でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『双子は驢馬に跨がって』金子薫

 お久しぶり。いわしだよ。

 

 10月の頭からとにかく仕事が忙しく、読書どころかPCを開くことはおろかスマホのゲームも満足に遊べないような生活を送っていた。今月の上旬でその大きな仕事も終わり、いまは思い出したように酒を飲んだり本を読んだりしている。不健康な生活から、別のベクトルの不健康に路線が変わった。基本的に元気溌剌という人間ではないが、それなりにテンションを高めながら日々に生まれた余暇を楽しんでいる。ただいま日常。

 さて、念願の読書を楽しむ時間ができたとはいえ、やはりここ最近の忙しさが堪えたらしく難しい本を読もうという気が起きない。夏の終わり頃から、聞いたこともないような出版社の一冊3,000円以上するようなハードカバーを、おやつ感覚で買っては積み上げていたのだが(貯金がぜんぜんできない)、そいつらを消化しようというガッツが湧くほどには恢復していない。枕元の積ん読からスピリチュアルなエネルギーを受け取るに留まっている。

 リハビリがてらにミステリー作品の文庫本を眺めながら、活字とのじゃれ合いを楽しんでいる。熱心なミステリーファンが聞いたら怒りそうだが、ミステリーが読んでいて一番疲れないし精神が軽やかになるような気がしている。有栖川有栖に今更ハマってしまい、1日1冊ペースで読破しているので、そのうち纏めて感想など書いてみようかと思う。大作家は素晴らしい。毎日著作を片付けても、まだまだ作品がある。長生きはするものだ。

 

 脱線が長くなったので本題に戻ろう。

 本日の感想文は『双子は驢馬に跨がって』。先日、野間文芸新人賞を受賞した作品である。私が大絶賛した『本物の読書家』とダブル受賞した片割れとなる作品だったので、お手並み拝見くらいの気持ちで手に取った。

 が、読み始めてすぐに『本物の読書家』とはかなり毛色が違うのに気付き、20ページも読む頃には様々な比較や検証を諦めた。

 率直に表現してしまうが、高熱が出ているときに見る夢みたいな小説である。あとは読者各々、この作品のどろどろしたスープになった世界から居場所を見つけたらよろしい。

 

 これで終わると前置きの方が長くなるのでもう少しだけ。

 世界観は非常に静的で穏やかなのだが、同時に悪徳がそれを覆うように腕を広げている。謎の施設に監禁されている親子と、彼らの救出を宿命付けられた双子の冒険譚が交互に語られることで物語は進んでいく。複雑な伏線はなく、心踊るエキサイティングな展開もない。

 小説技巧的にも、とにかく盛り上がりがない。気の利いた台詞はなく(本当に取って付けたような台詞回ししか出てこない。意図的なものだとは思うけど)、美しい光景を描いたシーンもなく、美男美女も出てこない。それでいて、物語は目まぐるしく動く。次々と場面を変え、御伽噺のような奇妙なステップもぽんぽん登場する。かと思えば、親子が囲碁をするシーンなどは妙に細かいところまで精緻に描写するなど、物語を眺める焦点のバランスがちぐはぐである。

 意味を持ちそうな物事が登場しても、それは一瞬の出来事であって物語の大きな流れの中では特に影響を及ぼさない。様々なものが浮いては消え、を繰り返し、物語は進んでいく。やがて物語はひとつの終着点を迎える……かに思えたのだが……?

 

 なんだこれ。伝わらねえ。でも、私の説明がへたくそなのではない。本当にこういうお話なのだ。最初に言った通り、風邪をひいたときに見る夢みたいな小説だ。ここから教養や示唆を見出そうとする方がどうにかしている。はっきり言って、好きなタイプの作品ではない。

 個人的には、荒唐無稽を作品の本筋に拵えるにしても、三崎亜記の作品みたいに〈視座だけはマトモ〉というスタンスの方が好きである。濁流の上を延々と流されながら風景を見ているような作品は性に合わない。この本を開いていたあいだに味わった、セピア色の不思議な夢の姿を記憶に留めておくとしよう。

 

 ここまで書いていて、この本を読んでいたときに感じていた「なんか既視感あるな」と思っていた対象に思い当たった。カフカの『城』だ。舞台設定も内容も似通ったところはないが、読者が物語に置いていかれて仲良くなる隙がない感じは似ていると思う。

 まあ。もちろんカフカ氏よりは、かなりとっつきやすい部類ではあるが。