『モナ美』という物語への印象と振り返り
ブログを書くコツは時期を逃さないことに尽きる。あまり欲張って内容をカサ増ししたり推敲を頑張っていると公開するタイミングを逸する。そうやって『猫の恋』と『リトル・マーメイド』の振り返りが更新できないままでいる(ごめんなさい)。なにかの機会を見つけて更新したいとは思っているが、まずは『モナ美』について記憶が新しいうちに残しておきたい。
本番の数日前、私はTwitterに「『モナ美』は美しい予感に回帰するお話だと思っています」と投稿した。半年以上この台本を読んで、稽古場での芝居を見ていての印象がこれだった。
この物語に登場する人物は、みんな「美しい予感」を胸に抱えている描写がある。主人公であるモナ美とトモ世はもちろん、漆原には学生運動を通じて青春を共にした吉井と恋人の来島がいた。吉井と来島は漆原を詰問するのだが、それは彼らにとって漆原は厳しい闘いを共にする仲間としての信頼があったからこそだった。物語では語られないが、漆原と吉井、来島の間にも熱い友情や安らぎのひと時はあったに違いない。
キャバレーの楽屋に登場するズン子とドン子も同様である。ズン子は「ミスとらふぐ」になったかつての自分の境遇を冗談まじりに振り返り、ドン子は友達との関係が月日を経て変わってしまう無常を寂しそうに独りごちる。それぞれにかつてあった「美しい予感」を思い出しているのだ。
それらは「美しい予感」でしかなかった。モナ美は結果的にトモ世を裏切り、関係を絶ったまま寂しい最期を迎えることになってしまうし、ズン子やドン子もおそらくは当初望んでいた輝かしい舞台に立つ夢とは大きく乖離した日々を送っている。漆原は大きな夢を持てずに不完全燃焼なまま生きているような印象を受けるし、究は自らの愛を確信する前に覆せない過去と嘘の気配に逃げ出してしまう。
しかし、人生の理不尽さと意地悪さがあっても、彼ら彼女らを完膚なきまでに叩きのめすことはできなかった。むしろその「美しい予感」こそがどんな苦境にあっても力強く生かす原動力となり、一生を輝かしいものにする礎となる。
「美しい予感」が与える無限の可能性こそが、人が生きる上で最大の希望になるのではないか。なぜなら、一度心から確信できた「美しい予感」は、今日また新しく訪れるかもしれない「美しい予感」の可能性を否定できない。今日こそ、明日こそ、と絶え間ない希望を与え続ける火が灯っているのだ。
人生を生ききった二人は、ラストシーンで初めて出会ったときの「美しい予感」に回帰する。そこにあった無限の可能性は、物語と舞台の中にだけ存在するものではない。舞台を見た方の心の中に、懐かしさを持って思い出せる共振する輝きがあるのではないか。少なくとも私は、舞台袖からそんなことを感じていた。
今回の舞台を観に来てくださったみなさん、応援してくださったみなさん、受付などをお手伝いしてくださったみなさん、見事な舞台を作ってくださったスタッフのみなさん、共演者のみなさん、関係してくださったすべてのみなさん、本当にありがとうございました。この物語にキャストとして関わることができて幸せでした。
特に主役のモナ美とトモ世を務めたお二人は本当にお疲れさまでした。歳を重ねたり関係性が変わったりする芝居において、新鮮な気持ちを表現し続けるのは大変だったと思います。本番の集中力、本当に素晴らしかったです。今後の活躍にも期待しています。負けないように私もがんばります。
さて、今回私はトモ世とモナ美の小学校時代の同級生である「小島」の60歳の姿で舞台に立たせていただいた。台本を読んでお調子者でえふりこきなジジイだと思い、だいたいジジイになった俺だな、と感じて親近感が沸いた。『二人の銀座』はワンコーラス歌いたい気持ちもあったが、ラストシーンの情緒が台無しになるので自重した。
けやはす演劇部の面々でカラオケシーンを演じることができたのは素直に楽しく、嬉しい時間だった。今回の舞台を経験して、またけやはすメンバーで芝居をやらないといけないな、と気持ちを新たにしている。
役者として舞台に関わる経験はいろいろとさせてもらっているが、今回は場面転換の黒子としても仕事をさせていただいた。暗転中の作業の難しさに緊張しつつ、こうして舞台が作られていくのだという神の視点に関わることができる興奮もあった。今後は役者としてだけでなく、舞台を支える人間としてのスキルも少しずつ身につけていきたい。そしていつか、舞台に挑戦してみたい誰かを支えるチカラになれたら最高だ。自分がしてもらったように、お返しができるようになるのが当面の目標である。
それでは、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、本当にお疲れさまでした!
またご一緒できることを強く強く祈念しております!