でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

3月19日の日記

 夕方のニュースを見ていると桜が咲いたという報告が相次いでいる。いち早く咲いた高知に至っては満開のところもあるようだ。今年はおそらく東北や北海道でも例年より早い見頃を迎えることだろう。北の桜は例年通りの桜前線であれば見頃がちょうどGWに差し掛かるため、それを観光の目玉にしている名所も多い。残念ながら、そうした地域では今年はアテが外れることになりそうだ。

 昨年は弘前公園の桜を見物に出掛けた。豪華絢爛の桜並木に立派な城郭、遠く勇壮にそびえる岩木山は見事だった。今年も休日が思うように取れたら見物に出掛けたいが、出戻り社会人の1年目であるし職場の都合優先で動かざるを得まい。満開の桜や桜吹雪ももちろんいいが、葉桜は葉桜で風情があって個人的には嫌いではない。酒の肴には十分になり得る。ただ、見頃を終えた桜の木はアメリカシロヒトリの幼虫が社宅にしているので苦手意識がある。想像しただけで背中がキュッとなった。

 

 目的意識を持って過ごし出すと月日の流れは非常に早い。今日も朝から図書館に出掛けて日がな一日本を読んで過ごした。すでに小中学校は春休みに入っているため、館内には子供の姿も目立った。前回からは県立の図書館に詰めているが、こちらはやはり規模が大きい上に専門的というか少し難し目の蔵書が多く、書架をぶらぶらしているだけで興味深い内容の題名が次々目に飛び込んでくる。ただし利用者が多いぶん目的の図書が貸出中になっている場合も多く、リストの半分は貸出中で今月中にお目に掛かるのは難しそうだ。

 利用する前は「読みたい本が貸出中だと大層困るだろうな」と思っていたのだが、実際にそういう状態を味わってみると「じゃあその間は別の本を読んでればいいや」と頭が割とすぐに切り替わるのでストレスはまったく感じなかった。自分でも意外な気がしたが、もともと読む気満々で購入した本をそのまま棚の肥やしにするのを常とする人間である。おそらく目的の本を見つけて〈読める〉という状態までの段取りを整えるところまで進めば、読書欲の8割くらいは昇華されてしまっているのだろう。これからはせいぜい図書館を利用しよう。ここ数ヶ月の本代は案外バカになっていない。

 

 来月からは勤め人になるので給与が貰えるという安心はあるが、当然代償として時間がなくなる。それは、これまでの日がな1日のんびり本が読めるというスタイルの終焉を意味する。読書をメインタスクとして扱える時間は、おそらく30年後までやってこないだろう。あと10日ちょっとをせいぜい楽しみたい。