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読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『盤上の向日葵』柚月裕子

 2018年の本屋大賞2位。先日感想を(勿体ぶりながら)書いた『屍人荘の殺人』が同賞3位だったが、確かにそれに比べると作りが格式高いというか、完成度に隙がないように感じられた。

 一方で個人的には枠にきっちり収まりすぎていて面白味を欠いているような印象も受けた。本屋大賞は〈減点の少ない優等生タイプ〉を掬い上げる賞ではなかったはずなので、もう少し穿った視点を大事にしてもらいたい。

 本屋大賞は「本当だ、この作品は面白いね!」と言ってもらえる本を見つける賞だっただろうか。「なんだコイツやべえ、変なやつ見つけちゃったぜオイ」という本をピックアップする賞だったはずだ(違うのか?)。そうでないなら、書店員の手を煩わせずとも数多に存在するホニャララ賞に任せておけばよい。無難な採点方式に従うなら、現場の声など必要ない。ピーキーな作品のピーキーさを正しく認識する能力に期待している。

 

 さて本作。タイトルにあるとおり〈将棋〉を根底に置いたサスペンスが展開する。

 山中で発見された身元不明の白骨死体。白骨が抱いていたのは、名匠が手掛けた将棋の駒だった。他殺体で見つかった白骨死体は何者なのか、なぜ手向けのように数百万円もする高価な駒と一緒に埋められていたのか、そして殺人犯は誰なのかーー? 謎の出所が変化球な上に、将棋という知的ゲームの最高峰が組み合わさって好奇心を嫌が応にもくすぐるストーリー。

 かつてプロ棋士を目指すも挫折を味わった若手刑事と、クセは強いながら捜査に長けたベテラン刑事の凸凹コンビが謎を追う。偶然か必然か、二人の若き天才棋士の対決に世間の注目が集まる中で浮かび上がった容疑者の姿は……という構成もニクい。

 

 ニクいのだが、個人的には煮え切らなかった。心理描写にソツがなく、時折挟まれる将棋の対決シーンも緊迫感があって面白い。一方で、常に数ページ先の展開が読めてしまうというか、丁寧すぎて純粋な驚きに欠けてしまった。

 本作は現在進行形で事件を追いかける刑事側のストーリーと、事件の謎を握る〈駒〉に纏わるストーリーが交互に語られる構成になっている。このような現在と過去をリンクさせる展開を用意する場合、どこかに重大な岐路となるミスリードやどんでん返しを用意しなければならないものだが、本作にはそれがない。

 一章単位ないしは数章単位での転回はあるものの、計25章で構成される物語においてそれらの振れ幅は大きな要素とは言えず、物語は基本的に一方通行であり、絶えず進捗が変化するボードゲームというよりは逐一完成に向かっていくプラモデル的な趣向が強い。

 それが特段悪いことだとは思わないが、本作はテーマに〈将棋〉という知的遊戯を冠した作品である。だからこそ、どこかでそれまでの先入観や構想をまとめてひっくり返すような大逆転が欲しかった。

 

 と、ここまで書いて「著者は詰将棋のつもりで本作を執筆したのかもしれない」と思い当たる。

 いやいや待てよ、その見方が正解かもしれない。じわじわと『玉』が追い詰められていくような焦燥感、あるいは追い詰めていくような高揚感は、作品の中盤あたりから常に感じられるようになる。この小説の根底にある心理的な要素は、すべて〈詰み〉の状態への抵抗にあるのだろうか。そう考えると新しい魅力も見えてくる。

 

 先ほどプラモデルに例えたが、そうした一方通行の構成自体は決して悪いものではない。むしろ王道であり、完成度が高いと言われる作品は押し並べてそうした作風である。逆にどんでん返しに頼る構成こそ邪道と呼べなくもない。

 ただ、そうした見方をするならば、登場人物たちのタレントとしての力量が不足気味だったことは否めない。事件を追う側の主人公となる若い刑事は経歴の特殊性こそ目を引くものの、物語には〈駒〉の謎に対する解説役以上の魅力がいまいち見えてこない。相棒役の曲者刑事も抜群の柔軟性や対応力こそ見せるものの、人間性の深みや背景になりそうなドラマに関するエピソードが存在しない。無駄を省いたとすれば頷けない内容ではないが、それならば刑事側のストーリーはさらに薄めて、追われる側の物語を緻密にした方が魅力的な作品になったような気もする。

 追われる側、白骨死体が握っていた〈駒〉に携わる人々は生き生きとしていて魅力的だ。一筋縄ではいかないキャラクターといい、アウトローな駆け引きの応酬といい、非日常を刹那的に行き来する勝負の世界を描いたパートには、将棋の知的遊戯が与える知性と、それをも獣性として取り込む荒々しさが同居していて面白い。

 その華々しさや色彩の豊かさに比べると、事件を追う〈現在〉のパートの在り方はいささか魅力に欠けてしまう。そして、事件の大半がその魅力に欠けた側の眼鏡を通して語られることになってしまうのは、なんとも惜しい気がした。

 

 完成度は高かったと思うし、謎の深さとシナリオの面白さも十分だったとは思う。しかし、こんなことを言ったらあんまりなのだが「なぜテーマに将棋を据えたのか」という、土台の部分に対しての追求があと一歩足りなかったように感じられてしまう。勝負の世界を描く場面は生き生きとしていて色彩に富んでいたのだから、それをもっと中心に置いた作風にしても良かったのではないだろうか。ミステリー風の味付けがかえって雑味になってしまったような気がする。

 また、タイトルが非常に綺麗な作品であるものの、そこに回帰するエピソードがいささか強引というか不自然に映る。本作の醍醐味とも言える、盤上の勝負が決着する要因にも肩透かしな印象が強い。

 ともあれ、再三いうように非常に完成度は高い。傑作は言い過ぎかもしれないが、佳作として挙げることに異論はないだろう。全体的にバランスの取り方にだけ、強い不満が残る作品だった。こういう事例も珍しい。