でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『インド倶楽部の謎』有栖川有栖

※以下、ミステリー作品の内容に関する言及があります。 

 

 久しぶりに購入した講談社ノベルス。著者の作品における「国名シリーズ」の第9弾は、待ちに待った長編小説である。

 前世からいまの自分に至るまで、その運命のすべてが記録されているというインドの神秘〈アガスティアの葉〉。その奇跡を体験するイベントに立ち会ったメンバーが殺害される事件が起きる。予言されていた被害者の死。会合に集う、奇妙な絆で結ばれたメンバーたち。謎に挑む火村・有栖川コンビだったが、調査が進むにつれ不可思議な事実が次々と明らかになっていく……。

 

 大長編のボリュームで、全容が見えてこない不思議な事件が炸裂。非常に読み応えがある一冊だった。

 事件の中心であり、容疑者でもあるインド倶楽部のメンバーは「前世のつながり」で集まったという胡散臭さ全開の集団。それでいて、そのつながり以外はまともというのが輪を掛けて曲者ばかりの印象を与える。そろいもそろって、とにかく怪しい。味付けの濃いミステリーが展開する。

 ミステリー作品としては「動機と、犯行が可能だった人物」を絞り込んでいくという比較的地味なストーリーになっているのだが(難攻不落の密室トリックなどは登場しない)、ここに〈前世の縁〉が絡むことで一気に複雑さが増している。

 本当に前世が存在し、それが事件に関係しているのか? そう見せ掛けただけの、隠された動機を持つ事件なのか? そもそも関係者は、誰がどこまで不思議な縁を本気で信じているのか? 証明困難な精神世界を射程に入れた物語は、行きつ戻りつ、悪戦苦闘しながらもやがて真相にたどり着く。神戸の街を舞台に繰り広げられる、異国情緒たっぷりの物語が堪能できる色彩豊かな作風をご覧あれ。

 

 少し読み進めるとわかるのだが、今作は著者の作品にしては妙にサービスシーンが多い。ほかの著作となっている事件に対する言及や考察が多かったり、セミレギュラーである登場人物の内面が描かれ、火村コンビとの関わりに変化が見られるなど、これまではほとんど動かすことのなかった舞台設定とも呼べる要素にスポットが当たっている。

 たとえば今作の会話のなかで、火村シリーズの著作のタイトルは、有栖が事件を振り返って名付けていることが判明する(それともほかの作品で、すでにこうした癖が披露されているだろうか?)。ここで槍玉に上がるのは『ダリの繭』、『朱色の研究』(未読)、『乱鴉の島』、それにほかの国名シリーズが何作かであるが、これまでは緩やかな横の広がりに過ぎなかったシリーズに、急に時系列の線が引かれたのでギョッとしてしまった。

 私個人としては「ひょっとして今作でシリーズは完結するのではあるまいな」と不安になった。あまりにも手の内が見せられすぎている。楽屋の扉がパカパカしすぎている。本作のテーマが〈前世〉であり輪廻転生に触れる箇所もあることから、時代は進んでも永遠の34歳というパラレルワールド的な時空間を舞台とする本作シリーズそのものについて、著者という神の手がちらつくような不穏当な気配を感じてしまい、「最終盤で物語そのものをひっくり返すようなメタなオチがついたりしないだろうな」と、ヒヤヒヤしながらページを捲っていた。こんなに奇妙な緊張感を持ってミステリーを読んだのは初めてである。

 

 少し話は変わるが、有名な刑事ドラマ『相棒』シリーズは、幽霊が存在して影響を与えてくる世界のお話である(最近は視てないので「だった」かもしれない)。

 なので、そうと知らずに視聴していると、ぽかんとしてしまうような現象や解決があったりする。死者の声に踊らされて最後の最後に墓穴を掘る犯人や、しゃれこうべに紅茶をかけて一件落着する物語には唖然とさせられるに違いない。いずれもかなり初期の作風なので、最近はたぶんこういう冒険はしていないとは思うが……。

 刑事ドラマだから科学的で硬派な舞台に違いないとは限らないのである。この物語はフィクションです、という断りが入っている以上、東京にしか見えないけど舞台は地球ではない可能性だってあるのだ。もちろん、物語の枠を台無しにするほどの逸脱は誰もしないだろうけど、ようはそういう「信用ならない可能性」みたいなものが蜃気楼のように物語の輪郭をゆらゆらするときがある。

 

 本作はそういう作品になっている。物語の中心に据えられた謎が、どこまでの規模の謎なのか。火村に解決できるのか。火村という〈物語の住人〉の輪郭の、さらに上を行くレベルの謎なのか。その判断も含めて、楽しく読める意欲作である。

 私の心配が杞憂に終わったのかどうかも含めて、興味のある方には手にとっていただきたい。なお、文庫化はまだまだ先だと思うので講談社ノベルスの棚へどうぞ。あそこの書架が持つ独特の雰囲気は、森博嗣を買い漁っていた頃を思い出して気持ちが若返る気がした。たまに見に行こう。