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読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン

 久々の読書感想。本自体は読んでいるが最近は知識のバックボーンを拵えるのに汲々としていて『おとなの学習』シリーズから『日本史・世界史のおさらい』とかW・H・マクニールの『世界史』などを読んでおり、いかんせん読書感想が書きづらい。これから書こうとしている本も題材としては少し難しいというか、単に内容の要約になってしまうと読書感想ではなくなってしまうのでやや気が引けている。とりあえず書くだけ書いてみよう。

 

 翻訳は安原和見。

 著者自信も数々の功績を挙げた軍人であり、同時に歴史学者であり心理学者でもあるという奇特な才能によって上梓された本。人類が文化的生活を営む中で絶えず存在してきた戦争と、そこに常に付き纏う同族を殺すというプロセスに対し、これまでの自らの経験と軍人たちの膨大な証言や記録から検証を行なっていく。

 単純に反戦や武力の放棄を訴える内容でもなければ、逆に戦争を必要悪と捉えて推奨するわけでももちろんない。本書では戦争状態になったときに兵士が、あるいは戦闘に巻き込まれた人間が「人を殺す」という行動を起こす際に、心理的にはどのようなメカニズムがはたらいているのか、またどういったプロセスでそれが可能となるのかを重要な観点としている。

 

 ときに、平和ボケと言われる日本においても、兵士が人を殺すときの心理など考察する必要があるのだろうか、と首を傾げる人は多いのではないだろうか。前線で相対した敵兵はこちらを殺そうとしているのだから、自分の命を守るためなら十分な訓練を受けた兵士は敵を撃つだろう、と。

 ところが実際はそうではない。本書によれば、人間は本能的には〈人間を殺すこと〉を凄まじい力で忌避するのである。現に第二次大戦において、米軍兵士の発砲率は15〜20%に過ぎなかった。自分が殺されるかもしれない戦闘中においても、兵士の5人に4人はトリガーを引くことすらできなかったという。

 しかしこの発砲率はベトナム戦争では90%以上に上昇する。個人の心理的な忌避感を抑制し兵士として優秀なはたらきができるよう、つまり〈人を殺せるよう〉にする効率的な訓練が採用されたためだ。

 そして冒頭の問いかけ、平和ボケの日本人であっても危険に晒されたら相手を殺すことに心理的な矛盾が生じるとは考えにくい、というイメージの在り方。それこそが、本来は兵士に施されていた殺人への心理的ハードルを下げる手段が、娯楽やメディアを通じて広く伝播されてしまった結果ではないだろうかと著者は危惧するのだ。

 

 猟奇的な事件が起きた際に、加害者が嗜虐的な漫画やアニメを視聴していたことが問題視されることがしばしば見受けられる。そうした報道に対する是非はさておき、著者は映像作品やテレビゲームで残酷性をエンターテイメントとして消費する中で、兵士に施されてきた〈人間を殺す〉ための心理的な枷を外すメソッドが無意識に、悪意なく行われている現状に警鐘を鳴らしている。

 現にアメリカでは受刑者数が1975年の4倍に膨れ上がり、加重暴行(凶器を用いて殺人または重大な身体的損傷を目的とした暴行事件)の件数も人口10万人当たりの件数としては75年の2倍に登っている。殺人件数こそ10万人当たりの事件件数としては平行線であるが、これは医療技術と救急搬送インフラが発達した結果であって凶悪事件が減少している訳ではないと著者は言う。その原因は、青少年が暴力や殺人を娯楽として消費することを推奨するようなメディアの存在と、陰惨なニュースを客観的な視点から映像として享受できてしまう社会な在り方にあるのだとも。この現状に歯止めをかけるためには、戦争をVRとしてリアルに体験して〈遊ぶ〉ことのできるゲーム類の規制や、残虐な暴力描写や私刑による正義の執行を良しとする現在のヒーロー像の否定が必要だと著者は訴える。

 

 さて。個人的にはこの論点が面白いところで、私はこの辺りを読んでいて「そんなことより銃規制のが先だろう」と思ってしまうのだが、本書では「銃は家庭にあったのであり、昔からずっと使おうと思えば使えたのだ(P465〜466)」の一文でこの疑問はシカトされてしまう。

 本書のテーマが人を殺すときの心理作用であるので、状況や文化環境は毛色の違う問題なのかもしれないが「その気になれば簡単に人を殺せる道具が手元にある」という前提の元で展開するロジックであれば〈心理学〉の部分はともかく、その解決方法に普遍性(特に日本において)は見出せないというのが素直な感想である。

 この〈現代のアメリカにおける殺人にどう向き合うか〉が本書の最終章であり、おそらくこの本を執筆する上では重要なテーマだったと思うのだが、銃が手元にない国の人間から見ると「ちょっとズレてるな」という印象を受けたことは否めない。メディアや企業が節度を保ち、武器の使用に頼らない健全な精神を宿すことが現実的で本質的な解決策であるかのような纏めになっているが、多分に苦しい。まあ、それは他国の外野が言っている意見なので相容れないのは仕方あるまい。私はアメリカの土すら踏んだことがないのだ。

 

 少しクサすようなことを書いてしまったが、全体としては非常に興味深く読める一冊だった。特に戦争と兵士が直面する殺人に対する研究は、これまでのイメージを次々と覆すような事実と理論が飛び出す。歴史として学習した戦争観に少し変わったアプローチができるようになるのではないかと思う。

 これまでの戦争経験者への取材や聞き取りを元に構成された本文には、残酷な部分や目を背けたくなるような描写も少なくない。だからこそ、ひとつの生きた資料として後世に役立てる義務が、現代を生きる我々には課せられているようにも感じられる。