『モナ美』という物語への印象と振り返り
ブログを書くコツは時期を逃さないことに尽きる。あまり欲張って内容をカサ増ししたり推敲を頑張っていると公開するタイミングを逸する。そうやって『猫の恋』と『リトル・マーメイド』の振り返りが更新できないままでいる(ごめんなさい)。なにかの機会を見つけて更新したいとは思っているが、まずは『モナ美』について記憶が新しいうちに残しておきたい。
本番の数日前、私はTwitterに「『モナ美』は美しい予感に回帰するお話だと思っています」と投稿した。半年以上この台本を読んで、稽古場での芝居を見ていての印象がこれだった。
この物語に登場する人物は、みんな「美しい予感」を胸に抱えている描写がある。主人公であるモナ美とトモ世はもちろん、漆原には学生運動を通じて青春を共にした吉井と恋人の来島がいた。吉井と来島は漆原を詰問するのだが、それは彼らにとって漆原は厳しい闘いを共にする仲間としての信頼があったからこそだった。物語では語られないが、漆原と吉井、来島の間にも熱い友情や安らぎのひと時はあったに違いない。
キャバレーの楽屋に登場するズン子とドン子も同様である。ズン子は「ミスとらふぐ」になったかつての自分の境遇を冗談まじりに振り返り、ドン子は友達との関係が月日を経て変わってしまう無常を寂しそうに独りごちる。それぞれにかつてあった「美しい予感」を思い出しているのだ。
それらは「美しい予感」でしかなかった。モナ美は結果的にトモ世を裏切り、関係を絶ったまま寂しい最期を迎えることになってしまうし、ズン子やドン子もおそらくは当初望んでいた輝かしい舞台に立つ夢とは大きく乖離した日々を送っている。漆原は大きな夢を持てずに不完全燃焼なまま生きているような印象を受けるし、究は自らの愛を確信する前に覆せない過去と嘘の気配に逃げ出してしまう。
しかし、人生の理不尽さと意地悪さがあっても、彼ら彼女らを完膚なきまでに叩きのめすことはできなかった。むしろその「美しい予感」こそがどんな苦境にあっても力強く生かす原動力となり、一生を輝かしいものにする礎となる。
「美しい予感」が与える無限の可能性こそが、人が生きる上で最大の希望になるのではないか。なぜなら、一度心から確信できた「美しい予感」は、今日また新しく訪れるかもしれない「美しい予感」の可能性を否定できない。今日こそ、明日こそ、と絶え間ない希望を与え続ける火が灯っているのだ。
人生を生ききった二人は、ラストシーンで初めて出会ったときの「美しい予感」に回帰する。そこにあった無限の可能性は、物語と舞台の中にだけ存在するものではない。舞台を見た方の心の中に、懐かしさを持って思い出せる共振する輝きがあるのではないか。少なくとも私は、舞台袖からそんなことを感じていた。
今回の舞台を観に来てくださったみなさん、応援してくださったみなさん、受付などをお手伝いしてくださったみなさん、見事な舞台を作ってくださったスタッフのみなさん、共演者のみなさん、関係してくださったすべてのみなさん、本当にありがとうございました。この物語にキャストとして関わることができて幸せでした。
特に主役のモナ美とトモ世を務めたお二人は本当にお疲れさまでした。歳を重ねたり関係性が変わったりする芝居において、新鮮な気持ちを表現し続けるのは大変だったと思います。本番の集中力、本当に素晴らしかったです。今後の活躍にも期待しています。負けないように私もがんばります。
さて、今回私はトモ世とモナ美の小学校時代の同級生である「小島」の60歳の姿で舞台に立たせていただいた。台本を読んでお調子者でえふりこきなジジイだと思い、だいたいジジイになった俺だな、と感じて親近感が沸いた。『二人の銀座』はワンコーラス歌いたい気持ちもあったが、ラストシーンの情緒が台無しになるので自重した。
けやはす演劇部の面々でカラオケシーンを演じることができたのは素直に楽しく、嬉しい時間だった。今回の舞台を経験して、またけやはすメンバーで芝居をやらないといけないな、と気持ちを新たにしている。
役者として舞台に関わる経験はいろいろとさせてもらっているが、今回は場面転換の黒子としても仕事をさせていただいた。暗転中の作業の難しさに緊張しつつ、こうして舞台が作られていくのだという神の視点に関わることができる興奮もあった。今後は役者としてだけでなく、舞台を支える人間としてのスキルも少しずつ身につけていきたい。そしていつか、舞台に挑戦してみたい誰かを支えるチカラになれたら最高だ。自分がしてもらったように、お返しができるようになるのが当面の目標である。
それでは、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、本当にお疲れさまでした!
またご一緒できることを強く強く祈念しております!
渡辺源四郎商店『洞爺丸ものがたり2024』感想
去る9月28日、29日の両日、青森市は渡辺源四郎商店しんまち本店にお邪魔させていただいた。なべげんさん主催の『北のまほろば祭り2』に【けやはす演劇部】として出演し、私自身は初めての朗読劇、けやはす演劇部としても初の県外遠征と初めてづくしの二日間を過ごさせてもらった。部を発足するきっかけとなったミュージカルで演出を務められた畑澤聖悟先生のお膝元での公演ということもあり、帯同したメンバー一同、特別な気持ちで舞台に挑んだ。
至らないところも多々あったと反省しきりであるが、まずは楽しく公演に臨むことができたことに感謝申し上げたい。なべげん商店のみなさま、会場を共にした他団体のみなさま、スタッフ・制作のみなさま、快く青森に送り出してくださった部員のみなさま、そしてご観劇くださったみなさま、本当に本当にありがとうございました。
さて、いつもならこの調子で青森への道中の出来事などを含めた日記を一万字くらいブワーッとやるところなのだが、それらは後にして『洞爺丸ものがたり2024』の感想を先に書かせていただきたい。記憶が少しでも新しいうちにまとめておきたいし、感想は公演後早めに上がっている方が演者も嬉しいに違いない(何様か!)。
では、以下感想です。ネタバレなどを気にする方はご注意ください。
圧巻の芝居だった。40分に満たない公演時間だったが、事件当時に数日間タイムスリップしたような不思議な心持ちがして、終演後は平静を保ってアフタートークに参加するのが難しかった。
ある時点から先、役者はもう役を演じていなかった。舞台の上で当たり前のように船と人間が、生きて、笑って、泣いて、死んで、弔われていった。洞爺丸がいて、八甲田丸と摩周丸がいて、事故当日の通信士がいて、事故の遺族がいた。これが劇空間というものか、となんだか恐ろしい気持ちになった。
芝居が観客の頭の中で「ほんとうのこと」になったとき、そこには現実の痛みや悲しみの手応えが確実に存在する。それは気持ちのいいことではないかもしれないが、それでもそうした痛切な痛みを感じることができるのは幸せなことなのだろう。そんなことを思った。
畑澤脚本の怖いところは、コメディだエンタメだと気を許して胸襟を開いているところに、冷たくて尖ったやつがそうと思わせないさりげなさでグサーっとくるところだと感じている。そして気がついたらもう抜けない。奥の奥まで深く深く刺さり続ける。
さっきまでみんなでキャッキャウフフしていたと思ってたのに、なんかシームレスにえらいことになっている。頭に船の模型を乗っけてふわふわしたトークに興じていた姉妹が、気の良さそうな青年が、ダンスを踊っていた雰囲気が、いつの間にか客席ごと大シケの海に投げ出されているのだ。
大荒れの真っ暗な海で強風と大波に翻弄されながら、悲痛な救助要請を叫ぶ洞爺丸。陸地から励ますことしかできない通信員の無力さ。船が溺れ、沈んでいく姿が想起させるものは筆舌に尽くし難い。孤独、後悔、無念、さまざまな感情が押し寄せる一連のシーンは、まるで資料映像を見ているかのようだった。リアルなセットはないにも関わらず、洞爺丸事故への「共感を強いる」と言っても過言ではない表現力の奔流に、ただただ驚愕させられた。こうして思い出しながら書いているだけでも、涙腺が緩んでくるほどだ。
事故の後日談や遺族の証言が語られる中、最後に姉妹船がそれでも姉の洞爺丸は誇りだったと振り返り、自らを含めてその後の社会を支えてきたことに涙しながらも胸を張るシーンは、辛く悲しい出来事がどんなにあろうとも、それでも強く生きていこうとする人間讃歌の慈愛に満ちていた。
ただ悲劇としてあるだけでなく、畑澤作品には、そこに生き、ともにあった生活への愛着やユーモアを、悲しみや怒りよりも力強く照らし出そうというエールが込められているように思う。悲しくも力強い、生きる力を漲らせた演目だった。
今更になってしまうが、役者のみなさんも本当に素晴らしかった。
洞爺丸役の渡邊望美さんの佇まいは特に印象的だった。気品と誇りを感じさせつつ柔和な態度で姉妹船や記者の質問に応対し、まるでトップ女優のような雰囲気の前半、台風が近づく中で出航準備を進める際の仕事人としての口調と仕草、そして悲痛な最期……。見たことも会ったこともない、なんとなく教科書で知っている「洞爺丸さん」がそこにいた。なんだ洞爺丸さんって。船か人か。洞爺丸さんは洞爺丸さんだが。人間は説得力のあるナラティブをぶつけられると認知が整合性を後付けでなんとかして、納得できるところで理解しちゃうんですね、と思った。世界は想像力の力技でできている。演劇みたいだ。
三津谷さんと音喜多さんの八甲田丸と摩周丸の姉妹は可愛らしくて「あらまあ、二人でお仕事えらいわねえ」と親戚のおじさん目線で眺めていたら、後半では遺志を継いで使命を全うしたストーリーテラーに変貌していてゾッとさせられた。ほかのキャストさんも航海士、記者、船員、遺族とくるくると役割を変えながら、それぞれに雰囲気を一変させて舞台を彩っていく姿が格好良かった。
すごい舞台を見させてもらっていると感動する一方で、こういう凄まじい技量と集中力で構成された芝居に、自分はまだまだ立ち入ることはできないという地力も否応なしに痛感させられて、ほんのり悔しさも感じた。お陰様で私もだんだん生意気になってきています。いつか自分もと大それたことを思いながら、これからも研鑽を積んでいきたい。
終演後、ロビーで本作の原作である『洞爺丸ものがたり』と、同じく青函連絡船を題材にした『海峡の7姉妹』のDVDを購入させてもらった(少し前に観劇した『法螺貝吹いたら川を渡れ』も)。
今回の公演に出演していた金谷藍子さん(函館の【芝居組「虎」】から出演)が、土曜日の終演後の懇親会で「これらの作品は自分にとって特別で、とても大切に思っているのだ」と心底嬉しそうに語ってくれたのが印象に残っている。少し気持ちが落ち着いてから、こちらの作品もじっくり鑑賞したい。
以上、甚だ簡単ではございますが、感想でした。
そして、そういうとんでもない舞台の前座としてね、我々も同日同時刻にやらせていただいたわけですけどね……。それはまた後日の記事で。
次回へ続く!
『中通クルーズ』からの帰還
ササキとゴトウ主催のオムニバスコントシアター『中通クルーズ』全4公演が無事に千穐楽を終えてから、早いもので10日が経ってしまった。感想をちんたらまとめていたらこのザマである。光陰矢の如し。少年老い易く学成り難し。天草妖怪油すまし。
ごきげんよう。伊藤展洋役で出演していた伊藤展洋です。すでにほかのメンバーが気の利いた感想を挙げておるので今更感もありますが、せっかく書き上がりましたのでここに公開いたします。ちなみに約17,000字あるので休み休みどうぞ。
まずは、ご来場いただいた方に心からお礼を申し上げたい。GWでほかにも行楽の選択肢が多いなか、本公演に足を運んでくださり本当にありがとうございました。ご期待には添えましたでしょうか。面白いと感じた方も、いまいちだなと思った方も、この企画にはきっとこの先があります。ぜひ引き続き気にかけてください。よろしくお願いします。
当日の受付・運営スタッフを担当してくださった皆様にもお世話になりました。おかげで集中して舞台に臨むことができましたし、お客さまが良い雰囲気で舞台を鑑賞できる準備をしてくださったことで演者も助けられました。楽しそうに業務をこなしてくれるのが本当に心強かったです。
音響・照明のスタッフさんには素敵な舞台を演出していただきました。今回のキャストに唯一不幸なところがあるとすれば、客席から本番の舞台美術を観られないことだったと思います。いろいろなギミックや美しい演出の中で演技ができる楽しさを存分に味わうことができました。
たったひとりの映像班(班?)であるクウガさん、広報映像やエンドロールは出演者である私も毎回楽しみにしていました。千穐楽に袖からエンドロールを観ていたときの、達成感の中に少し寂しさが入り混じった気持ちは忘れられません。いまだにあの曲も勝手に脳内再生されます。
素敵なスチール写真を撮ってくださったムネさん。ササキとゴトウ企画の随伴者として中通ヒルズのときから臨場感のある映像を楽しみにしていました。自然体の自分と芝居をしようとカッコつけている自分といろんな顔を撮っていただきました。
ゲネと千穐楽に撮影にいらしていたコンドウダイスケさん。撮影していただいた写真は空間を切り取ったような臨場感があってゾッとするくらい美しかったです。写真から音や声が聞こえてくるようでした。暫定で遺影にストックします。
今回の舞台のために素敵なチラシとチケットを作成してくださったココラボラトリーの後藤さん。広報や宣伝もまた作品であると改めて感じさせていただいた。乗船券を模した観劇チケットは公演ごとに色彩が異なる素敵なデザインで、フルセットで揃えたくなる美しさでした。
他にもSNSなどを通じて応援してくださった方、チラシの設置に快く応じてくださった店舗の方、興味を持ってくださった方にも感謝いたします。今回の舞台に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。
そしてなにより本企画の主催者である『ササキとゴトウ』のお二人、ねじササキユーキさんとゴトウモエさん、本当にお疲れさまでした。たぶんメンバーに対していろいろ思うところはあったと想像するのですが、あくまで稽古や舞台袖ではメンバーが伸び伸びやりやすい空気を醸成することに専念して苦労を表に出さない姿勢に助けられました。感謝の言葉は尽きません。本当に本当にありがとうございました。
以上。お礼を言っただけでこの文量である。
改めて本当にたくさんの方に支えられて迎えることのできた舞台だったと、書いてみて感謝の念を新たにしている。これまでの舞台だってもちろんそうだったのだが、今回は稽古の様子などをYouTube配信していたこともあってか、いつも以上に製作側の熱意と多くの方に応援していただいている空気を肌で感じることができた。そのことが本当にありがたく、同時に出演者としてその期待に十分に応えることができただろうか、もっとやれたのではないだろうかという悔しさも感じているところだ。
私はまだ、中通クルーズが終わったことを「寂しい」と思えていない。これは舞台に立つようになってから初めてのことだ。これまでの舞台では、本番の少し前から終わってしまうのが残念で、最後の稽古や本番の舞台袖などではアンニュイな気持ちになったりしていた。しかし、中通クルーズは閉幕して少し経ったいまでも寂寥感が忍び込んでくる気配はない。
盛り上がった公演であっただけに、千穐楽の爆発力を初日の舞台から見せたかったし、少なくとも自分がそうした成長の余地を残した状態で本番を迎えてしまったことが本当に悔やまれる。お客さんと一緒のステージを経験して初めてわかったことがたくさんあった。お客さんにもっとたくさん笑ってほしかったし、なによりササキとゴトウおふたりの想定を超えた面白さをもっともっと発揮したかった。そういう悔しさが勝って、なかなか寂しくならないらしい。この経験を今後の舞台にどう活かすか、ポジティブに捉えて先に進みたいと思う。
結果的に稽古での良いときと悪いときの違いを感覚的に掴むことができず、積み重なって良化していく手応えがなかなか感じられなかった。それはダンスがうまくできないときの感触に似ていた。ダンス同様、もっと身体と感覚を信じて直感的なアプローチをどんどん試したら良かったかもなといまは感じている。
この調子であーでもないこーでもないと書いていると2024年が終わるまでやり続ける気配なので、出演メンバーの所感を述べて終わりにしたいと思う。共演者の皆さんは、いずれも華があって個性的で、コントを絶対に成功させたいという意欲がぎゅっと詰まった方々だった。
あるときTwitterで神崎りく氏が今回のメンバーに「カンパニー」という呼び方を用いていたが、笑ってほしいという目的のもとに集まった集団、という感じで格好いいなと思っていた。そのカンパニーのメンバーをエピソードも添えて共演者の視点から紹介させていただこう。
すべて書いてから読み直したら、人のことを語っているようでほとんど自分語りをしていた。「それはお前の話じゃん!」と思うところがいっぱいあると思うが、ご容赦いただきたい。
稽古では誰よりも積極的にアドリブをぶち込む胆力と強心臓を発揮し、初参加のメンバーがイメージする演技の枠を我先にと破壊。結果的に士気を高めていた。
今回はゴリゴリのギャルが板に付いていたが、その実態はあきた観光レディーとして本物のクルーズ船のお出迎えを務めることもある才媛。いろいろなことに挑戦してみたいと思っているそうで、そのパッションが昨年の『中通ヒルズ』で炸裂すると、続けてOKAMI企画の『たんとかだっていってけれ』に出演し、演劇の舞台でも存在感を発揮。満を持して中通クルーズに乗船し、先述のとおりゴリゴリのギャルになった。
私は劇中のこの場面ではストップモーションになっているため『絶対に笑ってはいけない中通クルーズ』の真っ只中にあると言ってよい。そして私だってシュンシュンは面白い。なのに彼女が気兼ねなく大爆笑するものだから、釣られ笑いを我慢する労力も追加されていた。本公演で無表情を貫き通せたのは稽古の場で散々鍛えられたからにほかならない。なぜか同様にストップモーション中のはずの神崎りく氏は終始平気だったようでそれはそれで怖かった。
ちなみに加賀さんとはシュンシュンを通して意気投合したらしく、本番の楽屋ではギャルトークじみた大喜利問答をずっと繰り広げていた(例:生命線とアイラインはぁ、長いほうがいいっしょ)。これも誇張なしに「ずっと」だったようで、ほかの女性キャストふたりは若干ぐったりしていた。
いろいろ書いてきたが内包するエネルギーが強くてまぶしいけれども、それに押し付けがましいところがなく、一緒の空間にいるとこちらも元気になってしまう気持ちの良い気質の持ち主である。その稀有な性質を活かして、今後もさまざまな舞台で輝く姿を見られることを確信している。
本人がお笑いが大好きということもあってか、笑いに対する嗅覚や瞬発力も頭抜けているうえ、複数の楽器を演奏できる芸達者ぶりも披露。ササキさんが脚本の方向性を絞りきれずに悩ませるほどのタレント性を発揮し、私を含めたコント初挑戦メンバーに頼もしさと同時に危機感を抱かせた(2段落連続2回目)。
しかし、稽古が始まって少し経った頃からは「どうやったら加賀さんの熱量に負けないようにできるのか」と自問自答することが増えた。私と加賀さんはセットで登場するコントが多く、お互いに絡むシーンも多かった。加賀さんが早々にキャラクターを掴んで面白さの枝葉を育てていく中で、私はなかなかそれに呼応した面白さをイメージすることができず、内心焦っていた。
また、今回の舞台では唯一と言っていい小道具を多く使用する役柄だったため、そういった取り回しを含めた練習に励む姿も印象的だった。小道具が連続して登場する、せじもさんとのやりとりが続くシーンは最大の見せ場でもあり、舞台袖で見守りながら「面白いなあ」と思っていた。
その場面について加賀さんが「せじもさんは、本来できる面白いテンポよりも自分に合わせるほうに気を遣っているのではないか」と悩みを口にしたことがあった。それについてはガチのマジでせじもさんが流れを完璧に暗記していないだけだと思っていたので「そんなことないよ!」と無責任に励ました。真相は聞きそびれたので今度会う機会があれば確認したい。
終盤のシーンは見せ場だったのだが、私の演技は軸足をどこに置くのかブレてしまったなと反省している。あそこは本気の本気で格好つけてお客さんに「こいつだけノリがおかしいだろ」と思わせて孤立したほうがたぶん面白かった。なのでもう一回どこかでやらせてください。よろしくお願いします。
さて、彼は「りくさん」と呼ばれるのが苦手とのことなので(少なくとも、共演者にそう呼んだら罰金という制度を思いつく程度には苦手)ここからは彼の希望どおり「りっくん」と呼ぼう。
りっくんは歌で感情を表現したり歌詞に沿った情景を演出することを生業にしていることもあってか、最初に稽古で合わせたときからパッションの強さが強烈だった。一方で、コントの舞台には共演者がおり、その関係性でもって笑いを伝えていくという熱伝導率の違いみたいなものには苦労していたように見受けられた。
それでも、台本が渡された直後の稽古ですでにセリフを暗記し(稽古中にちらと見えた台本にはマーカーや書き込みがたくさんしてあった)役も自分で作り込んでくる真剣さからは、新境地で自分の可能性を切り拓くんだという決意に燃えるブラックバスのオーラが滲み出ていた。
りっくんはメンバーでは真っ先に登場して大喜利をし、その直後に最初のコントにおける主要人物を演じるなど、中通クルーズにおける斬り込み隊長とも言える役所を担っていた。その重圧と緊張感はほかのメンバーよりもずっと大きかったと思う。本公演中も舞台裏でひとり、セリフや流れを確認している背中をよく見かけた。顔を合わせるといつものアルカイックスマイルで涼し気に見せてはいたが、やっぱり内心は大変だっただろうなと今更ながら器の大きさを感じている。
YouTubeの紹介動画やアフタートークではササキさんから「モノを知らん」とよくイジられていたが、今回の舞台においてそれが得難い個性になっていたと思う。変に背伸びをせず、素直に初めて見聞きするものを吸収してアウトプットに繋げていく真摯な態度こそが、りっくんの持つ独特の面白い雰囲気を醸成していた。教えられたことや指摘されたことをすぐに演技に反映できる器用さも持ち合わせているので、きっとこれからもステージで進化し続けるに違いない。次はどんなところでブラックバスぶりを発揮するのか目が離せない。
ある稽古の日に「こんな風にボケたいので、ここをたっぷり我慢してほしい」と注文があったのをきっかけに、私も「このセリフをきっかけにしているので、飛ばさないでほしい」などの意見交換をしたときがあった。そこからだんだんと関係性が構築できている実感が湧き、次第に気兼ねなく思い切ったコントができるようになっていった。
今更ではあるが、優果さんみたいに全力でトライ&エラーを繰り返すアプローチを、早いうちから回数を重ねるべきだったと思っている。理屈にこだわりすぎて、最初から切れるカードを選びすぎてしまった。持っているカードを全部並べて出すだけの度胸が足りなかった。なんで一丁前に守りに入っちゃったんでしょう。いまだに悔しくて悶々としている。もし次の機会があれば同じ轍だけは踏むまい。
一緒に稽古をする中で笑いを取ることの難しさを体感するとともに、芸人さんはプライベートでもずっと面白いことを考えているすごい生き物だなと実感させてもらった。顔を合わせてからの稽古は2ヶ月ちょっとだったが、その間に学ばせてもらったことは数多い。今後の舞台に反映させてせめてもの恩返しにしたいと思っている。
彼女とは昨年の県民市民参加型ミュージカル、その後の茂木美竹ミュージック・ルーム主催のミュージカル『アラジン』、さらに加賀さんの項でも紹介した『けやはす演劇部』の公演でも顔を合わせており割と見知った仲である。舞台経験もお互いにミュージカルに出演してからであるので、年齢こそ彼女の倍生きてはいるが、ぶつかる壁や悩みも類似しているので親近感を抱いている。これまでずっと「たまきち」と呼んできたので、こちらでもたまちゃんぺではなく、たまきちと呼ばせてもらおう。
役作りではりっくんも相当に悩んだり試行錯誤している様子を見ていたが、りっくんはステージの種類こそ違えど舞台経験は豊富で、目標が明確化されればそこに合わせていくのは早かった。そしてなにより、舞台慣れしているために肝が据わっている。
一方で、たまきちは初めて挑むことが多すぎて面食らっている印象があった。コントの舞台という状況に戸惑い、驚いたり、声をあらげたりする演技のイメージや、ツッコミを入れるという概念も飲み込むのに時間を要していた。稽古で袋小路に迷い込むようなところも何度かあった。
午後から全体稽古が組まれていたある日、午前中から予定が空いているメンバーで自主練習をしたときがあった。そこでモエさんがたまきちの演技に細かくアドバイスを入れていたのだが、その後の稽古で明らかに一皮剥けて良くなった。モエさんが芝居をするときには空気がピリッと締まるような感覚があるのだが、それがマンツーマンの指導を経て彼女にも伝播したように思えた。
そして本番の2週間前には、秋田730LIVEにチャレンジ枠で加賀さん、ささきあみさんと一緒にトリオで出演して地雷女を熱演。プロのお笑い芸人が「このネタは面白いぞ」と若干ヒリつくほどの出来を見せた。お笑いの舞台を経験したことで腹が決まったのか、その後の稽古で観たときにはもうすっかり仕上がっていた。小屋入りしてからの舞台裏では不安そうな様子もなく、共演者にじゃれついて楽しそうにしているのが頼もしかった。
一方で私は最後の最後まであと一歩、役の面白さを上の段階に引き上げることができなかった。ササキとゴトウのふたりが想定する面白さを上回るところまで到達することができなかった(と感じてしまうこと)のが心残りになっている。彼女は未知の領域で必死に足掻いて自分のスタイルを見つけ出し、そこに工夫を加えながら本番を迎えられたが、自分は最後に煮詰める段階を作れなかった。もっと貪欲に挑戦して失敗するべきだったと反省しきりである。
中通クルーズの稽古を通して勉強させてもらったことはたくさんあるが、彼女の頑張りと成長は特に鮮烈だった。次に共演するときは負けないように私も良い経験を積んでいきたい。
今回の出演者では最年少ながら、高校演劇に携わっていたため芝居のキャリアと経験値はメンバーの中でも上位。過去に彼女の出演する舞台を観劇しているが、特に大げさな表現をしているわけではなくても観客の耳目を引き付けるところがあり、魅力的な役者さんだなと思っていた。先の『けやはす演劇部』の公演ではスタッフとして協力してくださったこともあり、出演者顔合わせでお会いできたときは嬉しかった。
その点はるなさんは自分の演技に対する指摘を台本に書き込んだり、コントで共演するりっくんと流れやセリフを確認したりと、足りないと感じたことを解決するためにいろいろなことにチャレンジしていた。大学の演劇サークルでの新歓公演と並行して稽古に参加していたことからも、いかに勉強家でタフな人かがわかる。本当に真面目なのだ。
稽古でねじのふたりにボケやツッコミの要点や表現のツボについてアドバイスを求める姿もよく見かけたが、ササキさんもせじもさんも「こうしよう」という具体的な指示はほとんど出さなかった。その代わりに、はるなさんの強みやどう見られるかの客観的な視点を伝えて演技の方向性を示唆することが多かったと思う。
ねじさんははるなさん以外の出演者に対しても、明らかにできていないところ以外には敢えてディレクションを控え、個々の成長を促す方針だったように感じた。そうやって、どうやったら面白くなるのか、笑いが取れるのかを出演者自身に考えてもらうことを尊重していたと思うし、その段階がなければ指示は無意味だと感じていたのだろう。それは苦しさを伴うものでもあったが、それ以上に稽古場の雰囲気はいつも楽しく、ポジティブに模索できる環境だったのはありがたかった。
ササキさんは「今回の舞台を踏み台にして、さらに高いステージに臨んでほしい」ということもおっしゃっていた。はるなさんは特にその可能性を追い求めている人だと思う。今回の舞台を経てさらに素敵な女優さんになったことは間違いない。いまから次のステージが楽しみだ。
危なくない倒れかたや安全な裾の長さなどの対応策がモエさんから提示される一方で、チラリズムのなんたるかの議論も発生し、なんでか一番熱心にそれを語っていたのが優果さんだった。彼女は心におじさんも飼っていた。
はるなさんはこれまでの舞台でもしょっちゅうぶっ倒れる演技をしてきたそうで、今回も綺麗に膝から崩れ落ちていた。これからも元気にぶっ倒れ続けてもらいたい。キュートでパワフルな演技に、今回はファニーな要素が加わった。次はどんな姿が見られるのか楽しみである。
元わらび座俳優という磐石の経験が生み出す一挙手一投足は、稽古を観ているだけでもレベルの高さが感じられて勉強になった。初めて稽古を見させていただいたときは、引き出しの多さもさることながら台本に対する理解力の高さと演技アプローチの深さに舌を巻いた。これがプロのやり方か、と背筋が伸びたのを覚えている。本当に選手兼コーチみたいな存在だった。
県内屈指のキャリアを持つ方がイチ共演者として、同じ立場と目線で舞台作りの環境を共有してくれるのは本当にありがたかった。普段は大学に進学した娘さんの話や、自分が演劇を習い始めた頃のエピソードなどを面白おかしく紹介してくれたりと、親戚のおじさんのような親しみやすさで接してくれつつ、いざ稽古が始まると圧倒的なパフォーマンスを発揮して見本となってくれるのだ。
さらに言えば、今回の尾樽部さんの役は特殊で、公演全体からすると出演時間が比較的短いほうでもあった。そのことについても思うところはあったと想像するのだが、尾樽部さんは自分の役割を粛々と高めて我々の手本となりつつ、彼の尺度からすれば拙いに違いない私たちの演技の良いところを褒め、一緒に楽しみながら稽古に臨んでくれた。本当に度量の大きさったらない。
これから私が舞台経験を積んで、幸運にも10年20年とお芝居を続けることができたら、そのときには尾樽部さんのように後輩たちと接したいと思っている。たくさんの素敵な方と巡り会う機会になったこの企画には、今後も長く長く続いていってほしい。そして多くの方に良い出会いを産むきっかけが広がっていくことを願っている。
ねじのラジオやコントでお見受けする姿から感覚的に笑いを取りに行くタイプの方だと思っていたのだが、実情は怖いくらいゴリゴリの理論派だった。なにが面白さに繋がるのかという知見と嗅覚、台本全体を俯瞰で見たときに観客がどういう心理状態で面白がるかと想定できる予測力、演者や客席の状態から瞬間的なアドリブや間を調整する瞬発力。お話しているとこちらが向ける問いかけのほとんどには「こうだからこう」という最適化された答えが帰ってきたのが印象的だった。
ずっとお笑いという業界に生きてきた人間が持つ、プロフェッショナルとしての見識の広さと実践的なスキルの高さが、稽古場でものすごく軽率に、しかもどんどん開陳されていくのは圧巻の一言だった。とんでもない人と一緒に舞台に上がらせてもらっているなと怖さを感じるほどだった。
例えるなら、菅原タモツという面白キャラを操作して笑いを取るプレイヤーとして「せじも」が存在している、そんな印象を受けた。もちろんゲーム配信も行っていることから連想したものであるが、あながち間違ったイメージではないように思う。スーパープレイの数々は、舞台をご覧になった方の前では今更取り上げる必要もないだろう。
私の例で言うと、2日目の夜公演から、若松さんを脅しつけながら人身売買の相場を語るセリフが追加されたのだが、これはせじもさんに「具体的な値段言ったら面白いんじゃないですか」と言われたのがきっかけだった。このくだりはその後のパートにも布石として利用されることになったため、お笑いは舞台を経て進化していくんだなと個人的に実感したエピソードにもなっている。
贅沢な願いが叶うなら、私もせじもさんの目を見てやるコントに挑戦してみたかった。せじもさんの笑いを産むロジックの中に組み込まれてみたい。そのために、また機会があればササキとゴトウの狭き門に挑戦したいと思っている。
プロモーターでプロデューサーでシナリオライターでアクターでもあったお笑い芸人。こうやって書いているだけで恐ろしくなってくる多忙ぶりに、今更ながら感謝の念が沸騰している。本当にありがとうございました。
今回のプロジェクトの良いところは、挑戦するための門戸がフラットに開かれていることと、挑戦する中で自分を見つめ直すことを半強制的に強いられるところにあると思っている。どんな人でも、出演を希望するな審査のための動画を撮らなければならず、そこでは必ず客観視された自分と向き合うことになる。
私は敢えて、普通の自己紹介動画を撮って送付した。応募の動機と自身の経験を語り、特技の披露などはしなかった。特別なことができるわけではないので、素材として使ってみたいと思ってもらえるかどうかがすべてだと考えていた。対面オーディションに進むことができれば、そこで求められることを全力でやってみるとして、動画審査では「なんかちょっと面白い経歴の人がやってきたな」と感じてもらえればそれでよしとした。幸運にも対面オーディションに進むことができたので、そこからはYouTubeで公開されたとおりである。
ササキさんが私を見て膨らませたイメージに早く辿り着きたいと稽古を重ねていたが、なかなかそこに到達できなかった。コントという舞台に対する認識の弱さと、台本から演じることへのアプローチの浅さが足を引っ張った。いまでこそ足りなかった要素がなんとなく掴めるが、一ヶ月前の私はずいぶん筋の悪い努力をしていたなと思う。でも、それも含めて必要な段階だったのだといまは感じている。
ただ、これはお笑いに限ったものではなくて、演劇だって究極的には「ウケるかスベるか」みたいな絶対的な尺度が存在しているのではないかと最近は考え始めている。お笑いはそれが明確に観測されやすい舞台というだけで、お芝居だってミュージカルだってそこには絶対に必要な感動させるための何かがあるような気がしている。
いつか、自分の見つけた尺度はこれです、というのを自分の演技を通じて見てもらうことができたらいいなと思っている。そうなれるように引き続き舞台活動を楽しみながら頑張っていきたい。
正直、神経質で尖ったヒトなのではないかという印象があったのだが、全然そんなことはなかった。せじもさんが理論派でびっくりしたのと真逆で、ササキさんは熱いハートで動くし、チームのためにフォローを欠かさない気配りの方だった。
「本番のステージが始まったら、もう自分は助けてあげられないんだと思った」ということを、ササキさんは中通ヒルズのときも、今回のクルーズの舞台裏でも口にされていた。でも、そんなことないっすよ、と自分は思っていた。このメンバーで一生懸命やってきたんだから自信持って臨むだけだという肯定感と、なんかヘマしても最終的にはササキさんが美味しく回収してくれるでしょという安心感を抱えて、少なくとも私は舞台に立っていた。ササキさんのいない舞台でも、ちゃんとササキさんに助けてもらっていた。
昨年の中通ヒルズの少し前にひょんなことから共通の友人がいることがわかり、一度秋田を離れてから帰ってきた帰郷組という共通点もあって意気投合し、仲良くさせていただいている。出会いというのはいつも不思議で劇的なものだ。
もちろんお芝居に関しては圧倒的な大先輩であるし、今回の舞台では主催者と出演者の関係でもあるので、そこは常に一線引いていた。第二回のオーディションを受けると決めてから最終的な合否の連絡が来るまではSNSなどでのコンタクトは避けていた。どちらが言い出したことでもないが自然とそうなったところに、個人的には強い安心感と信頼感を抱いていた。
劇中のセリフにもあったが、モエさんは本当に「舞台を選ばない」のが強みだと思う。無茶振りにも即対応してちゃんと演じきる。私はいまだにそういう場面で恥ずかしがったり、難解さに思考停止してしまうことが往々にしてあるのだが、モエさんはやり切る。そこには舞台で生きる強い信念と矜持が窺えた。
舞台を作る共演者やスタッフへの愛も強く、良い演出やスタッフさんの工夫に喜んでいる姿をよく見かけてこちらも嬉しくなっていた。大変なことになっているであろう仕事部屋の中は見せずに「あんたたちは外で遊んでなさい!」というオカンの印象があった。同年代であるが、本当にそんな感じだった。
事後処理が落ち着いたら、今回の舞台を肴にまた同級生同士の酒席を設けようと思っている。昨年以上に美味しい酒が飲めるに違いないし、面白い話も聞けそうだ。まったく、この企画に関わる楽しみは尽きることがない。まだまだ関わっていきたいと改めて感じている今日この頃だ。
結果的に出演者の名前で区切りがあるにも関わらず、ほとんど自分のことしか書いてなかったり、ほかの出演者のエピソードを内混ぜにして披露したりと収拾が付かなくなってしまった。いつもみたいに時系列で思い出をまとめて、最後に出演者ごとに少しだけ紹介を挟むスタイルが無難だった。反省。
bumper stickers を見においでよ
このブログで自分の公演の振り返りはずいぶんやってきたが、これから本番を迎える舞台について書くのは初めてだ。
言いたいことは表題のとおりである。2月18日16時開演の bumper stickers ダンス公演『FRee Way』をぜひぜひ観に来ていただきたい。ダンスに興味がある方はもちろん、ダンスにそれほど興味がない、詳しくないという方にこそオススメしたいイベントである。
bumper stickers のステージを観ているときに一番実感するのは、音楽そのものが「見える」ことによる理解の深まりとそれを通じて自分の感覚が拡がるような多幸感だ。舞台で躍動する身体表現を経て、その音楽が目指そうとした風景や心情にグッと近づけるような感覚が呼び起こす感動は bumper stickers の真髄と言えるだろう。ダンスのテクニックやジャンルに詳しくなくても、絶対に楽しいステージになることは私が保証する(担保に差し出すものはないが)。この「音楽を見て理解する」感動をぜひ味わいに来てほしい。
会場はミルハス中ホール。料金は前売り2,000円、当日2,500円。最前列での鑑賞ももちろんオススメだが、舞台全体を俯瞰で見たときの構成も美しいため後方や二階席で見られる魅力もあるだろう。どこから観ても楽しめるはずだ。
都合が悪くて観に来られないという方は、以下のリンクから応援の気持ちをいただけると幸いだ。これまでの活動や今回の舞台への想いもまとめられているので、ステージを楽しむための前夜祭的な楽しみ方もできるのではないかと思う。
さて、bumper stickers は「秋田をダンスで盛り上げたい!」という思いを胸に活動しているダンスチームである。県内のさまざまなイベントに出演しており、最近では1月31日に行われた秋田ノーザンハピネッツの試合でハーフタイムショーに登場。情熱的に躍動しつつ、1本のフリースローを見守るときの息を飲む瞬間も表現するなど、会場を埋め尽くしたハピネッツファンからも大きな歓声が上がっていた。
なんで突然ダンスイベントの宣伝をし始めたのかと怪訝に思う方もおられるかも知れないので、経緯をべらべら書かせてもらおう。
私は言うまでもなく演劇畑側に属する。と言っても演劇にだってそこまでのキャリアはないが、ダンスはキャリアがないどころか苦手分野に入る。むしろリズム感・体幹・運動神経が満遍なく低い自分にとって、表現活動に組み込まれた場合は天敵だ。これまでの舞台経験でもダンスがあればそこに一番練習時間を必要としたし、その上でも求められる水準に達していたか疑わしい。
べろべろ書いているが、要するに私はダンスは苦手だ。ただ、苦手でもキライではない。見ているのは好きだし(稽古で人のダンスを見ているのはとても面白かった)発表の舞台となれば尻込みしてしまうが、音楽に合わせて身体を動かすことの気持ちよさもきちんと味わえている。フィギュアスケートを見るのが好きだったのでキャンデロロやヤグディンの振り付けを真似して遊んだ記憶もある。先の県民市民ミュージカルでダンスの心得がある友人知人ができたこともあって、以前よりはだいぶ身近な存在になった。
昨年の秋に bumper stickers の一員である"ほんちゃ"からレッスン体験のお誘いがあった。先述のとおりダンスが不得手であるので物は試しと顔を出してみたが、私にはレベルが高すぎたので早々に見学に回った。若者たちに一人だけおじさんが混じって練習を見学するのは少し恥ずかしかったのだが、練習を見ているだけでも音楽の理解の仕方や表現の方向性が新鮮で楽しかった。そしてそうやって練習を見守っているうちにすっかりファンになってしまった。
結果的に練習を観に行っただけのおじさんになってしまったが、bumperのメンバーは気さくに受け入れてくださり、私が出演する舞台などにも足を運んでくれている。本当にありがたいことだ。
そんなご縁もあって、今回の舞台に私もちょっぴり関わらせてもらえることになった。ダンスの方ではさすがに役に立てないが、演技のほうで楽しいステージになるよう尽力したいと思っている。私も私なりに努力して舞台に臨みたい。
本番まで一週間となり、メンバーの練習にも熱が入っている。今日も少しだけ見学させていただいたが、すべての曲、すべての瞬間が本当に格好良かった。私もできるなら客席から見たいくらいだ。
どうかたくさんの人に来てほしい。秋田のダンスシーンに関わる上で、このステージを観たかどうかがステータスになる日がきっと来る。伝説の中継地点を見逃すな。
劇団ウィルパワー『雨音協奏曲』/うさぎストライプ『あたらしい朝』感想
ミュージカルでご縁ができた仲間たちを通じて「こんなイベントがあるよー」とか「こういう公演に出るよー」といった情報がいち早くお届けされるため、秋田県内の舞台で展開する面白そうなコンテンツは見落としようがないのだが(ありがとうございます)さすがに身体はひとつしかないので、たとえばこの週末のように予定がブッキングしてしまうと大変である。ブッキングしなかったらしなかったでお財布の中身が寂しいことになるのだけれど。あちらを立てればこちらが立たずで観劇できなかった仲間たちへの手向けとして、せめて感想を書き残すものであります。
なお、私は感想を書くうえで作品のネタバレというか核心にベタベタ触れるため、そういうのが気になる方にはブラウザバックを推奨したい。そこのところはよろしくどうぞ。
3本の短編によるオムニバス公演。旧松倉家住宅の米蔵という少し異質な舞台で展開される演劇はどんなものになるのか、本番を楽しみにしていた。その前の公演では秋田市文化創造館のオープンスペースを会場にしており、今回とは対照的にどこからどこまでがステージで劇空間なのか、境目がはっきりしない舞台を展開させていた。斬新で意欲的な演出が楽しい劇団である。それぞれに感想を述べたい。
『箱の中の海』
文化創造館での演目がキャストを変えて新登場。先に観劇した際に「役者や会場を変えながら長く演じられる脚本にしたい」というような話をどこからか伝え聞いた記憶があるのだが、今回早速リバイバルの機会に立ち会うことができた。
初回は開放感のあるフロアで大学のカフェテリアというロケーションに近く、物語への強い臨場感が醸成されていた。そのこともあって終盤の海が迫り来るシーンで舞台だけが切り取られたように水中に没するシーンも幻想的で、その美しい情景が引き潮のようにスッと行ってしまい日常が残される表現も見事だった。
また、キャストが女性のみということもあって教授の愛人疑惑や恋人にうつつを抜かしているのかとかしましくする場面、人魚のブラジャーに対する考察などの笑いどころに妙な質感があったのも楽しかった。今回はどんなふうに変わるのか、展開は知っていたのだがむしろドキドキしていた。
今回は、海野が浴槽のソレと会話しているシーンからスタート。なるほどですね、どこから山根が登場するんだろうと思っていたが、そういうやり方(キャストオフ)があるんですね、考えたなー。
キャストが男性になったことでソレとの関係性に自然と「男女」の意識が入り込んだ印象になるのも面白かった。全体的なギャグの面白さの質というか刺さり方が少し変わった。ほかにも、山根が地元で働くことを提案するところも男女であることで別の意味が含まれたように感じられ、現実の残酷さがじわっと濃くなったように思われた。
やはり海野氏が男性になったことで、研究一筋の気持ち悪い大学院生のキャラクターが際立ったように思う。海野役の工藤さんは、先の公演では「昼休みにやってきて演劇鑑賞に巻き込まれるモブ」というテイで前説をされていたが、あのときの挙動不審ぶりは印象的だった。なので今回は八面六臂に気持ち悪くて大変良かった。個人的にはハンバーガーをちぎりながら食べるのがお気に入りのキモムーブ。
川元役の笹森さんは海野の反応や所作にヒいたり、ボソッと呆れたようなツッコミを入れたりするなどネガなときが妙にリアルで温度差が面白かった。山根役のあみさんは鬱屈とした感情が分水嶺を越えたり越えなかったりのタイミングで、表情や声の印象がくるくる変わるのがやっぱり上手いなあと感じながら見入った。
今回は会場が米蔵ということもあって「箱の中」に客席も含んだ演出だったように感じられた。邂逅と別れのシーンに自分の生き方や将来も重ねて見えてくる脚本を、これからもいろいろな演者さんで見てみたいと感じた。
『貧血鎮魂歌(ひんけつれくいえむ)』
最初から「なんか舞台中央に棺桶があるな」と観客全員が思っていたと思うが、その棺桶がオチまで強い存在感を醸していた。
編集者役のあみさんが弱々しくてぽんこつな演技をしており、大変新鮮だった。怒ったりヒステリーを起こすシーンはよくお見受けするのだが、普通に悲鳴をあげているのは珍しかったのではないか。がんばって事態を好転させようと奮闘する姿がいじらしかった。らん子さん演じる先輩編集者もぽんこつ。頼りになりそうでならない感じがお約束ながら面白かった。そしてこの二人を振り回すのが真珠さん演じる月世さんなのだが、これがまた怪演だった。
この作品は月世さんのキャラクターに尽きる。正直、所作やセリフはどこか滑稽なのだがしっかりホラーしている。普通に得体が知れなくておっかない。ミステリアスというかおっかない。ホラー度合いがゼロになるところがないというか、常に緊張感がある振る舞いは見事だった。巻尺をシュッと戻すところとか、ちょっと惚気た話をするところとか緊張感が緩むところもあるのだが、やっぱりどこか怪しくておっかない。あの弛緩しすぎない感じの出し方は「掴んでるな〜」と感心した。
ラストシーンもコメディチックな明るい終わり方かしらと思っていたが、存外しっかりホラーのまま終わってぞわりとした。場面転換を眺めながら、米蔵を棺桶に見立てた作品であるまいな、と不気味な想像をしていた次第である。
表題作。狭い舞台にぞろぞろと役者が出てくるのがまず面白い。登場人物の精神状態が天使と悪魔よろしく人格となって現れているのだが、強気と弱気という着眼点なのがいい。強気だけどテンションが低くなったり、弱気なのに「無理無理!」と語気を荒げて暴れたりするのだけど、結局は本人の精神なので甲斐甲斐しくていじらしいのだ。
妙齢の男性、水野を演じるシゲさんはRHマイナス6の舞台でも活躍を拝見していたが、今回は不器用だけど優しい男性をすごく自然体に演じられていて「さすがだなあ」と感じた。あの、朴訥としていて語りにも動きにも目を引くものはないのだけど目が離せない感じはどう出すのだろう。ホントにすごいなあ、と思って眺めていた。
らん子さん演じる妙齢の女性、小桃さん。こちらも動き自体は少ないのだけど、レストランでの葛藤で強気と弱気がくるくる賑やかにするのを背負いながら神妙な表情を浮かべたり、雨に濡れた裾を気にしたりする素振りから伝わるガッカリした感じがいたたまれなかった。
そして終始二人の近くで賑やかにしている強気と弱気。頭の悪いペットのようで見ていて楽しかった。車に乗っているシーンで後部座席に収まっている姿がとても可愛らしくて「この雰囲気いいなあ」と思いながらやり取りを追っていた。強気役の工藤さんと最上さんがたまに暴走しそうになるところの目が据わる感じが面白かったし、弱気役の小林さんと富樫さんが細かいことに執着して困り眉で同じ台詞を繰り返すところの健気さも微笑ましかった。
二人が手を取り合い、お互いの強気と弱気がゆったりと踊りながら迎えるラストシーンは、正直もうちょっとで泣くところだった。不器用だけど一生懸命生きてきた二人がほかでもない自分自身に祝福されている感じがなんとも言えず感動的で、本当に良かった。今回の3作品は全部好きなのだけど、この溢れ出る多幸感はお芝居を見る根源的な喜びにつながっているように思う。本当にとても良かった。
【うさぎストライプ】あたらしい朝 会場:ミルハス小ホールB
ミルハスに移動してさらに観劇。うさぎストライプさんの『あたらしい朝』。東京で活躍する劇団を秋田で見られるのは本当にありがたい。とても刺激的な公演だった。
「どうせ死ぬのに」をテーマに死と日常を地続きに描く作風、という劇団HPの紹介文にも興味をそそられた。メメントをモリモリするのは私もよくやっているし、それが舞台でどういう表現になるのかもまた気になるところだった。
そんな意気込みで観劇してきたのだが、なんというか高熱が出ているときに見る夢みたいな舞台だった。掴みどころはないが、感触と印象が具体的なイメージを連れてくる感じとでも言ったらいいだろうか。夢であればそのイメージは覚醒とともに急速に色褪せていくが、舞台で味わうそれは質感を持って居座るらしい。
思い返しても不思議な舞台だった。きちんとストーリーに沿った展開自体はある。でもその枠組みはタガが緩んでいる。奇妙なものが差し込まれたり、大事なものが漏れ出たりする。それが急に収束してマトモな状態に戻ったりする。そうやって物語が進行していく中で「ひょっとしたらこれはこうなんじゃないか」という漠然とした予感が確信に迫っていく。「事実はそういうことなんだろう」と確信に変わった後も、夢幻の名残みたいなものは形を保って舞台の上に居座って簡単に消えず、まだなにかを喋り続けている。うーん、やはり高熱が出たときに見る夢っぽい。
登場するキャラクターがみんな苦手な性格の人たちばかりで、しかもイヤな感じの解像度が高いもんだから前半は見ていて疲れてくるところがあったのだが、中盤で「ああ、これはもう居なくなった人たちの残滓だ」と感じてからは平気になった。もう終わってしまったことが、時系列と人間の位置を変えながら巻き起こっているとなれば、嫌うべき性質がもはやそこには存在しないのである。
そうやって「イヤなもの」がふるいにかけられていく中で、大切だったものや大事にしたかったものが浮かび上がってきて、そうしたものと一緒に旅をしていたことに気が付く。失われてしまったものを「失われてしまったもの」として大事にしていくような、意味のある空白をきちんと見つめているところを舞台の上では表現できるんだなあ、と感じていたように思う。
と、これはいま舞台を思い出しながら言語化した結果だ。冒頭で述べたように、終わってすぐの感想は高熱が出たときに見る夢だった。そして夢の記憶がすぐに薄れてしまうのと違って舞台の記憶は色濃く残る。だからこそこうして考察して「こうなのかな」という手応えをたぐり寄せることができる。
漠然としたイメージに役者という人格を与えて、物語という伝えるためのツールをもたらす舞台は、ちょっとキケンな場所なんじゃないかと、今更そんなことを感じた公演だった。ううむ。また見たいなあ。
ゆく年くる年2023
2023年は自分の人生においてもっともカラフルな一年だったと言っても過言ではないと思う。シゴト以外のことで週末の予定が次々に埋まり、週・月・シーズンごとにやるべきことや目標が定められ、それに向かって緊張感を持ちつつも楽しみながら挑むことができる日々は特別だった。有り体に言えば輝いていた。
こんなに日常が輝いていたのは大学卒業から社会人なりたての頃にかけて、すごくかわいい彼女がいたとき以来ではないだろうか。すごくかわいい彼女だったのでフラれてから通常状態に戻るまでに5年くらいかかった。ともすればまだ通常状態には戻っていないかもしれない。彼女にフラれたとき、私の人生は失敗した、と思ったし、その後の人生に関してはロスタイムになるだろうなと感じた。付き合っていた約4年間を超えるような喜びはこの先ないだろうし、この失恋以上に喪失感を味わうこともないだろうと思った。自分の人生はいまピークを終えて、あとは下っていく一方なのだろうなという実感とその暗い質感はいまでもありありと思い起こすことができる。なんか変な方向に脱線してきたな。いずれにしても私の隣は長いこと空いております。あまりにも綺麗な空白は、形となって存在するのです。
冗談はさておき(冗談でもないけど)この歳になってこんなに新しく挑戦する機会や楽しい出逢いに恵まれたことは本当に僥倖だった。まずは、お世話になった方や仲良くしてくださった方に心から感謝を申し上げたい。今年一年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
今年はそれなりに良くないことも起きた。良くないなりに良いほうに着地したとは感じているので、トータルで考えればカラフルさにバリエーションを与える役目を果たしたと思って受け入れている。なにしろ四十路になったのだ。失うことや衰退することにも抵抗力を付けていかなければなるまい。それはそれとして愉快に生きていけるように、今後も自己を肯定していけるような考え方と生き方を実践していけるようにしたい。
それではだらだらと振り返っていこう。おそらく例によって長くなると思うので、休み休みお付き合いいただければ幸いである。
【1月 欅の記憶・蓮のトキメキ(けやはす)でスタート】
最初からクライマックス。14日と15日にミルハス開館記念の県民市民参加型ミュージカルが丸一年近くにおよぶ稽古期間を経て本番を迎えた。すでにこの稽古期間がべらぼうに面白くて2022年も記念碑的に楽しい年ではあったのだが、今年はそれをさらに超えた充実感が待ち受けていた。「けやはす」については別の記事にうんと書いてあるのでそちらを参照されたい。
カラフルな年、と表現したがその色はすべてこの舞台で用意されていた。この舞台でつながったものが玉突き事故を起こすように新しい出会いや出来事を呼び込んで、忙しくも楽しい日々が赤いカーペットを敷くがごとく広がっていくことになった。
年が明けてすぐに本番だったが、世間はいまだコロナ禍の真っ只中にあった。とにかく体調不良だけが恐ろしく、年末年始の人混みなどはまさに感染リスクの塊に思われたため、初詣も初売りも完全無視で引きこもった。親戚を含めて人と会うのは最小限、思い出したら手洗いうがいと神経質な年始を過ごした。
三ヶ日が明けるとすぐにコンタクトレンズを作るために眼科を訪ねた。役作りのために必要だと思って作成したのだが、付けてびっくりコンタクトがこんなに便利なものだとは思わなかった。さほど違和感や不快感もないし、一番心配していた取り外しも案外スムーズにいけた。10年早く試せばよかった。いまでは公私ともにコンタクトを愛用している。
ミュージカルが終わって、ここでまた人生のオモシロがひとつ終わってしまったな、と寂しい気持ちになっていたのだが、いま思えばこの終わりは新しい始まりの幕開けに過ぎなかった。この一年が終わる頃、気がついたら私の趣味は舞台活動になっていたのである……。
【2月 けやはす慰労会と額のホクロ】
生活の一部となっていた「けやはす」が終わったロスも癒えぬまま月を跨いで2月。メンバー有志で慰労会が開催されることとなり、日が近づくにつれて遠足間近の小学生のようにソワソワし始めた。メンバーとは長いこと稽古はしてきたものの、感染リスクを抑えるために一緒に食事をしたりお酒を飲んだりする機会はほとんどなかったため今回の集まりは本番同様に大事な機会だと思っていた。
そうして臨んだ慰労会は想像以上に楽しかった。会場は脚本からメイクまでお世話になりっぱなしの「わらび座」さんが鎮座する温泉宿ゆぽぽ。小劇場で『青春するべ!』を観劇し(プロが心血を注ぐ舞台は本当に素晴らしかった)、ソーラン節を踊り、田沢湖ビールが飲み放題というヤバい宴会コースに心が踊った。これまであまり深く関わることができなかった演者さんと話をしたり、制作陣の先生方のご意見などを伺ったりしながらピルスナーを湯水のごとく飲んでいるうちにベロベロに酔っ払ってしまった。そのためにすごく楽しかった印象は覚えているのだが、詳細はアルコールに焼かれておぼろげだ。せっかくご縁のできたメンバーとまたなにかできるのではないかという予感は確信に変わり、今後の活動にも楽しみな気持ちが大きくなった慰労会だった。
その慰労会に出掛ける数日前のこと。舞台に立ったことで自分の見え方にもちょっと興味が出てきた私は、自分の額にあるホクロがだんだんと気になり始めていた。このホクロ、思い返せば10年ほど前からあるのだが数年前から大きくなってきているような気がしていた。しかもたまに出血することがあってシャツやタオルが汚れるのも煩わしく感じていたため、美容手術的なもので切除できるのであればそうしようと思い立ったのだ。
そして診察を受けた皮膚科で「たぶん皮膚癌の一種です」と診断されたものだから心臓がハネた。驚いたなんてものではない。考えてみてほしい、癌と診断されたのだ。こないだ初めてミュージカルの舞台に立って最高の気分だと染み染み感動してひと月も経たないうちに今度は癌である。朝ドラか。
幸い、外科手術で切除できる類のものであり、術後の経過も良好であるが、当時は本当にびっくりして気が動転していた。このあたりの話もブログの別記事にまとめてあるので興味があれば読んでみてもらいたい。
26日には能代ミュージカル『いのちが芽吹く街〜能代大火物語〜』を観劇に出かけた。同じ市民参加型のミュージカル、しかも栗城先生の脚本とあって「自分だったらどう演じるか」や「けやはすキャストならこの役はこの人かも」などと想像を膨らませながら楽しんだ。ダンスや生演奏などの演出や大火を表現する強烈なスモークなどの舞台効果を体感していると「観客としてより、役者としてこの舞台に立ちたかったなあ」と思えてしまった。自分が演劇沼に両足を突っ込んでしまったことを自覚した日であった。
【3月 3.11を忘れないし、3.22もたぶん忘れない】
あっという間に年度末を迎えた。仕事柄、年末よりも年度末のほうが忙しい。せっせと年内の用事を片付けながら新年度の準備を進めつつ、3月11日土曜日のイベントに向けてマンドリンの指ならしをするなどしていた。
「歩きましょう通信〜3.11を忘れない〜」は由利本荘市のカフェレストラン「RIVER ROAD」を会場に、まさに東日本大震災があったその日に開催された。毎年セリオンに出店する牡蠣小屋店主の嶋田さんと、イベントの主催者であるビルカワさんが震災に関わる世間話をしたことをきっかけにお知り合いになられたことからスタートした企画である。人生にはときどき不思議な出会いがある。私もこの2年でつくづくそれを味わっている。
「けやはす」の劇中に『上を向いて歩こう』を歌うシーンがあるのだが、それは「千の声を届けよう。from AKITA」という実際にあった震災にまつわるイベントがモデルになっている。今回の企画では、それを再現するメンバーとして歌わせていただいた。改めて震災によって変わってしまったもの、変わらずにあるものを考えるとともに、一緒に参加した「けやはす」メンバーのパフォーマーとしての力量の高さに驚かされた。自分も半端なことで満足せず、なにかきちんとできるようにならなくてはという焦りと向上心が心根に植え付けられる機会になった。
この頃から、茂木美竹ミュージック・ルーム主催のミュージカル『アラジン&CATSハイライトメドレー』(以下、アラジン)も動き出した。出演する子どもたちと顔合わせを済ませ、歌や台本をさらっていく楽しくも難しい日常が帰ってきたことに気分が高揚した。世界的に有名なヴィランであるジャファーを演じられるとなれば、張り切らないわけがない。心に悪役の人格を住まわせながら生活するのはとても楽しい経験だった。
そしてWBC決勝戦で伝説的な大谷対トラウトの末に優勝を決め、日本代表が歓喜のシャンパンファイトをしている最中、私は2月に癌と言われたホクロの切除手術を受けていた。局部麻酔だったため術中の会話(アレとってきて、ココ抑えて)や音(患部をジョキジョキ切る音、焼いて止血する音)がモリモリ聞こえてきたため生きた心地がしなかった。天国と地獄はすぐ近くに共存していると実感した。
【4月 観劇三昧】
春の訪れとともにイベントが活発になってきた。これまで観劇に出掛けるということがなかったのだが、一度舞台に立ってしまうとほかの舞台も見てみたいという好奇心がモリモリ湧いてくるものだ。それに「けやはす」メンバーが出演するとなればなおさらである。
まずは2日にウィルパワーさんの『箱の中の海』を観劇。「けやはす」で主人公姉妹を演じたお二人が出演とのことでワクワクしながら会場に向かった。文化創造館のコミュニティスペースを使った特殊な劇空間を活かし、手が届く範囲で展開する物語には独特の魅力があった。ダブルキャストの演劇を初めて鑑賞したのだが、演者が違うと同じ台本でも印象が変わるなあと思いながら鑑賞した。そして、キャストに隙がないと物語が破綻せず集中力を持ったままフィナーレまで持続することも実感した。そのときに得られる感動はひと塩だ。これからも演劇をやりたかったら求められる水準はここだぞ、と見せつけられた気がした。
22日には横手市の劇団ほじなしさんの『ウェルカム・ホーム!』。こちらには「けやはす」で政光様を演じたGUNJIさんと教頭先生のジュンペイさんがゲスト出演されるということでウキウキしながら会場に車を走らせた。2時間近い長尺の芝居を観るのは初めての体験だったが、予測できない展開の数々と我らが政光様がたびたび困り果てた犬のような顔でくしゃくしゃになるのが面白くて目が離せなかった。
地元秋田で活動する劇団の公演に触れ、芝居の面白さがますます骨身に染みた。そしてミュージカルで知り合った演者の方々が、そのときとは全然違う演技をすることにも驚かされた。そういう振り幅みたいなものも身につけなければと感じた。
早くもその機会が提示される。4月末に『村田さん』の実施に向けた顔合わせの飲み会が某所でこっそり催されたのだ。ここから11月の本番まで続く稽古で私はさまざまなことを学んでいく。それもブログの別記事にまとめてあるのでよかったらどうぞ。
【5月 引き続き観劇三昧&次は俺の出番だ】
5月も観劇三昧の休日が続く。GWは『卯の花くたし』とササキとゴトウの『中通ヒルズ』を観劇。
『卯の花くたし』はリーディング公演という朗読劇の手法を取り入れた公演で、初めてココラボラトリーにお邪魔した。役者と観客の距離の近さ、音楽と朗読による構成が不思議な空間を醸成していた。
その足で『中通ヒルズ』の観劇に向かった。こちらには「けやはす」メンバーが参加しており、しかもコントの舞台ということでどんなものが見られるのかとワクワクしながら席についた。
『中通ヒルズ』は視聴者巻き込み型コンテンツを自称しており、出演者オーディションや稽古の様子などをYouTubeで紹介していた。そのチャンネルで本番の一週間ほど前に、主催者である「ねじ」のササキユーキさんとゴトウモエさんが、出演者に対してどう思っているかを演者ひとりひとりにかなり時間をかけて「ダメ出し」をする回があった。それぞれの演者に期待していることや舞台に臨むうえでの心構えなどをユーモアを交えながら訥々と解説していくのだが、これが本当に興味深くて面白かった。演者と舞台への強い執着があるからこその愛のある「ダメ出し」であるし、メンバーへの信頼感があるからこそ本番直前のタイミングでそれを公開できるのだろう。そうした映像を見てきただけに、本番への期待はストップ高になっていた。
そうして迎えた本番の2日間、初日夜と千穐楽の公演を観劇したが、どちらも面白かった。大笑いした。「けやはす」メンバーがコメディ色全開で躍動する姿は頼もしくもやはりおかしかったし、なによりプロの芸人はここまで面白いのかと圧倒された。主催者と出演者の「秋田で面白いものをやるんだ!」という熱意がステージから発散されていたのに心打たれた。ササキとゴトウのプロジェクトは2024年のGWに第2弾の実施が決定しており、次はなにが見られるのか期待は高まるばかりだ。ぜひぜひ秋田のGWにおける名物行事に成長してもらいたい。
興奮も冷めやらぬ21日、今度は文化創造館で演劇ユニットRHマイナス6さんの『エレクトリック・ポップ』を観劇。昨年拝見した『彼岸ノカナタで僕と握手』で目力のヤバい演者がヤバい圧でヤバいセリフや動きを繰り出す姿に衝撃を受け、今回の公演も楽しみにしていた。今回はジュンペイさんも狂気の舞台に加わるというから必見である。
個人的にRHマイナス6さんの舞台で楽しみにしているのが特撮技術を取り入れた演出である。円谷ファンだった私に刺さる設定や舞台道具が次々飛び出すためニヤニヤしてしまうのだ。今回も気合の入った銃撃戦のシーンがあったり、いかつい延命装置が登場したりとウキウキする演出の連続だった。「くっだらねぇーを全力で」の精神を体現した消費カロリーの大きいアクションとすっとこどっこいな展開の連続は見応え抜群。公演後しばらく「ばんばんきゅっきゅばーんばんきゅっきゅ」のメロディが耳にこびりついて離れなかった。
刺激的な公演を立て続けに観劇し「自分も舞台で!」という気持ちは否が応にも高まる。幸いなことに、その気持ちを発散できる『村田さん』と『アラジン』の稽古が毎週末に組まれるようになった。経験不足の自分には、どの稽古もやるたびに新しい発見と喜びが満ちていた。稽古への熱が高まる中で、季節もまた春から夏へと温度を上げていくのであった。
【6月 家族と一緒】
6月は家族に関わる出来事の多い月だった。妹が婚約したため、お相手のご家族との顔合わせということで東京に家族で出かけた。私の両親は大学進学のために上京しており青春時代は東京で過ごしている。そうは言ってもほぼ半世紀前の出来事なので、おのぼりさん状態で束の間の東京散策を楽しんだ。
妹の婚約者の方とは前もって秋田で一度食事をしていたが、今回は家族同士の対面ということで緊張気味の顔合わせになった。お互い食事をしてお酒を飲んで、気持ちよく打ち解けられたと思う。未婚の長男であり四十路になってしまった私には親戚一同からのプレッシャーはより強まることと察せられるが、まあそれはそれだ。妹が新しい家族を楽しく健やかに営んでいけることを祈っている。いま帰省してきて同じ居間にいるがひたすらポケモンスリープをやっている。大丈夫か。それでいいのか。
東京から帰って間もなく、今度は母が手術で短期入院するため付き添いをした。本当に今年は短期間で落差の大きい出来事が起こる。精神がジェットコースターに乗っている。幸いなことに手術は難儀なことにならずに完了し、術後の経過も良好ということで早々に退院できた。
2月のホクロの件で自分の健康が保証されたものでないことはしみじみと実感させられたが、今月は元気な両親と暮らせるのにも時間的な制限があることを突きつけられた。時間は大切に使おうと、改めて思い直す機会になった。
【7月 観劇のために県内をうろうろ後、水害】
またしても県内各地に観劇に出かける月になった。
7日は由利本荘市カダーレでOKAMI企画さんの『たんとかだっていってけれ』を観劇。秋田出身で東京で活動している真坂雅さんが、地元で公演する機会を作るために立ち上げた情熱あふれる舞台である。実は先んじて出演者募集を見かけたときにエントリーするかかなり迷ったのだが、直後の8月には『アラジン』があるし『村田さん』も煮詰めなければいけないし、いまの自分のキャパシティでは難しいと判断して今回は観客として楽しむことにした。
こちらも「けやはす」メンバーや、これまでに観劇した舞台に立っていた役者さんが登場し、笑いありシリアスありの物語が展開するのを大いに楽しんだ。どの演者さんもよかったのだが『たんとか』で特に度肝を抜かれたのは真珠さんの演技。「けやはす」での立ち振る舞いから只者ではないとは思っていたが、只者でないどころかすごい役者だった。常識の枠を平気でぶち破ってくるうえに、しかも演技に説得力がある。後にメンバーと意見交換したときも「真珠さんにはマジでやられた」「もっと見たいよね」と頷き合った。1月の舞台に秘められていたポテンシャルの高さを再確認した公演だった。
雅さんの演技にもゾクゾクさせられた。軽薄な高校生から憂いを帯びた青年まで、演じるキャラクターで発揮される色が全然違うのだ。芝居を成立させるパワーが強く、物語がぎゅっと固まるような印象が常にあってただただ「凄いなあ」と唸っていた。舞台上ではものすごいのに合間のMCがぽんこつ気味なギャップもとても面白かった。
また来年も同じような企画があるのだろうか。次の機会があるなら、そのときはぜひ挑戦させていただきたい。
翌8日は小坂町の康楽館まで『松竹大歌舞伎』を観劇に出かけた。母が歌舞伎のファンでチケットを取ったのだが、先月医者にかかったばかりということもあって遠出を控え、代わりに私が行くことにしたのだ。ロングドライブを経ていざ会場に着いてみたら花道の真横にあるSS席中のSS席でびっくりした。母の無念やいかに。きっちり土産話をしてやろうと前のめりになった。
歌舞伎の知識があるわけではないので物語に集中できるか心配していたのだが、パンフレットに芝居のストーリーや見どころがまとめられていて、初心者にもわかりやすかった。リアルタイムで解説を聞くことができるイヤホンも配布されていたが、それを使用しなくても十分に芝居を楽しむことができたと思う(私も使わなかった)。
初めて見る歌舞伎だったが、さすが大衆娯楽という感じで演者の表情や動きを見ているだけでも迫力があって面白かった。セリフや拍子のリズムと役者が一体となって舞台を躍動する姿は力強く、美しかった。舞台装置も想像以上に大掛かりで見応えがあり、こんなことを言ったらファンの方には怒られるかもしれないが舞台からもお客さんからもミュージカルに挑むそれに近いものを感じた。
素晴らしい公演を立て続けに見てホクホクした心持ちで過ごしていたのも束の間、月の半ばに日常が一変する。秋田県全域に降り続いた大雨によって、秋田市中心部を流れる太平川が氾濫。市街地において大規模な浸水被害が発生した。
見知った風景が泥水に沈む姿に言葉を失う。通勤途中でいつも見かける旭川が、溢れんばかりの濁流となって絶え間なく飛沫を上げる。水没した明田地下道に、そこかしこにフロントまで水没して放置された車両が映る。
とても舞台を楽しむなどと言えるような状況ではなくなってしまったと、当時の私は思っていた。
【8月 気を取り直してアラジンに全力の夏】
仕事柄、被災対応に動くことが増えた。言うまでもなく大雨の被害は甚大で、月を跨いでも全容が見えないほどであった。加えて今年の夏はとにかく暑く、それがじりじりと体力を奪うような印象があった。秋田市内の被害も大きかったが五城目町では断水が長引くなどさらに厳しい状況が続いており、毎日のニュースを見るのが辛かった。
それでも復興のために笑顔で頑張る人たちがいて、全国から支援物資や応援のメッセージが続々と届く中で「直接被災したわけではない自分は、日常を元気に頑張ることが最優先だ」と思い直した。同じような気持ちで日々を頑張ろうと考えている人が多かったのかもしれない。被災の直後ではあったが竿燈祭りは盛大に開催された。
13日、ミルハスでわらび座さんの『祭シアターHANA』を観劇した。舞台と客席が一体となる構成の斬新さはもちろんだったが、それ以上にステージを舞う演者の艶やかさや和楽器の力強さに圧倒された。東北各地の踊りを取り入れた演舞も見応えがあったが、個人的にはコロナ禍を表現したパフォーマンスがコミカルでありながら不気味な閉塞感をじわじわ伝えてくる構成で面白かった。まさに、わらび座さんにしかできないステージだったと思う。本当に感動的なスペクタクルだった。
そして27日、半年近く稽古を続けてきた『アラジン』の本番を迎えた。こちらも詳細についてはブログ内の別記事にブワーっと書いてあるので興味があればどうぞ。
先に触れた『HANA』を見て大感激したミルハス中ホールの舞台に立てることは誇らしかった。なにより1月のミュージカルを終えた直後、上手に鎮座する神棚に「またこの舞台に立てますように」とお願いして半年と少し。いろいろな舞台を観劇して、どんな舞台にしたいのかを考える日々を送りながら再び舞台に立てることは本当に嬉しかった。
正直なところ『アラジン』はやるべきことをすべて終えて100点の状態で臨めた舞台ではなかったと思う(先生ごめんなさい!)。練習不足なところや、もう少し煮詰めたらさらに良くなったと思われる要素がいくつもあった。それでもたった一度きりの本番は、これまでやってきたどの稽古よりも力の入った舞台になった。子どもたちの本番での集中力と度胸には驚かされた。また彼ら・彼女らと一緒に舞台に立てる日を楽しみにしている。
【9月 観たりやったりで忙しかった暑い秋】
ひとつ本番を終えてホッとしたのも束の間、今度は11月の『村田さん』が見えてきた。舞台に立つことでますます次に立つ舞台があることが本当に嬉しく感じられてくる。気がついたらもう演劇沼に腰あたりまで浸かってしまっていた。
9日、大町のSWINDLEに『バトルフェス』を観に出かけた。SWINDLEは秋田市では貴重なライブハウスであるが、そこで開催される格闘技イベントとなれば斬新である。そしてこちらも「けやはす」メンバーが関わっている。つくづくタレント揃いだ。
かつてK -1ブームがあった際には、私も熱心に格闘技を観ていた。ガオグライ・ゲーンノラシン選手のスピードで相手を翻弄して素早い一撃を打ち込むスタイルには心底痺れたのを覚えている。逆に言えば、それ以降の格闘技シーンとなるととんと記憶にない。久しぶりの格闘技、しかも生で見るとなれば初めての経験である。開催を楽しみにしていた。
「けやはす」では蓮の精として舞台を牽引したふーちゃんと欅ダンサーズの部長(ほかの呼び方が思い浮かばなかった)がリングの上でテンポの速い曲に合わせて艶やかに踊る。闘う男たちをレフェリーとしてさばくのは「けやはす」で医師やナマハゲとして舞台に立っていた浅野さんだ。「けやはす」のイメージが強い私にとってはかなりカオスな空間であったが、リングに立つファイターたちのエネルギーの強さをビシビシと受けながら、ステージは生き物であるなと改めて感じることができた。
20日にはミルハスで落語寄席を初めて観劇した。『笑点』でお馴染みの三遊亭好楽さんが見られるとあってミーハーな気持ちで出かけたが、落語家の表現力と引き出しの多さに驚かされた。声色や癖の違いで人物を演じ分け、ちょっとした仕草で走っているかのように見せたりと座布団の上から動かないにも関わらず、空間を広く使った芝居を見ているような感覚を味わえた。私でも知っている有名な噺もあったが、実際に物語が展開していくのに立ち会うのは新鮮だった。また機会があれば観劇したいと思う。
また、この月にはダンスで表現活動を行なっている bumper stickers さんのダンスレッスンにも参加させていただいた。「けやはす」でふーちゃんと蓮の精コンビを務め、『中通ヒルズ』に『たんとかだっていってけれ』に『アラジン』にと今年大活躍だった「ほんちゃ」が所属するダンスグループである。共演したご縁で声をかけていただいたのをきっかけに、若者のダンスを間近で勉強させてもらった。私も身体がついていけば一番良かったんだけど、ちょっとおじさんには辛かったです。
bumper のみなさんのダンスは、テクニックはもちろんだが音楽への理解度や協調性がとても高く、表現のひとつひとつにメッセージが感じられて演技の幅を広げようとしている自分には見ているだけでも非常に刺激的だった。練習の「パフォーマンスを教える・覚える」というメカニズムもロジカルなところと実践していくところの差が明瞭で、練習への考え方や姿勢について考え直すことが多かった。怪しいおじさんを暖かく迎えてくれた bumper のメンバーには感謝している。本当にありがとう。
30日、わらび座さんの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アキタ』を観劇。パワー。舞台から発せられるパワーの強さに終始圧巻された。本作は登場人物がだいたいずっと迷っている。「これだ!」という答えに飛びついてラクになりたいという気持ちを抑えながら苦しんで、ずっとずっと迷っている。観ていて辛くなるシーンも多かったが、演者さんの熱意と明るさが最後に救いを見つけ出す構成がご時世も重なって感動的だった。恒例の舞台後の役者挨拶はアゲハ役の冨樫美羽さんだったのだが「自分の役者としての役割は、真実の言葉を伝えていくことだ」と力強く語られていたのが格好良かった。散々迷って足掻いてそれでも導き出した答えを発する生身の身体というのは尊いものだ。そんなことを考えながら、一緒に観劇に来た仲間たちと固いプリンを目指して帰路についた(事実)。
【10月 ノアノオモチャバコの衝撃と大館市への遠征】
7日。真坂雅さんが所属する演劇カンパニー、ノアノオモチャバコさんのワークショップに参加した。『たんとかだっていってけれ』の演者が奔放に動きつつもぎゅっとした舞台が印象的で、その魅力の端緒が掴めればと思っての参加だった。
会場に到着すると、同じくWSを受講するメンバーがみんな見たことある人たちで面白かった。演出の寺戸さんから、台本・脚本に臨む姿勢やそれを演技に活かすためのコツを具体例を交えながら教えていただき、それを雅さんと模擬台本で実践するという流れだったが、自分がやるのも面白く、参加したほかのメンバーがやるのを見ているのも楽しかった。
翌8日は、大館きりたんぽまつりに足を伸ばした。きりたんぽを食べに行ったわけではない、先に紹介した bumper stickers さんのステージを観に出かけたのだ。練習で完成度を上げていく様子を間近で見学していたが、たくさんのお客さんの前で躍動するメンバーは本当に輝いていた。お客さんと一体になった舞台には「ダンスを通じて元気を届けたい」という bumper の気持ちもきっと届いていたと思う。
22日に再度大館市に遠征。今度は大館市民劇場さんの『大森さん家の困った日常』を観劇した。「けやはす」で主人公・明子の相手となる孝三を演じ、来月の『村田さん』でも共演する安達さんが登場する芝居である。
客席にキャストが登場してのスタートし「けやはすみたいじゃん」とワクワクしているうちに幕が上がり、リビングを再現したセットがドンと現れたときの衝撃は大きかった。個性的なキャラクターに、その辺にいるおじさんとしか思えない登場人物がうまく溶け込んで物語が進行していくのが楽しかった。
27日、ミルハスでノアノオモチャバコさんの『ノア版野鴨』を観劇。目の前、と言って差し支えない距離で展開する芝居の迫力に終始心を持って行かれた。怒りや苛立ちの表現が放つ臨場感が圧倒的で、舞台が終わってからもなかなか心拍数が元に戻らなかった。
先に参加したワークショップで触れたことが巡り巡って昇華されるとこうなるのか、いやしかし、どれだけ溜めや発散を意識するとここまでの表現ができるんだ、そんなことをぐるぐる考えながらその後の稽古に臨んだ。ひとつ、自分が辿り着きたい到達点を見たと感じた舞台だった。
【11月 来たぞ、村田さん】
ついに『村田さん』の本番を迎えた。半年以上稽古してきた舞台を迎える緊張と、ようやく見せることができるという高揚感を同時に味わいながら喪服に袖を通した。
『村田さん』についてはひとつ前の記事にモッサリ書いてあるのでそちらを参照してもらいたい。とにかく楽しかったし、勉強になった舞台だった。また同じように舞台で感動するために、いまから準備をしていきたいと思う。
13日、ミルハスで劇団四季『クレイジー・フォー・ユー』を観劇。初めての劇団四季だったが、なんていうか最高だった。これはリピーターなりますわ、同じ作品何回も観ますわとすべてのポジティブな意見を赤べこのように首肯しながら人生初スタンディングオベーションも決めてきた。本当に素晴らしい以外の言葉がない。
私は2階席から観ていたために演者さんの表情までははっきり見ることはできなかったが、代わりにダンスのフォーメーションを俯瞰でバッチリ観ることができた。あの躍動感とパッションに訴えてくる強烈な印象といったら! 凄まじい多幸感に身を包まれるあの特別な時間は、本当に特別で感動的だった。さすが世界に誇る劇団四季だ。
18日と19日、THEボトルキープスさんの『青いアネヘラの女/Shutter』を観劇。ホラーがテーマの芝居で会場はココラボラトリー、学校の教室を思わせるシチュエーションがマッチして物語を楽しむにはいい雰囲気だったと思う。しかも18日は天気が極めて悪かったのだが、ちょうどビビらせるシーンで雷が鳴ったのは天に愛されているなと感じた。
『村田さん』で謎の愛人を演じたふーちゃんが今回は謎の雪女として登場。どこまでが本気でどこからが嘘なのか弄ぶような雰囲気や台詞回しが印象的だった。RHマイナス6の藤盛さんが重心の低い演技をされていたのも新鮮だった。ホラーやサスペンスは私も挑戦してみたい分野なので今回の観劇は刺激になった。
24日は休みをとって仙台への弾丸遠征を決行し、劇団檸檬スパイさんの『エデン521』を観劇した。未来を舞台にしたポストアポカリプトの世界に生きる一癖も二癖もあるキャラクターの息遣いが聞こえるようで面白い舞台だった。照明が美しい自然光から不安を煽る警告的な明滅まで幅広い演出効果を産んでいて驚かされた。パンフレットに挟み込まれたチラシの多さに仙台でのパフォーマンス文化の強さを思い知らされた。
【12月 さよなら2023年】
いよいよここまできた。あと30分で日付が変わってしまう。急げ。
2日と3日、シアター・ル・フォコンブル プロデュース公演『異人たちとのクリスマス』を観劇した。
会場が『村田さん』と同じミルハス小ホールだったことに少し懐かしさを感じたり、ストーリーの根幹が今年四十路を迎えた自分には刺さるものだったり、ご縁ができた方やこれまで活躍を客席から見届けてきた方が作り上げる舞台を見られることに不思議な達成感や喜びが感じられた。
つい先日、この舞台の出演者が集まるプチ忘年会的な集まりに参加させていただいたのだが、来年も一緒に活動をしたり、出演する舞台を観劇に出かけられたらいいなと願っている。年のいった若輩者ですが、引き続きよろしくお願いします。
22日は今年何度目だミルハスでわらび座さんの『三湖伝説』を観劇。例によって演者さんが放つエネルギーの強さにやられっぱなしになった。生演奏で舞台を彩った和楽器や、次々と飛び出す小道具の演出も楽しかった。佐々木亜美さんが舞台中を歌いながら跳ね回る姿がとてもパワフルだったし、平野さんがラストで見せた儚い演出もたまらなかった。年が明けたら小劇場にも観劇に出かけたいと思う。
23日は『アラジン』のメンバーと一緒に、ふれあーるAKITAでクリスマスコンサートに臨んだ。
久しぶりに人前できちんとマンドリンの曲を弾くことになり大層緊張したが、元気いっぱいの子どもたちと歌唱ガチ勢の茂木先生の弟子たちが素敵なステージを作り上げてくれたため、クリスマスを楽しい気持ちで迎えることができた。みんな本当にありがとう。
【終わりに】
以上、2023年の振り返りでした。
10月あたりからゆっくり振り返る余裕がなくなってしまい、推敲もせずにアップすることになりそうだ。酒も16時から飲んでいるため脳みそがもうだいぶ出来上がっている。どうしてこうなった。
それでは、来年もよろしくお願いします!
……三ヶ日のうちに直し入れるかもです。
けやはす演劇部公演『田村さんと・村田さん』に出演した話
恒例になってきた公演後の長文感想はっじまーるよー。
今回は約12,000字書いた。ちなみに世間一般で短編小説に分類されるものがだいたい2〜4万字と言われている(諸説あります)。もちろん、ただだらだら書き殴っていくだけのブログの文字数と入念な推敲を何度も重ねる小説の文量を比較することはおこがましいことではあるが……などと、こうしてどうでもいいことをいちいち書いていくから次第に文字数が増えていくのである。でもやめない。
私の場合、思考のアウトプットとして文書をしたためているので長文化の傾向が強い。ある程度思っていることをワーっと書いて、それから読みやすいように段落を入れ替えたり類似した内容をまとめたり削ったりしながら体裁を整えている。全体の構成や内容が毎度散逸気味で読みやすい文章になっていないことは承知しているのだが、勢いでやらないとなかなか書けないことも事実なので気長に付き合っていただければありがたい。
さて、前回までは時系列に沿った振り返りという軸があったが、今回はかなり散文的というかこれまで私が関わってきた舞台を通した包括的な内容となっているため、いつも以上に自分語りが多くなっているし脱線も多い。今回のけやはす演劇部のことや、公演本番までの行程に興味がある方には退屈な内容になっているかもしれないがご容赦願いたい。
言い訳を重ねるが、この文章はなによりも自分のために書いているし、過去の舞台の感想にしても一番読み返しているのは間違いなく自分だろう。稽古が思うようにいかず気合を入れ直したいときや、舞台のことが気になってなんとなく眠れずにいるときに自分で書いた感想を読み返していると落ち着けるのだ。書いたのがほかならぬ<元気で健やかな状態の私>であるせいか、文章に宿っている余剰気味の活力がチカラとなって精神衛生がちょっぴり回復するような気がしている。
この文章を読んでいる方も、元気なときや幸せな出来事は日記やブログに残すといい。もちろんこんなにいっぱい書く必要はない。良いことも悪いことも忘れやすい大人にとって、時間をかけてひとつの出来事を振り返ることはなかなか有意義である。こうして文章にまとめるには相応の時間を要するし、その間は割と集中して書くべきものと向き合うことができる。それは毎回、悪くない体験である。
さて、なにから振り返ろうか。まずはなんと言っても「けやはす演劇部」という括りについて簡単に触れておかなくてはなるまい。
今更の説明になるが『けやはす』とは、今年の1月に開催された県民市民参加型ミュージカル『欅の記憶・蓮のトキメキ』のメンバー内における愛称である。あきた芸術劇場ミルハス開館記念として催されたこのミュージカルには、最終的に45名が出演した。この舞台についてはブログ内の記事にうんと書いてあるのでご確認いただきたい、それはもういっぱい書いてある。
このミュージカルの稽古が始まったのは昨年の年明け頃からだったのだが、当時は世間がコロナ禍の真っ只中にあり、練習のために大人数で集まること自体がリスクと見なされていた。稽古中は全員が常にマスク着用だったし、メンバー同士が親睦を深めるような機会もなかなか設けることができなかった。本番前のゲネプロをマスクなしでやったときには「みんなこんな顔してたんだね」と互いに違和感を持ったほどである。細心の注意を払っていたとはいえ、出演者全員が健康な状態で公演を終えることができたのは奇跡としか言いようがない。
そういう状況であるから、千穐楽を終えた直後の打ち上げの酒席も開催できず、メンバーが自由に食事をしたり一緒に出かけたりできるようになったのは本番を終えてしばらく経ってから。いま思い返すと不思議なことだが、メンバーが仲良くなったり交流が盛んになったのは、実は本番が終わってからだった。
そんな経緯もあって、2月に開催された慰労会でようやく出演者の人となりが深いところまで明らかになったような気がしている。言っておきながら、私は田沢湖ビールをしこたま飲んで泥酔していたため、このときの記憶があんまりない。楽しかった印象だけは覚えている。一部のメンバーとはずいぶん長く舞台に関わることをしているような気がするが、出会ってから1年半しか経っていないし、私の舞台に関わるキャリアも同じ時間しかない。いかに濃密な時間の中で過ごしているかが改めて実感される。本当に感謝感謝の日々である。
慰労会が終わって少し経った頃に「せっかく演劇に興味があるメンバーが集まったのだから、なにかやろうか」という声が上がった。それが具体的な形を取っていき「有志で集まってストレートプレイ(科白劇)をやろう。未経験者向けに演劇を基礎練習からしっかりやって、稽古に興味があるメンバーにも参加を呼びかけてみよう」ということになった。ありがたいことに私も参加させてもらえることになり、この機会にイチから勉強しようと決意を新たにした。
稽古では台本の読み合わせ以外にも発声練習前の脱力やストレッチに始まり、姿勢の確認、呼吸法、意識の持ち方、『外郎売』を音読するトレーニングなど基礎の部分からしっかり教えていただいた。稽古を重ねていくうち、当初は『村田さん』のみの企画だったのが、稽古の参加者を新たな出演者とした『田村さんと』の二本立てで公演を行うことが決まった。
公演のために各種申請を行ううえで、この有志の集まりにも名前をつける必要が生まれた。『けやはす』のメンバーが演劇をするために稽古を重ねている集団であるので、活動内容に則した『演劇部』をくっつけて『けやはす演劇部』と呼ぶことになったのである。そしてメンバー内で壮年期を迎えている私が「代表」になった。
と、そういう経緯なので、特に部員が確定しているわけでもなければ確固たる活動方針があるわけでもなく、今回の公演を行うにために便宜的に名乗ったというのが実情に近い。
しかし、今回公演に臨んだメンバーはみんな「また舞台に立ちたい!」と決意を新たにしているし、公演を観劇した『けやはす』出演者からも「次は私も出てみたい!」といった要望が聞こえてきているので、このまま解散とはならないであろう。まだ次がいつになるかは決まっていないが、もし新たな活動が決まったときには引き続き応援していただければ幸いである。
この『けやはす演劇部』での経験は文字通り私を成長させてくれた。私の演劇経験はほとんどが『けやはす』からスタートしており、それ以前となると小学校高学年のときのクラブ活動まで遡る。小学生で習ったことであるしブランクも四半世紀近くあるわけだから『けやはす』のときはほぼ想像力とカンで演技をやっていた。引き出しは文字通りゼロだった。
『けやはす』における私の役は歌うことがメインであったため、お芝居自体の演技指導を受ける機会は多くはなかった。もちろん皆無というわけではなく、たとえばチンピラ役でぶつかって腕が折れたフリをする演技についてはテクニック込みの指導をいただいたが(いま思うとなんと贅沢なことか!)エチュードの部分は各々の裁量に任される部分が多かった。なにしろ45人もいるのだ。
ミュージカルのときは「なんとなく」でやっていた演技を、今回の稽古では基本からしっかり教えてもらうことができたのは自分のような初心者にはとてもありがたかった。稽古に何度か参加すると、私の声はくぐもりがちで子音をはっきり発音しないと潰れてしまうことや、母音の「い」と「え」の響きが弱いなどの弱点に気がついた。自分の弱みを客観視することで、気をつけるべき点や訓練が必要な点がわかる。感覚でやっていた世界に、上達するための道しるべができたのは嬉しかった。
発声以上に、芝居の動きについては反省するところが多かった。特に今回は舞台にいる時間が長かっただけにちょこちょこと動きすぎる自分の悪癖が目立った。手足、指先、首、表情、いずれもせわしない。動くなら動く、止まるなら止まる、メリハリをつけた動きと「その動きはなにを意図したものなのか」が結びつくような意識づけを心がけた。
こんなふうに自分の演技について考えられる視座を持てたこと自体が、成長を実感できることのひとつである。少し前まで、私は演技の良いも悪いも、あるべき姿もよくわかっていなかった。
以前、とあるワークショップに参加したときにふと気がついたのだが、私の演技は「ごっこ遊び」の延長という性質が強かった。ウルトラマンごっこや怪獣ごっこが私の源泉であり、それ意外の方向性が想像できずにいた。
一般的には模倣は大切であるし上達の近道でもある。目標もなく成長のコツを掴むのは難しいので、模倣自体は決して悪いことではない。しかし「ごっこ遊び」には客観性が存在しないか、存在しても希薄である。そのキャラクターや状況をやる、という主観性がすべてであり、それを観る側の視点はほとんどない。芝居や舞台が明らかに違うのは、それを観測する側(客席)に視座が置かれていることであり、それが主観性よりもずっと大事だということだ。役者に見えている世界ではなく、客席から見えている世界で生きていることを意識しなければならない。
この当たり前のことが長いことわかっていなかった。だからセリフが客席にどう聞こえるかを吟味することもなかったし、自分の仕草や動きがどう見えるのかを確認するのにも消極的だった。舞台上で気持ちよくやることに重点を置きすぎていたことを反省して演技を軌道修正し始めたのは、夏の終わりになってからだった。せめてもう少し早く改良を加えられたら、もっと素敵な小宮山課長を表現できたかもしれないと思うと率直に悔しい。稽古不足を幕は待たない、という有名な歌詞があるが、幕が降りた舞台もまた手が届かないことは肝に銘じなくてはなるまい。
個人的な反省が長くなってきたので方向転換するが、いろいろと課題を考えている一方で「あまり技術的なことに拘泥しすぎても良いことはあるまい」という直感も持っていた。
なにしろ私は演劇2年生なのだ。しかも舞台をたくさん見ているわけでもないし、なんならテレビドラマだってほとんど見ない。ほとんど見ないどころか、地デジ化してから秋田に帰ってくるまではテレビが見れなかった(そして特に困らなかった)。調べたら地デジ化が2011年で帰郷が2018年なので丸7年テレビなしの生活をしていたことになる。これで芝居のインプットが足りているわけがない。だからいま急に背伸びしてもうまくできるわけがない。自分で気がついた明らかにダメなところや足りないところを修正しつつ、先程の「ごっこ遊び」をやるような舞台上での楽しさはきちんと感じながらやっていくのが大切だろうと思っていた。
私の経験則として、スポーツでも芝居でも、プレイヤー自身が感動していれば見ているほうはその事実に感動できる、と感じている。ルールすら知らない競技やたまたま目に入っただけのドラマにグッときた経験は誰しも心当たりがあるのではないだろうか。いまの自分が舞台の上から「面白さ」を伝えられる可能性が高いのは、自分自身が舞台上で小宮山課長として感動している姿をできるだけ素直な形で見せることではないかと考えていた。
心掛けるまでの必要もなく、今回の芝居では同じシーンを何回やっても共演者とのやり取りが新鮮でいつも楽しい気分で演技に臨むことができたし、本番の計3回の公演も心から楽しみながら舞台に立たせていただいた。
公演後のお見送りでは、たくさんの方からねぎらいのお言葉をいただけて安心した。もっとも、公演直後の役者にイマイチだったと言うお客さんはいないと思うし、自分自身でも「あそこはもっと丁寧にやれたな」と感じるシーンもあるので手放しに喜ぶことはできないが、それでも自分が意識してきたことが客席まで届いた手応えを感じることができたのは本当に嬉しかった。次はさらに成長した姿を見てもらいたいし、そうした機会を作れるように準備していきたいと思っている。
それにしても、演じているときの心理状態というのは実に不思議だ。半分は役の状態であるが、もう半分はシラフの、それも極めて冷静な自分である。役が感動しているときには自分もきちんと感動している。呼吸や心拍が早くなったり、涙腺がゆるむこともある。一方で次のセリフのタイミングを図っていたり、視界の外で共演者の気配を探るような機械的な視点も共存している。明らかに心がふたつある。
この両方の心理状態を行きつ戻りつしながら舞台は進んでいくのだが、私が演劇をやっていて一番楽しいと感じるのはこの大いなる進行に関わっているときだ。無理矢理たとえるなら、プラモデルを組み立てながらラリー式のスポーツをやっているような感じとでも言えばいいだろうか。極めて内生的であり、それでいて心身がアクティブな状態というのは芝居をしているときしか味わえない感覚のように思う。さらに、ここに同じような集中状態にある共演者がいると、そこに意識がつながるような自己の広がりを体験できて一種のトランス感すら味わえてしまう。
この状態でいることは純粋に楽しいが、全力で楽しむためには役をしっかり理解しなければならない。そして共演者との呼吸が合わないと気持ちのいいテンポにはならないため、ほかの役や脚本のことにも通じる必要がある。達成のハードルは高いがそれだけのやり甲斐はあるだろう。この状態を長く楽しみながら、自分の演技を磨いていけたら理想的だと思っている。
今回の『村田さん』は気心の知れた演者と半年近く稽古を重ねられたこともあって、舞台の上にいる間はずっと楽しい気分でいられた。共演者の反応の強弱やちょっとしたタイミングはやるたびに少しずつ異なっていて、ストーリーは台本どおりでも毎回新鮮な気持ちで臨むことができた。
特に、岡根谷を演じる布施さんとの掛け合いは、ダブルキャストの雪子の演者が異なるときは当然としてそれ以外のところでもセリフや芝居のテンションが反映されたレスポンスがあるので、やるたびに変化が感じられて楽しかった。
布施さんは学生時代からずっと演劇に親しんできた方なので発声や表現の基礎能力や舞台に対する理解力などにおいて、私には埋めようのないレベルの差があった。なので彼女との掛け合いで違和感が生じないように、自分の表現や所作をしっかり作り込んでいかなくてはと意識していた。稽古でも本番の公演でも彼女のレベルに引っ張られたこともあって、自分もまずまず小宮山課長になれていたかなと思っている。
舞台経験豊富な彼女には、素人同然の私や演劇経験の浅い共演者に対して思うところや歯痒いところもあったのではと想像するのだが、布施さんはあくまで共演者として一緒に考えたり工夫したりと柔和な態度でいてくださった。それでいて「こんな表現ってどう思います?」と具体的な質問をすると、こういう理由でイマイチとかこうするとより良いなど経験に裏打ちされたアドバイスが返していただけるのがありがたかった。おかげさまで、舞台でも稽古でも緊張しすぎることなく集中して芝居に臨むことができたと思っている。
いつかの酒の席でちらりと語っていたのだが、彼女には「秋田にお芝居が上手な人を増やしたい」という野望があるらしい。私の現在の目標は「地元の舞台界隈におけるヤバい裾野になること」なので目指す先は合致しているように思う。今回の公演で私がその計画に少しでも貢献できたようなら幸いである。
布施さんについてちょっと長めに語ったので、ほかの共演者についてもここで所感を述べていこう。
村田さんの息子である正彦を演じたのは『けやはす』における主人公のひとり、孝三役を務めた安達さん。もう一人の主人公である明子は先述の布施さんが演じていたので、今更ながら『村田さん』では『けやはす』の最重要人物と肩を並べて共演させていただいたことになる。
お二人の『けやはす』での活躍を袖や同じ舞台上で見ながら、当時の私は「いつか一緒にお芝居できる日が来たらいいなあ」とぼんやり思っていた。まさか年内に願いが叶うとは思っていなかったので、本公演のお話がまとまったときはとても嬉しかった。自分に共演者が務まるかと不安に感じる部分もあったが、それ以上に一緒にできる嬉しさが勝って毎回稽古に出るのが楽しみだった。
安達さんはバンド活動をライフワークに音楽畑で長年活躍してきた方で、芝居こそ『けやはす』が初挑戦だったそうだがステージ上でのパフォーマンスはすでに百戦錬磨の強者である。今回の公演でも、喜怒哀楽の表現や全身を使う演技には会場が大いに沸いていた。繊細な表現もパワーをドンと出すことも苦にせず、まさに舞台での生き方が板についている、といった感じだ。
仕事にバンドにと忙しい中、小旅行と呼んで差し支えない距離を越えて稽古場に通い続けてくれたタフネスも頼もしい。忙しさをちっとも顔に出さず、ポジティブさを持って物事に取り組んでいく姿はタフガイと形容していいと思うのだが、本人はしゃなりしゃなりと歩くスマートなタイプなので一般的なタフガイのイメージとはだいぶかけ離れている。内蔵しているエンジンの出力が大きいスポーツカーなら少しイメージに近づくか。
1月のミュージカルでの活躍が目に止まったのがきっかけで、最近はあちこちで舞台への出演を打診されているらしく、マルチタレントぶりにますます拍車がかかっている。現に『村田さん』の2週間前には別の舞台にも出演していた。何回も言っているが本当にタフだ。出演するステージを追いかけるだけで客のほうが先に息切れしそうである。休み知らずと呼んでもいいくらいとにかく活動的なパフォーマーであるので、今後はどんな舞台に立つのか楽しみにしたい。
課長のもうひとりの若い部下を演じたのは『けやはす』の物語がスタートするきっかけとなる美樹の相手役を務めた葉くん。今年高校を卒業したばかりの若者だが、高校演劇に打ち込んでいたため経験値も演技の引き出しも私よりもずっと上の先輩である。本人はとても真面目で堅実な性格をしているため、今作で軟派でお調子者の蔵田を演じるのにそこここで苦労していた。どちらかというと正彦の人物像に近かったかもしれないので、キャストを変えて遊ぶ機会があったら面白そうだ。
『村田さん』は1990年頃を彷彿とさせる表現が多く、私でも「伝わらない」部分があったりしたのだが(たとえばバレンタインのお返しにパンツを買うようなところ。なんだこのヤバいおっさんと思ったが過去にはそういう文化もあったらしい。昭和こわい)葉くんの場合は感情移入の難度がなおさら高かったであろうことは想像に難くない。そうしたジェネレーションギャップを飛び越えて、羽目を外しては岡根谷に一撃もらったり突如現れた愛人にテンションを上げたりと、重たくなりがちな雰囲気の物語に軽快さを与えてくれた。
私はもう中年になってしまったので、どうがんばっても若者の役はできない。彼はまだ若いが、そのくせ表情や仕草をがんばれば多少老けて見せることもできるので、たぶんいろんな役を演じられるだろう。そういう柔軟性や可能性がいっぱいあっていいなあ、と思いながら一緒の舞台に立っていた。彼の今後のキャリアの中に、私ももう何回か顔を出したいと思っているので引き続き腕を磨いていきたい。
金曜日の愛人、カスミさん。『けやはす』ではダンサーズとして舞台に華を添えていたがセリフのある出番はなかったため、今回の芝居で初見の方を含めて関係者一同の度肝もまとめてひっこ抜いたと思われる。ちなみに私は『けやはす』において「地震に驚いて慌てて家から飛び出してきた家族」としてカスミさんと20秒ほど夫婦を演じました。どうだ、羨ましかろう。
公演を観ていただいた方に強く印象に残ったであろうと確信しているシーンのひとつが、カスミさんの意味深マクドナルドである。カスミさんの雪子はすべてにおいて意味深で、セリフも所作も全部意味深に見えるところがとても面白かった。
特に意味深マクドナルドからの意味深デニーズは、共演者を役から素の状態に強制的に引き戻して笑いの渦中に引きずりこむ舞台上の爆弾であった。その破壊力に抗うのは本当に困難で、最後の通し稽古でも私はこのシーンで笑ってしまった。舞台人がやったら絶対ダメなやつである。そうは言っても面白いのである。どうしようもないのである。台本内でもっとも意識し、緊張したのはこの場面だと言っても過言ではない。幸い本番では独特の緊張感によって高められた集中力にも助けられ、小宮山課長の人格を維持できた。今回の舞台で自身の成長を実感できた最たるエピソードのひとつである。
舞台上では美人で謎の多い愛人キャラがばっちり決まっていたが、ご本人は屈託がなく社交的で、いつもニコニコしているとても親しみやすいお姉さんである。平日夜の稽古にも仕事終わりに遠方から参加してくださる努力家で、それでいて割とオタク気質なところがあるなど全方位に可愛らしいとても魅力的な方だ。共演できたことは本当に楽しかったし嬉しかったが、私も客席でマクドナルドのくだりで大笑いしたかった。ホントに身体がふたつ必要だ。
土曜日の愛人、ふーちゃん。蓮の精として『けやはす』の精神世界における主役を務めたダンサー。今回の芝居を友人に紹介するにあたり「あのときセリフがなかった人も出るんだよ」と言ったら「あれ、蓮の精はなんか喋ってなかったっけ?」と返されたのが印象に残っている。友人はおそらく彼女の身体表現から伝わったものをセリフと勘違いしたのだろう。そのくらい動きから伝えられる技術がある人。
せっかくのダブルキャストということで、カスミさんの雪子とは違う雪子像を模索しながらの役作りに苦労していた姿をよく覚えている。雪子という役は脚本を読んでいるだけでもとにかく不思議ちゃんというか天然なところがあり、それを葬儀というシチュエーションでどう演じるかは解釈の幅が存外広い。彼女の想いの比重をどこに置くのか、表現方法で伝わる雪子の印象などについて愛人同士の打ち合わせがよく行われていたそうだ(後に愛人会議と名付けられたという)。
ふーちゃん雪子は、普段語りのときの無邪気さとラストシーンで過去を語るときの長台詞におけるギャップが印象的だった。私の解釈だと、このギャップを見せつけられた際に、村田さんと彼女がどれほどの心の交流を交わしてきたのかが小宮山課長には垣間見えてしまい、その事実に大きなショックを受けることになった。ちなみにカスミさん雪子のときは彼女の思慕の情の強さにあてられてショックを受けている。なので、愛人が退場した後にストーブ代わりの一斗缶で手を炙っているときに考えていることは両者で全然違っている。そういう違いを私の芝居で表現できたらよかったのだが自分の技量では難しかった。リベンジの機会があったら、そういうキャストによる意識の差異もきちんと見えるようにやっていきたい。
ふーちゃんは11月18日と19日にも公演を控えており『村田さん』が終わって一息ついているメンバーとは対照的に、次の本番に向けて絶賛追い込み中である。彼女もまた仕事に稽古にと忙しい中で精力的に活動を続ける大変な努力家である。ダンス経験を活かした優雅な動きも繊細な仕草もお手の物であるが、個人的には舞台上でもプライベートでもパッと弾けるような即発的なエネルギッシュさが素直で素敵だと思っている。楽しそうなときもイヤそうなときも、内包的なエネルギーが強いのかオーラが一瞬、シュッと出るような気配があるのだ。その強いエナジーが全開にできるのはやはりミュージカルの舞台だと思うので、ぜひまたミルハスさんには頑張っていただきたい。
『田村さんと』のメンバーにもいろいろと思ったことや感じたことはあるのだが、それを個別に振り返っていると本当に短編小説の文量になってしまうので『田村さんと』全体についての個人的な心象に代えさせていただきたい。
さて、『田村さんと』の稽古は9月初旬にスタートしたと記憶している。『村田さん』は5月に稽古が始まったので半年近く脚本と向き合って稽古する時間があったが『田村さんと』チームは本番まで2か月弱しかなかった。舞台初心者が多かった中、限られた時間でひとつの作品を仕上げたメンバーに大きな拍手を送りたい。
この作品はタイトルからもわかるとおり『村田さん』を意識して創作された脚本だ。『村田さん』に村田さん自身が登場しないように『田村さんと』にも田村さんは登場しない。また、けやはす演劇部の初公演ということもあってか『けやはす』のパロディやオマージュもそこかしこに含まれている。
もちろん、そうした内輪受けのみを狙った作品ではない。というか、ストーリーの全容は『村田さん』よりもはるかに難解だ。『村田さん』が「冴えないおじさんのお葬式に愛人らしき女性がやってきてひと騒動起きる話」と要約できるのに対して『田村さんと』を端的にまとめることは難しい。軽く思い出すだけでも「いつの時代の話なのか」「あのドラム缶はなにか」「チェーホフの三人姉妹はなにを暗喩するのか」「手を合わせられる一方で帰りを待たれている『田村さん』とは何者なのか」と疑問は尽きない。ストーリーの上辺だけをなぞれば「火葬場での日常にご近所さんが乱入してひと騒動起きる話」になるかもしれないが、戦争やミサイルなど物騒な単語がたびたび含まれ、挿入される寓話やラストシーンなど、観ているうちにただの日常を描いた芝居ではないことがじわりと伝わる作風だと思う。
出演した役者は『けやはす』ではセリフがほとんどなかった演者が大半であるが、動きや声色で「この人、見たことあるかも」と気がついた方は多かったのではないだろうか。火葬場サイドであるネモトとウメヅの犬のじゃれあいのようなやりとり、ドラム缶で終始なにかを撹拌しているシブエ、そこに闖入するご近所さんのトキコ、タエコ、アカネの賑やかな三人組と、この3グループ独自の色彩とそれらがときどき混ざり合う演出が面白いところだったと感じている。私はシブエをやってみたいなと思いながら稽古や本番を眺めていた。
出演者のみなさん、本当にお疲れさまでした。それぞれに個性的な役を限られた時間の中で理解して演じる姿はとても格好良かった。いつかまた一緒にできる機会を楽しみにしています。
今回の公演では「舞台をどのように作るのか」にもこれまでより近い位置で関わらせていただいた。当然のことではあるが、舞台は役者だけでは完成しない。ステージ、照明、音響、大道具、小道具、客席、受付など諸々の準備が必要であり、それらを統括して運用する役割も不可欠である。
公演準備や運営には舞台経験のある関係者の方にご協力をいただいたほか、スタッフとして『けやはす』のメンバーや秋田大学演劇サークル『きたのかい』の方にもご協力をいただいた。経験の浅い私が集中して楽しい気持ちで舞台に立つことができたのは、スタッフの方のご尽力のおかげである。今後も舞台に関わっていきたいと思っているので、役者としてだけでなくスタッフとしての役割や能力もこれからは意識して高めていきたい。
また、これまでにご縁ができた方がお客さんとして公演を観に来てくれたことも本当に嬉しかった。引き続き気にかけていただければ幸いである。私はインドア気質なこともあって交友関係がかなり狭かったのだが、ミュージカルへの参加を決めてからずいぶん世界が広がった。これからもインプットとアウトプットの両方でいろいろなところに顔を出して様々なことを吸収していきたい。
ここ半年、毎週のように小宮山課長を演じていたため、もうあのお調子者に化ける機会がなくなってしまったことを少し寂しく感じている。
少し前に、演技についていろいろなアプローチで表現をする練習をしたのだが、役というのは演じるというよりも「憑依させる」ものであるようだ。正直なところ、小宮山課長はなかなか私に降りてこなかった。本番で「一番降りてきたな」と感じたところでせいぜい60%くらいだったような気がする。
憑依させるためには自分の枠を壊すまではいかないまでも緩める必要があるし、役そのものに対する深い理解がなくてはならない。今回うまく小宮山課長が降りてこなかったのは、たぶん小宮山というより「村田さん」に対する理解があと一歩及んでいなかったからだと思っている。最後の本番になってやっと尻尾を掴んだような感覚があったので、この反省は次に活かしたい。役や脚本に対する入念な下準備と自分自身の枠を大胆に超える姿勢を今後も意識しながら活動を続けて行けたらいいなと思っている。
『村田さん』のラストシーンで小宮山課長は口を開けて顔を空に向けた。私の視線の先には照明があって、音楽の盛り上がりとともにライトは少しずつ光を弱めていく。そしてライトが消える最後の一瞬、光源は本当に雪のひとひらに見えたのだ。あの美しくも寂しい光景を私は一生忘れないだろう。
私が表現活動を続けていく中で「村田さんのラストの一瞬を超えるか」はひとつのテーマになると思っている。そのくらい私の心に強く残る強烈な体験だった。こんなに感動できることがまたあるかもしれないとそう考えてみるだけで、もう次の舞台に立ちたくてしょうがないのである。