でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

6月7日 また不倫がニュースになっている

芸能ニュースにほとんど興味がないため連日Yahooトップを飾るレベルにならないと目に入らないのだが、どうもまた不倫が大きなニュースになっている。個人的に異性に節操がなかったり不貞をはたらいたりというのに強い嫌悪感を覚えるほうなので、こうした記事を見かけてもタイトル以外は見ない。いい気持ちもしないし、得るものもまったくない。

不倫・不貞に関しては少し前まで「倫理観が軽薄だからそうした行動に出るのだ」と思っていて、愛情というものに責任も持たない人間がやるものだと決めつけていたのだが、よくよく考えてみるとそうとも言い切れないのではと最近は思い直している。

というか「愛」自体は別に善でもなければ徳でもなく、単に一部の個人への執着として存在するひとつの情念であって、それ自体の存在定義は曖昧で恒常的にあり続けるものではない気がしている。だからこそたまたま既存の愛が弱っているところに、燦然と輝く別の愛が現れたときに人は間違いを犯すのではと想像する。

よく異性のどこを好きになったのかを聞いたり聞かれたりする場面があるが、それが簡潔に説明できた試しはない。仮にそれに答えられたとして、では相手からその好きな要素が削がれてしまったら手のひらを返したように好きでなくなるだろうか。理性的な部分を離れて、もっと無知覚で本能的なインスピレーションと言ってもいいような要素で好きになる相手が決まってしまうような気がする。

そのドカンと来るインスピレーションがとんでもないものだったらどうなるんだろう。それもある程度人生が落ち着いてきて、伴侶もいるような状態できたらどうするべきなんだろう。それは当事者になってみないとわからないのかもしれない。

もう10年近く前になるが好きな女性ができた。仲良くなって、しばらくお付き合いもさせてもらったが結局別れることになってしまった。いまどうしているかもわからないし今更なにかしようという気はまったくないけれども、彼女のことはいまでも好きだし時折夢にも見る。

たぶん私は彼女以上に好きになれる異性というのは今後現れないと思っているし、もうそういう単純な恋愛ができる年齢でもないのだけれども、あのとき以上にビビッとくる「好き」がやってきたらいまのつまらない仕事や生活は平気で投げ出してしまうだろうなあというのは想像できてしまう。

多くのRPGで魅了は治療すべき状態異常である。恋をしているときというのはノーマルな状態ではないのだ。

しかし理由なく湧いてくる感情を諦めながら生活することが果たして幸福なのだろうか、そもそも幸福とはなんだろうか。やはりこの辺りから考え出すと出口というか思惑の範囲がなくなる。やれやれ。