくのだが、それらは物語の脚色でしかなく本質ではないのだ。この物語に複雑で深みのあるベースを与えた上で作者は、マイコという主人公ひとりの胸の内をさらけ出すことだけに専念して描き出す。そのため、せっかく丹念に描かれてきた物語の構造物をマイコと読者はある意味では素通りすることになるのだ。

 だから手紙から始まる意味ありげな構成も、どこに本性があるのか窺い知れない様々な表情を持つ登場人物たちも、マイコの人生を謎だらけにした母の正体も、マイコの関心がある範囲を外れると急速に色を失って物語としての機能を終えてしまう。その主張しながら相手にされなかった事象の存在みたいなものが与える空疎感が、マイコの〈生きる〉姿と奇妙なコントラストを産み、物語を独特な読み味に仕上げている。広がりと深みを予感させながら「この物語と、あなたがた読者は関わることができない」と突き放すことが、この小説の本懐なのではないかと私は感じている。

 

 物語の前半で描いていた日本での平和な暮らしへの理想やマンガ文化への憧れに、マイコは後半で距離を置き始め、最後には憎悪し、捨てることを決意する。ゼロから一度花開いた希望の図式を、彼女は泥臭く厳しいながら、どこか闊達で自由な空気を共有する友人たちと過ごすうちに少しずつ削ぎ落とし、最後には完全に捨て去る。ところが、そこに彼女が見出しているのははっきりとした希望と幸福だ。陰惨な場面や悲痛な描写を駆け抜けるなかで、どんどんとこぼれ落ちていくようだった幸福を、なぜか最後に彼女は手にしている。読者が想定していた〈平和な世界〉からどんどん遠ざかっていき薄暗く血なまぐさい世界へと迫っていくように思えた展開が、気がつくと逆転しているのだ。物語の最後には平和な世界は背景として、むしろ不健康で危険な存在のように地平の遠くに漂っている。

 『夜また夜の深い夜』というタイトルが暗示するように、この物語は少しずつ暗さを増していく。いつか朝にたどり着くだろうか、陽光を浴びるときがくるだろうか、と思いながら読んでいるのに、日の出の気配は一切訪れない。そして物語は終わる。我々が生きる〈昼〉にたどりつくことはなく、それなのに明るい、別の朝を迎えるようにして静かに、平和に終わるのだ。

 そこから学び取れるものは、なにかを得ることで獲得できる感覚ではなさそうだ。捨てること、削ぎ落とされることによって知覚される手応えのようなもの、という漠然とした言い方しかできないが、それはこの物語を楽しむ現代人には掴めそうにない。なにも持たず、自分と自由を欲して始まる彼女の物語は、結局なにも持つことはなく、さらに身軽になって終わる。そこからなにを見出すのかを言葉にするのはなかなか難しい。

 

 以上。こうして感想を書くうちに、なぜ私が読了後に呆気にとられたのか、その理由がわかった。やはり困ったら書いてみるものだ。こうしてブログに記すことがなかったら「なんかよくわからない小説だったなあ」で終わっていた。僥倖僥倖。