でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

さよならのまち

大学進学と共に15年間暮らしてきた新潟をあと数時間で去る。

絶対片付かないだろ、隕石のひとつも落ちてくれと思っていた部屋もいまはこのMacBookルーター、手荷物の入った鞄、出るときに捨てていくつもりのゴミ袋が4つあるばかり。がらんとしていてなにか喋るとエコーがかかる具合だ。
広くなった部屋を眺めているのは多少の寂寥感はあるが、なんというか気持ちがいい。せっかく片付いたというのにミサイルが落ちてきて部屋が灰になる確率は急上昇しているのが唯一おもしろくないことだが社会情勢ばかりはいかんともしがたい。
すぐ近くにゴミ処理センターがあるので軽自動車の荷台に不要物を積んではせっせと捨てに行った。机、椅子、カーペット、電子レンジ、炊飯器、ワープロ、漫画本もかなり捨てた。文庫本は片付けるつもりがつい読んでしまい「あとで読み直そ」という欲が湧いてあまり捨てられなかった。引っ越しの荷物は7割が本だった。いま思えば涙を飲んで半分にして、業者にはスタッドレスタイヤを持って行ってもらうべきだったと後悔している。おかげで実家までの道中、窮屈な思いをしながら運転することになる。運が悪ければ日本酒の便が割れたりすることになる。追突されないように祈ろう。

新潟に初めて降り立ったときには紅顔の美少年だった私もすっかりおっさんになった。15年という月日で変わったのはなにも私だけではない。新潟の街もずいぶんと変わった。
2002年。新潟競馬場スプリンターズSが代替開催された年。日韓共同開催のW杯があった年。新潟は賑やかで都会だなあ、と思いながら大学生活を満喫していたのを思い出す。高校まではかなり真面目だったのだが大学ですっかり遊び方というか枠のない自由に浮かされてしまった。詳しく書かないが親には迷惑をかけた。でも、一生分遊んだという満足感が先に立つので後悔はそんなにしていない。

秋田の実家に帰るわけだが高校卒業と共に家を出てからは、大学時代も社会人になってからも年に1、2回数日帰省する程度しか顔を出さなかったので、ふるさとに帰るというよりはホームなんだかアウェーなんだかわからん土地で生活しなくちゃならんぞという漠然とした不安のほうが大きい。田舎の農家の生まれなので集落の人間はみんな私を知っている。でも私は高校生までの生活だったので集落の大人たち(というか老人たち)とはそんなにコミュニケーションを取っていたわけでもないし、どちらかというと軽んじていた。帰っても「あんた誰だっけ」とは言えない。こっそり勉強しなくてはならない。これが一番憂鬱だ。
そういえば15年の一人暮らしでホームシックになったことは一度もなかったように思う。むしろ一人暮らしの自由さは私にとって念願と言ってもいい状況だった。初めてひとりラークを吸ったときの、初めてひとりビールを飲んだときの、初めて女性を部屋に上げたときの開放感や高揚感はいまでも心地よく思い出せる。タバコは30歳になったときに止めたが酒は大学の頃より飲んでいるかもしれない。女性関係はセカンドバージンを名乗ってもバチが当たらない程度には疎遠になった。実家でどういう変化を遂げるかはまったく不明瞭だが、健康には気をつけて生活したい。
冒頭で述べた通りおっさんになってしまったが秋田では学生としての暮らししかしてこなかったため、おっさんとして秋田で生活するのになにをどうしたらいいかは実像が掴めていない。土地勘で言えばヴァイスシティのほうがよっぽど詳しい。加えて平成の大合併があったせいで馴染みのない名前の土地が増えたこともあり、帰るというイメージはあまり湧かない。バイオハザードで寄宿舎から本館に戻ってきたときみたいな感じに近いかもしれない。場所は一緒でもプレイステージとしては刷新されている。ハンターに首をはねられたり、でっかいクモが降ってきたりするに違いない。負けるか。返り討ちにやるぞ。

だらだら書いていたら不動産屋が来る時間が近づいてきた。実家でインターネットが使えるかいまいち不鮮明なのでこうしてMacBookを開く機会はしばらくないのかもしれない。
思い返せば、大学に進学したときに学内ではパソコンが使い放題だったのは嬉しかった。当時からどうしようもないことをだらだらとタイプしていた。最初のうちはブラインドタッチもできなかったし、いまだってこうして駄文を打ち続ける速度は多少上がったがパソコンの使い方となるとよくわかっていない。完璧にセッティングされたものを遊ぶだけだ。
高校生活、大学生活、社会人生活と紆余曲折があったにせよ一応はセッティング通りに進んできた人生が横道に逸れた。なにがあるかはよくわからない。こういう事態に自分がどこまで柔軟に対応できるかもわからない。それなりに年も取ってきたので理不尽でおもしろくないことも増えてくるだろうなと予想はしているが、実際どういう不愉快さなのかは食らってみないとわかるまい。
初めて新潟に降り立ったときに感じた、やりたいことの気配みたいな純然たる希望は正直ぜんぜん感じない。ただある程度やりたいことをやって大したことではないけれど経験を積んできた「芯」の存在を試されるような気はしている。
せいぜい丈夫であることを祈ろう。杞憂であるならそれが一番良い。