でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

ライティング・マラソン:8月25日の10分雑記と考察

10分間雑記を今日から少しずつ始める。これは時間を区切ってとにかく考えたこと思ったことをひたすらタイプしていく物だ。これにより自分の思考をタイプする速度、技術、そして何よりその中身を鍛える。これはこうして打ちまくるだけでバックキーを押さない、つまりミスタイプがそのまま残る。すでにかなり間違えた。実は反射的に押してしまったのもある。それではよくない。どんどん考えて打ち込むことによって自分の思考の中身の普段隠れているもの、ところ、そういうものを出していく作業でもあるのだ。難しい。くそ難しい。もう喋るのが辛くなってきた。喋るじゃないな書くか。打つか。まあ良いや。本当は変換キーを押さなくても良いのだが反射的にこれも押してしまう。どこかにアップする時はさすがに見にくいので全部一通りチェックして誤字は直さなくてはなるまいな。ダメだ。どうしても押してしまうな、変換キーとバックキーは。まあ初日だから仕方ない。何よりもう寝ている時間だ。本来なら。今夜は嵐がきた。そのせいで全く眠れない。雨と風がずっとひどい。また田んぼが水没しかねない。というか多分している。明日の朝が心配だ。もうだめだ。まあ私が心配しても仕方ない。ほとんど面倒を見ているのは親父だからな。私はその手伝いをほんのささやかにごく一部やっているだけだ。自分の稼業だなんて言う気持ちはさらさらない。だって儲からないもの。意味がないわ。趣味でやるには趣味ではなさすぎる。趣味とは何か。やっていて楽しいことか? そうでもないか。私はこうして文章を書いたり打ったりという作業がとても好きだ。でも何番目かに好きだということだ。一番ではない。他の娯楽を捨ててもこれさえあればという感じではない。何番目かなのだ。そもそもじゃあ一番好きなことはなんだと聞かれると言葉に詰まる。ゲームをだらだらやっているのも好きだが、それはなんというか一番好きというと語弊があるような気がする。なんだろう。認めたくないだけだろうか。その都度好きなことや物はしょっちゅう変わってしまう。読書がものすごく捗る時が年に何回かある。何時間ぶっ通しで本を読んでも疲れない。頭の中にスルスルと文章が入ってくるあの状態。あれがずっと続くなら私の趣味は読書だと自信を持って言えただろう。でもそうじゃない。いつもそうであるわけではない。極めて一過性のブームなのだ。ゲームの方もそうかもしれない。一時寝食を忘れて熱中することはあっても一つのゲームをとことんやり倒すようなことはしない。まあモンハンは500時間くらいやったのもあるけど。それも誇れるようなことではない。上手だったわけでもないしな。その思い出が何か素敵なものを引き起こしてくれるでもない。でも文章を書いたり本を読んだりも素敵な思い出に結びついているかというと、そうでもない。誰かと共有したりしたわけじゃないし。じゃあダメな趣味なのか。違うな。一人で楽しむものだものな。コミュニケーションをそこに求めると少し事情が変わってしまうよな。ここで10分。

8月25日 原文1,255字



以上の下手くそで纏まりのない文章は、先日の夜中に思い出して始めたライティング・マラソンの全文である。
聞きなれない単語だろうが、それもそのはず、この概念というか運動自体が私のたまたま見つけたあるブログでしか扱われていなかったのだ。検索しても同じ名称の英語学習教材がヒットするだけで、私がやっているこのライティング・マラソンはそのブログ、一箇所でしかヒットしない。

※以下に参考元のブログを貼り付けておく。詳細はそちらに。

読書猿Classic: between / beyond readers
今更ながらこれには私もしこたま驚いた。市民権を得た由緒ある文章力育成方なんだろうなあと思っていたら民間療法だった。ネギを巻いたり刺したりしていた。
そしたら急に「ライティング・マラソン」という言葉を使うのが恥ずかしくなり、ブログでは「10分間雑記」と呼称する始末である。ブログの作者さんごめんなさい。

ただ何度かこの方法を実践してみて頭の中身と指が鍛えられている実感はあったし、自分が普段通り過ぎてしまうところから新しいアイディアをいくつか取り出すことができたことは事実であった。
提案者の意図とは少し違うかもしれないが、自分が楽しみながら続けられそうな方法はこれしかない気がしている。

そこで私はこれを自分のタイピング速度の向上と、文章を打つことに対する基礎体力・習慣作りをメインに続けてみようと考えた。
本来の目的は参考元のブログにある通り「自分の書く文章は価値がない」という自己検閲の網を破壊して自由なアイディアを出しやすくする点にある。もちろんそうした観点も無いではないが、とにかく私は文章を書く人間が当然持っている忍耐力を欠いており、そこを少し改めたいというのが一番の理由である。
以前から文章を書くこと自体は好きなのだが、社会を知るにつれ発想力でも文章力でも世の中にはとんでもない人が大勢いることが身に沁みてわかってきた。最近では自分の書いた物を発表することは恥ずかしいとすら思うようになっている。そして実際、文章力も内容も恥ずかしい出来栄えなのだ。誰より自分がそう思っているから始末に悪い。書かない出さない成長しないの悪循環である。

しかし、私がこの怠惰な人生に於いて平均以上に(人一倍、という意味では無い。偏差値50よりわずかに上という意味だ)間違いなく「やった」と言えそうなことは、本を読んだことと文章を書いたことである。
ささやかな努力、ささやかな才能であっても少なからぬ興味とキャリアであることには違いない。もう一度その辺りをきちんとしたら、人生にも彩が出てくるのではないか。そうした気持ちから今回の10分間雑記が生まれた。
たかだか10分の自己研鑽にも嫌気が差すようなら、私は本格的に表現者には向いていないことになるだろう。もうすっぱりこんなことは諦めて読書を楽しむだけににしようと思っている。これが最後のちょっとした抵抗だ、頑張ろう。頑張れよ。頑張ってください。マジで。

と、そんな心持ちが、あくせくと手と頭を動かした10分間の文章から窺える。
今後もこのように、10分間雑記で特にテーマなしにそのとき感じたこと思ったことを書き、それを読んで改めて気づいたことやその感想(内容の言い訳に終始しそうな予感がする)を書き加える形にして載せて行こうと思う。
雑記の部分はミスタイプや誤字脱字は直してあるが、文の順番や言い回しはできるだけそのままにしておく方針でいる。ここを誤魔化してはさすがに卑怯だろうし、面白くもないだろうから。

以上。ここまで書いてからやっぱりこれを公にするのは恥ずかしいなという気がしてきた。
それでもまずは活動の記録が欲しいので、清水ジャンプのつもりでそのまま上げておくことにする。いつ止めてしまうかわからないが、とりあえずいまの気持ちが続く限り。

もしここまで読んでくださった方がいらっしゃるとすれば、内容よりも私の文字数がどこまで増えていくかを楽しみにしていただいた方が人間の成長を見られるかもしれない。
それではよろしくお願いします。読んでくださって、ありがとう。