でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『本と鍵の季節』米澤穂信

昨年末に発売となった米澤穂信の新刊。図書委員に所属する高校2年生の主人公とその友人のコンビが、図書室を発端とする様々なミステリーに挑んでいく作品。設定こそ著者の大ヒット作であり代名詞とも言える〈古典部シリーズ〉を彷彿とさせるが、読み始めると味付けはかなり異なっていることに気付く。

まず、今作にはヒロインが存在しない。というか終始、女っ気がない。最初のエピソードにこそ主人公と縁のある女生徒が登場するが、それも端役でしかない。登場人物は主人公と、同じく図書委員の友人のみ。友人とのマンツーマンという最小単位の人付き合いを通して図書室からスタートするミステリーは次第に拡大し、最終章に掛けてちょっとした冒険へと変貌していく。

そして終盤、最大の謎は不思議な友人の過去そのものになるのだが……。

 

という感じで、最後まで楽しく読み終えることができた作品。やはり著者の作品は、ミステリー側に軸足が乗っているときは抜群に面白い。サスペンスに重心が傾くと、どうも戯画的というかお伽話感が強く出すぎて、ミステリーの説得力がなくなってしまう印象がある。

ミステリーとは言ってもハートウォーミングな作品がほとんどだろうと思っていたが、なかなかどうして、作者の底意地の悪さが炸裂している。最初の物語である『913』から、学園ミステリーにしてはかなりブラックな着地を見せており、一気に作品に飲まれてしまった。

殺人事件などの血なまぐさい事件こそ起きないものの、各ストーリーで提示される悪意や秘密には、かえって身近で奇妙な親密さが感じられることもあり、それがほどよく不気味で魅力になっている。分相応をわきまえた学生生活ゆえ大きな危険にこそ巡り合わないが、予期せぬ不穏な事象に出くわしたときには無力さに歯噛みするような、読者をやきもきさせる構成もさすが。

そんな中で、物語を牽引する探偵役であり相棒でもある友人〈松倉詩門〉。高校生にしては妙に老成した友人のキャラクター自体が、最後の謎として主人公の前に立ち塞がる事になる。

 

著者の作品では『さよなら妖精』においても、高校生という立場ゆえに手を伸ばすことすらできなかった〈謎〉への苛立ちや、これから先に茫洋と広がる未来に対する不安が意識的に描かれていた。また、『王とサーカス』のテーマでもあった、知ることや謎を解くことを興味本位に行う態度の功罪についての追求などは、本作においても表現は違うながらもじっとりと存在感を現している。

本作の主人公も他の米澤作品と同じくドライな性格ではあるが、友人を大切に思う姿勢や態度などは、照れ臭そうにしながらも隠そうとはしない素直さも持ち合わせている。主要な登場人物を最小限としたことで、二人の関係や人物像の変化などがダイナミックに感じられるため、青春小説としての面白味には他作品とは少し違った趣があった。

 

余談を少し。

この作品は非常に綺麗に終わっており、おそらく続編やスピンオフが作られることはない。再三書いているように登場人物が少ない上に、二人の関係性によって物語が構成されているため、本作の決着を見る限りでは〈その後〉を描くのは無粋だろうという気がしている。

魅力的なキャラクターや舞台環境は、その世界を広げたり時間軸を進めたり戻したりしながら活躍の範囲を大きくする傾向がある。いわゆるシリーズものになっていくわけだ。

しかし、本作は登場人物が高校生でありながら、その将来も、あるいは過去も物語としての広がりを持ってはいない。高校2年生という1年間。それも二人の友人関係という繋がりをストーリーとして組み上げているためだ。この点を、私はとても面白いと感じている。

 

本作を通じて、最終的に主人公と松倉詩門は親友と呼べる間柄になった(これはネタバレだったかもしれない。本作の面白さに影響するものではないのでご容赦)。最初のエピソードから最後の会話までは、知人から友人の状態で進んでいる物語といえる。そこには物語としての様々な広がりがあり、可能性が存在していた。

ところがこの作品を読み終えたとき、友人関係が理想的な昇華を見せたとき、物語は〈終わって〉しまうのである。仮にこの先、親友となった二人が別の他者と関わるミステリー風のエピソードがあったとしても、そこには新鮮味や面白さを見出すことが難しいような気がする(これでしれっと続編を描かれたらこの記事は消そう)。

 

学生という狭い世界、友人という比較的弱い繋がり、その矮小さが大きなものになったとき、物語の幅はぐんと広がっていいはずだ。いや、実際に広がっているはずだ。ではなぜ、物語が感覚的に終わってしまうのだろうか。

ようは、〈狭い世界〉しか、物語にはならないのではないだろうか。

窮屈な枠を与えられた状態、限られたリソースで特定の問題に対処する状態、制限の中でベストを尽くそうとする状態。そうした状態は物語として、十分に表現され、読み解くことができよう。

逆に、そうした限定条件が存在しない、自由でどこにでも行けるという理想的な環境には〈物語〉が存在しないのではないか。描くことができないのか、そもそも必要としないのか、あるいは私がなにかを見落として妙な妄想にひた走っているのか。

取り止めがなくなってきたのでまとめてしまうが、空想は不自由を担保としていて、そんなに自由じゃないんじゃないか、と思った次第である。

 

うむ。全然読書感想じゃなくなった。

有栖川有栖の著作感想

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

新年一発目の更新ですが、年末からちくちく書き足してきたやつなので新鮮味がない。

 

最近、有栖川有栖の作品にハマっており、暇さえあれば著作の消化に没頭している。大学生の頃に森博嗣にハマったときも昼夜を忘れて次々に作品を読破していたが、そのときの感覚を思い出した。一作ずつ感想をしたためるのもアレなので、纏めて書いていく。ちなみに読んだ順番ではない、発行元順、順不同。

 

1:『新装版 46番目の密室』

タイトルが渋くて格好いい。物語もそれを裏切らない直球の密室ミステリー作品。

クリスマスに著名なミステリー作家の別荘に招待された有栖川・火村コンビ。楽しい語らいの場となるはずのパーティーだったが、不穏な空気と得体の知れない人物が影を覗かせる。奇妙で壮大ないたずらの後、ついに惨劇が幕を開ける!

……というようなストーリー。だんだんと胡散臭くなっていく登場人物たちの関係と、調査するほど不可解さを増していく事件の構成に魅了されてしまった。解決編でするすると謎が解けていくのも気持ちいい。

34歳で登場することの多い主人公コンビだが、今作では32歳と少し若く、その分青春群像じみた心理描写が多かったのも好印象。

 

2:『ロシア紅茶の謎』

国名シリーズ第1弾。こうした連作物ではよくあることだが、これがシリーズでは一番面白かった。

なんといってもトリックが美しい。ちょっと無理のあるトリックなんじゃねえのォ、という気もないではないが、解決編で語られる事件時の「絵」が非常に綺麗なので「こまけえことはいいんだよ!」という気になる。

表題作以外にも『赤い稲妻』、『八角形の罠』など構成にトリックにと読ませる作品が多い。推理の妙を味わえる一冊。

 

3:『スウェーデン館の謎』

国名シリーズ第2弾。こちらは長編。

有栖川・火村コンビが雪の別荘地に出掛けたせいでまたも悲劇が起こる。定番の「雪に残された足跡はなにを意味するか?」という巨大な謎を中心に、様々な不可思議が衛星のごとく周囲をぐるぐる回っている感じ。事件のとっかかりが掴めない、難攻不落のミステリー。

私はそれなりに謎解きをしながら読み進めるタイプなのだが、この作品には手も足も出なかった。犯人の目星もトリックの見当もまったく付かないまま真相まで読み進めてしまい悔しい思いをした。

それだけに解決編での驚きが大きく、印象深い作品となっている。前項の作品と同じく、トリックを行う犯人の「絵」が良い。

 

4:『ブラジル蝶の謎』

国名シリーズ第3弾。ここら辺から、国名シリーズ(の表題作)はあまり面白くなくなっていく……。

きらびやかな蝶が天井に貼り付けられた殺人現場。犯人はなぜそんなことをしたのか?

ミステリアスな状況に潜むロジカルな正体に驚かされる表題作以外に、謎の『鍵』に纏わる事件、雪に残された足跡が謎を呼ぶ『人喰いの滝』、若き日のミステリーに再生の物語を与える『蝶々がはばたく』も面白い。

 

5:『英国庭園の謎』

国名シリーズ第4弾。資産家が発案した宝探しゲームの最中に起きた殺人事件。犯人の正体と隠されたお宝の正体とは?

全体的に力不足な短編が集まった一冊。著者の作品は風景描写が巧みなので旅行記的な楽しみがあったり、歴史的・地理的なうんちくも豊富で楽しく読める物が多いので、そうした趣向に活路を見出すべきか。個人的には心踊る作品はなかった。

机上でゆっくり展開するミステリーという気色が強く(『ジャバウォッキー』は終始言葉遊びでミステリー感が薄い)、普段の事件現場を縦横無尽に動き回る作風と比べて物足りない。

 

6:『ペルシャ猫の謎』

国名シリーズ第5弾。イマイチだったなあ、という前作をさらに下回ってきた一冊。もし著者の作品で最初に手に取ったのがこれだったら、おそらく二度と著作は買わなかった。トリックが冴えないときには物語もあまり見栄えがしないように思う。個人的にはワースト・ワン。

 

7:『マレー鉄道の謎』

国名シリーズ第6弾。ピンと来なかったここ数冊分の汚名返上、名誉挽回、起死回生の長編小説。トリック、ドラマ、キャラクター、すべてが高い水準にあり文句なしに面白い傑作。

大学時代の友人に招かれてマレーを訪れた有栖川・火村コンビ。美しい南国の風景や旅先での出会いを楽しみつつ、四方山話と青春時代の回想に耽るのも束の間、ひょんなことから密室殺人の第一発見者となってしまう。事件はそれだけにとどまらず、事件は続いていく。帰国までのタイムリミットが迫るなか、真相にたどり着くことはできるのかーー?

この作品の最大の見せ場である密室トリックは、読み進めながら見当がつきました。えっへん。

ただ、それ以外にも謎が多く、全容が明らかになったときの驚きも想像以上。解決編も一筋縄では行かず、読み応えがある。全編に渡り骨太かつ繊細な造りで、文字通り「大作」である。

作中で語られる学生時代の思い出話や、会話を通してのやりとりには新しい発見も多く、ファンにとっても楽しい作品。

 

8:『スイス時計の謎』

国名シリーズ第7弾。表題作が面白く、それ以外の短編も読み応え十分。

特に表題作では他作品でたびたび顔を覗かせてきた有栖川の高校時代の思い出にひとつの決着が与えられており、そうした意味でも記念碑的な作品と言える。また、ロジックによって犯人を追い詰めていく展開も熱く、推理小説としても非常に楽しい作品である。

『女彫刻家の首』と『シャイロックの密室』では、火村が犯罪と対決する際の姿勢がくっきりと描かれているのも、表題作の対比になっていて面白い。

ミステリーとファンサービス、両方満足の一冊だった。

 

9:『モロッコ水晶の謎』

国名シリーズ第8弾。好き嫌いは分かれそうだが、個人的には楽しかった一冊。

表題作は「えっ、そこにトリック的な部分があるの?」という構成の面白さがすべて。最大の謎が一瞬でするりと謎でなくなる展開をご覧あれ。

その他、『助教授の身代金』は物語の「枠」がだんだんと歪み、謎の正体が一度ばらけてから再度焦点が合ってくる感覚が新鮮。『ABCキラー』は古典的名作をモチーフに展開する連続殺人を追う。

 

10:『乱鴉の島』

変わって新潮文庫から(前述は講談社文庫)。

絶海の孤島で起こる殺人事件を描いた長編小説。ひょんなことから孤島に佇む別荘にたどり着いてしまった有栖川・火村コンビ。奇妙な島に集まる奇妙なメンバー。正体不明の集会に、さらなる闖入者も加わり混迷はさらに深まっていく。そんな折、別荘の住人が他殺体となって発見されてしまう! 犯人は誰なのか、なぜ殺されなければならなかったのか、何より、この島の奇妙な集会の目的とは……?

全体にダークな気配を漂わせながら、静かに展開していく物語には独特の雰囲気があった。終盤、登場人物全員が「敵」となる場面などはこれまでにない緊迫感があり、サスペンス風の雰囲気も楽しめた。

本作は物語の根底にあるバイオテクノロジーが絡んでおり、それを手掛かりとして謎解きが進んでいく。これが事件の動機にも少なからず関係してくるのだが、少し掘り下げ不足というか説得力に欠ける印象を受けた。そういう設定なのだから、と言われたらそれまでなのだが、個人的には素直に飲み込むには苦しかった。

 

11:『絶叫城殺人事件』

館モノの作品を集めたオムニバス短編集。

有栖川作品を読んでいるときには少なからず感じることなのだが、やや古い時代設定で物語が描かれている。全編に渡って言えることだが、有栖川作品は物語の時系列がよくわからない。主人公コンビの年齢にはほとんど変化がないにも関わらず、事件は春夏秋冬を問わず巻き起こり、場合によっては数週間の長いスパンを同じ事件に拘束されていたりもする。他作品の事件を匂わせる発言は時々あるものの、基本的にはパラレルワールド、しかも時折バージョンアップされる便利なサザエさん時空で展開しているのだろう。

表題作はホラーゲームを模倣した殺人事件をテーマとしているのだが、このゲームの説明で「実写とは程遠いポリゴン」という表現が出てきたり、数十万本のセールスがテキサスヒット扱いだったりすることを鑑みると、32ビット機(プレステとか)時代の設定なのだろう。年齢がほとんど同じはずの『スウェーデン館』では「ファミコン」という単語が普通に出てきていたので、ちょっと引っかかった。それで冒頭の文章が生まれたわけだが、せっかく書いたので本編とは関係ないが残しておこう。ちなみに、その後の国名シリーズでは携帯電話が難なく登場しており、混迷はますます深まっていくのだが……。その辺りの考察はもっとコアなファンにお任せしよう。

すっかり脱線してしまった。本編についての感想としては、どの作品も非常に面白い。すべての作品にイロというか決め手が存在しているため、ミステリーとサスペンスを楽しみながら読み終えることができた。 名手の手腕が炸裂している短編集。

 

12:『菩提樹荘の殺人』

続いて文春文庫からの短編集。

表題作は不可思議な状態で発見された変死体の謎に挑むミステリー。有栖川の過去にちょっぴり立ち入るオマケ付きのエピソードとなっている。ほかに火村の学生時代を舞台とした『探偵、青の時代』、二人の砕けたやりとりの多い『雛人形を笑え』など、入念なファンサービスが窺える一冊。

ただ、4作中2作は読者の推理が立ち入る要素がほとんどない。個人的には物足りなかった。

 

13:『火村英生に捧げる犯罪』

気合の入った大長編を予感させるタイトルに反して、大したことのない作品による短編集(勝手にものすごい期待して読み始めてしまったため、口が悪くなっている)。

全体的にワンアイディア・ワントリックの作品なので気軽に読める反面、腰を据えて読むにはパワーとボリュームが不足している。

 

14:『海のある奈良に死す』

ここからは角川文庫。

有栖川の同業者が被害者となった殺人事件を追う長編作品。「海のある奈良」である福井県小浜市を足掛かりに、有栖川・火村コンビが大阪を飛び出て様々な土地を旅する大作。例によって、立ち寄る場所場所の風景描写が巧みで、旅行記としても楽しさも味わえる一冊。

謎の正体を見極めるまでが長い作風には読み応えがあり、疑うほどに怪しい登場人物たちも魅力的。

ただ、犯人特定の決め手となっている、あるトリックが興ざめ。現在では広く知られる現象であるものの、本作が出版される頃は新しかったのだろうか……。うーん。

 

15:『暗い宿』

「宿」で起こる事件をテーマにした作品による短編集。比較的すっきりした読後感の多い著者の作品にしては、気持ちよくない終わり方が多かったのが印象的。

ホラーやサスペンスの気配を漂わせた表題作も面白いが、『異形の客』が本作の見所か。犯人を追い詰める火村から目を離せない一作となっている。

 

16:『幻坂』

読んでびっくり。ミステリーじゃない。マジびっくり。

サスペンス、ホラー、スピリチュアル、様々なエッセンスを感じさせるドラマを描いた短編集。大阪にある天王寺七坂を舞台としており、風景描写はいつにも増して丹念で気合が入っている。

人間ドラマに特化した作品にはなっているが、著者はミステリー作品でも心理描写を巧みに挿入してくることもあって、そこまでの新鮮味はなかった。

基本的には様々なオバケが様々な干渉を仕掛けてくるお話。そういうのが嫌いでないなら楽しめる。

 

17:『怪しい店』

ラスト一冊。先述の『暗い宿』が「宿」をテーマにした短編集だったように、今作は「店」を基盤としたミステリー短編集。

店の存在自体が謎に包まれた表題作のほか、薄暗い雰囲気の店で思考が渦を巻く『古物の魔』、『燈火堂の奇禍』。逆に店を離れて、綺麗な一枚絵のような風景が謎を投げ掛けてくる『潮騒理髪店』。犯人の視点から語られる『ショーウィンドウを砕く』の計5作。面白い趣向の作品が多かったが、宿に比べると店という縛りは難しかったのか、やや盛り上がりに欠けた気がする。

読書感想:『双子は驢馬に跨がって』金子薫

 お久しぶり。いわしだよ。

 

 10月の頭からとにかく仕事が忙しく、読書どころかPCを開くことはおろかスマホのゲームも満足に遊べないような生活を送っていた。今月の上旬でその大きな仕事も終わり、いまは思い出したように酒を飲んだり本を読んだりしている。不健康な生活から、別のベクトルの不健康に路線が変わった。基本的に元気溌剌という人間ではないが、それなりにテンションを高めながら日々に生まれた余暇を楽しんでいる。ただいま日常。

 さて、念願の読書を楽しむ時間ができたとはいえ、やはりここ最近の忙しさが堪えたらしく難しい本を読もうという気が起きない。夏の終わり頃から、聞いたこともないような出版社の一冊3,000円以上するようなハードカバーを、おやつ感覚で買っては積み上げていたのだが(貯金がぜんぜんできない)、そいつらを消化しようというガッツが湧くほどには恢復していない。枕元の積ん読からスピリチュアルなエネルギーを受け取るに留まっている。

 リハビリがてらにミステリー作品の文庫本を眺めながら、活字とのじゃれ合いを楽しんでいる。熱心なミステリーファンが聞いたら怒りそうだが、ミステリーが読んでいて一番疲れないし精神が軽やかになるような気がしている。有栖川有栖に今更ハマってしまい、1日1冊ペースで読破しているので、そのうち纏めて感想など書いてみようかと思う。大作家は素晴らしい。毎日著作を片付けても、まだまだ作品がある。長生きはするものだ。

 

 脱線が長くなったので本題に戻ろう。

 本日の感想文は『双子は驢馬に跨がって』。先日、野間文芸新人賞を受賞した作品である。私が大絶賛した『本物の読書家』とダブル受賞した片割れとなる作品だったので、お手並み拝見くらいの気持ちで手に取った。

 が、読み始めてすぐに『本物の読書家』とはかなり毛色が違うのに気付き、20ページも読む頃には様々な比較や検証を諦めた。

 率直に表現してしまうが、高熱が出ているときに見る夢みたいな小説である。あとは読者各々、この作品のどろどろしたスープになった世界から居場所を見つけたらよろしい。

 

 これで終わると前置きの方が長くなるのでもう少しだけ。

 世界観は非常に静的で穏やかなのだが、同時に悪徳がそれを覆うように腕を広げている。謎の施設に監禁されている親子と、彼らの救出を宿命付けられた双子の冒険譚が交互に語られることで物語は進んでいく。複雑な伏線はなく、心踊るエキサイティングな展開もない。

 小説技巧的にも、とにかく盛り上がりがない。気の利いた台詞はなく(本当に取って付けたような台詞回ししか出てこない。意図的なものだとは思うけど)、美しい光景を描いたシーンもなく、美男美女も出てこない。それでいて、物語は目まぐるしく動く。次々と場面を変え、御伽噺のような奇妙なステップもぽんぽん登場する。かと思えば、親子が囲碁をするシーンなどは妙に細かいところまで精緻に描写するなど、物語を眺める焦点のバランスがちぐはぐである。

 意味を持ちそうな物事が登場しても、それは一瞬の出来事であって物語の大きな流れの中では特に影響を及ぼさない。様々なものが浮いては消え、を繰り返し、物語は進んでいく。やがて物語はひとつの終着点を迎える……かに思えたのだが……?

 

 なんだこれ。伝わらねえ。でも、私の説明がへたくそなのではない。本当にこういうお話なのだ。最初に言った通り、風邪をひいたときに見る夢みたいな小説だ。ここから教養や示唆を見出そうとする方がどうにかしている。はっきり言って、好きなタイプの作品ではない。

 個人的には、荒唐無稽を作品の本筋に拵えるにしても、三崎亜記の作品みたいに〈視座だけはマトモ〉というスタンスの方が好きである。濁流の上を延々と流されながら風景を見ているような作品は性に合わない。この本を開いていたあいだに味わった、セピア色の不思議な夢の姿を記憶に留めておくとしよう。

 

 ここまで書いていて、この本を読んでいたときに感じていた「なんか既視感あるな」と思っていた対象に思い当たった。カフカの『城』だ。舞台設定も内容も似通ったところはないが、読者が物語に置いていかれて仲良くなる隙がない感じは似ていると思う。

 まあ。もちろんカフカ氏よりは、かなりとっつきやすい部類ではあるが。

読書感想:『迷宮百年の睡魔』森博嗣

 大学時代に『すべてがFになる』を読んで衝撃を受け、そのまま既刊を買い漁って講義中に読み耽り(大学生時代が一番本を読んだ。主に講義中に)新作が出れば徹夜して読破するほど一時は熱を上げていた森博嗣

 しかし、刊行される作品から次第にミステリー色が薄れて行き、それを補うように厭世的なポエムと陳腐な近未来SFの度合いが増加するのに伴って興奮が覚めてしまった。いよいよそれが頂点に達した『スカイ・クロラ』はまったく肌に合わず、こりゃダメだと思ってからは距離を置いていた。

 置いていたのだが、やっぱり気になる森博嗣。ときどき買っては残念な気持ちを再確認するのを何度か繰り返していたのだが、今作もいまいちノリきれなかった。

 

 早速だが、本作はシリーズ物の二作目であるため、この小説から読み始めても理解が追いつかない。書店でミステリーの棚にあるのを見掛けたのと、タイトルが目を引いたこともあって購入したのだが、読んですぐに「どうにも世界観が唐突だな」と思って巻末のあらすじを見たら「物語の第2章がはじまる」という文字が踊っているではないか。やられた。

 そのまま読み進めても良かったのだが、森博嗣作品もかれこれ20作以上買っているし、ここで読む作品がひとつ増えるのもふたつ増えるのも一緒だろうと本屋に踵を返した。

 前作となるシリーズ一作目は『女王の百年密室』だった。タイトルに〈密室〉ってあるし、ミステリーだよね、とちょっぴり安堵しながら購入する。裏表紙を捲って既刊リストを見ると『そして二人だけになった』を見つけて懐かしくなった。この作品が手放しで面白いと言える最後の作品だったかもしれない。

 

 さて、最近のストーリーのように書いたが『女王の百年密室』を読了したのがすでに5年くらい前である(『そして二人だけになった』を読んだのはたぶん10年近く前の出来事になるはずだ)。なんでそんなに間が空いたのかというと、あまり面白くなかったからに他ならない。ようは、一作目を読んでから鼻息も荒く「次も読まなくちゃ!」とはならなかった、もっと素直に言えば「急いで読まなくてもいいや」という評価しか出せなかったのだ。そして積ん読の山へ潜り、いまに至った。

 ネタバレにもならないと思うので言ってしまうが、このシリーズはミステリー風の味付けをされた近未来SFでしかない。逆に言えば、最初から近未来SFだと思って読めば、それなりには面白い。文句が長くなってしまったので「それなりには面白い」という視点から、以下の感想は書かせてもらおう(もう十分台無しのような気がするが)。

 

 舞台はいまからだいたい百年後(作中で2113年と明記されている)の世界。テクノロジーの発達によって、エネルギー問題を解決してしまった未来のお話である。限られた資源への依存という鎖から解き放たれた人類。結果的に国という概念が希薄となり、人々は都市国家的な環境で生活している。その中には、小さなサークルを作り、前世紀的な質素で宗教的な生活を営むことを選択する人々も少なくなかった。

 主人公であるサエバ・ミチルは、そうした異なる文化圏を取材するジャーナリストのような仕事をしている。相棒の〈ウォーカロン〉であるロイディと共に、特殊な性格を持つ都市を訪ねる彼らは、やがて不可思議な事件に巻き込まれるのだが……?

 というストーリー。

 

 本作で起こる事件の中身にあまり見るべき点はないが(こら!)この、新時代のレトロフューチャー像とも言うべき情景描写たちはとても面白い。

 例えばかつて近未来を描いた傑作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』や『一九八四年』では、未来的な機械にダイヤルのツマミが付いていたり、複雑なボタンを器用に操るような〈不自由な未来像〉が見られた。そこまで遡らなくても、2004年初版の漫画『プラネテス』4巻では、舞台が2080年前後にも関わらずモバイル機器が折畳式だった。この辺りの未来像の擦り合わせ作業は、眺めていて興味深い。

 いくつか上げると、現在では技術革新が顕著になっている通信式のデータ送受信は「扱える情報量が少なすぎる」ため、ケーブルなどを会した直接的なものが主流であったり、紙の本は装飾品となっていて実用性が皆無になっていたりする(主人公は、ページを捲るごとに文節が途切れるというストレスに昔の人はよく耐えられたな、という疑問を呈する)。そうしたSFの視点が様々なところで顔を出すため、なんでもない風景描写から想像力が刺激される場面は多い。

 一方で圧倒的なテクノロジーを持ちながら、物語に登場する人々は(私の読んだ2作に限れば)古風な生活を営むコミューンのような場所であるため、物語の進行する絵面自体は現代をさらに遡ってほとんど中世に近い。

 この独特のギャップが本作に漂う不思議な雰囲気を醸成しており、この世界観にどこまで身を預けられるかが本作を楽しめるポイントであろう。

 

 再三に渡り書いているが、主人公たちが遭遇する事件は不可思議ながらミステリーとしての趣向は控えめであり、むしろ動機やトリックに付随した宗教的・思想的な側面を掘り下げていく描写が多い。

 スーパーテクノロジーがまかり通っている世界なので、現在の常識で事件を推理するのが土台馬鹿らしいとも言えるかもしれないが、それでも推理のし甲斐のある状況を用意して欲しかった、というのが本音である。

 

 次の3作目で今シリーズは完結するようだが、あまり食指は伸びない。また5年後くらいに気が向いたら読んでいるかもしれない。

読書感想:『鍵の掛かった男』有栖川有栖

※以下、ミステリー作品の内容に関する言及があります。

 

 日本ミステリー界の巨匠が放つ長編作品。最高傑作との評価も聞こえるだけあって、さすがに面白かった。大満足の作品である。それゆえ、そんなに書くことがない。それでいいのか、私の読書感想。

 ちなみに私は読書感想を、だいたい2,000字を目安に書いている。一般的な「普通に面白かった」作品はこのくらい書くのが一番ラクなのだが、すごく面白かったり全然面白くなかったりするとこのハードルは意外に高い。原稿用紙5枚ぶんも褒めそやすには語彙が足りないし、同じぶん文句を垂れるのは簡単だが罵詈雑言は並べるほうも精神がめげる。本作は良い意味で、長文にしづらい。もちろん、喜ぶべきことなのだが。

 

 さて、物語は一人の男性がホテルで変死体となって発見される事件から幕を開ける。スイートルームに5年間も住み続けたその男は、ある日その部屋で縊死を遂げた。自殺として処理されたこの事件に、彼と親交のあった人々が疑問を抱く。その中にある有名作家がいたために、我らが有栖川有栖先生に事件の真相を解明すべく依頼がなされるのであった。

 ううむ。この強引な展開も歴戦の著者でなくては難しい芸当であろう。そしてこの導入部分こそ、このミステリーの面白さを裏付ける要因になっている。

 

 本作の面白いところは、事件の発生に探偵が居合わせないところにある。否、そもそも〈事件〉すら、厳密には発生していなかった。すでに自殺として処理された案件に、たまたま不信感を抱く人が現れたために「この自殺騒動は、果たして事件なのか?」という疑問から物語がスタートする。

 与えられた手掛かりが極めて少ない状態から始まる今作は、被害者(かどうかもわからない変死者)が何者であったのか、を探ることにほとんどすべてを費やす。この構成が実に面白い。無骨でいて王道、知的好奇心をくすぐる『鍵の掛かった男』というタイトルに相応しく、この男の正体を探る冒険が本書の醍醐味だ。

 男の正体は何者なのか、なぜホテルのスイートルームに5年間も住み続けたのか、奇妙な生活の中で次第に浮かび上がる点と線、偶然と思われていた関係性に潜んでいた必然の正体。そうした難しいコブ結びの紐が少しずつ緩み、真相が明らかになっていく展開は誇張なしにページを捲る指がもどかしいほどだった。

 

 事件かどうかも定かでない首吊り事件と、素性のさっぱり知れない死者を巡ってストーリーが進んでいく展開は、宮部みゆきの『火車』を思い出させた。

 この作品も稀に見る傑作だったが(この作品が直木賞を逃したのを知ってから、私は直木賞の存在について懐疑的である)、こちらは犯人の姿が最後まで見えてこない。犯人の姿がわからないのは当たり前じゃねーか、と思われるかもしれないが、犯人の意図や動機など〈そちら側〉が一切明かされない作品なのである。

 刑事と弁護士(だったかな)が事件を追う道中で、犯人の人生や犯行に至る経緯が次第に明らかになるのだが、犯人側の視点や言葉が作品に盛り込まれることは最後までない。つまり、解決パートがない。あるのは、事件と、それを追う人間の姿だ。そして、その構図が刺さるほどのリアリティを産んでいる。推理小説という、完全な俯瞰、言わば神の視点から描かれることの多かったジャンルにおいて、犯人には最後の最後まで外堀から埋められていった、輪郭としての存在しか与えられていない。

 作品は、犯人の肩に手を置くシーンで終わる。この情緒。この物語性。こうして思い出していても震えがくる。あんなに美しく、読者に〈その後〉を委ねながらもすべてを描ききった作品は他にない。

 

 この『鍵の掛かった男』は、最後まで〈被害者〉の姿が見えない作品と言えよう。ホテルで縊死した男。その過去を少しずつ明らかにしていく一方で、なぜホテルに住み続けたのか、なぜこのような変死を遂げたのかは終盤まで深い霧に閉ざされたままだ。

 文庫本で700ページを超える長編だが、その道のりの最後には見事な決着が用意されている。霧は見事に晴れ、自分が読み進めてきた道はかくも明瞭な風景であったかと呆然とするほどだ。この芸当はさすがとしか言いようがない。

 また、作中で探偵役を務める有栖川と火村のやりとりがいつも以上に砕けていて面白かった。事件の舞台である大阪の中之島をあちこち動き回るのだが、風景描写が丁寧で旅行記のような趣きも楽しめる贅沢な一品だった。

 一応シリーズ物の作品ではあるが、本作から読み始めても不具合は一切ない。むしろ著者の持ち味が随所に出ていて1ページたりとも退屈させない理想的な作品だと思う。

 やっぱりミステリーは面白いや、と大きな溜め息を吐かざるをえない、壮大で緻密な作品である。時間をたっぷり取って、一気読みするのがよろしかろう。

読書感想:『異人たちの館』折原一

 書店にて「掘り出し物」を謳うポップがついていたのが気になって購入した作品。

 読んでみたらどうということはなく、あんまり面白くないから百凡に埋もれていったんでしょうな、で納得してしまう作品だった。掘り出し物というよりは、出土品である。掘ったら、出てきた。

 最近は(というには少し前になってしまったかもしれないが)B級映画がブームだと耳にした覚えがあるが、本作は全体的にそういう趣向に近いように感じた。私は映画をほとんど見ないので比喩が正確かは微妙なところだが、少なくともハリウッドの大作のような作品ではないし、ハンドクラフトでインパクトのあるタイプ(古いけど『ブレアウィッチ』とか)の気の利いた作品でもない。なんというか、おしなべて長所がない本だった。ひどい言い方になってしまうが、それ以外の表現がない。

 

 面白くなかった、と一刀で切り捨てるほどダメではないのだが、作品のプロットに最低限の肉付けだけが施されたような描写に終始しているように感じた。600ページを超える長編でありながら、物語の進み方はかなり淡白である。

 物語を進める視座という役割以外に取り柄を持たない魅力を欠く主人公。ストーリーの鍵を握る、謎に包まれた母子の歪み方は、満遍なく狂っているせいで不気味というより滑稽に見える。様々な人々への取材を通じて物語は進展するのだが、このインタビュー形式の会話にももうひとつ工夫がなく、登場人物には人間臭さや個性がまったく感じられない。主人公に迫る脅威であり、謎を解く鍵となる〈異人〉の存在も中途半端で、ホラーにもサスペンスにも振り切れていない。一番気になったのは、理由もなく主人公にベタ惚れする、取って付けただけの美人ヒロインの存在だ。主人公の感情の振幅はこのヒロインに対する描写と家族への反抗程度しかなく、いずれも総じて最後まで煮え切らない。

 列挙するうちにフォローが不可能になってしまったから書いてしまうが、随所で「ヘタだなあ」と思いながら読んだ作品だった。面白くないな、舐めてるな、は思ったことがあるが、ヘタだな、はプロの本を読んでの感想としては初めての経験で、逆に新鮮だった。感情・風景の描写、仕草や表現、セリフ(これが一番気になった「え、なんとかについてですか?」みたいな進行上の脚本のようなセリフが頻出する)あらゆる構成が単調で、本筋のストーリーを語る説明書以上の役割を果たしていなかった。

 

 物語のプロットは面白いものがあるのだが、それだってたとえば構成とアイディアで作品として勝負する『セブン』や『イニシエーション・ラブ』の乾くるみの足元にも及ばない。世界観の歪み方や狂い方の切れ味で作品を強引にブチ上げる、曽根圭介のような突き抜けた悪意もない。

 この作品の構成上、わざと下手に書いているのかな、というミスリードも疑ったのだが終盤のクライマックスでも特に印象は変わらなかったので、そういうわけでもないようだ。

 

 たまたま私がこの作品の発想や構成に対する、後継発展や上位互換のような作品を多く読んでしまったために、本作が楽しめなかったのだと結論付けよう。

 なるほど、PS4を遊ぶ現代にファミコンレトロゲームを遊ぶような感覚を味わったのは確かだ(ただしそれは、PS4の箱に入っていたが)。

 

 このまま悪口を続けるのは自己嫌悪に陥りそうなので、この辺でやめておく。

 久々にひどい読書感想を書いてしまった。

 

追記:この作品の上位互換、と感じた作品は『ハリー・クバート事件』でした。表題作を四半世紀分ブラッシュアップすると、だいたいこの作品になるのではないか。個人的な感想ですが。

読書感想:『その可能性はすでに考えた』井上真偽

※以下、ミステリー作品の内容に関する言及があります。

 

 書店で見掛けた文庫本のタイトルと装丁が綺麗で、思わず手に取った作品。

 読み始めてみると文体が軟派で肩透かし。どっこい、読み進めるとかなり骨太な構成となっており二度びっくりの侮れない作風だった。キャラクターが前面に出てくる、賑やかなタイプのミステリー作品ではあるが、内容は決して薄くはない。むしろ「まだミステリーにこんな攻め方があったか」と驚かされる創意工夫に満ちた、意欲的な作品だった。

 

 とはいえ、やはり色彩をドギツくしすぎた感が個人的には否めない。

 主人公が青髪オッドアイの美青年、相棒は中国マフィアのグラマラスな美女、謎を追いかける中で次々現れる人物も一筋縄ではいかない個性的な面々が並ぶが、キャラ付けが「いかにも」すぎて「一筋縄ではいかない人物」のステレオタイプを脱していない。加えて根底に組み込まれているダークでバイオレンスな雰囲気がギャグ調の空気感を醸成してしまっており、それがミステリー作品の持つ独特の重さというか信頼感を損なっていてもったいなく感じてしまった。

 キャラクターとストーリー構成からはアニメ作品のような印象を受けたが(具体的には『シュタインズ・ゲート』を連想した)、実際にそうしたコンテキストと見るのが無難なのだろう。よくよく考えてみれば、扱われる事件も神秘性が前面に押し出されており、登場人物の癖や作品が持つ世界の広がりを見てもそうした認識で臨むのが正解なのかもしれない。

 後ほどさらに褒めるが、この作品はかなり奥が深く、ミステリーの仕掛け方や魅せ方も斬新だ。表現上の奇策に走らずとも、ストーリーとトリックの面白さで十分戦える作品になったと思う。それだけにアニメ調の演出過多はかえって興を削ぐことになった印象が拭えない。美味しい料理なのに、マヨネーズがたっぷりかかってるみたいな、そういう物足りなさを感じた。

 

 さて。苦言は以上である。もう少し重箱の隅をつつけば、探偵役がこれほど強烈なキャラクターを与えられたわりに中盤以降ほとんどオマケになることや、さんざ派手な展開を用意してきたのによりによって終盤の黒幕との対決が地味な絵面になることなども気になる。しかし、その辺りはほとんど嗜好の差や趣味の違いで片付けられるレベルだ。そうした表現上の個性やテクニカルな癖の好き嫌いを問題にしないほど、この作品は面白い。すごく、面白い。

 

 まず、構成。この作品は冒頭から、探偵役がいわゆる「完全犯罪」(作中では「奇蹟」であるが)を認めた状態でスタートする。山奥の密室環境となった宗教団体が暮らす村で起きた惨劇。そこから唯一生還した少女が語る、不可解な事件の顛末。彼女が解決を求めて持ってきた事件を、あろうことか探偵は「解決不可能」と結論付けてしまう。容疑者不在の、ホンモノの奇蹟というわけだ。

 もちろんそれではお話にならない。ある理由から、この事件は人為的なものであると証明するべく〈刺客〉たちが次々と現れる。否、証明するべく、というのは正しくない。その役目を果たすのは主人公側である。正確には、探偵は〈あらゆるトリックをもってしても、この環境下での殺人は不可能である〉ことを証明することを目的に活躍することとなるのだ。

 作中でも真っ先に触れられることであるが、これは極めて難しい作業である。主人公側は「こうも考えられる」というレベルの荒唐無稽なトリックであっても、それをいちいち論破しなければならない。今回の事件が「奇蹟」であることを証明するため、状況証拠からのほとんど妄想に近い犯罪状況や、実現の可能性が限りなくゼロに近いトリックに対しても「できない」を突きつけていくのである。

 その際に主人公が決め台詞として放つセリフが表題でもある「その可能性は、すでに考えた」というわけだ。

 

 この構成が本当に面白い。

 主人公がミスリードを次々と喝破していくことで、常識的に考えれば絶対に存在したはずの犯罪行為の可能性がどんどんしぼんでいく。新たに登場する解決の糸口は、出てきた端から潰され、ストーリーが進めば進むほど事件の様相は難解になっていくのだ。

 普通なら、奇蹟に見せ掛けた犯罪行為を探偵が見破って犯人の正体を明らかにするというキャスティングを文字通り逆転させる手腕。そして、切れ者の探偵役をして「不可能」とお墨付きを与えてしまった謎がどこに行き着くのかという構成の妙。ページを捲る手が止まらなかった。

 

 物語を追う中で主人公たちにも別な危険が迫ってくるのだが、冒頭で書いたとおり、このエッセンスは余計だったように思う。

 メインとなっている過去の物語を追うだけでも十分に作品として深みがあったのだが、主人公の生い立ちや「なぜ〈奇蹟〉の存在にそこまでこだわるのか?」というキャラクターに付随した展開自体は、申し訳ないが私には陳腐としか映らなかった。

 おそらくは、このありえないシナリオを成立させるために、フィクションが成立する舞台をしっかりと作り上げたいという作者のサービスだったと思うのだが、結果的にはミステリーにファンタジーが混入してしまった。それが良いシナジーを生んでいるとは感じられなかった。

 

 たぶん、近いうちにこの作品は映像化されると思う。どうもそういう風に描かれたような気配を感じる。個人的にはアニメアニメしているな、という感触が強かったが、実写でも十分に見栄えはするだろう。

 わがままだが、この著者による、トリックを本格的に突き詰めた作品を読んでみたいものだ。奇想天外の発想と構成力は見事だ。あとは趣味の問題に尽きる。