でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

移行期間

 今週はあっという間に平日が終わってしまった。日がな一日家にいるのと、外に出るのとでは時間に対する感覚が違ってくるらしい。家で本を読むのと外で本を読むのとでそこまで違うだろうかという気もするが、もう週末かと感じるのは久々な気がする。

 よくよく考えると日常に変化があったほうが短く感じる、というのも筋は通っていない。享受する情報量が増えるのだから、それに対する処理や反応などで刺激がない状態に比べて遅延が生じると想像するのが理に適っているように思う。とすれば「今週はいろいろあって長かったな」と感じるほうが普通ではないだろうか。ん。違うか。外部からの運動の観察と自分自身の動きの自覚だと話が変わってくるのか。よくわからなくなってきた。やめやめ。こういう思考をすると、中学理科に出てきた「地球から見た月の位置とその見え方」の問題を思い出す。考えれば考えるほどなんだかよくわからなくなるので苦手だった。

 

 ここ数ヶ月は用事がなければ(ほぼない)家に篭って本を読んでいるかモンハンをするか、定期的に身体を動かしに外出するだけの生活をしていた。朝は7時ちょっと前に起きる。夜は日付変更線付近で眠る。午前中は春からの採用先で想定される仕事についての情報を仕入れたり、それに関する知識を蓄える。少なからず真面目なのはこの数時間くらいのものだ。午後からはジャンルを問わず好きな本を読んだり、午睡を楽しんだりする。モンハンは日が高いうちはやらない。最近はさすがに少し飽きてきたこともあって触らない日が増えた。ハンターランクは90ちょっとである。ランクが上がりすぎてしまい、かえってマルチに参加しづらいというプレイヤーは私だけではあるまい。

 

 今週はふとした思いつきで神社に出掛けるところから始まった。昨年の秋に祖母が亡くなったので初詣は自重したのだが、そろそろ足を運んでもバチは当たるまいと思ったのだ。

 祖母が息を引き取った日も私は病院まで見舞いに行っていた。見舞いに行く前、その神社に寄った。すでにその頃の祖母は昏睡しており、意思の疎通は計れない状態だった。加えて数日前から全身で苦しそうに息をするときが増え、見舞いといっても痩せ細った身体を眺める以外にはできることがなかった。神社に寄ったのは、あまり苦しい思いをすることがありませんように、という神頼みのためだった。そして、その晩に祖母は亡くなってしまい「ちょっと神様、そこまで直接的に『楽にしてくれ』とは頼んでない」と内心慌てた。いまでも少し心中複雑である。

 平日の昼間ということで境内は閑散としていた。神社では祈祷でも行われているのか笛の音がした。いつも通りに手を打って、無事に葬儀が終えられたことと昨年を越えられたことへの感謝、遅くなってしまったが今年一年が平穏無事であることを祈願した。

 今更ながらおみくじも引いた。おみくじの番号が四番だったので「うっ」と思ったが予想に反して大吉だった。ただ全般に、油断せず己を戒めよ、という厳しいお言葉が並んでいた。結局は本人の心掛け次第ということだろう。少なくともこの土地に歓迎されていないわけではなさそうだ。それを喜ぼう。

 

 そして翌日、先日の日記で書いた通りスーツを新調しに出掛けた。実は配属先がまだわからないので、かなり低確率ではあるがスーツを常用しない部署に配属される可能性がある。着る機会がないわけではないので完全に無駄にはならないだろうが、もしそうなったらテンションは下がる。かなり下がる。嫌がる人も多いが、私はどちらかというとスーツを着て仕事がしたいタイプだ。自由闊達よりは杓子定規のほうが性に合う。もちろん程度にもよるが。ここ数日は妙に気合が入っているので、頭でっかちになりすぎないように身体を動かすことを念頭に置いて仕事ができるよう気をつけよう。

 

 昨日今日は図書館に通った。今日になってわかったのだがリストの本は図書館にはないものが多く、別の図書館に出掛ける必要があることが判明した。さほど遠いわけでもないし、この際いろんな図書館を見て回るのも面白いかもしれない。トマ・ピケティの『格差と再分配』というオシャレな筋トレグッズを借りようか迷ったが、ダンベルは間に合っているのでやめた。

 家に帰るとAmazonから本が届いていた。『戦争における「人殺し」の心理学』である。とりあえず残り半月、文字の海でせいぜい泳ぐとしよう。社会人への移行期間はまだしばらくある。