でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

bumper stickers を見においでよ

 このブログで自分の公演の振り返りはずいぶんやってきたが、これから本番を迎える舞台について書くのは初めてだ。
 言いたいことは表題のとおりである。2月18日16時開演の bumper stickers ダンス公演『FRee Way』をぜひぜひ観に来ていただきたい。ダンスに興味がある方はもちろん、ダンスにそれほど興味がない、詳しくないという方にこそオススメしたいイベントである。
 bumper stickers のステージを観ているときに一番実感するのは、音楽そのものが「見える」ことによる理解の深まりとそれを通じて自分の感覚が拡がるような多幸感だ。舞台で躍動する身体表現を経て、その音楽が目指そうとした風景や心情にグッと近づけるような感覚が呼び起こす感動は bumper stickers の真髄と言えるだろう。ダンスのテクニックやジャンルに詳しくなくても、絶対に楽しいステージになることは私が保証する(担保に差し出すものはないが)。この「音楽を見て理解する」感動をぜひ味わいに来てほしい。
 会場はミルハス中ホール。料金は前売り2,000円、当日2,500円。最前列での鑑賞ももちろんオススメだが、舞台全体を俯瞰で見たときの構成も美しいため後方や二階席で見られる魅力もあるだろう。どこから観ても楽しめるはずだ。
 都合が悪くて観に来られないという方は、以下のリンクから応援の気持ちをいただけると幸いだ。これまでの活動や今回の舞台への想いもまとめられているので、ステージを楽しむための前夜祭的な楽しみ方もできるのではないかと思う。

camp-fire.jp

 さて、bumper stickers は「秋田をダンスで盛り上げたい!」という思いを胸に活動しているダンスチームである。県内のさまざまなイベントに出演しており、最近では1月31日に行われた秋田ノーザンハピネッツの試合でハーフタイムショーに登場。情熱的に躍動しつつ、1本のフリースローを見守るときの息を飲む瞬間も表現するなど、会場を埋め尽くしたハピネッツファンからも大きな歓声が上がっていた。

 なんで突然ダンスイベントの宣伝をし始めたのかと怪訝に思う方もおられるかも知れないので、経緯をべらべら書かせてもらおう。
 私は言うまでもなく演劇畑側に属する。と言っても演劇にだってそこまでのキャリアはないが、ダンスはキャリアがないどころか苦手分野に入る。むしろリズム感・体幹・運動神経が満遍なく低い自分にとって、表現活動に組み込まれた場合は天敵だ。これまでの舞台経験でもダンスがあればそこに一番練習時間を必要としたし、その上でも求められる水準に達していたか疑わしい。
 べろべろ書いているが、要するに私はダンスは苦手だ。ただ、苦手でもキライではない。見ているのは好きだし(稽古で人のダンスを見ているのはとても面白かった)発表の舞台となれば尻込みしてしまうが、音楽に合わせて身体を動かすことの気持ちよさもきちんと味わえている。フィギュアスケートを見るのが好きだったのでキャンデロロやヤグディンの振り付けを真似して遊んだ記憶もある。先の県民市民ミュージカルでダンスの心得がある友人知人ができたこともあって、以前よりはだいぶ身近な存在になった。
 昨年の秋に bumper stickers の一員である"ほんちゃ"からレッスン体験のお誘いがあった。先述のとおりダンスが不得手であるので物は試しと顔を出してみたが、私にはレベルが高すぎたので早々に見学に回った。若者たちに一人だけおじさんが混じって練習を見学するのは少し恥ずかしかったのだが、練習を見ているだけでも音楽の理解の仕方や表現の方向性が新鮮で楽しかった。そしてそうやって練習を見守っているうちにすっかりファンになってしまった。
 結果的に練習を観に行っただけのおじさんになってしまったが、bumperのメンバーは気さくに受け入れてくださり、私が出演する舞台などにも足を運んでくれている。本当にありがたいことだ。
 そんなご縁もあって、今回の舞台に私もちょっぴり関わらせてもらえることになった。ダンスの方ではさすがに役に立てないが、演技のほうで楽しいステージになるよう尽力したいと思っている。私も私なりに努力して舞台に臨みたい。

 本番まで一週間となり、メンバーの練習にも熱が入っている。今日も少しだけ見学させていただいたが、すべての曲、すべての瞬間が本当に格好良かった。私もできるなら客席から見たいくらいだ。
 どうかたくさんの人に来てほしい。秋田のダンスシーンに関わる上で、このステージを観たかどうかがステータスになる日がきっと来る。伝説の中継地点を見逃すな。

劇団ウィルパワー『雨音協奏曲』/うさぎストライプ『あたらしい朝』感想

 ミュージカルでご縁ができた仲間たちを通じて「こんなイベントがあるよー」とか「こういう公演に出るよー」といった情報がいち早くお届けされるため、秋田県内の舞台で展開する面白そうなコンテンツは見落としようがないのだが(ありがとうございます)さすがに身体はひとつしかないので、たとえばこの週末のように予定がブッキングしてしまうと大変である。ブッキングしなかったらしなかったでお財布の中身が寂しいことになるのだけれど。あちらを立てればこちらが立たずで観劇できなかった仲間たちへの手向けとして、せめて感想を書き残すものであります。
 なお、私は感想を書くうえで作品のネタバレというか核心にベタベタ触れるため、そういうのが気になる方にはブラウザバックを推奨したい。そこのところはよろしくどうぞ。

 

【劇団ウィルパワー】雨音協奏曲 会場:旧松倉家住宅米蔵

 3本の短編によるオムニバス公演。旧松倉家住宅の米蔵という少し異質な舞台で展開される演劇はどんなものになるのか、本番を楽しみにしていた。その前の公演では秋田市文化創造館のオープンスペースを会場にしており、今回とは対照的にどこからどこまでがステージで劇空間なのか、境目がはっきりしない舞台を展開させていた。斬新で意欲的な演出が楽しい劇団である。それぞれに感想を述べたい。

 

『箱の中の海』
 文化創造館での演目がキャストを変えて新登場。先に観劇した際に「役者や会場を変えながら長く演じられる脚本にしたい」というような話をどこからか伝え聞いた記憶があるのだが、今回早速リバイバルの機会に立ち会うことができた。
 初回は開放感のあるフロアで大学のカフェテリアというロケーションに近く、物語への強い臨場感が醸成されていた。そのこともあって終盤の海が迫り来るシーンで舞台だけが切り取られたように水中に没するシーンも幻想的で、その美しい情景が引き潮のようにスッと行ってしまい日常が残される表現も見事だった。
 また、キャストが女性のみということもあって教授の愛人疑惑や恋人にうつつを抜かしているのかとかしましくする場面、人魚のブラジャーに対する考察などの笑いどころに妙な質感があったのも楽しかった。今回はどんなふうに変わるのか、展開は知っていたのだがむしろドキドキしていた。

 今回は、海野が浴槽のソレと会話しているシーンからスタート。なるほどですね、どこから山根が登場するんだろうと思っていたが、そういうやり方(キャストオフ)があるんですね、考えたなー。
 キャストが男性になったことでソレとの関係性に自然と「男女」の意識が入り込んだ印象になるのも面白かった。全体的なギャグの面白さの質というか刺さり方が少し変わった。ほかにも、山根が地元で働くことを提案するところも男女であることで別の意味が含まれたように感じられ、現実の残酷さがじわっと濃くなったように思われた。
 やはり海野氏が男性になったことで、研究一筋の気持ち悪い大学院生のキャラクターが際立ったように思う。海野役の工藤さんは、先の公演では「昼休みにやってきて演劇鑑賞に巻き込まれるモブ」というテイで前説をされていたが、あのときの挙動不審ぶりは印象的だった。なので今回は八面六臂に気持ち悪くて大変良かった。個人的にはハンバーガーをちぎりながら食べるのがお気に入りのキモムーブ。
 川元役の笹森さんは海野の反応や所作にヒいたり、ボソッと呆れたようなツッコミを入れたりするなどネガなときが妙にリアルで温度差が面白かった。山根役のあみさんは鬱屈とした感情が分水嶺を越えたり越えなかったりのタイミングで、表情や声の印象がくるくる変わるのがやっぱり上手いなあと感じながら見入った。

 今回は会場が米蔵ということもあって「箱の中」に客席も含んだ演出だったように感じられた。邂逅と別れのシーンに自分の生き方や将来も重ねて見えてくる脚本を、これからもいろいろな演者さんで見てみたいと感じた。

 

『貧血鎮魂歌(ひんけつれくいえむ)』

 最初から「なんか舞台中央に棺桶があるな」と観客全員が思っていたと思うが、その棺桶がオチまで強い存在感を醸していた。
 編集者役のあみさんが弱々しくてぽんこつな演技をしており、大変新鮮だった。怒ったりヒステリーを起こすシーンはよくお見受けするのだが、普通に悲鳴をあげているのは珍しかったのではないか。がんばって事態を好転させようと奮闘する姿がいじらしかった。らん子さん演じる先輩編集者もぽんこつ。頼りになりそうでならない感じがお約束ながら面白かった。そしてこの二人を振り回すのが真珠さん演じる月世さんなのだが、これがまた怪演だった。
 この作品は月世さんのキャラクターに尽きる。正直、所作やセリフはどこか滑稽なのだがしっかりホラーしている。普通に得体が知れなくておっかない。ミステリアスというかおっかない。ホラー度合いがゼロになるところがないというか、常に緊張感がある振る舞いは見事だった。巻尺をシュッと戻すところとか、ちょっと惚気た話をするところとか緊張感が緩むところもあるのだが、やっぱりどこか怪しくておっかない。あの弛緩しすぎない感じの出し方は「掴んでるな〜」と感心した。
 ラストシーンもコメディチックな明るい終わり方かしらと思っていたが、存外しっかりホラーのまま終わってぞわりとした。場面転換を眺めながら、米蔵を棺桶に見立てた作品であるまいな、と不気味な想像をしていた次第である。

 

『雨音協奏曲(あまおとこんちぇると)』

 表題作。狭い舞台にぞろぞろと役者が出てくるのがまず面白い。登場人物の精神状態が天使と悪魔よろしく人格となって現れているのだが、強気と弱気という着眼点なのがいい。強気だけどテンションが低くなったり、弱気なのに「無理無理!」と語気を荒げて暴れたりするのだけど、結局は本人の精神なので甲斐甲斐しくていじらしいのだ。
 妙齢の男性、水野を演じるシゲさんはRHマイナス6の舞台でも活躍を拝見していたが、今回は不器用だけど優しい男性をすごく自然体に演じられていて「さすがだなあ」と感じた。あの、朴訥としていて語りにも動きにも目を引くものはないのだけど目が離せない感じはどう出すのだろう。ホントにすごいなあ、と思って眺めていた。
 らん子さん演じる妙齢の女性、小桃さん。こちらも動き自体は少ないのだけど、レストランでの葛藤で強気と弱気がくるくる賑やかにするのを背負いながら神妙な表情を浮かべたり、雨に濡れた裾を気にしたりする素振りから伝わるガッカリした感じがいたたまれなかった。
 そして終始二人の近くで賑やかにしている強気と弱気。頭の悪いペットのようで見ていて楽しかった。車に乗っているシーンで後部座席に収まっている姿がとても可愛らしくて「この雰囲気いいなあ」と思いながらやり取りを追っていた。強気役の工藤さんと最上さんがたまに暴走しそうになるところの目が据わる感じが面白かったし、弱気役の小林さんと富樫さんが細かいことに執着して困り眉で同じ台詞を繰り返すところの健気さも微笑ましかった。
 二人が手を取り合い、お互いの強気と弱気がゆったりと踊りながら迎えるラストシーンは、正直もうちょっとで泣くところだった。不器用だけど一生懸命生きてきた二人がほかでもない自分自身に祝福されている感じがなんとも言えず感動的で、本当に良かった。今回の3作品は全部好きなのだけど、この溢れ出る多幸感はお芝居を見る根源的な喜びにつながっているように思う。本当にとても良かった。

 

【うさぎストライプ】あたらしい朝 会場:ミルハス小ホールB

 ミルハスに移動してさらに観劇。うさぎストライプさんの『あたらしい朝』。東京で活躍する劇団を秋田で見られるのは本当にありがたい。とても刺激的な公演だった。
「どうせ死ぬのに」をテーマに死と日常を地続きに描く作風、という劇団HPの紹介文にも興味をそそられた。メメントをモリモリするのは私もよくやっているし、それが舞台でどういう表現になるのかもまた気になるところだった。

 そんな意気込みで観劇してきたのだが、なんというか高熱が出ているときに見る夢みたいな舞台だった。掴みどころはないが、感触と印象が具体的なイメージを連れてくる感じとでも言ったらいいだろうか。夢であればそのイメージは覚醒とともに急速に色褪せていくが、舞台で味わうそれは質感を持って居座るらしい。

 思い返しても不思議な舞台だった。きちんとストーリーに沿った展開自体はある。でもその枠組みはタガが緩んでいる。奇妙なものが差し込まれたり、大事なものが漏れ出たりする。それが急に収束してマトモな状態に戻ったりする。そうやって物語が進行していく中で「ひょっとしたらこれはこうなんじゃないか」という漠然とした予感が確信に迫っていく。「事実はそういうことなんだろう」と確信に変わった後も、夢幻の名残みたいなものは形を保って舞台の上に居座って簡単に消えず、まだなにかを喋り続けている。うーん、やはり高熱が出たときに見る夢っぽい。
 登場するキャラクターがみんな苦手な性格の人たちばかりで、しかもイヤな感じの解像度が高いもんだから前半は見ていて疲れてくるところがあったのだが、中盤で「ああ、これはもう居なくなった人たちの残滓だ」と感じてからは平気になった。もう終わってしまったことが、時系列と人間の位置を変えながら巻き起こっているとなれば、嫌うべき性質がもはやそこには存在しないのである。
 そうやって「イヤなもの」がふるいにかけられていく中で、大切だったものや大事にしたかったものが浮かび上がってきて、そうしたものと一緒に旅をしていたことに気が付く。失われてしまったものを「失われてしまったもの」として大事にしていくような、意味のある空白をきちんと見つめているところを舞台の上では表現できるんだなあ、と感じていたように思う。

 と、これはいま舞台を思い出しながら言語化した結果だ。冒頭で述べたように、終わってすぐの感想は高熱が出たときに見る夢だった。そして夢の記憶がすぐに薄れてしまうのと違って舞台の記憶は色濃く残る。だからこそこうして考察して「こうなのかな」という手応えをたぐり寄せることができる。
 漠然としたイメージに役者という人格を与えて、物語という伝えるためのツールをもたらす舞台は、ちょっとキケンな場所なんじゃないかと、今更そんなことを感じた公演だった。ううむ。また見たいなあ。

ゆく年くる年2023

 2023年は自分の人生においてもっともカラフルな一年だったと言っても過言ではないと思う。シゴト以外のことで週末の予定が次々に埋まり、週・月・シーズンごとにやるべきことや目標が定められ、それに向かって緊張感を持ちつつも楽しみながら挑むことができる日々は特別だった。有り体に言えば輝いていた。
 こんなに日常が輝いていたのは大学卒業から社会人なりたての頃にかけて、すごくかわいい彼女がいたとき以来ではないだろうか。すごくかわいい彼女だったのでフラれてから通常状態に戻るまでに5年くらいかかった。ともすればまだ通常状態には戻っていないかもしれない。彼女にフラれたとき、私の人生は失敗した、と思ったし、その後の人生に関してはロスタイムになるだろうなと感じた。付き合っていた約4年間を超えるような喜びはこの先ないだろうし、この失恋以上に喪失感を味わうこともないだろうと思った。自分の人生はいまピークを終えて、あとは下っていく一方なのだろうなという実感とその暗い質感はいまでもありありと思い起こすことができる。なんか変な方向に脱線してきたな。いずれにしても私の隣は長いこと空いております。あまりにも綺麗な空白は、形となって存在するのです。
 冗談はさておき(冗談でもないけど)この歳になってこんなに新しく挑戦する機会や楽しい出逢いに恵まれたことは本当に僥倖だった。まずは、お世話になった方や仲良くしてくださった方に心から感謝を申し上げたい。今年一年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
 今年はそれなりに良くないことも起きた。良くないなりに良いほうに着地したとは感じているので、トータルで考えればカラフルさにバリエーションを与える役目を果たしたと思って受け入れている。なにしろ四十路になったのだ。失うことや衰退することにも抵抗力を付けていかなければなるまい。それはそれとして愉快に生きていけるように、今後も自己を肯定していけるような考え方と生き方を実践していけるようにしたい。
 それではだらだらと振り返っていこう。おそらく例によって長くなると思うので、休み休みお付き合いいただければ幸いである。

 

【1月 欅の記憶・蓮のトキメキ(けやはす)でスタート】

 最初からクライマックス。14日と15日にミルハス開館記念の県民市民参加型ミュージカルが丸一年近くにおよぶ稽古期間を経て本番を迎えた。すでにこの稽古期間がべらぼうに面白くて2022年も記念碑的に楽しい年ではあったのだが、今年はそれをさらに超えた充実感が待ち受けていた。「けやはす」については別の記事にうんと書いてあるのでそちらを参照されたい。
 カラフルな年、と表現したがその色はすべてこの舞台で用意されていた。この舞台でつながったものが玉突き事故を起こすように新しい出会いや出来事を呼び込んで、忙しくも楽しい日々が赤いカーペットを敷くがごとく広がっていくことになった。

 年が明けてすぐに本番だったが、世間はいまだコロナ禍の真っ只中にあった。とにかく体調不良だけが恐ろしく、年末年始の人混みなどはまさに感染リスクの塊に思われたため、初詣も初売りも完全無視で引きこもった。親戚を含めて人と会うのは最小限、思い出したら手洗いうがいと神経質な年始を過ごした。
 三ヶ日が明けるとすぐにコンタクトレンズを作るために眼科を訪ねた。役作りのために必要だと思って作成したのだが、付けてびっくりコンタクトがこんなに便利なものだとは思わなかった。さほど違和感や不快感もないし、一番心配していた取り外しも案外スムーズにいけた。10年早く試せばよかった。いまでは公私ともにコンタクトを愛用している。

 ミュージカルが終わって、ここでまた人生のオモシロがひとつ終わってしまったな、と寂しい気持ちになっていたのだが、いま思えばこの終わりは新しい始まりの幕開けに過ぎなかった。この一年が終わる頃、気がついたら私の趣味は舞台活動になっていたのである……。

 

【2月 けやはす慰労会と額のホクロ】

 生活の一部となっていた「けやはす」が終わったロスも癒えぬまま月を跨いで2月。メンバー有志で慰労会が開催されることとなり、日が近づくにつれて遠足間近の小学生のようにソワソワし始めた。メンバーとは長いこと稽古はしてきたものの、感染リスクを抑えるために一緒に食事をしたりお酒を飲んだりする機会はほとんどなかったため今回の集まりは本番同様に大事な機会だと思っていた。
 そうして臨んだ慰労会は想像以上に楽しかった。会場は脚本からメイクまでお世話になりっぱなしの「わらび座」さんが鎮座する温泉宿ゆぽぽ。小劇場で『青春するべ!』を観劇し(プロが心血を注ぐ舞台は本当に素晴らしかった)、ソーラン節を踊り、田沢湖ビールが飲み放題というヤバい宴会コースに心が踊った。これまであまり深く関わることができなかった演者さんと話をしたり、制作陣の先生方のご意見などを伺ったりしながらピルスナーを湯水のごとく飲んでいるうちにベロベロに酔っ払ってしまった。そのためにすごく楽しかった印象は覚えているのだが、詳細はアルコールに焼かれておぼろげだ。せっかくご縁のできたメンバーとまたなにかできるのではないかという予感は確信に変わり、今後の活動にも楽しみな気持ちが大きくなった慰労会だった。

 その慰労会に出掛ける数日前のこと。舞台に立ったことで自分の見え方にもちょっと興味が出てきた私は、自分の額にあるホクロがだんだんと気になり始めていた。このホクロ、思い返せば10年ほど前からあるのだが数年前から大きくなってきているような気がしていた。しかもたまに出血することがあってシャツやタオルが汚れるのも煩わしく感じていたため、美容手術的なもので切除できるのであればそうしようと思い立ったのだ。
 そして診察を受けた皮膚科で「たぶん皮膚癌の一種です」と診断されたものだから心臓がハネた。驚いたなんてものではない。考えてみてほしい、癌と診断されたのだ。こないだ初めてミュージカルの舞台に立って最高の気分だと染み染み感動してひと月も経たないうちに今度は癌である。朝ドラか。
 幸い、外科手術で切除できる類のものであり、術後の経過も良好であるが、当時は本当にびっくりして気が動転していた。このあたりの話もブログの別記事にまとめてあるので興味があれば読んでみてもらいたい。

 26日には能代ミュージカル『いのちが芽吹く街〜能代大火物語〜』を観劇に出かけた。同じ市民参加型のミュージカル、しかも栗城先生の脚本とあって「自分だったらどう演じるか」や「けやはすキャストならこの役はこの人かも」などと想像を膨らませながら楽しんだ。ダンスや生演奏などの演出や大火を表現する強烈なスモークなどの舞台効果を体感していると「観客としてより、役者としてこの舞台に立ちたかったなあ」と思えてしまった。自分が演劇沼に両足を突っ込んでしまったことを自覚した日であった。

 

【3月 3.11を忘れないし、3.22もたぶん忘れない】

 あっという間に年度末を迎えた。仕事柄、年末よりも年度末のほうが忙しい。せっせと年内の用事を片付けながら新年度の準備を進めつつ、3月11日土曜日のイベントに向けてマンドリンの指ならしをするなどしていた。
 「歩きましょう通信〜3.11を忘れない〜」は由利本荘市のカフェレストラン「RIVER ROAD」を会場に、まさに東日本大震災があったその日に開催された。毎年セリオンに出店する牡蠣小屋店主の嶋田さんと、イベントの主催者であるビルカワさんが震災に関わる世間話をしたことをきっかけにお知り合いになられたことからスタートした企画である。人生にはときどき不思議な出会いがある。私もこの2年でつくづくそれを味わっている。
 「けやはす」の劇中に『上を向いて歩こう』を歌うシーンがあるのだが、それは「千の声を届けよう。from AKITA」という実際にあった震災にまつわるイベントがモデルになっている。今回の企画では、それを再現するメンバーとして歌わせていただいた。改めて震災によって変わってしまったもの、変わらずにあるものを考えるとともに、一緒に参加した「けやはす」メンバーのパフォーマーとしての力量の高さに驚かされた。自分も半端なことで満足せず、なにかきちんとできるようにならなくてはという焦りと向上心が心根に植え付けられる機会になった。

 この頃から、茂木美竹ミュージック・ルーム主催のミュージカル『アラジン&CATSハイライトメドレー』(以下、アラジン)も動き出した。出演する子どもたちと顔合わせを済ませ、歌や台本をさらっていく楽しくも難しい日常が帰ってきたことに気分が高揚した。世界的に有名なヴィランであるジャファーを演じられるとなれば、張り切らないわけがない。心に悪役の人格を住まわせながら生活するのはとても楽しい経験だった。

 そしてWBC勝戦で伝説的な大谷対トラウトの末に優勝を決め、日本代表が歓喜シャンパンファイトをしている最中、私は2月に癌と言われたホクロの切除手術を受けていた。局部麻酔だったため術中の会話(アレとってきて、ココ抑えて)や音(患部をジョキジョキ切る音、焼いて止血する音)がモリモリ聞こえてきたため生きた心地がしなかった。天国と地獄はすぐ近くに共存していると実感した。

 

【4月 観劇三昧】

 春の訪れとともにイベントが活発になってきた。これまで観劇に出掛けるということがなかったのだが、一度舞台に立ってしまうとほかの舞台も見てみたいという好奇心がモリモリ湧いてくるものだ。それに「けやはす」メンバーが出演するとなればなおさらである。

 まずは2日にウィルパワーさんの『箱の中の海』を観劇。「けやはす」で主人公姉妹を演じたお二人が出演とのことでワクワクしながら会場に向かった。文化創造館のコミュニティスペースを使った特殊な劇空間を活かし、手が届く範囲で展開する物語には独特の魅力があった。ダブルキャストの演劇を初めて鑑賞したのだが、演者が違うと同じ台本でも印象が変わるなあと思いながら鑑賞した。そして、キャストに隙がないと物語が破綻せず集中力を持ったままフィナーレまで持続することも実感した。そのときに得られる感動はひと塩だ。これからも演劇をやりたかったら求められる水準はここだぞ、と見せつけられた気がした。

 22日には横手市の劇団ほじなしさんの『ウェルカム・ホーム!』。こちらには「けやはす」で政光様を演じたGUNJIさんと教頭先生のジュンペイさんがゲスト出演されるということでウキウキしながら会場に車を走らせた。2時間近い長尺の芝居を観るのは初めての体験だったが、予測できない展開の数々と我らが政光様がたびたび困り果てた犬のような顔でくしゃくしゃになるのが面白くて目が離せなかった。

 地元秋田で活動する劇団の公演に触れ、芝居の面白さがますます骨身に染みた。そしてミュージカルで知り合った演者の方々が、そのときとは全然違う演技をすることにも驚かされた。そういう振り幅みたいなものも身につけなければと感じた。
 早くもその機会が提示される。4月末に『村田さん』の実施に向けた顔合わせの飲み会が某所でこっそり催されたのだ。ここから11月の本番まで続く稽古で私はさまざまなことを学んでいく。それもブログの別記事にまとめてあるのでよかったらどうぞ。

 

【5月 引き続き観劇三昧&次は俺の出番だ】

 5月も観劇三昧の休日が続く。GWは『卯の花くたし』とササキとゴトウの『中通ヒルズ』を観劇。
 『卯の花くたし』はリーディング公演という朗読劇の手法を取り入れた公演で、初めてココラボラトリーにお邪魔した。役者と観客の距離の近さ、音楽と朗読による構成が不思議な空間を醸成していた。
 その足で『中通ヒルズ』の観劇に向かった。こちらには「けやはす」メンバーが参加しており、しかもコントの舞台ということでどんなものが見られるのかとワクワクしながら席についた。
 『中通ヒルズ』は視聴者巻き込み型コンテンツを自称しており、出演者オーディションや稽古の様子などをYouTubeで紹介していた。そのチャンネルで本番の一週間ほど前に、主催者である「ねじ」のササキユーキさんとゴトウモエさんが、出演者に対してどう思っているかを演者ひとりひとりにかなり時間をかけて「ダメ出し」をする回があった。それぞれの演者に期待していることや舞台に臨むうえでの心構えなどをユーモアを交えながら訥々と解説していくのだが、これが本当に興味深くて面白かった。演者と舞台への強い執着があるからこその愛のある「ダメ出し」であるし、メンバーへの信頼感があるからこそ本番直前のタイミングでそれを公開できるのだろう。そうした映像を見てきただけに、本番への期待はストップ高になっていた。
 そうして迎えた本番の2日間、初日夜と千穐楽の公演を観劇したが、どちらも面白かった。大笑いした。「けやはす」メンバーがコメディ色全開で躍動する姿は頼もしくもやはりおかしかったし、なによりプロの芸人はここまで面白いのかと圧倒された。主催者と出演者の「秋田で面白いものをやるんだ!」という熱意がステージから発散されていたのに心打たれた。ササキとゴトウのプロジェクトは2024年のGWに第2弾の実施が決定しており、次はなにが見られるのか期待は高まるばかりだ。ぜひぜひ秋田のGWにおける名物行事に成長してもらいたい。

 興奮も冷めやらぬ21日、今度は文化創造館で演劇ユニットRHマイナス6さんの『エレクトリック・ポップ』を観劇。昨年拝見した『彼岸ノカナタで僕と握手』で目力のヤバい演者がヤバい圧でヤバいセリフや動きを繰り出す姿に衝撃を受け、今回の公演も楽しみにしていた。今回はジュンペイさんも狂気の舞台に加わるというから必見である。
 個人的にRHマイナス6さんの舞台で楽しみにしているのが特撮技術を取り入れた演出である。円谷ファンだった私に刺さる設定や舞台道具が次々飛び出すためニヤニヤしてしまうのだ。今回も気合の入った銃撃戦のシーンがあったり、いかつい延命装置が登場したりとウキウキする演出の連続だった。「くっだらねぇーを全力で」の精神を体現した消費カロリーの大きいアクションとすっとこどっこいな展開の連続は見応え抜群。公演後しばらく「ばんばんきゅっきゅばーんばんきゅっきゅ」のメロディが耳にこびりついて離れなかった。

 刺激的な公演を立て続けに観劇し「自分も舞台で!」という気持ちは否が応にも高まる。幸いなことに、その気持ちを発散できる『村田さん』と『アラジン』の稽古が毎週末に組まれるようになった。経験不足の自分には、どの稽古もやるたびに新しい発見と喜びが満ちていた。稽古への熱が高まる中で、季節もまた春から夏へと温度を上げていくのであった。

 

【6月 家族と一緒】

 6月は家族に関わる出来事の多い月だった。妹が婚約したため、お相手のご家族との顔合わせということで東京に家族で出かけた。私の両親は大学進学のために上京しており青春時代は東京で過ごしている。そうは言ってもほぼ半世紀前の出来事なので、おのぼりさん状態で束の間の東京散策を楽しんだ。
 妹の婚約者の方とは前もって秋田で一度食事をしていたが、今回は家族同士の対面ということで緊張気味の顔合わせになった。お互い食事をしてお酒を飲んで、気持ちよく打ち解けられたと思う。未婚の長男であり四十路になってしまった私には親戚一同からのプレッシャーはより強まることと察せられるが、まあそれはそれだ。妹が新しい家族を楽しく健やかに営んでいけることを祈っている。いま帰省してきて同じ居間にいるがひたすらポケモンスリープをやっている。大丈夫か。それでいいのか。

 東京から帰って間もなく、今度は母が手術で短期入院するため付き添いをした。本当に今年は短期間で落差の大きい出来事が起こる。精神がジェットコースターに乗っている。幸いなことに手術は難儀なことにならずに完了し、術後の経過も良好ということで早々に退院できた。
 2月のホクロの件で自分の健康が保証されたものでないことはしみじみと実感させられたが、今月は元気な両親と暮らせるのにも時間的な制限があることを突きつけられた。時間は大切に使おうと、改めて思い直す機会になった。

 

【7月 観劇のために県内をうろうろ後、水害】

 またしても県内各地に観劇に出かける月になった。
 7日は由利本荘市カダーレでOKAMI企画さんの『たんとかだっていってけれ』を観劇。秋田出身で東京で活動している真坂雅さんが、地元で公演する機会を作るために立ち上げた情熱あふれる舞台である。実は先んじて出演者募集を見かけたときにエントリーするかかなり迷ったのだが、直後の8月には『アラジン』があるし『村田さん』も煮詰めなければいけないし、いまの自分のキャパシティでは難しいと判断して今回は観客として楽しむことにした。
 こちらも「けやはす」メンバーや、これまでに観劇した舞台に立っていた役者さんが登場し、笑いありシリアスありの物語が展開するのを大いに楽しんだ。どの演者さんもよかったのだが『たんとか』で特に度肝を抜かれたのは真珠さんの演技。「けやはす」での立ち振る舞いから只者ではないとは思っていたが、只者でないどころかすごい役者だった。常識の枠を平気でぶち破ってくるうえに、しかも演技に説得力がある。後にメンバーと意見交換したときも「真珠さんにはマジでやられた」「もっと見たいよね」と頷き合った。1月の舞台に秘められていたポテンシャルの高さを再確認した公演だった。
 雅さんの演技にもゾクゾクさせられた。軽薄な高校生から憂いを帯びた青年まで、演じるキャラクターで発揮される色が全然違うのだ。芝居を成立させるパワーが強く、物語がぎゅっと固まるような印象が常にあってただただ「凄いなあ」と唸っていた。舞台上ではものすごいのに合間のMCがぽんこつ気味なギャップもとても面白かった。
 また来年も同じような企画があるのだろうか。次の機会があるなら、そのときはぜひ挑戦させていただきたい。

 翌8日は小坂町の康楽館まで『松竹大歌舞伎』を観劇に出かけた。母が歌舞伎のファンでチケットを取ったのだが、先月医者にかかったばかりということもあって遠出を控え、代わりに私が行くことにしたのだ。ロングドライブを経ていざ会場に着いてみたら花道の真横にあるSS席中のSS席でびっくりした。母の無念やいかに。きっちり土産話をしてやろうと前のめりになった。
 歌舞伎の知識があるわけではないので物語に集中できるか心配していたのだが、パンフレットに芝居のストーリーや見どころがまとめられていて、初心者にもわかりやすかった。リアルタイムで解説を聞くことができるイヤホンも配布されていたが、それを使用しなくても十分に芝居を楽しむことができたと思う(私も使わなかった)。
 初めて見る歌舞伎だったが、さすが大衆娯楽という感じで演者の表情や動きを見ているだけでも迫力があって面白かった。セリフや拍子のリズムと役者が一体となって舞台を躍動する姿は力強く、美しかった。舞台装置も想像以上に大掛かりで見応えがあり、こんなことを言ったらファンの方には怒られるかもしれないが舞台からもお客さんからもミュージカルに挑むそれに近いものを感じた。

 素晴らしい公演を立て続けに見てホクホクした心持ちで過ごしていたのも束の間、月の半ばに日常が一変する。秋田県全域に降り続いた大雨によって、秋田市中心部を流れる太平川が氾濫。市街地において大規模な浸水被害が発生した。
 見知った風景が泥水に沈む姿に言葉を失う。通勤途中でいつも見かける旭川が、溢れんばかりの濁流となって絶え間なく飛沫を上げる。水没した明田地下道に、そこかしこにフロントまで水没して放置された車両が映る。
 とても舞台を楽しむなどと言えるような状況ではなくなってしまったと、当時の私は思っていた。

 

【8月 気を取り直してアラジンに全力の夏】

 仕事柄、被災対応に動くことが増えた。言うまでもなく大雨の被害は甚大で、月を跨いでも全容が見えないほどであった。加えて今年の夏はとにかく暑く、それがじりじりと体力を奪うような印象があった。秋田市内の被害も大きかったが五城目町では断水が長引くなどさらに厳しい状況が続いており、毎日のニュースを見るのが辛かった。
 それでも復興のために笑顔で頑張る人たちがいて、全国から支援物資や応援のメッセージが続々と届く中で「直接被災したわけではない自分は、日常を元気に頑張ることが最優先だ」と思い直した。同じような気持ちで日々を頑張ろうと考えている人が多かったのかもしれない。被災の直後ではあったが竿燈祭りは盛大に開催された。

 13日、ミルハスでわらび座さんの『祭シアターHANA』を観劇した。舞台と客席が一体となる構成の斬新さはもちろんだったが、それ以上にステージを舞う演者の艶やかさや和楽器の力強さに圧倒された。東北各地の踊りを取り入れた演舞も見応えがあったが、個人的にはコロナ禍を表現したパフォーマンスがコミカルでありながら不気味な閉塞感をじわじわ伝えてくる構成で面白かった。まさに、わらび座さんにしかできないステージだったと思う。本当に感動的なスペクタクルだった。

 そして27日、半年近く稽古を続けてきた『アラジン』の本番を迎えた。こちらも詳細についてはブログ内の別記事にブワーっと書いてあるので興味があればどうぞ。
 先に触れた『HANA』を見て大感激したミルハス中ホールの舞台に立てることは誇らしかった。なにより1月のミュージカルを終えた直後、上手に鎮座する神棚に「またこの舞台に立てますように」とお願いして半年と少し。いろいろな舞台を観劇して、どんな舞台にしたいのかを考える日々を送りながら再び舞台に立てることは本当に嬉しかった。
 正直なところ『アラジン』はやるべきことをすべて終えて100点の状態で臨めた舞台ではなかったと思う(先生ごめんなさい!)。練習不足なところや、もう少し煮詰めたらさらに良くなったと思われる要素がいくつもあった。それでもたった一度きりの本番は、これまでやってきたどの稽古よりも力の入った舞台になった。子どもたちの本番での集中力と度胸には驚かされた。また彼ら・彼女らと一緒に舞台に立てる日を楽しみにしている。

 

【9月 観たりやったりで忙しかった暑い秋】

 ひとつ本番を終えてホッとしたのも束の間、今度は11月の『村田さん』が見えてきた。舞台に立つことでますます次に立つ舞台があることが本当に嬉しく感じられてくる。気がついたらもう演劇沼に腰あたりまで浸かってしまっていた。

 9日、大町のSWINDLEに『バトルフェス』を観に出かけた。SWINDLEは秋田市では貴重なライブハウスであるが、そこで開催される格闘技イベントとなれば斬新である。そしてこちらも「けやはす」メンバーが関わっている。つくづくタレント揃いだ。
 かつてK -1ブームがあった際には、私も熱心に格闘技を観ていた。ガオグライ・ゲーンノラシン選手のスピードで相手を翻弄して素早い一撃を打ち込むスタイルには心底痺れたのを覚えている。逆に言えば、それ以降の格闘技シーンとなるととんと記憶にない。久しぶりの格闘技、しかも生で見るとなれば初めての経験である。開催を楽しみにしていた。
 「けやはす」では蓮の精として舞台を牽引したふーちゃんと欅ダンサーズの部長(ほかの呼び方が思い浮かばなかった)がリングの上でテンポの速い曲に合わせて艶やかに踊る。闘う男たちをレフェリーとしてさばくのは「けやはす」で医師やナマハゲとして舞台に立っていた浅野さんだ。「けやはす」のイメージが強い私にとってはかなりカオスな空間であったが、リングに立つファイターたちのエネルギーの強さをビシビシと受けながら、ステージは生き物であるなと改めて感じることができた。

 20日にはミルハスで落語寄席を初めて観劇した。『笑点』でお馴染みの三遊亭好楽さんが見られるとあってミーハーな気持ちで出かけたが、落語家の表現力と引き出しの多さに驚かされた。声色や癖の違いで人物を演じ分け、ちょっとした仕草で走っているかのように見せたりと座布団の上から動かないにも関わらず、空間を広く使った芝居を見ているような感覚を味わえた。私でも知っている有名な噺もあったが、実際に物語が展開していくのに立ち会うのは新鮮だった。また機会があれば観劇したいと思う。

 また、この月にはダンスで表現活動を行なっている bumper stickers さんのダンスレッスンにも参加させていただいた。「けやはす」でふーちゃんと蓮の精コンビを務め、『中通ヒルズ』に『たんとかだっていってけれ』に『アラジン』にと今年大活躍だった「ほんちゃ」が所属するダンスグループである。共演したご縁で声をかけていただいたのをきっかけに、若者のダンスを間近で勉強させてもらった。私も身体がついていけば一番良かったんだけど、ちょっとおじさんには辛かったです。
 bumper のみなさんのダンスは、テクニックはもちろんだが音楽への理解度や協調性がとても高く、表現のひとつひとつにメッセージが感じられて演技の幅を広げようとしている自分には見ているだけでも非常に刺激的だった。練習の「パフォーマンスを教える・覚える」というメカニズムもロジカルなところと実践していくところの差が明瞭で、練習への考え方や姿勢について考え直すことが多かった。怪しいおじさんを暖かく迎えてくれた bumper のメンバーには感謝している。本当にありがとう。

 30日、わらび座さんの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アキタ』を観劇。パワー。舞台から発せられるパワーの強さに終始圧巻された。本作は登場人物がだいたいずっと迷っている。「これだ!」という答えに飛びついてラクになりたいという気持ちを抑えながら苦しんで、ずっとずっと迷っている。観ていて辛くなるシーンも多かったが、演者さんの熱意と明るさが最後に救いを見つけ出す構成がご時世も重なって感動的だった。恒例の舞台後の役者挨拶はアゲハ役の冨樫美羽さんだったのだが「自分の役者としての役割は、真実の言葉を伝えていくことだ」と力強く語られていたのが格好良かった。散々迷って足掻いてそれでも導き出した答えを発する生身の身体というのは尊いものだ。そんなことを考えながら、一緒に観劇に来た仲間たちと固いプリンを目指して帰路についた(事実)。

 

【10月 ノアノオモチャバコの衝撃と大館市への遠征】

 7日。真坂雅さんが所属する演劇カンパニー、ノアノオモチャバコさんのワークショップに参加した。『たんとかだっていってけれ』の演者が奔放に動きつつもぎゅっとした舞台が印象的で、その魅力の端緒が掴めればと思っての参加だった。
 会場に到着すると、同じくWSを受講するメンバーがみんな見たことある人たちで面白かった。演出の寺戸さんから、台本・脚本に臨む姿勢やそれを演技に活かすためのコツを具体例を交えながら教えていただき、それを雅さんと模擬台本で実践するという流れだったが、自分がやるのも面白く、参加したほかのメンバーがやるのを見ているのも楽しかった。

 翌8日は、大館きりたんぽまつりに足を伸ばした。きりたんぽを食べに行ったわけではない、先に紹介した bumper stickers さんのステージを観に出かけたのだ。練習で完成度を上げていく様子を間近で見学していたが、たくさんのお客さんの前で躍動するメンバーは本当に輝いていた。お客さんと一体になった舞台には「ダンスを通じて元気を届けたい」という bumper の気持ちもきっと届いていたと思う。

 22日に再度大館市に遠征。今度は大館市民劇場さんの『大森さん家の困った日常』を観劇した。「けやはす」で主人公・明子の相手となる孝三を演じ、来月の『村田さん』でも共演する安達さんが登場する芝居である。
 客席にキャストが登場してのスタートし「けやはすみたいじゃん」とワクワクしているうちに幕が上がり、リビングを再現したセットがドンと現れたときの衝撃は大きかった。個性的なキャラクターに、その辺にいるおじさんとしか思えない登場人物がうまく溶け込んで物語が進行していくのが楽しかった。

 27日、ミルハスでノアノオモチャバコさんの『ノア版野鴨』を観劇。目の前、と言って差し支えない距離で展開する芝居の迫力に終始心を持って行かれた。怒りや苛立ちの表現が放つ臨場感が圧倒的で、舞台が終わってからもなかなか心拍数が元に戻らなかった。
 先に参加したワークショップで触れたことが巡り巡って昇華されるとこうなるのか、いやしかし、どれだけ溜めや発散を意識するとここまでの表現ができるんだ、そんなことをぐるぐる考えながらその後の稽古に臨んだ。ひとつ、自分が辿り着きたい到達点を見たと感じた舞台だった。

 

【11月 来たぞ、村田さん】

 ついに『村田さん』の本番を迎えた。半年以上稽古してきた舞台を迎える緊張と、ようやく見せることができるという高揚感を同時に味わいながら喪服に袖を通した。
 『村田さん』についてはひとつ前の記事にモッサリ書いてあるのでそちらを参照してもらいたい。とにかく楽しかったし、勉強になった舞台だった。また同じように舞台で感動するために、いまから準備をしていきたいと思う。

 13日、ミルハスで劇団四季クレイジー・フォー・ユー』を観劇。初めての劇団四季だったが、なんていうか最高だった。これはリピーターなりますわ、同じ作品何回も観ますわとすべてのポジティブな意見を赤べこのように首肯しながら人生初スタンディングオベーションも決めてきた。本当に素晴らしい以外の言葉がない。
 私は2階席から観ていたために演者さんの表情までははっきり見ることはできなかったが、代わりにダンスのフォーメーションを俯瞰でバッチリ観ることができた。あの躍動感とパッションに訴えてくる強烈な印象といったら! 凄まじい多幸感に身を包まれるあの特別な時間は、本当に特別で感動的だった。さすが世界に誇る劇団四季だ。

 18日と19日、THEボトルキープスさんの『青いアネヘラの女/Shutter』を観劇。ホラーがテーマの芝居で会場はココラボラトリー、学校の教室を思わせるシチュエーションがマッチして物語を楽しむにはいい雰囲気だったと思う。しかも18日は天気が極めて悪かったのだが、ちょうどビビらせるシーンで雷が鳴ったのは天に愛されているなと感じた。
 『村田さん』で謎の愛人を演じたふーちゃんが今回は謎の雪女として登場。どこまでが本気でどこからが嘘なのか弄ぶような雰囲気や台詞回しが印象的だった。RHマイナス6の藤盛さんが重心の低い演技をされていたのも新鮮だった。ホラーやサスペンスは私も挑戦してみたい分野なので今回の観劇は刺激になった。

 24日は休みをとって仙台への弾丸遠征を決行し、劇団檸檬スパイさんの『エデン521』を観劇した。未来を舞台にしたポストアポカリプトの世界に生きる一癖も二癖もあるキャラクターの息遣いが聞こえるようで面白い舞台だった。照明が美しい自然光から不安を煽る警告的な明滅まで幅広い演出効果を産んでいて驚かされた。パンフレットに挟み込まれたチラシの多さに仙台でのパフォーマンス文化の強さを思い知らされた。

 

【12月 さよなら2023年】

 いよいよここまできた。あと30分で日付が変わってしまう。急げ。
 2日と3日、シアター・ル・フォコンブル プロデュース公演『異人たちとのクリスマス』を観劇した。
 会場が『村田さん』と同じミルハス小ホールだったことに少し懐かしさを感じたり、ストーリーの根幹が今年四十路を迎えた自分には刺さるものだったり、ご縁ができた方やこれまで活躍を客席から見届けてきた方が作り上げる舞台を見られることに不思議な達成感や喜びが感じられた。
 つい先日、この舞台の出演者が集まるプチ忘年会的な集まりに参加させていただいたのだが、来年も一緒に活動をしたり、出演する舞台を観劇に出かけられたらいいなと願っている。年のいった若輩者ですが、引き続きよろしくお願いします。

 22日は今年何度目だミルハスでわらび座さんの『三湖伝説』を観劇。例によって演者さんが放つエネルギーの強さにやられっぱなしになった。生演奏で舞台を彩った和楽器や、次々と飛び出す小道具の演出も楽しかった。佐々木亜美さんが舞台中を歌いながら跳ね回る姿がとてもパワフルだったし、平野さんがラストで見せた儚い演出もたまらなかった。年が明けたら小劇場にも観劇に出かけたいと思う。

 23日は『アラジン』のメンバーと一緒に、ふれあーるAKITAでクリスマスコンサートに臨んだ。
 久しぶりに人前できちんとマンドリンの曲を弾くことになり大層緊張したが、元気いっぱいの子どもたちと歌唱ガチ勢の茂木先生の弟子たちが素敵なステージを作り上げてくれたため、クリスマスを楽しい気持ちで迎えることができた。みんな本当にありがとう。

 

【終わりに】

 以上、2023年の振り返りでした。
 10月あたりからゆっくり振り返る余裕がなくなってしまい、推敲もせずにアップすることになりそうだ。酒も16時から飲んでいるため脳みそがもうだいぶ出来上がっている。どうしてこうなった。
 それでは、来年もよろしくお願いします!

 ……三ヶ日のうちに直し入れるかもです。

けやはす演劇部公演『田村さんと・村田さん』に出演した話

 恒例になってきた公演後の長文感想はっじまーるよー。
 今回は約12,000字書いた。ちなみに世間一般で短編小説に分類されるものがだいたい2〜4万字と言われている(諸説あります)。もちろん、ただだらだら書き殴っていくだけのブログの文字数と入念な推敲を何度も重ねる小説の文量を比較することはおこがましいことではあるが……などと、こうしてどうでもいいことをいちいち書いていくから次第に文字数が増えていくのである。でもやめない。
 私の場合、思考のアウトプットとして文書をしたためているので長文化の傾向が強い。ある程度思っていることをワーっと書いて、それから読みやすいように段落を入れ替えたり類似した内容をまとめたり削ったりしながら体裁を整えている。全体の構成や内容が毎度散逸気味で読みやすい文章になっていないことは承知しているのだが、勢いでやらないとなかなか書けないことも事実なので気長に付き合っていただければありがたい。
 さて、前回までは時系列に沿った振り返りという軸があったが、今回はかなり散文的というかこれまで私が関わってきた舞台を通した包括的な内容となっているため、いつも以上に自分語りが多くなっているし脱線も多い。今回のけやはす演劇部のことや、公演本番までの行程に興味がある方には退屈な内容になっているかもしれないがご容赦願いたい。
 言い訳を重ねるが、この文章はなによりも自分のために書いているし、過去の舞台の感想にしても一番読み返しているのは間違いなく自分だろう。稽古が思うようにいかず気合を入れ直したいときや、舞台のことが気になってなんとなく眠れずにいるときに自分で書いた感想を読み返していると落ち着けるのだ。書いたのがほかならぬ<元気で健やかな状態の私>であるせいか、文章に宿っている余剰気味の活力がチカラとなって精神衛生がちょっぴり回復するような気がしている。
 この文章を読んでいる方も、元気なときや幸せな出来事は日記やブログに残すといい。もちろんこんなにいっぱい書く必要はない。良いことも悪いことも忘れやすい大人にとって、時間をかけてひとつの出来事を振り返ることはなかなか有意義である。こうして文章にまとめるには相応の時間を要するし、その間は割と集中して書くべきものと向き合うことができる。それは毎回、悪くない体験である。

 

 さて、なにから振り返ろうか。まずはなんと言っても「けやはす演劇部」という括りについて簡単に触れておかなくてはなるまい。
 今更の説明になるが『けやはす』とは、今年の1月に開催された県民市民参加型ミュージカル『欅の記憶・蓮のトキメキ』のメンバー内における愛称である。あきた芸術劇場ミルハス開館記念として催されたこのミュージカルには、最終的に45名が出演した。この舞台についてはブログ内の記事にうんと書いてあるのでご確認いただきたい、それはもういっぱい書いてある。
 このミュージカルの稽古が始まったのは昨年の年明け頃からだったのだが、当時は世間がコロナ禍の真っ只中にあり、練習のために大人数で集まること自体がリスクと見なされていた。稽古中は全員が常にマスク着用だったし、メンバー同士が親睦を深めるような機会もなかなか設けることができなかった。本番前のゲネプロをマスクなしでやったときには「みんなこんな顔してたんだね」と互いに違和感を持ったほどである。細心の注意を払っていたとはいえ、出演者全員が健康な状態で公演を終えることができたのは奇跡としか言いようがない。
 そういう状況であるから、千穐楽を終えた直後の打ち上げの酒席も開催できず、メンバーが自由に食事をしたり一緒に出かけたりできるようになったのは本番を終えてしばらく経ってから。いま思い返すと不思議なことだが、メンバーが仲良くなったり交流が盛んになったのは、実は本番が終わってからだった。
 そんな経緯もあって、2月に開催された慰労会でようやく出演者の人となりが深いところまで明らかになったような気がしている。言っておきながら、私は田沢湖ビールをしこたま飲んで泥酔していたため、このときの記憶があんまりない。楽しかった印象だけは覚えている。一部のメンバーとはずいぶん長く舞台に関わることをしているような気がするが、出会ってから1年半しか経っていないし、私の舞台に関わるキャリアも同じ時間しかない。いかに濃密な時間の中で過ごしているかが改めて実感される。本当に感謝感謝の日々である。

 慰労会が終わって少し経った頃に「せっかく演劇に興味があるメンバーが集まったのだから、なにかやろうか」という声が上がった。それが具体的な形を取っていき「有志で集まってストレートプレイ(科白劇)をやろう。未経験者向けに演劇を基礎練習からしっかりやって、稽古に興味があるメンバーにも参加を呼びかけてみよう」ということになった。ありがたいことに私も参加させてもらえることになり、この機会にイチから勉強しようと決意を新たにした。
 稽古では台本の読み合わせ以外にも発声練習前の脱力やストレッチに始まり、姿勢の確認、呼吸法、意識の持ち方、『外郎売』を音読するトレーニングなど基礎の部分からしっかり教えていただいた。稽古を重ねていくうち、当初は『村田さん』のみの企画だったのが、稽古の参加者を新たな出演者とした『田村さんと』の二本立てで公演を行うことが決まった。
 公演のために各種申請を行ううえで、この有志の集まりにも名前をつける必要が生まれた。『けやはす』のメンバーが演劇をするために稽古を重ねている集団であるので、活動内容に則した『演劇部』をくっつけて『けやはす演劇部』と呼ぶことになったのである。そしてメンバー内で壮年期を迎えている私が「代表」になった。

 と、そういう経緯なので、特に部員が確定しているわけでもなければ確固たる活動方針があるわけでもなく、今回の公演を行うにために便宜的に名乗ったというのが実情に近い。
 しかし、今回公演に臨んだメンバーはみんな「また舞台に立ちたい!」と決意を新たにしているし、公演を観劇した『けやはす』出演者からも「次は私も出てみたい!」といった要望が聞こえてきているので、このまま解散とはならないであろう。まだ次がいつになるかは決まっていないが、もし新たな活動が決まったときには引き続き応援していただければ幸いである。

 この『けやはす演劇部』での経験は文字通り私を成長させてくれた。私の演劇経験はほとんどが『けやはす』からスタートしており、それ以前となると小学校高学年のときのクラブ活動まで遡る。小学生で習ったことであるしブランクも四半世紀近くあるわけだから『けやはす』のときはほぼ想像力とカンで演技をやっていた。引き出しは文字通りゼロだった。
 『けやはす』における私の役は歌うことがメインであったため、お芝居自体の演技指導を受ける機会は多くはなかった。もちろん皆無というわけではなく、たとえばチンピラ役でぶつかって腕が折れたフリをする演技についてはテクニック込みの指導をいただいたが(いま思うとなんと贅沢なことか!)エチュードの部分は各々の裁量に任される部分が多かった。なにしろ45人もいるのだ。
 ミュージカルのときは「なんとなく」でやっていた演技を、今回の稽古では基本からしっかり教えてもらうことができたのは自分のような初心者にはとてもありがたかった。稽古に何度か参加すると、私の声はくぐもりがちで子音をはっきり発音しないと潰れてしまうことや、母音の「い」と「え」の響きが弱いなどの弱点に気がついた。自分の弱みを客観視することで、気をつけるべき点や訓練が必要な点がわかる。感覚でやっていた世界に、上達するための道しるべができたのは嬉しかった。
 発声以上に、芝居の動きについては反省するところが多かった。特に今回は舞台にいる時間が長かっただけにちょこちょこと動きすぎる自分の悪癖が目立った。手足、指先、首、表情、いずれもせわしない。動くなら動く、止まるなら止まる、メリハリをつけた動きと「その動きはなにを意図したものなのか」が結びつくような意識づけを心がけた。

 こんなふうに自分の演技について考えられる視座を持てたこと自体が、成長を実感できることのひとつである。少し前まで、私は演技の良いも悪いも、あるべき姿もよくわかっていなかった。
 以前、とあるワークショップに参加したときにふと気がついたのだが、私の演技は「ごっこ遊び」の延長という性質が強かった。ウルトラマンごっこや怪獣ごっこが私の源泉であり、それ意外の方向性が想像できずにいた。
 一般的には模倣は大切であるし上達の近道でもある。目標もなく成長のコツを掴むのは難しいので、模倣自体は決して悪いことではない。しかし「ごっこ遊び」には客観性が存在しないか、存在しても希薄である。そのキャラクターや状況をやる、という主観性がすべてであり、それを観る側の視点はほとんどない。芝居や舞台が明らかに違うのは、それを観測する側(客席)に視座が置かれていることであり、それが主観性よりもずっと大事だということだ。役者に見えている世界ではなく、客席から見えている世界で生きていることを意識しなければならない。
 この当たり前のことが長いことわかっていなかった。だからセリフが客席にどう聞こえるかを吟味することもなかったし、自分の仕草や動きがどう見えるのかを確認するのにも消極的だった。舞台上で気持ちよくやることに重点を置きすぎていたことを反省して演技を軌道修正し始めたのは、夏の終わりになってからだった。せめてもう少し早く改良を加えられたら、もっと素敵な小宮山課長を表現できたかもしれないと思うと率直に悔しい。稽古不足を幕は待たない、という有名な歌詞があるが、幕が降りた舞台もまた手が届かないことは肝に銘じなくてはなるまい。

 個人的な反省が長くなってきたので方向転換するが、いろいろと課題を考えている一方で「あまり技術的なことに拘泥しすぎても良いことはあるまい」という直感も持っていた。
 なにしろ私は演劇2年生なのだ。しかも舞台をたくさん見ているわけでもないし、なんならテレビドラマだってほとんど見ない。ほとんど見ないどころか、地デジ化してから秋田に帰ってくるまではテレビが見れなかった(そして特に困らなかった)。調べたら地デジ化が2011年で帰郷が2018年なので丸7年テレビなしの生活をしていたことになる。これで芝居のインプットが足りているわけがない。だからいま急に背伸びしてもうまくできるわけがない。自分で気がついた明らかにダメなところや足りないところを修正しつつ、先程の「ごっこ遊び」をやるような舞台上での楽しさはきちんと感じながらやっていくのが大切だろうと思っていた。
 私の経験則として、スポーツでも芝居でも、プレイヤー自身が感動していれば見ているほうはその事実に感動できる、と感じている。ルールすら知らない競技やたまたま目に入っただけのドラマにグッときた経験は誰しも心当たりがあるのではないだろうか。いまの自分が舞台の上から「面白さ」を伝えられる可能性が高いのは、自分自身が舞台上で小宮山課長として感動している姿をできるだけ素直な形で見せることではないかと考えていた。
 心掛けるまでの必要もなく、今回の芝居では同じシーンを何回やっても共演者とのやり取りが新鮮でいつも楽しい気分で演技に臨むことができたし、本番の計3回の公演も心から楽しみながら舞台に立たせていただいた。
 公演後のお見送りでは、たくさんの方からねぎらいのお言葉をいただけて安心した。もっとも、公演直後の役者にイマイチだったと言うお客さんはいないと思うし、自分自身でも「あそこはもっと丁寧にやれたな」と感じるシーンもあるので手放しに喜ぶことはできないが、それでも自分が意識してきたことが客席まで届いた手応えを感じることができたのは本当に嬉しかった。次はさらに成長した姿を見てもらいたいし、そうした機会を作れるように準備していきたいと思っている。

 それにしても、演じているときの心理状態というのは実に不思議だ。半分は役の状態であるが、もう半分はシラフの、それも極めて冷静な自分である。役が感動しているときには自分もきちんと感動している。呼吸や心拍が早くなったり、涙腺がゆるむこともある。一方で次のセリフのタイミングを図っていたり、視界の外で共演者の気配を探るような機械的な視点も共存している。明らかに心がふたつある。
 この両方の心理状態を行きつ戻りつしながら舞台は進んでいくのだが、私が演劇をやっていて一番楽しいと感じるのはこの大いなる進行に関わっているときだ。無理矢理たとえるなら、プラモデルを組み立てながらラリー式のスポーツをやっているような感じとでも言えばいいだろうか。極めて内生的であり、それでいて心身がアクティブな状態というのは芝居をしているときしか味わえない感覚のように思う。さらに、ここに同じような集中状態にある共演者がいると、そこに意識がつながるような自己の広がりを体験できて一種のトランス感すら味わえてしまう。
 この状態でいることは純粋に楽しいが、全力で楽しむためには役をしっかり理解しなければならない。そして共演者との呼吸が合わないと気持ちのいいテンポにはならないため、ほかの役や脚本のことにも通じる必要がある。達成のハードルは高いがそれだけのやり甲斐はあるだろう。この状態を長く楽しみながら、自分の演技を磨いていけたら理想的だと思っている。

 今回の『村田さん』は気心の知れた演者と半年近く稽古を重ねられたこともあって、舞台の上にいる間はずっと楽しい気分でいられた。共演者の反応の強弱やちょっとしたタイミングはやるたびに少しずつ異なっていて、ストーリーは台本どおりでも毎回新鮮な気持ちで臨むことができた。
 特に、岡根谷を演じる布施さんとの掛け合いは、ダブルキャストの雪子の演者が異なるときは当然としてそれ以外のところでもセリフや芝居のテンションが反映されたレスポンスがあるので、やるたびに変化が感じられて楽しかった。
 布施さんは学生時代からずっと演劇に親しんできた方なので発声や表現の基礎能力や舞台に対する理解力などにおいて、私には埋めようのないレベルの差があった。なので彼女との掛け合いで違和感が生じないように、自分の表現や所作をしっかり作り込んでいかなくてはと意識していた。稽古でも本番の公演でも彼女のレベルに引っ張られたこともあって、自分もまずまず小宮山課長になれていたかなと思っている。
 舞台経験豊富な彼女には、素人同然の私や演劇経験の浅い共演者に対して思うところや歯痒いところもあったのではと想像するのだが、布施さんはあくまで共演者として一緒に考えたり工夫したりと柔和な態度でいてくださった。それでいて「こんな表現ってどう思います?」と具体的な質問をすると、こういう理由でイマイチとかこうするとより良いなど経験に裏打ちされたアドバイスが返していただけるのがありがたかった。おかげさまで、舞台でも稽古でも緊張しすぎることなく集中して芝居に臨むことができたと思っている。
 いつかの酒の席でちらりと語っていたのだが、彼女には「秋田にお芝居が上手な人を増やしたい」という野望があるらしい。私の現在の目標は「地元の舞台界隈におけるヤバい裾野になること」なので目指す先は合致しているように思う。今回の公演で私がその計画に少しでも貢献できたようなら幸いである。

 布施さんについてちょっと長めに語ったので、ほかの共演者についてもここで所感を述べていこう。
 村田さんの息子である正彦を演じたのは『けやはす』における主人公のひとり、孝三役を務めた安達さん。もう一人の主人公である明子は先述の布施さんが演じていたので、今更ながら『村田さん』では『けやはす』の最重要人物と肩を並べて共演させていただいたことになる。
 お二人の『けやはす』での活躍を袖や同じ舞台上で見ながら、当時の私は「いつか一緒にお芝居できる日が来たらいいなあ」とぼんやり思っていた。まさか年内に願いが叶うとは思っていなかったので、本公演のお話がまとまったときはとても嬉しかった。自分に共演者が務まるかと不安に感じる部分もあったが、それ以上に一緒にできる嬉しさが勝って毎回稽古に出るのが楽しみだった。
 安達さんはバンド活動をライフワークに音楽畑で長年活躍してきた方で、芝居こそ『けやはす』が初挑戦だったそうだがステージ上でのパフォーマンスはすでに百戦錬磨の強者である。今回の公演でも、喜怒哀楽の表現や全身を使う演技には会場が大いに沸いていた。繊細な表現もパワーをドンと出すことも苦にせず、まさに舞台での生き方が板についている、といった感じだ。
 仕事にバンドにと忙しい中、小旅行と呼んで差し支えない距離を越えて稽古場に通い続けてくれたタフネスも頼もしい。忙しさをちっとも顔に出さず、ポジティブさを持って物事に取り組んでいく姿はタフガイと形容していいと思うのだが、本人はしゃなりしゃなりと歩くスマートなタイプなので一般的なタフガイのイメージとはだいぶかけ離れている。内蔵しているエンジンの出力が大きいスポーツカーなら少しイメージに近づくか。
 1月のミュージカルでの活躍が目に止まったのがきっかけで、最近はあちこちで舞台への出演を打診されているらしく、マルチタレントぶりにますます拍車がかかっている。現に『村田さん』の2週間前には別の舞台にも出演していた。何回も言っているが本当にタフだ。出演するステージを追いかけるだけで客のほうが先に息切れしそうである。休み知らずと呼んでもいいくらいとにかく活動的なパフォーマーであるので、今後はどんな舞台に立つのか楽しみにしたい。

 課長のもうひとりの若い部下を演じたのは『けやはす』の物語がスタートするきっかけとなる美樹の相手役を務めた葉くん。今年高校を卒業したばかりの若者だが、高校演劇に打ち込んでいたため経験値も演技の引き出しも私よりもずっと上の先輩である。本人はとても真面目で堅実な性格をしているため、今作で軟派でお調子者の蔵田を演じるのにそこここで苦労していた。どちらかというと正彦の人物像に近かったかもしれないので、キャストを変えて遊ぶ機会があったら面白そうだ。
 『村田さん』は1990年頃を彷彿とさせる表現が多く、私でも「伝わらない」部分があったりしたのだが(たとえばバレンタインのお返しにパンツを買うようなところ。なんだこのヤバいおっさんと思ったが過去にはそういう文化もあったらしい。昭和こわい)葉くんの場合は感情移入の難度がなおさら高かったであろうことは想像に難くない。そうしたジェネレーションギャップを飛び越えて、羽目を外しては岡根谷に一撃もらったり突如現れた愛人にテンションを上げたりと、重たくなりがちな雰囲気の物語に軽快さを与えてくれた。
 私はもう中年になってしまったので、どうがんばっても若者の役はできない。彼はまだ若いが、そのくせ表情や仕草をがんばれば多少老けて見せることもできるので、たぶんいろんな役を演じられるだろう。そういう柔軟性や可能性がいっぱいあっていいなあ、と思いながら一緒の舞台に立っていた。彼の今後のキャリアの中に、私ももう何回か顔を出したいと思っているので引き続き腕を磨いていきたい。

 金曜日の愛人、カスミさん。『けやはす』ではダンサーズとして舞台に華を添えていたがセリフのある出番はなかったため、今回の芝居で初見の方を含めて関係者一同の度肝もまとめてひっこ抜いたと思われる。ちなみに私は『けやはす』において「地震に驚いて慌てて家から飛び出してきた家族」としてカスミさんと20秒ほど夫婦を演じました。どうだ、羨ましかろう。
 公演を観ていただいた方に強く印象に残ったであろうと確信しているシーンのひとつが、カスミさんの意味深マクドナルドである。カスミさんの雪子はすべてにおいて意味深で、セリフも所作も全部意味深に見えるところがとても面白かった。
 特に意味深マクドナルドからの意味深デニーズは、共演者を役から素の状態に強制的に引き戻して笑いの渦中に引きずりこむ舞台上の爆弾であった。その破壊力に抗うのは本当に困難で、最後の通し稽古でも私はこのシーンで笑ってしまった。舞台人がやったら絶対ダメなやつである。そうは言っても面白いのである。どうしようもないのである。台本内でもっとも意識し、緊張したのはこの場面だと言っても過言ではない。幸い本番では独特の緊張感によって高められた集中力にも助けられ、小宮山課長の人格を維持できた。今回の舞台で自身の成長を実感できた最たるエピソードのひとつである。
 舞台上では美人で謎の多い愛人キャラがばっちり決まっていたが、ご本人は屈託がなく社交的で、いつもニコニコしているとても親しみやすいお姉さんである。平日夜の稽古にも仕事終わりに遠方から参加してくださる努力家で、それでいて割とオタク気質なところがあるなど全方位に可愛らしいとても魅力的な方だ。共演できたことは本当に楽しかったし嬉しかったが、私も客席でマクドナルドのくだりで大笑いしたかった。ホントに身体がふたつ必要だ。

 土曜日の愛人、ふーちゃん。蓮の精として『けやはす』の精神世界における主役を務めたダンサー。今回の芝居を友人に紹介するにあたり「あのときセリフがなかった人も出るんだよ」と言ったら「あれ、蓮の精はなんか喋ってなかったっけ?」と返されたのが印象に残っている。友人はおそらく彼女の身体表現から伝わったものをセリフと勘違いしたのだろう。そのくらい動きから伝えられる技術がある人。
 せっかくのダブルキャストということで、カスミさんの雪子とは違う雪子像を模索しながらの役作りに苦労していた姿をよく覚えている。雪子という役は脚本を読んでいるだけでもとにかく不思議ちゃんというか天然なところがあり、それを葬儀というシチュエーションでどう演じるかは解釈の幅が存外広い。彼女の想いの比重をどこに置くのか、表現方法で伝わる雪子の印象などについて愛人同士の打ち合わせがよく行われていたそうだ(後に愛人会議と名付けられたという)。
 ふーちゃん雪子は、普段語りのときの無邪気さとラストシーンで過去を語るときの長台詞におけるギャップが印象的だった。私の解釈だと、このギャップを見せつけられた際に、村田さんと彼女がどれほどの心の交流を交わしてきたのかが小宮山課長には垣間見えてしまい、その事実に大きなショックを受けることになった。ちなみにカスミさん雪子のときは彼女の思慕の情の強さにあてられてショックを受けている。なので、愛人が退場した後にストーブ代わりの一斗缶で手を炙っているときに考えていることは両者で全然違っている。そういう違いを私の芝居で表現できたらよかったのだが自分の技量では難しかった。リベンジの機会があったら、そういうキャストによる意識の差異もきちんと見えるようにやっていきたい。
 ふーちゃんは11月18日と19日にも公演を控えており『村田さん』が終わって一息ついているメンバーとは対照的に、次の本番に向けて絶賛追い込み中である。彼女もまた仕事に稽古にと忙しい中で精力的に活動を続ける大変な努力家である。ダンス経験を活かした優雅な動きも繊細な仕草もお手の物であるが、個人的には舞台上でもプライベートでもパッと弾けるような即発的なエネルギッシュさが素直で素敵だと思っている。楽しそうなときもイヤそうなときも、内包的なエネルギーが強いのかオーラが一瞬、シュッと出るような気配があるのだ。その強いエナジーが全開にできるのはやはりミュージカルの舞台だと思うので、ぜひまたミルハスさんには頑張っていただきたい。

 『田村さんと』のメンバーにもいろいろと思ったことや感じたことはあるのだが、それを個別に振り返っていると本当に短編小説の文量になってしまうので『田村さんと』全体についての個人的な心象に代えさせていただきたい。
 さて、『田村さんと』の稽古は9月初旬にスタートしたと記憶している。『村田さん』は5月に稽古が始まったので半年近く脚本と向き合って稽古する時間があったが『田村さんと』チームは本番まで2か月弱しかなかった。舞台初心者が多かった中、限られた時間でひとつの作品を仕上げたメンバーに大きな拍手を送りたい。
 この作品はタイトルからもわかるとおり『村田さん』を意識して創作された脚本だ。『村田さん』に村田さん自身が登場しないように『田村さんと』にも田村さんは登場しない。また、けやはす演劇部の初公演ということもあってか『けやはす』のパロディやオマージュもそこかしこに含まれている。
 もちろん、そうした内輪受けのみを狙った作品ではない。というか、ストーリーの全容は『村田さん』よりもはるかに難解だ。『村田さん』が「冴えないおじさんのお葬式に愛人らしき女性がやってきてひと騒動起きる話」と要約できるのに対して『田村さんと』を端的にまとめることは難しい。軽く思い出すだけでも「いつの時代の話なのか」「あのドラム缶はなにか」「チェーホフの三人姉妹はなにを暗喩するのか」「手を合わせられる一方で帰りを待たれている『田村さん』とは何者なのか」と疑問は尽きない。ストーリーの上辺だけをなぞれば「火葬場での日常にご近所さんが乱入してひと騒動起きる話」になるかもしれないが、戦争やミサイルなど物騒な単語がたびたび含まれ、挿入される寓話やラストシーンなど、観ているうちにただの日常を描いた芝居ではないことがじわりと伝わる作風だと思う。
 出演した役者は『けやはす』ではセリフがほとんどなかった演者が大半であるが、動きや声色で「この人、見たことあるかも」と気がついた方は多かったのではないだろうか。火葬場サイドであるネモトとウメヅの犬のじゃれあいのようなやりとり、ドラム缶で終始なにかを撹拌しているシブエ、そこに闖入するご近所さんのトキコ、タエコ、アカネの賑やかな三人組と、この3グループ独自の色彩とそれらがときどき混ざり合う演出が面白いところだったと感じている。私はシブエをやってみたいなと思いながら稽古や本番を眺めていた。
 出演者のみなさん、本当にお疲れさまでした。それぞれに個性的な役を限られた時間の中で理解して演じる姿はとても格好良かった。いつかまた一緒にできる機会を楽しみにしています。

 今回の公演では「舞台をどのように作るのか」にもこれまでより近い位置で関わらせていただいた。当然のことではあるが、舞台は役者だけでは完成しない。ステージ、照明、音響、大道具、小道具、客席、受付など諸々の準備が必要であり、それらを統括して運用する役割も不可欠である。
 公演準備や運営には舞台経験のある関係者の方にご協力をいただいたほか、スタッフとして『けやはす』のメンバーや秋田大学演劇サークル『きたのかい』の方にもご協力をいただいた。経験の浅い私が集中して楽しい気持ちで舞台に立つことができたのは、スタッフの方のご尽力のおかげである。今後も舞台に関わっていきたいと思っているので、役者としてだけでなくスタッフとしての役割や能力もこれからは意識して高めていきたい。
 また、これまでにご縁ができた方がお客さんとして公演を観に来てくれたことも本当に嬉しかった。引き続き気にかけていただければ幸いである。私はインドア気質なこともあって交友関係がかなり狭かったのだが、ミュージカルへの参加を決めてからずいぶん世界が広がった。これからもインプットとアウトプットの両方でいろいろなところに顔を出して様々なことを吸収していきたい。

 

 ここ半年、毎週のように小宮山課長を演じていたため、もうあのお調子者に化ける機会がなくなってしまったことを少し寂しく感じている。
 少し前に、演技についていろいろなアプローチで表現をする練習をしたのだが、役というのは演じるというよりも「憑依させる」ものであるようだ。正直なところ、小宮山課長はなかなか私に降りてこなかった。本番で「一番降りてきたな」と感じたところでせいぜい60%くらいだったような気がする。
 憑依させるためには自分の枠を壊すまではいかないまでも緩める必要があるし、役そのものに対する深い理解がなくてはならない。今回うまく小宮山課長が降りてこなかったのは、たぶん小宮山というより「村田さん」に対する理解があと一歩及んでいなかったからだと思っている。最後の本番になってやっと尻尾を掴んだような感覚があったので、この反省は次に活かしたい。役や脚本に対する入念な下準備と自分自身の枠を大胆に超える姿勢を今後も意識しながら活動を続けて行けたらいいなと思っている。

 『村田さん』のラストシーンで小宮山課長は口を開けて顔を空に向けた。私の視線の先には照明があって、音楽の盛り上がりとともにライトは少しずつ光を弱めていく。そしてライトが消える最後の一瞬、光源は本当に雪のひとひらに見えたのだ。あの美しくも寂しい光景を私は一生忘れないだろう。
 私が表現活動を続けていく中で「村田さんのラストの一瞬を超えるか」はひとつのテーマになると思っている。そのくらい私の心に強く残る強烈な体験だった。こんなに感動できることがまたあるかもしれないとそう考えてみるだけで、もう次の舞台に立ちたくてしょうがないのである。

ミュージカル『アラジン&CATSハイライトメドレー』に出演して

 今年の夏はとにかく暑い。ほとんどの秋田県民にとって、今年は水害と猛暑の年として深く記憶されることになるのだろう、とこれは私個人の願望でもある。こんな酷暑やら自然災害やらは、ごく稀に発生する「珍しいもの」であってもらいたい。先の心配をしても仕方がないのだが、ここまで異常気象が常態化すると気を揉むなと言うほうが無粋な気もしてくる。
 平穏無事に日常を過ごせることのありがたさを実感できるのは良いことなのか悪いことなのか。判断は自身の置かれた状況にもよるであろうが、いずれにせよ、なにかに感謝できる生活態度は謙虚さにつながる。謙虚であることは自制と調和の流れを組むため、いわゆる日本的な居心地のいい社会空間を醸成するのだろう。もちろん行き過ぎれば同調圧力などの阻害も発生するが、基本的には好ましい社会のあり方なのではないかと考えているところだ。
 どうもミュージカルの感想にしては固い走り出しになってしまった。こうしてMacBookに文章をしたためている居間が蒸し暑く、テレビから流れるニュースでも浸水被害について報じているものだから影響を受けているようだ(ここの部分は8月下旬に書いています)。万事、そんな感じである。私は影響されやすく、またそうした流れに対してわかりやすく反応する性質なのだ。
 さて、序文に戻ろう。今年の夏はとにかく暑い。それを実感しているのは、もちろん日々の生活の中で酷暑にさらされているからである。蒸し暑いステージや袖で、通気性がいいとは言えない衣装に身を包んでいればなおさら肌身に感じられる。晩夏のミュージカルに賭けた日々はそれはもう大変に暑かった。

 今回のお話をいただいたのは極寒に沈む1月の終わりのこと。県民市民参加型ミュージカル『欅の記憶・蓮のトキメキ』(以下「けやはす」と呼称)で歌唱指導をしていただいた茂木美竹先生からメールが届いた。
 なんと、先生が主催する音楽教室で夏にミュージカルを企画しているという。会場はいまだ「けやはす」組の残留思念が漂っているであろうミルハス中ホール。演目はアラジンとCATSのハイライトメドレー。すでに「けやはす」メンバーから何人か参加が決まっているとのことだった。
 一度ステージに立ってすっかり舞台の楽しさの虜になっていた私は、二つ返事で参加したい旨のメッセージを返した。どんな役であるにせよ、また舞台に立てるのであれば大歓迎であったし、茂木先生の指導を受けることで今後なにか表現活動をする際のスキルアップにもつながることだろう。願ったり叶ったりのお誘いだった。

 2月に参加者一同で顔合わせをした。つい先日、一緒に舞台に臨んだ顔があり、見慣れない大人を見て少しそわそわしている子どもたちがいた。すでに配役は決められていて私はアラジンにおける悪役、ジャファーをやることになった。ニヤリとした。悪いことを一生懸命やって怒られないのは舞台の上だけだ。世界的に有名なヴィランを演じられるということでテンションが上がった。
 顔合わせでは茂木先生の教室の子どもたちを含めて簡単な自己紹介と挨拶をした。私は、自分はまだ演劇をやるようになったばかりなので、君たちのほうが舞台経験では先輩かもしれないこと、1月の舞台はとても楽しかったので、みんなで稽古をがんばって楽しい舞台にしましょう、というようなことを述べた。
 うまく打ち解けられるか不安だったが(どっちが子どもだ)、教室の子どもたちは歌唱で大人たちと一緒にやることに慣れているのか、あまり警戒されることなく読み合わせや稽古でも話しかけてくれるようになった。特にイアーゴ役のSくんとは役作りや舞台での動きなど突き詰めるために、空いた時間にキャラクターの心情やセリフについて意見を交換することが多くあった。その時々の心境変化だけでなく、ちゃんと伏線やカタルシスの概念も理解しており「最近の子はすごいなあ」と感心した。

 アラジンの稽古を始めてまず気付かされたのは、とにかく楽曲が難しいことだった。音がうねるしハモリが複雑で曲の途中からリズムが変わったりもする。楽譜を渡されたものの、私には楽譜を見てスイスイ歌う技量はない。「けやはす」のときも耳で聞いては実際に歌い、身体に馴染ませてなんとかした。
 しかし子どもたちはこのあたりのことを平然とこなす。さすが茂木先生の弟子たち。コーラスも綺麗だし、他人のパートに釣られることもない。大人組も自主稽古などを重ねて、冒頭の『アラビアンナイト』からせっせと身体に馴染ませた。これを踊ったり演技したりしながら歌うとなると大変だぞと気合を入れ直した。
 ありがたいことに自分にはソロ楽曲もある。劇団四季版のサウンドトラックを購入して聴きながら、イメージトレーニングする日々が始まった。少し前まで毎日やっていた日課が帰ってきたことに不思議な嬉しさを感じていた。

 歌が一通り頭に入った段階でダンスの稽古を迎えた。子どもたち中心だし、アラジンやジーニーはともかくモブは簡単な振り付けだといいな、と思いながら練習会場に出かけたところ、びっくりするくらいカッコよくて本格的なダンスだったのでハードルがさらに一段高くなった。
 ただ、これがビシッと決まったらさぞかし格好いいぞ、と本番が楽しみになった気持ちもあり、こうなったらダンスも反復練習をしながら体に馴染ませるしかねえやと覚悟を決めた。身内には欅ダンサーズや蓮の精もいる。心強かった。

 セリフを頭に入れて、歌とダンスもまあまあできるようになったかな、と思える頃にはもう7月に入っていた。小学生の頃に演劇クラブでやった『セロ弾きゴーシュ』以来のセリフ暗記には存外苦戦した。覚えること自体はそうでもないのだが、いざ演技を含めてほかの役者を入れて合わせてみると、セリフの順番が前後したり(「まさにいま」を「いままさに」と言ってしまうなど)言い回しを間違うことがあった。
 不自然でない程度に意味は通るのだが、セリフが台本の意訳になってしまうのはやはり気持ちが悪いというか自分の美学に反する。私は「脚本は隅々まで意図があって書かれている(書かれるべきだ)」と思っているので、一言一句間違えたくない。だからと言って丸暗記をするのも面白くないと考えていて、なぜこのセリフ順なのか、なぜこの言葉なのかなどを深読みしながら馴染ませる作業を重ねた。そうやって考えたときにどうしても心情と乖離するセリフがあれば、茂木先生に意見を伝えてセリフを修正させていただくこともあった。セリフに関しては丁寧に臨んだおかげで、本番の舞台でもミスはなかったのではないかと思っている(気がついてないだけかもしれないが)。

 あっという間に本番一週間前の稽古の日がやってきた。子どもたちも夏休みの土日は朝から夕方までこの舞台にかけている。保護者の方も衣装の準備や子どもたちの演技の確認、体調管理のために大車輪の活躍をしていた。けやはす組から舞台スタッフとして協力してくださる方もおり、懐かしい本番前の雰囲気にひとりテンションが上がった。
 ただ、舞台の完成度はなかなか手厳しい状況と言わざるを得なかった。袖から見ていてもテンポ感が悪く、物語を構成する集中力のようなものがたびたび散逸するような印象があった。テンポが悪いのは、場面場面の要素が生煮えの状態だからに他ならない。舞台上でのセリフや動きもそうだし、袖での準備や出ハケも含めて妙な間があり緊張感を欠いていた。
 通し稽古ではあったが、茂木先生は問題があると思ったシーンはすぐに中断させて流れを確認した。当時はそれで大丈夫なのかなと訝しんでいたのだが、いま思えば不安だったり不明瞭だったりする場面を流して通し稽古を完了しても、事態が良化しないであろうことは明白で、非効率的でもこうすることがベストだったと感じている。自信を持ってシーンに臨めるようにすることが、結果的には全体の流れを良くするほうに賭けたのだろう。
 甲斐あって本番前日の稽古では心配されたシーンはスムーズに流れ、本番ではもっとこうしよう、という積極的な意見や課題が提案されることにつながった。チーム全体からようやく「やれる」という手応えと自信が感じられた気がした。

 そして本番当日。半年ぶりにミルハスの楽屋に入場した。思ったより早く、この特別な舞台に帰ってこれたことに気分が高揚した。舞台ではすでに照明や音響などの準備が進められていた。けやはすのときにお世話になったスタッフの方の顔もあった。今日一日よろしくお願いします、と頭を下げながら「今日一日だけなのか」と寂しい気持ちになった。まだ始まってもいないのに感傷に浸る暇はない。上手袖にある神棚に手を合わせて様々な思いを早口でブワーと捲し立ててから、平台の設置に臨んだ。
 準備をしながら中ホールの座席を懐かしく眺めていると、妙な違和感を感じた。中ホールの客席ってこんなに狭かったっけ? 2階席ですら手が届くような距離に感じられる。これは私の精神的成長の現れなのか、ハイになって状況判断ができなくなってしまったのか、いずれにせよホール全体に親密さを感じられたことはよかったと思う。
 舞台の準備が整うとサウンドチェックが始まった。その合間を縫ってメイクも同時進行で進む。今回はメイクのために東京から専門のスタッフさんが来てくれていた。お陰様ですごいジャファーに仕上げてもらったので、本番はとにかくひたすら楽しくてしょうがなかった。本番では間違いなく稽古までとはギアが違う演技ができたと思っているが、それは確実にメイクのチカラである。メイクしてくださった方たちも化粧のデキや舞台を楽屋モニターなどで楽しんでおられたようで、それも嬉しかった。本当にありがとうございました。
 うきうきとした気分で最後の通し稽古を済ませる。現場でやってみたら想像以上に照明や舞台美術が豪華で、おそらく演者が一番驚いていたと思う。いよいよ本番が近づいてきたというザワザワした高揚感と緊張が身体に満ちてくるのを感じた。通し稽古にケリがついたのは開場直前であった。栄養と水分を補給してベルが鳴るのを待った。

 開幕直前、緞帳の降りた舞台の中で、茂木先生が円陣を組もうと言い出した。いやいやもう客席埋まってまっせ、いくら緞帳の遮音効果が高くてもここで声あげたら聞こえまっせ、と思ったがしっかりやった。あとはなんでも来いである。

 本番については、正直特に言うことはない。これまでの中で一番いい形で舞台が進んで行ったと感じている。メンバーの努力がしっかり結果になって舞台に出ているなとどこか客観的に思いながら、自分は自分のやることに集中した。
 一点反省するとすれば、メイクをかなりばっちりしてもらったので、顔を上目に向ける意識と目を見開く演技を気持ち多めにしたほうが良かっただろう。ついつい役にハマりすぎて、舞台上の共演者目線でやりすぎたような気がしている。あとはマイクに甘えて少しセリフの力強さも足りなかったかもしれない。この辺りは稽古不足というか普段の意識付けが弱かった部分が素直に出てしまったと感じている。また舞台に立つ機会があれば「本番で客席を意識したときどう動くか」は身体に染み込むくらい練習したいと思う。
 何度も繰り返しているが、今回の舞台でジャファーを演じるのは本当に楽しかった。だからこそ、楽しんで楽しんでただの自己満足なのではないかと不安になるくらいの楽しさを爆発させた「ダイヤの原石」を歌い終えた後の大きな拍手はこの上なく嬉しかった。東海林太郎のときも拍手は聞こえていたが、緊張と台のうえで姿勢をキープするのに意識の7割が持っていかれていたため喜んでいる心の余裕がなかった。今回は、客席からのレスポンスも楽しむことができたのは成長かもしれない。

 閉幕後、お見送りで退出するお客様に挨拶することができた。これも「けやはす」ではできなかったことなので嬉しかった(そのせいで舞台の後片付けを手伝うことができなかった。スタッフのみなさんごめんなさい!)。観てくれた方に直接褒めてもらえるのは、やはり効く。ひとつの舞台が終わった直後ではあるが、まだまだがんばらなくてはと決意を新たにした。
 けやはすメンバーもたくさん見にきてくれていた。素直によかったと言ってもらえて安心したところもあるが、そのうち酒の席でダメ出しもしてもらいたいと思っている。舞台からどう見えていたかを研究することが目下自分の課題である。気心の知れたメンバーからの意見なら、きっと素直に受け入れることができると思う。これを読んでいるメンバーがおりましたら、愛のあるダメ出しをお願いします。愛のあるやつを。

 その後、けやはすでも音楽監督を務めてくださった渡部さんから講評をいただいた。渡部さんは今回のミュージカルでも楽曲を茂木先生のピアノを元に編曲してくださった。音源が配布されたとき、ストリングスや金管楽器などがズンドコしている『アラジン』の曲がピアノメインで華麗にアレンジされているのを聴いて「普通にドライブの相棒に最適」と感動したのを覚えている。渡部さんが音楽を担当したわらび座の「HANA」を直前に観劇したのも、今回の舞台に向けて大きな刺激になった。本当に足を向けて寝られない。
 茂木先生も重荷が降りた、という感じで久しぶりに安堵したようなホッとした表情で、それがとても嬉しかった。今回の舞台で一番神経をすり減らし、苦労を重ねたのは先生に違いない。会場を包んだ大きな拍手と、出演者の笑顔が少しでもそうした苦労を労うことになっていれば幸いだ。そしてこれだけ豪勢な舞台だと、出演者としては懐具合が心配になってしまうが、そこは深く追求するまい。……なにかあればできる範囲でカンパします。

 片付いた中ホールに深く礼をして神棚に次の機会をお願いした。出演者に挨拶をしながら自分の荷物をまとめて帰り支度をする。達成感と寂しさが入り混じった独特の感覚を味わいながら、やっぱり舞台はサイコーだぜと自分の選択が正しかったことを噛み締めながら帰路についた。
 ミルハスを出る頃にはすっかり夜、相変わらず蒸し暑く可愛げのない暗闇が広がっていた。荷物を抱えて歩いていると、中土橋でライトアップされた蓮が迎えてくれた。「けやはす」のときは真冬で、物語のテーマであるにも関わらずそこに蓮はなかった。それを残念に思っていたのだが、いま「けやはす」がきっかけで臨んだ二度目の舞台からの帰り道で満開の蓮が迎えてくれていることに、偶然の美しさを感じずにはいられなかった。思わず振り返ると、煌々と明かりを灯すミルハスと、そこに静かに影を作る政光様の欅が並んでいた。ますます出来過ぎな光景である。
 すでに三度目の約束はしてある。もっともっと末長いお付き合いになりますように、とお願いしながら駐車場の方へ踵を返した。

 

 以上。長い長い振り返りになった。マジで長い。思ったこと全部書くのやめた方がいい。
 それでは最後に、それぞれの配役とその演者に対しての所感などを簡単に書いていきたい。最後に、と書いてあるが、実はここまででこの記事のほぼ半分である。そう、分量としてはまだ半分もあるのだ。推敲していてびっくりした。書き始めたときはもっと簡単に済ませるつもりだったんだけどなァ。

 

アラジン(ほんちゃ)
 主役を務める元蓮の精で元女子力戦士で元名探偵のダンサー。「けやはす」出演者で本番後にもっとも忙しくしていたのは彼女ではないか。月に2回ペースで様々な舞台に立っていたように思う。「中通ヒルズ」や「たんとかだっていってけれ」でコミカルなキャラクターからちょっと怪しい裏表のある役までを短期間に経験したこともあってか、今回もアラジンの声色や仕草などはあっという間にモノにしていた。
 個人的な推しシーンは「プリンス・アリ」で玉座に近づくときの足運び。客席からは背中しか見えないだろうが、舞台袖側からはイケメン王子の横顔がよく見えるのです。普段の親しみやすいキャラと王子になったときのギャップで子どもたちからもモテモテ。ダンスの振り付けを考案して指導役に回るなど、稽古でも主人公ぶりを発揮した。
 ミュージカルのもう一つのキモである歌には苦手意識があるそうで、今回の舞台に向けて歌唱は特に猛特訓を重ねており、ジャスミンとともに本番直前まで入念に音やテンポをチェックをしていた。本番一ヶ月前くらいから、プレッシャーのせいか二人セットで精神衛生が悪化しているような気配が見受けられたものの(明るい表情と裏腹に目が死んでいた)それがかえって両者の絆を深めたようで、本番では見事なカップルぶりを披露した。
 タイトなスケジュールの中での大役、本当にお疲れさまでした。ジャファーとしてウザ絡みするの楽しかったです!
 
ジャスミン
 ヒロイン。劇中のみならず、稽古の日取りなどを確認するLINEグループを率先して取りまとめるなどメンバー全体からしても間違いなく舞台の中心人物。大人たちからも子どもたちからも可愛がられる愛され系。手先が器用で、自作の小物を演者全員に配ってチームの和と士気を高めるなど、表で裏で大活躍だった我らがお姫様。
 個人的に劇中最難関と思っていたソロ楽曲(壁の向こうへ)やらアラジンとのユニゾンやらで、一番歌に苦しめられる役だったと思うが、根性と練習量で克服。役作りでもジャスミンが姫として放つ高貴さや一種の冷たさがなかなか出せず、姿勢や発声から見直して反復練習を熱心に行っていた。その甲斐あって本番ではキッとした「無礼者!」が中ホールに響き渡った。
 アラジンと自主練習を重ね、セリフの掛け合いや感情のやり取りなどは日を追うごとに深化していったが、次第にアラジンへの好意が劇中から現実を侵食していったようで閉幕後もアラジン(ほんちゃ)を推しコンテンツとして崇拝している様子。同様にアラジンを愛するようになったカシームに存在を疎まれるなど、アグラバーの治安悪化が懸念されている。どうしてこうなった。
 
ジーニー
 役者自身もジーニーよろしく、なんか自由。演技、歌唱、身のこなし、すべてが高い水準にあることは見ているだけでわかるのだが、一緒にやっているとどうにも手応えがなく正直最初は戸惑った。第一印象はちいかわのウサギ。プルァ。
 しかしジーニーのことはかなり研究していたようで、アドリブを含めた台詞回しやフレンド・ライク・ミーでの動きなどを見た方には、彼がジーニーを演じるために積んできた研鑽のほどが理解できたのではないかと思う。基本的にランプの魔人はおじさんであるが、彼はどう見たってお兄さんなので今回の舞台でのヤングなジーニーは新鮮だったのではなかろうか。
 劇中でジーニーは最初に出た(歌った)後の出番までが遅く、そのくせ一旦出るとあとは出ずっぱりという役者泣かせな配置だった。担当する楽曲もリズム、高音のロングトーンなど難解なソロが多く、一発勝負の舞台において神経を尖らせる場面が人一倍多かったと思われる。それでもジーニーお兄さんは常にのほほんとした雰囲気を醸しており、子どもたちのストレスを和らげる役割を買っていたのかな、と今更ながら感じている。
 
カシーム
 舞台を見た人は「モデルさんみたいな子がおりますやん」と思ったのではないか。アラジンの友人コンビの長身なほう。長い手足を活かした振り付けがとてもイケメン。身長差のあるバブカックとの掛け合いは袖で見ていても非常に楽しく面白かった。
 劇中では軽そうな雰囲気の役だが、本人は子どもたちのまとめ役になったり、舞台上での動線や演技について率先して大人たちに意見を求めるなど、とても真面目で気配り上手。男性の言葉遣いや仕草を演じるのに苦労していたが、本番では自然と気のいい兄ちゃん感を出せるまでに成長した。
 なお、いつからかは定かでないが、アラジンの親友役を突き詰めるうちにジャスミン同様ほんちゃの熱狂的なファンになってしまった。なにかにつけアラジンの隣にいるジャスミンを排除しようとするなど、ジャファーが改心した後もアグラバーの闇は深さを増している。
 
バブカック
 アラジンの親友にしてカシームの相棒。愛嬌のある立ち回りと賢しい台詞回しは、今回の舞台をご覧になった方の印象にも強く残ったのではないか。物語を外枠からくるくる回すような小動物的な愛くるしさを存分に振りまいていた。カシームとセリフやダンスを一緒に考えたり練習したりする様子をよく見かけていたためか、舞台に限らずコンビなイメージが強い。
 メンバー内でも「ミュージカル」をよく理解しているプレイヤーだったように思う。サッカーに例えると背番号10。緊張した面持ちの子どもたちが多かった中で、彼女は常に笑顔と自信に満ちていた。歌・ダンス・演技のレベルが高く、舞台にいる間はセリフがなくても演技をがんばるなど集中力も見事だった。
 なお、ジャファーに追い詰められるアラジンを助けるため、バブカシが乱入して殺陣を披露するというアイディアもあった。稽古日数や尺の都合で採用はされなかったが、もしそんな場面があったらきっと楽しかっただろうな。
 
ルナ
 茂木版アラジンのオリジナルキャラ。アラジンの幼馴染で彼に恋心を抱いているが、ジャスミンの気持ちを知ると自らの気持ちを隠しつつ彼女を励ますなどいじらしい存在。微妙な心の揺れ動きの表現やソロ曲、大団円のきっかけとなる場面の立ち振る舞いなど難しい役所であり、さらにほかの役と違って「どんな人物なのか」を突き詰めるところから始めなければならないため相当難儀されたと思うが、見事に演じきって茂木版アラジンの世界を構築した。
 稽古では身内側におけるダンスの先生として全体の面倒を見るなど、今回のミュージカル全体の完成度を陰で支え続けた。まさにお月様のような活躍ぶり。
 劇中ではジャファーとの絡みがまったくなかったのが心残り。今後、どこかで共演の機会があることを願っています。
 
イアーゴ
 今回の舞台における私の相棒。妙なカリスマというか注目を集められる素養があり、舞台上にいる間はとにかく目立つ子。持ち前の愛くるしさと可愛らしくも力強い声をブキにジャファーと一緒に暴れ回った。
 エネルギーの内在量が多くそれを発散する蛇口の口径も大きい感じの子で、そのキャラクター性を見込まれてなのか歌に踊りに演技にと広い舞台でひとりせわしなくするシーンが多かった。それだけに猛暑が続く中での稽古は大変だったであろうし疲れもあったと思うが、本番ではひときわ元気に舞台を駆け回ってくれて頼もしかった。
 今回の舞台では母性をくすぐる大人のお姉さんキラーな振る舞いが多かったが、本番当日、メイクをした顔を見たところイケメンの気配を感じた。何年か後には、同年代の女の子を夢中にさせるような少年になっているかもしれない。ずるいぞ。
 
侍女たち
 ジャスミンに仕える侍女……なのだが奔放でお友達感の強さが魅力。歌唱ガチ勢。
 3人いるがそれぞれ個性が異なっており、ジャスミンとの関係性や演じ分けについて細かに指導されていたのが印象深い。楽曲の際にはダンサー衣装で登場し、アグラバーの賑やかな雰囲気に華を添える役割も果たした。なお、彼女らが考えた人物設定では3人ともジャファーのことは全然尊敬していないらしい。フゥン。
 最初に「壁の向こうへ」のコーラスを聴いたときの衝撃は大きく、この人たちに混ざって私が歌って大丈夫なんだろうかと心配になったのを覚えている(おそらくジャスミンの胃痛の遠因でもある)。そもそも茂木先生の弟子が集まっているので歌唱のレベルは高いのだが、その中でも特に優美な歌声にはご来場のみなさんもさぞ驚かされたことだろう。
 本番一週間前の稽古の際、楽屋でお見合い写真のスケッチブックを装飾するのを手伝ったが、確かに胡散臭い王子たちであった。ジャファーに「先ほどの王子も少しばかりいかがわしい匂いがぷんぷんしておりましたなあ」というセリフがあったが、これを経てより実感のこもった表現になった。
 
絨毯の精
 ご存知、魔法の絨毯。絨毯なので喋らず、それで感情表現をしつつ、大体においてアラジンとジャスミンがいる場面に出てくるため目立ちすぎてもいけないという様々なジレンマを抱えた難儀な役。さらに茂木版では驚きの正体が隠されており、伏線を張りながらの演技も求められていた。
 舞台袖などで黙々と振り付けの確認をしていた姿が印象に残っている。役と本人のギャップが大きいメンバーが多い中(失礼?)、絨毯の精は演者と役がシンクロしていたように思う。
 正体が判明してジャファーがひざまずくシーン、自分では様々な感情を込めた演技をしたつもりなのだが、どのように見えるのか映像を確認するのがいまから楽しみである。
 
サルタン王
 セリフ以外の部分での表現方法は控えめながら、アリ王子リプライズでは一転ノリノリで歌い出すなど緩急の難しい役所。王としての威厳を示すため所作を最低限にしつつ、その中で感情の機微やギャップを見せるため、特に動きやテンポ感などにはずいぶん気を配っておられた。
 ジャファーと共演するシーンや絡みが多く、セリフ以外のところでも細かなやり取りが存在したため、打ち合わせや確認がイアーゴの次に多かった。ちなみに個人的な裏設定として、王は王妃が行方不明になってから頼もしさを失ってしまい、ジャファーはこのような王に国を任せてはいられぬ、と考えて暗躍するようになりました。
 王の衣装は派手なためか蒸し暑く、装着に時間を要し、おまけに動きにくいため通し稽古後の王は特にお疲れのご様子であった……が、男性陣ではアラジン後に唯一CATSにも出演。オールドデュトロノミーの名を高らかに歌い上げ、こちらでも気品の高さを示した。
 
アラジン母
 アラジンが正しく生きる決意を固め、最後にこれまでの苦労とがんばりを認められて大団円につなぐ存在。けやはすメンバーからは「Z先生」と呼ばれ、それは今回のメンバーにも伝染した。
「けやはす」で老年の明子を演じた際はしばしば畑澤先生から「上品すぎる」と演技指導されているところを見かけたが、今回の舞台では持ち前の上品さがアラジンの尊敬する両親であるという説得力を生み出していたと思う。稽古の隙間時間には、妹役の子どもたちと役について楽しそうにお喋りしている姿をよく見かけた。
 舞台設営でもてきぱきと指示や運搬を担い、稽古前などの柔軟体操ではZ先生の身体の柔らかさにいつも驚かされた。舞台に立つために積み上げてきたものが随所から窺い知れる、まさに「先生」だった。
 
アラジン父
 当初の台本には存在しなかったが「母親が出るなら父親も出てええやろ」の精神で登場。「けやはす」でもチンピラ、医者、ナマハゲと七変化を重ねたAさんが務めた。
 当初は舞台のお手伝い的な参加だったのだが、役が与えられ、セリフが追加され、しかも最後の重要なところに出ることが決まったことにしばらくは困惑されていた。しかしアラジン母のZ先生とともに妹役の子どもたちともあっさり打ち解けて、感動的な親子再開シーンを演じ上げた。
 
妖精さんたち
 今回の舞台におけるナビゲート役。物語の導入や進行、要所でのコーラスも務め、ラストでは私の黒衣を剥ぎ取ることでジャファーの更生にも一役買った。
 アラジンのお話自体からは独立した、いわば神の世界の住人であるため、子どもたちは役の性格を掴むのにかなり苦戦している様子であった。妖精の母役であるSさんと出ハケのタイミングや振り付けなどを丹念に確認していたが、努力の甲斐あって本番では摩訶不思議な物語の牽引役を立派に勤め上げた。
 いたずら好きでチャーミングな3人組が衣装をきて袖や楽屋通路を走り回っている姿は、本物の妖精みたいで微笑ましかった。
 
アラジンの妹たちと友人
 こちらも茂木版オリジナル。役としての関係性以上に仲良しの集まりで、稽古では先に紹介したアラジン父母と話し合ってキャラクター性を深めていた。
 モモはまさにしっかり者の長女という感じで声も表情も凛としていて舞台映えするなと思って眺めていたし、ココは「伝説の書」を解読する文化系と思わせつつダンスのキレが良いギャップが面白かったし、ササははにかみやでマイペースな印象を与えつつアリ王子やラストでは楽しそうに演技やダンスをがんばる姿が印象的だった。身長が同じくらいなので似通った印象を持たせつつ、個性がそれぞれ出ていて見ていて楽しかった。
 妹たちの友人でパン屋の娘アンは今回の舞台メンバー最年少。広い舞台で、マイクに声を拾わせるための動線確保をいかに自然に振る舞うかや、妹たちとのセリフ回しなどの演技をみんなでがんばっていた。
 
アンサンブルのみなさん(街の人、衛兵)
 けやはす組と歌唱ガチ勢(その2)とマンドセロ奏者で構成されたアグラバーの街の人たち。こう書いていてもアンサンブルと呼ぶには個性が強い。ジャスミンとのやり取りに懐かしさを感じた関係者も多いのではなかろうか。
 その中でもおそらく異彩を放っていたであろうTさん。ジャスミン相手に「ンまあ!」と目立つ奇声をあげたり、アリ王子のお通りでソロパートを歌い上げるシーンのインパクトは絶大だった。大人組の楽曲練習で音とりの指導や歌うためのコツをわかりやすく指導してくれたりと、舞台以外でもたくさん助けていただいた。
 さらに、今回の衣装を手直ししたりアレンジを加えたりといった衣装周りの作業も一手に引き受けてくださり、演者がのびのびと舞台に立つことができたのはTさんの尽力があったからこそと言っても過言ではない。ジャファーとは縁がなかったので(ほとんどの演者と縁がないな)どこかで共演できたらと思っている。なんとかならんのか。
 
舞台スタッフのみなさん
 舞台上には立たなかったものの、今回の舞台を支えるために尽力してくれたスタッフのみなさん。本当にありがとうございました。けやはす組の方々にはすっかり甘えて頼りっぱなしになってしまった。いろいろ思うところはあったとお察ししますが、後ほど酒席かなにかでお返しさせてください。
 そして特に、自身の活動で忙しい中、稽古で欠席者の代役を務めたり練習風景の動画撮影とアップロードを担当してくれたYさん。稽古ではよくアラジンの代わりを務めてジャファーとのやり取りも確認させてもらいました。私にとって、アラジンはほんちゃとあなたのダブルキャストでした。本当にありがとう。

良いニュースと悪いニュース

 むかしインターネットで見かけた小話にこんなものがあった。
 家族が帰宅するなりこう言う「良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」。「じゃあ良いニュースかな」と返事。それに対する答えはこうだ。「車のエアバッグは、きちんと作動したよ」。

 いわゆるアメリカンジョークというやつだ。無粋ながら解説をすると、言うまでもなく語られなかった【悪いニュース】は、車がなんらかの事故を起こしたことと予測される。それを伝えずに一連の情景を【良いニュース】だけで伝えるところが面白いところだろう。こうやって説明してしまうと台無しな気もするが……。
 台無しついでに重箱の隅を突くと、エアバッグは作動したときに粉状の薬剤が飛び散るため、帰宅した家族は粉だらけになっているわけだから異常に気付くはずである。ミステリ作品だったらこの辺りから真実が暴かれていくことになりそうな気配だが、この話はこのくらいにしておこう。

 さて、本題に入ろう。良いニュースと悪いニュースがあるのだが、まずは良いニュースから。
 私の手術は無事に終了した。まだちょっと縫合した場所がひきつるが、それも次第によくなるということだ。あとは来週抜糸したら何事もなく終了、となる予定である。極めて運が悪ければ追加の手術が必要となるそうだが、そのときはそのときだ。

 冒頭のジョークではないので、悪いニュースについても説明しておこう。
 1月のミュージカルが終わって少し経った頃のこと、以前から気になっていたホクロを切除しようと思い、皮膚科を受診した。そこまで美容に関心があるわけではないが、私の広い額に鎮座するホクロは鏡を見るたびに気になっていた。10年ほど前に出現し、しばらくは気にしていなかったのだが、数年前から徐々に大きくなっている気配があり、最近はいささか不気味に感じていた。
 加えて、そのホクロはときどき先端が破れて数滴程度だが出血することがあり、それがシャツやタオルを汚すことも煩わしく感じていた。ちょっと痛かったりお金がかかったりするかもしれないが、取れるものなら取ってもらおうと思ったのである。

 2月の初めに予約した皮膚科を訪ね、同様の説明をして診察を受けたところ、このホクロは皮膚癌の可能性があると医師に告げられた。2023年、マジでなんでもアリだな、と他人事のような気持ちになった。イベントのフラグがギュンギュン立つ。私の人生を巻きで回収しないでほしい。
 一瞬だけ走馬灯の気配を感じた私だったが、医師からは、仮にその癌だったとしてもすぐに重篤化するようなものではなく、転移するものでもないと聞かされてほっとした。ただし、癌には違いないので切除しないと患部が拡大・深化してしまう危険性があるとも言われた。
 患部の一部を切除して大学病院に送付して検査してもらい、皮膚癌だった場合は手術するよう勧められ、早速そのサンプル用の手術をしてもらうことにした。イボコロリ感覚でホクロを取りに来ただけなのにえらいことになってしまったと、やはりどこか他人事の気持ちで施術用のベッドに横になった。
 検査用のサンプル摂取のために患部を耳かき一杯分サックリやられたわけだが、当然人体なのでまあまあ血が出る。傷口は縫合され、大きなガーゼを当てられた。まだ2月で雪が残る時期だったため、他人からは盛大にずっこけて頭をぶつけたようにしか見えないだろうなと思った。違うんです。これには深いわけがあるのです。帰りの電車では終始俯き加減で帰路についた。
 翌朝、ガーゼを外して傷口を見ると、ホクロの大きさそのままに縫い後が追加されたような見た目になっていた。化膿止めのゲンタシンを塗って絆創膏を貼る。かつて馬術部だった頃、馬の脚によくヌリヌリしていたゲンタシンに久しぶりに出会ったが、それを自分に使うことになろうとは。久しぶりの再会だったが、あまり嬉しくなかった。

 一週間後、検査結果を聞きに皮膚科を訪ねると、やはり医師の見立てどおり基底細胞癌との結果だった。あとは大学病院を受診して改めて診察してもらい、手術の内容や日取りを決めることになるという。
 不幸中の幸いというわけでもないが、私の場合は患部がおでこなので比較的手術しやすい部類であろうと言われた。この癌はまぶたや頬、唇などにもできることがあり、その場合は切除に加えて美容整形手術も必要となることから長期の入院となることが多いそうだ。軽い気持ちで受診して、ここまで話が進んでいるのだからむしろ私は幸運なのかもしれない、と気を持ち直した。

 地元の大学病院には初めて入ったが、こんなに人がいっぱいいるのかとまず驚いた。窓口には「本日の診療者数2000人」などとポップが出ている。本市の人口は約30万人であるから、職員を含めると人口の1%以上がここに集結していることになる。ホットスポットすぎる。ビジネスチャンスの気配を感じる。しかし今日の私は一人の患者であるので、それ以上妄想を膨らませることはせず静かに過ごした。
 初日は皮膚科の医師から改めて診察を受け、やはり切除が必要となることを説明された。異論はなかった。その次は実際に手術をする形成外科の医師から施術内容と日取りを確認された。患部を見たところ、日帰り手術で対応できるとのことだった。こちらも異論はない。
 そして世間がWBCの優勝に浮かれ騒ぎ、侍ジャパンシャンパンファイトをしていた頃、私は額にメスを入れてもらっていた。

 手術直後に医師から手鏡で患部を見るように言われた。かつてホクロのあったあたりに6、7センチほどの綺麗な一直線の縫合跡があった。思ったよりでかい。目立つ。
フランケンシュタイン博士の怪物みたいになっていますね」と感想を述べたが特にコメントは返ってこなかった。フランケンシュタインで終わらず、正式な名称である【フランケンシュタイン博士の怪物】と言ったことを褒めてもらえるのではないかと思ったが、医師の心の琴線には触れなかったらしい。

 そんなこんなでいまに至るわけだが、特に患部に痛みはなく、テレビでセンバツ高校野球を流し見しながらこの文章を書いている。痛くはないのだが、患部を切除して傷口をぐいと引っ張って縫い合わせているので、前頭部にはずっと違和感がある。自分の頭がコブダイのようになっているような感覚だ(知らない人はコブダイで画像検索してほしい)。
 局部麻酔の影響なのか、昨日の晩からは左目のまぶたが腫れてきた。フランケンシュタイン博士の怪物と四谷怪談のハイブリッドが目指せるかもしれない。冗談はさておき、しばらくは額に大きなガーゼを貼ったままであるし、見た目があまりよろしくない状態が続くが、このとおり私は元気です。

 以上、こうして書いてみると、特に悪いニュースはなかったようだ。この調子でのらりくらりと愉快に生きていきたい。

県民市民参加型ミュージカル『欅の記憶・蓮のトキメキ』に出演して

 昨年の3月に初めて稽古に顔を出してから、正確には「最初の稽古でこの曲を歌ってもらうので練習してきてください」という課題曲付きのメールを受け取ってからの約10か月、生活の片隅にはいつもミュージカルがあった。職場への道中は劇中歌を聴き、寝る前には動画を見て振付を思い出し、次回の稽古ではなにが見られるのかと週末を楽しみにしながら日々を送っていた。
 では、本番を終えて集団が解散してからどうなったのかというと、実のところあまり変わった印象は受けない。いまだにミュージカルのことは生活の中にさまざまな痕跡を残していて、些細なことから舞台の光景を思い出させてくれている。劇中歌は鼻歌になって自然と出るし、慣れないダンスでケガをしないためにと始めた柔軟や、声出しのために肩甲骨を動かす体操は日課になっている。酒を飲んで愉快になれば踊り出すようにもなった(外ではやらないが)。
 嬉しいことに、仲良くなった出演者の方や舞台をきっかけに声をかけてくれた方との交流は、SNSや休日のイベントを通じてむしろ活発になっている。舞台は終わってしまったが、このミュージカルがきっかけになって動き出した「なにか」は、依然私の中では熱を失わずに回り続けているようだ。

 この振り返りは舞台を終えた直後に(それこそ1月15日の夜に)書き始めたのだが、そのときは感情が強弱も方向性も時間軸も無視した奔流になっており、関係者のちょっとした仕草や言葉を思い出すたびにメソメソしてしまって文章がまとまらなかった。数日経って少し落ち着いてから、ちくちくと書き出し始めて、ようやくいまになって最後まで書けたので軽く推敲して公開した次第である。
 少しずつ薄れていく思いもあれば、逆に日増しに強まっていくものもあって、印象はこれからも自分の中で変わり続けていくのだろう。ここに書いたことも後からひっくり返したくなるかもしれない。そのときはまた、言葉を垂れ流そうと思う。

 では、少々長いアバンになってしまったが、このミュージカルのことを自分なりに振り返ってみよう。なお、私個人の備忘録として書き記したもので、第三者に読んでもらうことの意識は次点となっているため、全体的にかなり読みにくいものになっているであろうことをお断りしておく。ご容赦を。

 

 さて、私がこのミュージカルの出演者募集に気がついたのは昨年の2月、追加募集の段階になってだった。最初の募集を見落としており、すっかり出遅れてしまった……と思っていたのだが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて当初予定していたワークショップが思うように開催できず、それほど稽古の回数に差があるわけではないことを後になって聞いた。あまりほかの参加者に置いて行かれずに済みそうだ、とほっとした。
 応募用紙の動機には「やりたかったことに挑戦する絶好の機会だと思った」と書いた。経験を書く欄には書けるようなものはなにもなく、ほとんどのことが初体験になるに違いなかった。言葉通り、挑戦になるな、と思っていた。
 しかし、その道は挑戦と呼ぶにはひたすら楽しいままで最後まで突き抜けていくことを、当時の私は知らなかった。本当にありがたいことに。

 3月から4月にかけてはワークショップで出演者同士の自己紹介、歌唱やダンスの基礎練習が数回あった。もともと運動神経が良くないのでダンスは心配していたが想像以上に身体が動かせず、キビキビとステップを踏むメンバーを眺めながら、おじさんの出演者同士で「いやあ、動けないですなあ」などと話していたのを憶えている。
 マゴマゴしているおじさんを見兼ねてか、振付指導の新海先生から「頭で考えすぎて動きを止めてしまうのが一番ダメ。身体を動かして表現を続けること。間違っていたら次回で修正すれば良い」と、声をかけていただいた。
 その後の稽古からはそれを意識して練習することで、完成度は低くても不自然ではない程度には動けるようになったのではないかと思う(それにだってかなり熱心に練習する必要があったが)。私のような素人にも根気強く、さまざまなアプローチで教えてくださったことに心から感謝している。新海先生だけでなく、今回のミュージカルの講師や事務局の方からは、出演者がいかにモチベーションを失わずに本番を迎えられるかに心を砕いていただいたように思う。本当にありがたかった。

 5月には、全員集まってのキャスト発表が行われた。あのときの衝撃というか「えらいことになった」感覚は、いまでも思い出すと楽しい気分になれる。ご存知のとおり、私の配役は【東海林太郎】に決まった。
 ちなみに同時に決まったチンピラは、当初は順列がなく(単にチンピラ1〜4みたいな感じ)組長の概念もきりたんぽ組の名前もなかった。いまでは『お堀でロック』と『ケ・セラ・セラ』を歌ったチンピラにも強い愛着があり、もっと舞台で写真を撮っておけばよかったと少し後悔している(東海林太郎姿ではそれなりに撮ったが、チンピラ姿はほとんどない。すぐ着替えちゃうからね)。

 キャスト発表時には東海林太郎のことをほとんど知らなかったため、その役を仰せつかったことには率直に言って慌てた。直立不動で歌う人、出勤途中に見かける東海林太郎音楽館の看板が目に入ること、そのくらいしか引き出しがなかったので早速情報収集を始めた。
 iTunesで『赤城の子守唄』を購入し、関係する音楽番組のアーカイブを視聴し、東海林太郎音楽館を訪ねて資料に目を通しながら館員の方からお話を伺った。脚本家でわらび座の栗城先生からは『ミュージカル東海林太郎伝説』の記録映像をお借りすることもできた。
 東海林太郎の生涯を学ぶことは、戦前から戦後にかけての歴史を学び直すことにも繋がっていて、ミュージカルの題材に留まらない刺激を受けた。これは今回の脚本で【渋江内膳政光】について調べたときにも感じたことだが、このミュージカルに関わること自体が地元への愛着と学びへの求心力を高めるきっかけになり、地元のニュースや出来事に対してのアンテナ感度が強くなった。市内や県内の面白そうな催しに気がつくことが増えたのは、今後の人生を有意義にしてくれるだろう。
 さらに嬉しいことに、舞台では『ミュージカル東海林太郎伝説』で主演を務めた高野さんが着用していた衣装をそのまま貸していただけることになった。緊張しつつも気分はすっかり東海林太郎で、本番でも気持ちよく歌うことができた。ハスの精と一緒に拍手してくれたみなさん、ありがとうございました。最高の気分でした。

 個人的な反省点として、本格的な衣装に身を包んだことで「なりきろう」という意識が強く出過ぎてしまったことが心残りになっている。
 それまでの稽古や音楽館でお話を伺ったことで、私なりに『赤城の子守唄』を歌うための心構えや直立不動であることの意義を掴んでいたはずだった。それが、わらび座仕込みのメイクと衣装で見た目がすっかり東海林太郎に似てしまったものだから(我ながら鏡を見るのが面白かった)さらに姿形を似せようと意識してしまい、努めて無表情で歌おうと思ってしまったのである。目指すべきは、闘志を秘めて一尺四方の戦場で戦う顔だった。その思い違いが、歌の響きにも出てしまったような気がして、いまだに悔いている。この気持ちはいつか、なにかの形でリベンジにつなげたい。

 キャスト発表後の6月の稽古からは、いよいよ台本に沿った演技が始まることになった。いまは閉館してしまった秋田市文化会館の大会議室、そこで演出の畑澤先生が演技指導をする現場に立ち会ったときの感動は忘れられない。あまりに面白かったので、その後の稽古は出番の有無に関わらず出られるものはすべて出席しようと決めた。
 台本に書かれたシーンを演者は演者なりに考えて演じる。そこに畑澤先生が袖からの出方はこうしよう、こういう動きを入れよう、視線や身体の向きはこっち、そのセリフはもっと……とさまざまな指示や指摘を加えると、場面がどんどん生き生きとしてくるのだ。演者の顔付きも次第に変わってくる。文字どおり「輝いて見えて」くるのだ。演技の稽古は自分がやるのも面白かったが、見ているのも同じかそれ以上に面白かった。
 自分が登場するのはコメディタッチのシーンが多く、畑澤先生は稽古の様子を見ているときに面白いシーンではよく大きな声で笑われた。それを目指して、私は演技と歌唱に熱を入れていた。残念ながら自分のセリフは尺の都合で大幅に削られてしまったが、今回体験した指導が活かせるよう、また別の機会を探して実践したい。

 同じ頃から歌唱指導も本格化した。全員で歌うミュージカル曲は【勝負所】と位置付けられ、特に冒頭で披露する全員が舞台に登場する曲と、終盤のメドレーは入念な練習が繰り返された。
 私はカラオケが好きで、ひとりカラオケにもよく繰り出す。前職の青果市場では大きな声を出すことは日常業務の一部であったし、きちんとした指導を受けたことはないが声量や音感には多少自負があった。果たせるかな、早々にその自信はぽきりと折られ、謙虚な気持ちで稽古に臨むことになる(結果的には、もちろんそれでよかった)。
 音楽監督の渡部さん、歌唱指導の茂木先生からは発声法、姿勢、呼吸法、重心の位置、歌う前のストレッチ、声を美しくするための日々の調整方法などなど、技術や意識を含めてたくさんのことを学ばせていただいた。出演者にはジャズシンガーやボイストレーナーもおり(ホントにタレントが揃っていた。なんなんだこの素人たち?)同様に技術を勉強させてもらった。自分がいかに井の中の蛙だったかを知って、粛々と練習に努めた。歌うことは好きなので、今後も舞台やステージで歌声を披露することを目標に自己鍛錬を続けたい。

 演技も歌唱もダンスも、稽古はいつも楽しかった。いまだに、もう稽古がない週末を寂しく思っている。合同稽古がないときは、有志で自主稽古が開催され、そちらにもよく顔を出させてもらった。事務局開催の稽古だけではなかなか完成度を上げきれない私のような素人にとっては本当にありがたかった。主催者となって取りまとめや調整をしてくれたBさん、ありがとう。そしてお疲れさまでした。
 このミュージカルを通じて、これまでの交友関係では知り合えなかった方々とご縁ができたこともこの上ない喜びだ。自分より年上ながら新しいことにチャレンジする気力とバイタリティを持っているベテランの方々、音楽やダンスに親しみ、楽しさや喜びを伝える力のあるパフォーマーのみなさん、表現活動をライフワークにすることを目指して経験を積もうと努力している若者たち。これからもお互いに刺激し合える関係が作っていけることを願っている。

 6月下旬にはミルハスでの稽古が始まった。新しい建物独特の空気感を味わいながら小ホールへ足を踏み入れたとき、稽古後に見学ツアーと称して舞台や楽屋を見て回ったときの高揚感も昨日のことのように思い出すことができる。
 ミルハスへ向かう途中、お堀に咲くハスの花を眺めるときの心象もずいぶん変わった。以前は何気なく風景として見ていたハスからメッセージが発せられているようで、見方が変わると環境へのアプローチもここまで違ってくるのだなと我ながら面白く感じられた。本番を迎える頃にはハスが残っていないのがとても残念で、秋を迎える頃は「お前らのぶんもがんばるからな」と、花を減らしていくハスに思いを馳せていた。

 夏には一度は落ち着きかけていた新型コロナウイルス感染症の患者数が増え始め、8月には私自身も罹患した。幸い稽古のない時期だったためほかの出演者に感染させたりということはなかったが、喉をひどく痛めてしまい、しばらく思うように歌うことができず気を揉んだ。
 私の症状は次第に回復したが「この大所帯で、本当に1月に無事に公演できるのだろうか」という不安は常に頭の片隅に居座るようになった。いち出演者、それも端役の私がこれなのだから、事務局や講師陣のストレスは如何程だったか……。改めて、無事に公演を終えられた奇跡に感謝したい。

 秋を迎える頃には、歌唱とダンスが融合し、そこに演技も加わることでミュージカルの形が見え始めた。稽古も見応えのある内容に膨らみ、週末がますます面白くなってきたとガヤの気分で喜びつつ、本番まであと何回稽古があるのかが頭をよぎることも増えた。
 この頃に有志で大仙市のドンパルまで、わらび座の『北斎マンガ』を観劇に出かけた。6月にも『ゴホン!といえば』を観にわらび劇場に出かけて大きな刺激を受けていたのだが(すっかりハマり計3回観にいった)『北斎マンガ』も全身にビリビリとくるほどパワフルで感情表現が豊かで、元気を受け取って帰路についた。
 このとき一緒に観劇に出かけた出演者の方が、間もなく体調不良で舞台を降板することになった。席が近かったので観劇後にお互い涙目で感想を語り合ったのだが、そのときの短い時間のことをずっと覚えておこうと思っている。『北斎マンガ』をミュージカルの出演メンバーと一緒に観劇できたことはもっとも印象深い出来事のひとつであり、いまでも自分を励ますための記憶の引き出しに収まっている。

 そして冬になった。秋の終わりに初めての通し稽古を行ったが、そのとき畑澤先生から厳しい評価をいただいたのが、個人的にとても嬉しかった。
 自分でも足りないなとか揃わないな、と思っていた感覚は間違いではなかったのが確認できたことと、それをなんとかしてより高みを目指そうと真剣に考えてくれていることを演出家からのメッセージとしてメンバーに共有されたことは、私にとっては記念碑的な出来事だった。あのときのNOTEは励ましと戒めのために保存し、稽古前日に読み返していた。
 あっという間に年の瀬が迫り、2022年最後の稽古も終わった。二度目の通し稽古は前回に比べるとかなり良くなったと(生意気にも)感じていたが、それでも細かいところにイマイチな部分もあって、あとは直前の稽古しかないしそれも半月近く空くし年末年始も入るし大丈夫だべか、と他人事のように思っていた。
 ただ、私自身の感覚としては、みんな一生懸命に取り組んでいるし、講師陣の指導は的確だし、音楽もダンスも素晴らしいし、脚本も演出も面白いし、なんだかんだですごい舞台になるんじゃないかしら、と楽観的に捉えていた。友人や知人にも今回のミュージカルのことを宣伝し始めていたが「絶対面白いので見にこないと損をする」と自信を持って紹介していた。あとは自分が良いコンディションで舞台を迎えることを意識した。
 こんなにたくさんの面白い人と縁ができて、この年になって「初めてやります」ということばかりのこともないだろうな、思い切って参加申込みしてよかったな、と深く思った1年だった。そして年明け早々にメインイベントがやってくる年もないな、と思いながら年を跨いだ。

 1月になってから本番が終わるまではさらにあっという間だった。ミルハス中ホールでの稽古は1分1秒が楽しくて、待機時間にも用事はないのに袖や楽屋通路をうろうろしていた。すでにこのときから「もうすぐ終わってしまうんだ」という気持ちがずっと頭のどこかにあり、一足先にロス気分になっていた。本番前の空気をいまのうちにできるだけ目一杯味わおうと、いろんなところをうろうろしていた。
 チケットの販売状況も出演者には伝わっていた。思ったより売れていないなあ、というのが出演者たちの正直な感想だったと思う。特に土曜日の販売が芳しくない。多くの人に観てほしい、観客でいっぱいの舞台に立ちたいという気持ちはみんな一緒だったので、友人知人に改めて声をかけようか、などと相談していた。
 結局この心配は杞憂に終わり、日曜日分は完売、土曜日もほぼ座席が埋まる状況になった。売れ残るどころか、チケットを確保するために事務局が神経を衰弱させるほど最後の最後にどっと注文が来たのである。なんにせよ、お客さんでいっぱいの舞台に立つことができたのは嬉しかった。
 私の友人も青森県や北海道から来てくれた。公演前後には会うことができなかったので再会したときには直接感想を聞いてみたい。それこそコロナ禍になってからはほとんど会えていないので、舞台と客席の距離はあったが元気な姿を見せられてよかったなと思っている。このお礼はいずれ、精神的に。

 本番直前のゲネプロで、わらび座の役者さんから直々に舞台用の化粧を教えてもらえることになった。舞台では正面から強くライトを当てられるため、客席からは顔がのっぺりと見えてしまうらしい。そのため、表情がしっかりと見えるように、眉や目鼻立ちをはっきりさせるメイクが必要となるそうだ(不勉強で知らなかった)。
 男性陣の集まる控え室でメイク講習が始まる。まずは化粧水、それからクリーム、ファンデーション、パフの順。その後で眉を描いたり、鼻や目元にシャドーを入れる。「そんなに変わるものかなあ」と思っていたが、そこはさすが百戦錬磨のわらび座さんだった。自分の顔ながら色気のある感じに仕上がり、燕尾服にロイド眼鏡を掛けた姿はなかなか様になっていた(と思う)。 
 忙しい中、化粧道具持参でゲネプロに本番にと協力してくださったことは本当にありがたく貴重な体験で、幸せなことだった。衣装や小道具の準備や調整にも最後まで親身になって協力していただいたわらび座さんには足を向けて寝られないと思っている。本番後はバタバタしていてきちんとお礼が言えなかったので、いつか改めて観劇と合わせて感謝を伝えに行きたい。

 本番の土日は晴天ではないものの寒気は緩んでおり、演者や観客のアクセスには影響がなかったのも幸運だった。直前の検査でも演者には感染者はなく、無事に本番を迎えることができたのも幸運としか言いようがない。
 音楽監督の渡部さんが年明け早々に陽性となってしまったことを「僕が厄を全部引き受けた!」とおっしゃっていたが、本当にそうだったとのではと感じている。体調が万全ではない中、リモートで歌唱を確認してくださり、本番前には力強いメッセージも送っていただいた。近々ご一緒できる機会があるので、たくさんお礼を伝えたい。

 ついに迎えた初日。楽屋側の入り口からミルハスに入ると、事務局からの応援メッセージと出演者それぞれが舞台で躍動している写真が迎えてくれた。ただでさえ直前の準備で忙しいだろうに、最後の最後に出演者のためにここまでしてくれる事務局に頭が下がる思いがした。絶対に良い舞台にしなくてはいけない、この恩はステージでしか返せない。始まる前から泣きそうだった。
 直前の通し稽古を終えて最終確認をし、客席が続々と埋まるのを控え室のモニターで見ながら「あと少しで終わってしまうなあ」と感傷に浸った。緊張はもちろんしていたが、それよりも終わってしまう寂しさが強かった。稽古で何度となく見てきたのに、それでも見るたびに涙腺が緩むM15やM18があと2回しか見られない。一番回数を繰り返しただけあって文字通り身体に染み付いているM2もあと2回。歌い出しの音が取れず、そこだけを何百回と聞いて歌ってを反復したメドレーもあと2回……。考えれば考えるほど寂しかった。だからこそ、舞台の上では楽しむことを意識して、それを全力で表現しようと決めていた。
 自分の一番最初の役割は、舞台袖から登場する"特別代表"のために、少しだけ緞帳を引っ張って隙間を作ることだった(それから引っ張った緞帳を押して元通りに戻すこと。緞帳は本当に重くて地味に大変)。この挨拶からすでに舞台が始まっていることに、おそらくお客さんは気づかない。本当に代表が出てきて挨拶するものだと思うだろう。せいぜい驚くがいい、とほくそ笑みながら緞帳を引いて、舞台がスタートした。

 あとはスルスルと流れるように時間が過ぎていった。本番中ずっと集中していたわけではなく、出番がなくて長い合間があるときはリラックスしていた。楽屋のモニターで舞台を眺める時間もあり、先述したM18、孝三がハスを描いて退場するシーンは両日とも楽屋で見てしっかり泣いた。メイクが崩れないように注意しながら。
 自分の出番はソロを歌う場面も、モブとして動き回る些細なところも、全力で楽しむことができた。舞台からは客席がしっかり埋まっている様子が見えたが、それ以上は客席を意識しないことにしていた(目線はある程度送っていたけど)。きちんと見てはいなかったが、広いはずの客席が手元にあるような親密さが感じられて、良い雰囲気の会場になっていることは伝わった。
 気がついたらM21、結婚式前の段取りが進んでいく様子を表現するための曲にたどり着いていた。この曲で舞台に出たら、あとはそのまま最後のメドレー、フィナーレまで一直線。だからこの曲に向けて袖で待機しているときは、はっきりと終わりを意識するのだ。
 舞台に出るタイミングを図りながら、ここまではすごく上手くいっているという確信と、ここからが本当の見せ場だぞという気合い、それからやっぱりもう終わってしまうのかという寂しさがまとめて胸中に訪れていた。舞台に出てしまえば、いろいろと余計なことを考えている余裕はない。「いま」以外に意識を向ける余裕が出てきたのは秋田県民歌を歌う段階になってだった。
 この秋田県民歌が曲者で、歌っているときに一番涙腺にくるのは実は県民歌だった。舞台上で感極まって泣くのはみっともないので絶対にそうならないように注意していたのだが(最後まで笑顔で舞台に立っていないとカッコ悪い。私は"えふりこき"なのだ)県民歌は通し稽古のときから私を苦しませてきた。とにかく泣けるのだ。たぶんこの曲のメロディーラインに本能的に弱いのだと思う。そこまで郷土愛が強い人間でもないと思うのだが、不思議なくらい泣ける。聴いているぶんにはそこまででもないが、歌っていると先人の努力やいまを懸命に生きる人々、そこから繋がっていく未来などが次々に想起されて、大河ドラマ一本分観たような気持ちになってしまう。それも、一瞬で。県民歌は完璧な泣きソングなのだ。
 しかも本番では畑澤先生の挨拶の後に歌うのだが、両日とも先生の挨拶が涙混じりに私たちへのねぎらいと力強いメッセージを発するものだから本当に危なかった。ダム決壊の数歩手前まで行った。涙目にはなっていただろうが口元の笑顔はキープできていたと思うので、そこは自分を褒めたい。よく泣かなかった。それも、この感動的な舞台で。
 カーテンコールで、全然揃っていないだろうな、と察せられる礼をして(日曜日に向けて礼のタイミングを揃える調整が行われた)初日は無事に、大成功で終わった。

 その後、簡単な打合せをして解散したが、帰り際にも嬉しいサプライズがあった。お客さんの中には出演者にプレゼントを用意してくれる人がおり、恥ずかしながら私もお花やお酒などをいただいてしまったのだ。差し入れが山のように届いているという報告は事務局から伝えられていたものの、まさか私にもプレゼントがあるなんて、と感激しながら帰路についた。遠方から観にきてくれただけでも嬉しかったのに贈り物まで用意してもらえて、本当に感無量だった。
 高揚感は家に着いてからも治らなかった。不思議なもので、舞台上からなんとなくではあるが「お客さんが舞台に釘付けになっているな、楽しんでいるな」という感触があった。物語が進んでいくのを楽しみ、歌やダンスに共感してくれているのが客席からの雰囲気でなんとなく伝わってきたのだ。いま思えば、その友好的なオーラのおかげで、緊張せずに気持ちよく舞台の上にいられたように思う。
 初日後の達成感を出演者と関係者一同で称え合い、ついでに「初日があまりに上手くいくと、二日目に失敗する」という不吉な舞台あるあるを聞かされ、兜の緒を締め直す心持ちで寝床に就いた。目を閉じたときの暗闇が舞台袖を想起させ、それがライトの眩しさや暖かい拍手を思い出させるせいでなかなか眠ることができなかった。

 そして二日目にして千穐楽がやってきた。
 昨日の高揚感とは入れ替わるように、あと何時間かしたら全部終わってしまう、という寂しさが起き抜けとともに湧き上がった。
 しかし、この寂しさは12月頃から味わい続けてきたため(ほかの出演者からはロスになるのが早すぎると笑われた。確かにそうだ)朝ごはんを食べ終わる頃には、むしろ吹っ切るような気持ちになった。ばっちり最高の千穐楽にしようじゃないか、と爽やかな気持ちで家を出た。
 舞台は本当に満席だった。開場してすぐに1階席が埋まるのを楽屋のモニターで見届けた。メイクをし、衣装に着替え、出演者と気合を掛け合い、舞台袖に向かった。

 日曜日の舞台の滑り出しは「昨日に比べて、なんだか硬いな」と感じた。イヤな雰囲気とまでは言わないが、なんだか硬い。完成度そのものは大きく違わないと思ったが、発散されるオーラみたいなものが、昨日よりも元気がないように感じられた。そういう雰囲気を感じていたのは私だけではなかったのか、出演者にしか気がつかないような小さなミスがちらほらあった。
 しかし、そこは1年かけてやってきた我々である。勢いは徐々に戻っていった。見せ場の曲が終わるたびに客席から大きな拍手が送られるのも力になった。M10の『ケ・セラ・セラ』を歌い終わった頃には、土曜日と同じような親密さが会場全体から感じられていたと思う。
 この演技も歌も、今日、いま、これで終わり、これで最後。そう袖で噛み締めてから舞台に飛び出した。袖にいるときにはこれまでの思い出がオーバーラップして、少し涙腺が緩みそうになることもあったが、舞台に出ると不思議と落ち着いた。どうも生来の"えふりこき"気質らしい。最後までステージの上を闊歩するのは純粋に楽しかった。

 なんとか泣かずに秋田県民歌を歌いきり、3度のカーテンコールを終え、本当に舞台が終わった。すぐに舞台装置などの後片付けがあるということで、舞台への別れを惜しむのも早々に楽屋へ下がった。
 本来なら打上げの食事なり酒席なりがあるのだろうが、コロナ禍の中、しかも県と市が主催のこの舞台でそういう軽はずみなことはできない。楽屋通路の広間に集まって、演出の畑澤先生をはじめ、脚本の栗城先生や講師陣の方々から総括も含めて熱いメッセージをいただいた。「ありがとう」と「お疲れ様でした」を言われるたび、それはこちらが言う立場なのに、と恐縮した。期待に応えることができた安堵感と達成感、そしてこの挨拶が終わったら、今度こそ本当にこの集団は解散してしまう寂しさが高まっていく。もう舞台ではないので、私も遠慮なく涙をこぼした。ほかの出演者の迷惑にならないよう、嗚咽にならないように気をつけながら。
 こんなに人に褒めてもらえること、良かった楽しかったと言ってもらえること、自分で自分をよくやったと手放しに思えることは人生で何回あるだろうか。貴重で贅沢で特別な時間が終わろうとしていた。
 出演者や事務局の方に挨拶をしながら、稽古も含めると1週間過ごした舞台が解体されていくのを袖やモニターから見守った。あんなに生き生きとして賑やかだった舞台が空っぽになっていくのは不思議な感じがした。私自身も、M5(物語の象徴である、自転車で孝三と明子が秋田の街を駆け抜けるシーン)に使用した街の風景のパネルを捨てるのを、複雑な思いで手伝った。
 だから後日、あのハスの絵の引き取り手が見つかったと聞いたときは嬉しかった。私たちが夢を見た舞台の一部が形となって長く残ることはとても喜ばしく感じられた。

 どんなに生々しい夢でも目が覚めると印象は薄れていくが、私たちが長い準備期間を経て舞台で見た楽しい夢、薄暗い袖からライトに照らされた舞台へ飛び出すときの高揚感や、歌い終わった後の拍手、多くの出演者と歌った曲の響き、そういう記憶は思い出すたびにむしろ強くなっていくように感じている。
 そのようにして、夢のようで、夢じゃなかった舞台はゆっくりと幕を閉じた。

 

 以上、長い長い振り返りになった。
 舞台が幕を閉じてから間もなくひと月となるいま、寂しさも少しだけあるが、それよりもそれぞれに別のステージで活躍する仲間たちをSNSで、時には現地で応援するのに忙しく(毎週末予定がある)「また、気の合うメンバーでなにかできるのではないか」という次への期待の方が日増しに高まっている。
 私自身、ミュージカルの後も風呂上がりのストレッチや体操、ひとりカラオケを楽しむ前の発声練習など、その痕跡は生活の至る所に顔を覗かせている。これまでには出かけなかったであろうイベントや場所に足を運ぶようになったし、新しい繋がりも日々広がっている。こんなに短期間で、こんなにも人間関係が活発になったことがいままであっただろうか。少し躊躇いつつも、この変化を楽しんでいる。
 そして、この変化を一過性のもの、このミュージカルをただの【素敵な思い出】にはしたくない。自分が好きな歌うことでもっと表現ができるのではないか、これまで知らなかった素敵で楽しい活動が、実はあちこちで行われているのではないか。アンテナを張って身体を動かしてみると、なるほど半径100km以内でもずいぶん面白いことがたくさんあるではないか。私は自分も、秋田のことも過小評価していたようだ。楽しみは日々広がり続けている。

 最後になるが、まずこの長文をここまで読んでくださったあなたに感謝を伝えたい。きっと関係者の方だろう。ありがとうございました。あなたの協力があって、私は大きな喜びを手にすることができました。
 それから、今回のミュージカルに携わったすべての方、本当に本当にお世話になりました。きっと私みたいな素人や、それなりにアクの強いメンバーをまとめたり、なだめすかしたり、鼓舞したり、仲立ちしたり、その他想像の及ばないご苦労を引き受けてくださったことに深く感謝いたします。おかげさまで、私はただただ楽しいままで今回の公演を終え、すっかり舞台のファンになりました。ありがとうございました。

 ある出演者の方が「だから演劇はやめられない」と言っていたが、なるほど、やめられなさそうだ。
 それでは、私の「次回」にご期待ください。また、どこかで会いましょう。