でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『ラプラスの魔女』東野圭吾

※以下、ミステリー作品の内容に関する言及があります。

 

 温泉地で立て続けに起きた硫化水素の中毒事故。事故現場の調査を依頼された研究者は、事故現場で不思議な少女と出会う。不幸な偶然が重なった結果としか考えられない〈事故〉の背景に隠された真相とは。少女の持つ、奇妙な能力の正体とはーー。

 

 悪くはなかったけど、東野圭吾作品としてはこれまで読んできた中で一番面白くなかったなあ、というのが正直な感想。著者にしては珍しく、スピード感というか緩急を欠いた印象を受けた。

  ミステリアスな事件は起こるが、推理小説ではない。サスペンスと呼ぶには、登場人物に差し迫る〈危険〉が存在しない。巨大な陰謀の絡む大スペクタクルというほどのスケール感もない……。決して退屈なわけではないし、物語の根幹を支えるSF要素も魅力的ではあるのだが、いつもの東野圭吾が放つ最高速度に比べると物足りなさは否めなかった。

 

 ミステリー作品の面白さは読者参加型の構成にこそ面白さがあると感じている。事件の謎や犯人の思惑、あるいは登場人物に迫る危機を予想しつつ、物語の進行を一緒に追っていくような連帯感や世界観の共有といった〈非日常への没入感〉が感じられるところに最大の魅力があるのではなかろうか。

 著者はここらへんの匙加減が絶妙で、不可解な事件や関係性のさっぱり見えてこない人間関係が少しずつ解けていく状況を、緊迫感とスピード感を両立させて描いていけるのが特徴だと思っている。残念ながら、今作ではそうした魅力があまり発揮されなかったように感じた。

 

 まず、この作品はミステリーだが推理小説ではない。先に少し触れたが物語の根幹にあるのがSF(一種の超能力)であるため、読者が謎解きに参加できる場面が少ない。推理小説でときどきある、読者が物語を先回りできるような感覚は味わえない。よくある「これは超能力なのか、あるいはそう見せかけたトリックなのか」という揺さぶりも、本作には存在しない。読者の仕事は、不思議を受け入れるだけになってしまっているのはいささか物足りなかった。

 そして、肝心のこの〈超能力〉が地味なのである。すごいんだけど、地味。理屈は面白いんだけど、地味。この作品は映画化するそうだが、果たして面白い絵が撮れるのだろうかと心配になるくらい地味なのだ。だいたいSFが絡むと殺害方法や物語のバックボーンにド派手な要素がいくつか紛れ込むものなのだが、本作はかなり淡々と、粛々と物語が進行する。それが独特の雰囲気を作り出していて新鮮ではあるのだが、もうひとつ煮え切らなかったという印象の方が強い。

 物語は様々な人物の視点から語られることになるのだが、この事件を追い掛ける研究者の目線で語られる場面が最も多く、彼が実質的な主人公と言ってよいのだろう。しかし主人公である彼は、事件からの距離が非常に遠い。事件が彼の研究の専門分野であったために関わりを持つことになるのだが、事件に対する常識的な範囲での解説役以上の役割が与えられず、主人公としては少し力不足になってしまった。また、物語の終盤まではすべてが〈過去に起きた事件〉へのアプローチになってしまうせいか、緊迫感が薄いのも気になった。読んでいてはらはらするシーンがほとんどなかったように思う。

 

 以上。感想を書いたら苦言ばかりになってしまったが、最後まで楽しく読んだ。エンターテイメントとしては十分な密度とスピード感があるとは思うが、著者の力量を鑑みると少し拍子抜けだったな、という程度である。