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読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『プーチンのユートピア』ピーター・ポマランツェフ

 訳者は池田年穂。著者はロシア系イギリス人のTVプロデューサー兼ジャーナリストであり、ソ連で生まれるも幼少期に一家で亡命し、イギリスで大学卒業までを過ごす経緯を持っている。その後ロシアに渡り、TV局の仕事を通じて出会った人々や遭遇した事件について、ロシアと西欧の両方の視座を盛り込んで執筆されたのが本作になる。

 サブタイトルとして『21世紀ロシアとプロパガンダ』と記されているが、読了してみると原題の『Nothing is True and Everything is Possible』(著書内での訳は『みんな嘘だし何でもありさ……』)こそ、本書の核心となるメッセージだったのではと感じられた。

 

  文字通り日本の隣国でありながら、それでいて掴み所のない漠然としたイメージしか持てていないロシアという国の不思議。例えばモスクワやクレムリンがどこにあり、どんな暮らしをしていて、どんな風土や社会があるのか、都会と地方とはどう違うのか。ロシア人の生活や日常など国民性そのものに具体的な想像力の触手を伸ばすことは容易ではない。ほとんど地球の反対側にあるロサンゼルスやカリフォルニアに対する意識に比べてあまりに大きな乖離であり、それは社会主義に対するイメージの不明瞭さに端を発しているように感じられる。

 いわば私たちは(というか私が)共感や実感を伴ったロシアに対するビジョンを持てておらず、マサイ族のイメージからアフリカ全般を想起するような視野狭窄にあるのではないか。ロシアという国に、なんとなく抱えている御伽噺由来の断片的なイメージをアップデートできないまま大人になってしまったのはなぜなのか。グローバル化が当たり前となったこのご時世に、そこまで我々と接点を欠くロシアとはどんな国なのか。

 本書で著者は、そうした疑問に遠慮なく光を当ててくれている。

 

 さて。ここまで紹介しておいてなんだが、本作はタイトルから想像されるようなロシアの〈いま〉を西欧における自由主義の視点から総括する内容でもなければ、その社会構造やプーチン大統領の独裁政治を厳しく糾弾しているわけでもない。そうしたものを期待しながら読むと肩透かしを食う。私は食らった。

 ロシア社会がはらむ権力と資金を巡るいびつな権力構造や政治的な腐敗に対する問題提起はあるものの、それを是正せよとか法治国家はこうあるべきだ、というような主張は著者自身の言葉には見受けられない。

 もちろん、権力のうねりに翻弄され不幸な目に会った人々への取材は入念であり、理不尽な出来事への憤りが窺える文脈はある。しかし、著者の視点は「なぜそのような苛烈にいびつな社会が形成され、いまだに肥大を続けているか」という、現在のロシア社会を生み出すに至った経緯と、その混沌が維持されている要因に向けられている。少なくとも「西欧と米国が牽引する自由主義経済のほうが、文化的にも人道的にも優れている」と主張するつもりはなさそうな気配だ。

 この本はモスクワやクレムリンに暮らす人々の生活をクローズアップすることで、ヒトと社会がどのような付き合い方をしているかを浮き彫りにしている。ロシア社会の、権力と秘密で黒々とした頑強な芯の部分と、オイルマネーで潤う莫大な資金で目まぐるしく伸び縮みしながら姿を変えるアメーバのように摑みどころのない部分、そのコントラストがじわじわと明らかになっていくところが非常に面白い。

 

 ソビエト崩壊から現在のロシアに至る経過において、その変化はロシアに暮らす人々にどのようなメンタリティを与え、なにを授け、なにを奪ったのか。我々が当たり前のものとして享受している常識や、漠然と描いている世界の在り方について、おそらくはそうした〈生きる〉ことを想像するうえでのバックボーン自体が共有できていないのだろう。ページを捲りながら、そんなことを考えた。

「みんな嘘だし、何でもありさ」は、決してアイロニーとして語られた言葉ではない。それは資本主義経済に比べて未成熟で不誠実極まりない前世紀的な、いわば下位の文化形態などではないのだ。それは、国という社会規範が一度は崩壊するというカタストロフを生き抜いてきたロシアが、絶えずブラッシュアップし続けてきたまったく別の進化を遂げた双子と言えるかもしれない。

 

 読後に自分でも意外だったのは、このロシアという国に、今更ながら奇妙な魅力と自由の空気を感じてしまったことだ。本作に心躍るような愉快なエピソードは皆無と言ってもいいにも関わらず、だ。

 確かに、権力の腐敗、格差の拡大、粗野で野蛮な人権意識と、眉をひそめたくなる話題に事欠かない国ではある。しかしそのひとつひとつをクローズアップして眺めたとき、そこには〈こちら側〉にはない、どこか自由闊達な不思議な空気も感じられてしまう。

 それは典型的な〈隣の青い芝生〉にしか過ぎないのかもしれないが、いままでは隣の芝生がどんな色をしているのかすら私には窺い知れなかったのだ。

 もちろんロシアに住んでみようとは思わないし、旅行に出掛けてみようとすらほとんど思わない(本書では外国人が酷い目に会い過ぎる)。しかし「ロシアで金持ちになるのはどんなことか」を想像して遊べるようにはなった。そこで暮らす人々がどんな生活をし、なにに喜び、なにに憤っているかが少しだけ明らかになった。

 まだまだ頼りないし過信する気もないが、本書を読んだことで今後ロシアを考えるうえで多少アテになりそうなバックボーンを持てた気がする。「『わからない』ことがわかった」という足掛かりになってくれる本は、何歳になっても貴重なものだ。

 

 今更ながら、高校で世界史を履修しなかったことが悔やまれる。やはり年を取ってからの知識は、どうにも根差すのに時間を要するようだ。まあ、これまで無意識に降り積もってきた凝り固まった思考に、新しい視座を差し込めるのは心地よくもあるのだが。