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読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『アイネクライネナハトムジーク』伊坂幸太郎

 すごく率直に、若干の悪意を込めて言ってしまえば、退屈なときの伊坂幸太郎小説を煮詰めた感じの作品。殺人事件や得体の知れない悪人など伊坂作品のテーゼになるような底知れぬ悪徳は存在せず、代わりに普段そうした悪意に影響されたり翻弄されたりするような一般人の日常が語られていく。

 今作はいくつかの短編で構成されており、出会いと恋愛を中心に語られている。それぞれの短編に登場する人物たちは他の短編の人や場所ともリンクしており、物語が佳境に入るとひとつの大きな物語を中心にその輪がしっかりとした形となる。これまでの物語が組み合わさって、最後に一本の本流となって大団円を迎える構成は見事だった。

 

 ただ、好みの差と言われたらそれまでなのだが、味が薄い。

 伊坂作品にはいかにも一個人というような模範的な市井の一般人が登場する一方で、心の底から胸糞の悪くなるような悪党が出てきたり、大きな権力や超自然的な状況がそういう人たちに襲い掛かることでドラマを作り出してきた。平凡のなかに突如として現れた異質を料理しながら日常と非日常がぐるぐると駆け回るうちに「ん。いまの風景はどっちだ」と目をしばたたくような発見を提供してくるのが著者の強みだと思っている。

 今作では大きな輪のなかにそういう圧倒的な異分子は存在しないし、物語は多少の難局はあるにせよ基本的に平和な形で着地する。物語に共通するテーマやロジック、大きな外円を作り出す登場人物たちのリンクには親近感も湧くしカタルシスもあるのだが「それぞれの出会いが、それぞれに繋がっている」という根源的な物語の成り立ち自体には今更感が拭えない。恋愛や友愛といった味付けも、短編という制約があるせいか起伏がなく精彩を欠いた。

 オムニバス形式の物語がリンクしているという手法も、特に新しいというわけではない。ミステリーやサスペンスとしては宮部みゆきの『長い長い殺人』がパッと思いつくし、小川洋子の『人質の朗読会』はそれぞれ独立した短編の外にさらに別の物語の枠を与えることで全体像に深みを与える工夫を見せた。日常を描いた作品としてはアパートの一室を舞台に物語が展開していく長嶋有『三の隣は五号室』が白眉の出来として記憶に新しい。そうしたドラマ性や表現・構成的工夫に溢れた作品と比べたときに、では本作の強みはなにかと考えると取り上げるのは難しい。

 

 けなしてばかりなので良い点も。

 全体としては凡庸な印象が拭えないが『メイクアップ』はスリリングで伊坂幸太郎的な意欲に満ちている作品だった。学生時代いじめに遭っていたOLの前に仕事相手として現れたのは、そのいじめの首謀者。苗字も見た目もすっかり変わった彼女に気付かない元いじめっ子に、社会人となったいまどう対峙するべきか。静観。復讐。そして彼女は、本当に私の正体に気が付いていないのか。疑念。調査。殺人事件こそ起こらないものの、そこにはしっとりとした暗い悪意が居座り、一歩先の展開がわからない、どこに落とし穴があるかわからない危険な気配が常にある。主人公の複雑に揺れ動く心境の描写も面白い。

 また、物語をひとつにまとめ上げる大きなストーリーも決着ははっきりとしているため、最終章にたどり着いたときには勢いが付いている。私のように少し退屈しながら読んでいた読者でも、最後の加速度的にミッシングリンクが埋まっていく快感は十分に味わえるだろう。

 

 伊坂幸太郎の作品で面白かったのは『アヒルと鴨のコインロッカー』、『重力ピエロ』、『オーデュボンの祈り』。逆にあんまりノリきれなかった、後半になるにしたがってどんどん退屈になっていくなあと感じたのは『ラッシュライフ』、『ゴールデンスランバー』、『夜の国のクーパー』だった。本作は残念ながら後者になってしまうと思う。

 著者の全体的な印象としては好きとも嫌いとも言い難いが、少なくとも熱心なファンではない。熱心なファンではない人間にこれだけ読ませるのだから、そして作品名と内容をほぼ覚えているのだからやはり稀有な作家なのだ。面白かった作品は印象に残った場面や表現も多い。

 ひょっとしたら毎度毎度血なまぐさいお話を書いているのが著者にとっては本意ではなかったのかもしれない。一般的な群衆を描くこと、そこにある日常を愛していることを、普段はどろどろしたもののために研ぎ澄ませている文章力で書いてみようと思い立ったのでは、と邪推してみる。だとしても、私はどろどろぎすぎすを飄々と描いていく伊坂幸太郎の作風のほうが好きだ。たぶんそのうち著者の作品をまた買うだろうと思う。悪口のぶんはそれで埋め合わせとしていただきたい。