でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

良いニュースと悪いニュース

 むかしインターネットで見かけた小話にこんなものがあった。
 家族が帰宅するなりこう言う「良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」。「じゃあ良いニュースかな」と返事。それに対する答えはこうだ。「車のエアバッグは、きちんと作動したよ」。

 いわゆるアメリカンジョークというやつだ。無粋ながら解説をすると、言うまでもなく語られなかった【悪いニュース】は、車がなんらかの事故を起こしたことと予測される。それを伝えずに一連の情景を【良いニュース】だけで伝えるところが面白いところだろう。こうやって説明してしまうと台無しな気もするが……。
 台無しついでに重箱の隅を突くと、エアバッグは作動したときに粉状の薬剤が飛び散るため、帰宅した家族は粉だらけになっているわけだから異常に気付くはずである。ミステリ作品だったらこの辺りから真実が暴かれていくことになりそうな気配だが、この話はこのくらいにしておこう。

 さて、本題に入ろう。良いニュースと悪いニュースがあるのだが、まずは良いニュースから。
 私の手術は無事に終了した。まだちょっと縫合した場所がひきつるが、それも次第によくなるということだ。あとは来週抜糸したら何事もなく終了、となる予定である。極めて運が悪ければ追加の手術が必要となるそうだが、そのときはそのときだ。

 冒頭のジョークではないので、悪いニュースについても説明しておこう。
 1月のミュージカルが終わって少し経った頃のこと、以前から気になっていたホクロを切除しようと思い、皮膚科を受診した。そこまで美容に関心があるわけではないが、私の広い額に鎮座するホクロは鏡を見るたびに気になっていた。10年ほど前に出現し、しばらくは気にしていなかったのだが、数年前から徐々に大きくなっている気配があり、最近はいささか不気味に感じていた。
 加えて、そのホクロはときどき先端が破れて数滴程度だが出血することがあり、それがシャツやタオルを汚すことも煩わしく感じていた。ちょっと痛かったりお金がかかったりするかもしれないが、取れるものなら取ってもらおうと思ったのである。

 2月の初めに予約した皮膚科を訪ね、同様の説明をして診察を受けたところ、このホクロは皮膚癌の可能性があると医師に告げられた。2023年、マジでなんでもアリだな、と他人事のような気持ちになった。イベントのフラグがギュンギュン立つ。私の人生を巻きで回収しないでほしい。
 一瞬だけ走馬灯の気配を感じた私だったが、医師からは、仮にその癌だったとしてもすぐに重篤化するようなものではなく、転移するものでもないと聞かされてほっとした。ただし、癌には違いないので切除しないと患部が拡大・深化してしまう危険性があるとも言われた。
 患部の一部を切除して大学病院に送付して検査してもらい、皮膚癌だった場合は手術するよう勧められ、早速そのサンプル用の手術をしてもらうことにした。イボコロリ感覚でホクロを取りに来ただけなのにえらいことになってしまったと、やはりどこか他人事の気持ちで施術用のベッドに横になった。
 検査用のサンプル摂取のために患部を耳かき一杯分サックリやられたわけだが、当然人体なのでまあまあ血が出る。傷口は縫合され、大きなガーゼを当てられた。まだ2月で雪が残る時期だったため、他人からは盛大にずっこけて頭をぶつけたようにしか見えないだろうなと思った。違うんです。これには深いわけがあるのです。帰りの電車では終始俯き加減で帰路についた。
 翌朝、ガーゼを外して傷口を見ると、ホクロの大きさそのままに縫い後が追加されたような見た目になっていた。化膿止めのゲンタシンを塗って絆創膏を貼る。かつて馬術部だった頃、馬の脚によくヌリヌリしていたゲンタシンに久しぶりに出会ったが、それを自分に使うことになろうとは。久しぶりの再会だったが、あまり嬉しくなかった。

 一週間後、検査結果を聞きに皮膚科を訪ねると、やはり医師の見立てどおり基底細胞癌との結果だった。あとは大学病院を受診して改めて診察してもらい、手術の内容や日取りを決めることになるという。
 不幸中の幸いというわけでもないが、私の場合は患部がおでこなので比較的手術しやすい部類であろうと言われた。この癌はまぶたや頬、唇などにもできることがあり、その場合は切除に加えて美容整形手術も必要となることから長期の入院となることが多いそうだ。軽い気持ちで受診して、ここまで話が進んでいるのだからむしろ私は幸運なのかもしれない、と気を持ち直した。

 地元の大学病院には初めて入ったが、こんなに人がいっぱいいるのかとまず驚いた。窓口には「本日の診療者数2000人」などとポップが出ている。本市の人口は約30万人であるから、職員を含めると人口の1%以上がここに集結していることになる。ホットスポットすぎる。ビジネスチャンスの気配を感じる。しかし今日の私は一人の患者であるので、それ以上妄想を膨らませることはせず静かに過ごした。
 初日は皮膚科の医師から改めて診察を受け、やはり切除が必要となることを説明された。異論はなかった。その次は実際に手術をする形成外科の医師から施術内容と日取りを確認された。患部を見たところ、日帰り手術で対応できるとのことだった。こちらも異論はない。
 そして世間がWBCの優勝に浮かれ騒ぎ、侍ジャパンシャンパンファイトをしていた頃、私は額にメスを入れてもらっていた。

 手術直後に医師から手鏡で患部を見るように言われた。かつてホクロのあったあたりに6、7センチほどの綺麗な一直線の縫合跡があった。思ったよりでかい。目立つ。
フランケンシュタイン博士の怪物みたいになっていますね」と感想を述べたが特にコメントは返ってこなかった。フランケンシュタインで終わらず、正式な名称である【フランケンシュタイン博士の怪物】と言ったことを褒めてもらえるのではないかと思ったが、医師の心の琴線には触れなかったらしい。

 そんなこんなでいまに至るわけだが、特に患部に痛みはなく、テレビでセンバツ高校野球を流し見しながらこの文章を書いている。痛くはないのだが、患部を切除して傷口をぐいと引っ張って縫い合わせているので、前頭部にはずっと違和感がある。自分の頭がコブダイのようになっているような感覚だ(知らない人はコブダイで画像検索してほしい)。
 局部麻酔の影響なのか、昨日の晩からは左目のまぶたが腫れてきた。フランケンシュタイン博士の怪物と四谷怪談のハイブリッドが目指せるかもしれない。冗談はさておき、しばらくは額に大きなガーゼを貼ったままであるし、見た目があまりよろしくない状態が続くが、このとおり私は元気です。

 以上、こうして書いてみると、特に悪いニュースはなかったようだ。この調子でのらりくらりと愉快に生きていきたい。