でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『美しい顔』北条裕子

 今年の群像新人文学賞受賞作品。現在発売中の『群像』6月号に掲載されている。

 

 私が断言してもどうしようもないが、次の芥川賞を獲ると思う。圧倒的だった。

芥川賞を獲る」が最大級の賛辞としてぺろりと出てきてしまう自分の単純さがときどき厭になる。受賞したらどうだと鼻高々になって、受賞を逃したら嗚呼やはり文壇はダメだと酒の肴にするだろうと想像がついてますます厭になる。

 まあ、とにかく面白かった。1ページ目の下段に差し掛かったあたりから、終始飲まれっぱなしになった。見事だ。

 

 鬼気迫る圧倒的な筆致はもちろん魅力的ではあるのだが、なんといってもこの作品は新人でなければ書けなかった。

 そうとも。まともな観察眼と良識を持った小説家なら、東日本大震災があったあの日、まさに津波に飲まれた被災者をテーマにして完全なフィクションを書けはしない。東日本大震災というあまりに巨大で暴力的な題材に、ここまで真正面からぶち当たって料理しようとした無謀な小説家というのは、これまでに何人いるのだろうか。その無謀。その覚悟。その胆力。なにより執念。脱帽する。

 

 先の震災を物語に匂わせる程度の作品なら、いくつか読んだ覚えがある。

 それこそ芥川賞受賞作『影裏』は震災を転換点として物語が動く作品だった。絲山秋子の『離陸』にも震災と津波が登場人物の生き方を変える場面がある。しかし、どちらも震災はエッセンス程度のものでしかない。〈そこ〉にいて震災を経験した人間の物語はほとんど語られていない。一般的な読者と同じ、幸運な傍観者としての推察を超えたものはそこに含まれてはいなかった。極端なことを言えば、震災が無くても上記の物語に大きな瑕疵は生まれないのだ。

 ところがこの作品は、あろうことか震災のど真ん中を戦闘区域に選んだ。

 

 作風がリアルか否か、と聞かれれば、極めてリアルだとは言い切れないかもしれない。だが、被災直後のリアルとはなんだろうか?

 本文では妙に情景描写が緻密になる場面が何度かあるものの、ほとんどは主人公の心情の吐露に紙面が割かれている。津波に破壊された街や、その非常時にあった人を描くことは、どんな物差しを当てることでリアルと呼ぶことができるだろう。被災者でない人間には永久に、そして被災者の方であっても明確には判らないことなのではなかろうか。

 筆者はそこを「リアルに感じられるように」描いた。乱暴に殴り書くようなときがあり、一瞬の出来事を何度も往復して舐め回すように書き、一方で足早に筆が進むときもある。時間と精神の不可思議な断絶と奇妙なリズムの連続性は、読者を確かに「あの日」へ呼び戻す。主人公にとっては実に幸運な唾棄すべき観測者の視点として、同時にあの災厄に新たな視座を与えられた読者として、彼女の目から震災を見つめ直す機会を与えられる。

 

 おそらくこの小説が響くのは、被災していない、幸運な観測者側の感性であろうと思う。この物語はフィクションだからこそ、震災そのものへと心理的にさらに一歩踏み込めるような感触がある。

 被災者の方が避難生活の様子を書き残した日記やブログなどを目にする機会はあったし、いまでも探せば資料として読むことはできるだろう。しかし、それを被災者でない人間が興味半分に眺めて〈理解しよう〉と努めること自体に、どこかおこがましさや傲慢さを感じて気持ちが竦むような感覚を味わったことはないだろうか。

 著者もまた、これだけの作品を書き上げながら、被災者ではないという。作品の後ろにある受賞者の言葉には、受賞の喜びはまったく感じられない。それどころか被災地に行ったこともなく、震災から時間を経てこの小説を書いてしまったことへの懺悔のような気配が色濃く伺える。それはそうだろう。この物語の主人公が持つ憎悪の眼差しは〈震災〉を消費物として扱う人々ーーつまりこの作品の作者や読者ーーにこそ突き刺さるものであるからだ。

 この作品からは絶対的な断層によって隔てられてしまった被災者と、そうでない者との差が強く感じられる。しかしこの物語を書き上げたのは〈そうでない者〉の側だった。この作品は、幸運な者、傍観者であった者が震災と向き合って真剣な対峙を繰り広げた結果生まれたものであり、「理解」への真摯なアプローチの副産物ではないかと思っている。被災者でない人間が残した物だからこそ、生々しく伝わる感覚という物もあるのではないだろうか。

 もちろんそれはひとつの理解の形としてあるというだけで、史実や事実から学ぶことの価値が薄れるというような意味ではない。むしろそれを助ける役割を、ようやく文学は(というか読書を趣味とする者は)果たせるような気がする。

 

 この作品は間違いなく話題になる。おそらくは震災を食い物にしたというような、こっぴどい批判も上がると思う。それでも、そんなことは承知の上で著者はこの作品を書いた。書かずにはいられなかった。そんな気がする。

 正直、まだ気持ちが着地点を探してふわふわしているような感触があって、うまく感想が纏まらない。もっと書きたいことがあるような、まったくの筋違いを長々と書いてしまったような落ち着かない気分だ。

 なんにせよ、とんでもない作品が世に出てきた。