でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『残穢』小野不由美

 暑い夏を乗り切るべく、涼を求めて購入した一冊。たまに目にする評判によると、とにかく怖いらしい。

 私の尊敬している文筆家の方が、長嶋有の『三の隣は五号室』を「幽霊の出てこない『残穢』」と評しているのを見た頃から気になっていたものの、ホラー小説にあまり馴染みがなく手に取る機会がなかった。先日電車待ちの時間に本屋をぶらぶらしていたところ、たまたま発見したので購入した次第である。

 

 読了して最初に思ったことは「表紙のイラストが中身とひとつも関係ないなんてことある?」だった。

 行灯だけが小さな光を投げかける和室の隅。おかっぱ頭の少女が、真っ赤な着物を身に付けた日本人形を抱いている。少女の周りには数匹の猫がいるが、お互いに関心のなさそうな距離が保たれており、なんとも陰気でおどろおどろしい雰囲気だ。

 

 はいわかった。おじさん長年の読書経験でわかった。

 この少女が出てくるわけ。布団の中でガッと足を掴んだりしてくるわけ。クライマックスでは「お姉ちゃん一緒に遊ぼうよ……」とか囁きながら、くすくす笑いとともに暗闇から召喚された日本人形が黒髪をイソギンチャクの触手さながら振り乱し襲いかかってくるわけ。わかった。もうわかった。

 でも猫。猫がいる。心の友、猫。不幸な死を遂げた少女はすべての人間を憎んでいるんだけど、可愛がっていた猫だけは最後まで憎めないでいた。その猫の子孫をたまたま主人公は飼っていた。

 終盤、抵抗虚しく日本人形の黒髪に絡め取られてしまう主人公。強烈な力で船底天井に磔にされ、四肢は引きちぎられんばかりに絞り上げられる。眼下に佇む少女の白い顔には、グロテスクなほど不釣り合いな真っ赤な目と口がカッと見開かれる。遠のいて行く意識。

 そこに猫登場。襖の隙間からにゃーっと登場。だめ、ミーちゃん逃げて、なんつって。愛猫はなんか死に別れた彼氏との思い出で、子供以上の存在みたいな感じ。そんな猫がこの修羅場にきちゃう。せめてミーちゃんだけは、と力を振り絞ろうとしたところで、黒髪の拘束がふっと緩む。

「タマ……なの……?」

 幽霊少女が呆気に取られたように猫を見下ろす。タマの子孫であるミーちゃんに触れて、少女の邪気が一瞬和らぐ。

 その隙を光覇明宗の法力僧が見逃すはずはなかった。「淺ましや化生!」放たれた降魔捨法が日本人形を切り裂く。響き渡るおどろおどろしい悲鳴。そう、諸悪の根源はこの日本人形であり、少女の幽霊はその不幸な犠牲者にすぎなかったのだ……。

 

「みたいな感じだろう? 違うかウェイター!」

「クソ違います、お客様」

 

 茶番終わり。とにかく表紙と中身が関係なかった。驚いた。

 少し真面目な感想も書こう。この小説が「最恐」とまで呼ばれる理由は、読者自身を巻き込むような怪談になっているからだと思われる。

 ホラー小説を読まないため怪奇譚のサンプル数が少ないのだが(茶番参照)、特別な場所で特別な事情により心霊現象に巻き込まれる、という因果関係がホラーの前提としてあるように思う。いわゆる心霊スポットという「場所」や、呪いの日本人形のような「物」、伝統や血筋が悪いほうに影響する「因習」のような、なんらかのスイッチさえ踏まなければ心霊現象は起こらない。

 ところが『残穢』は違う。ヒトが暮らしていくには土地が必要であり、その土地には人の歴史が連綿と積み重なっている。それは、多くの死が繰り返されてきた歴史に他ならない。いまでこそ病気や老衰という平和な死が当たり前になってきたが、戦争による死や飢餓による死、事故や災害による死が折り重なった上澄みに私たちは生活しているのだ。前述の例で言えば、私たちは心霊現象のスイッチが埋まった地雷原で生活しているようなものだ。

 この作品で起きる心霊現象には、死という穢れがウイルスのように伝搬し、感染していくモデルが提示される。このイメージ自体は一世を風靡した『リング』にも繋がるものであるが、本作の場合は〈貞子〉という特別な悪霊がいなくとも、そこかしこで死に纏わる汚染と感染が起きていく。それが運悪く発症したとき、怪異が起こるのだ。

 

 本作は裏表紙のあらすじにもあるとおり、ドキュメンタリーのような構成で描かれている。様々な人の話を聞き、家々を周って怪奇現象の原因を探っていくのだが、年表を埋めていくように明らかになっていく姿にはリアリティと神秘性が同居しており、とにかく面白い。

 語り手は作家である。ある日、読者から「不思議な体験をした」という手紙が届く。誰もいないはずの和室から妙な音がする、と。作家がやりとりを続けるうち、そのマンションの別室からも同じ怪異を伝える手紙が届いていたことが判明する。怪異の原因を調査するうち、因縁はマンションに留まらず、土地、人、時間を超えて様々な出来事に行き着くようになる。

 マンションの一室から始まった怪異は、過去を遡るにつれ、思わぬ広がりを見せていき、怪異の規模や恐ろしさも凶悪なものになっていく。終着点までたどりついたとき、逆説的にこの過去の因縁は〈いま〉どこまでどんな広がりを見せているのだろうか、私が住む部屋に、知らないうちに見知らぬ因縁が転がり込んではいないだろうか……そんな不安を抱かずにはいられなくなる。この、読者を〈怪談の当事者〉として巻き込む手法が、恐さの要因となっているのだろう。

 

 本作では強烈な心霊現象や夢に出るような恐ろしい怪異が起こるわけではない。ひとつひとつはどこかで見聞きしたような怪談ばかりだ。しかし逆に起こり得るレベルの、我々の想像力に十分叶う、身近で手頃な怪異が記されているとも言える。

 知ってしまったことで、意識してしまったことで、この物語に関わってしまったことで、それらが自分に降りかからないと断言することはきっとできない。この読了後の感覚こそが本書の醍醐味であろう。

 そこで私は表紙を気にしてしまったのであるから、まあ愉快に生きている。