でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読んだ本の話

村上春樹の新刊「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が今月12日に発売になるとかでわくわく。

それにしても奇抜なタイトルです。いや、最近のラノベのタイトルを見ているとむしろ今風にかぶれたとも…。

読書が趣味だった時代もあるのですが(いまも読むけど年間10冊も読まないので趣味とは呼べまいよ)、

村上春樹は高校時代に読書を始めるはしりになった作家なので特に思い入れがあります。いまも好きです。

しかし前作の「1Q84」は文庫本になってから読みました。面白過ぎて文庫の5、6巻の発売が待ちきれず、

先に出ていたハードカバーの方で続きを読もうとしたくらいです。そのくらい"読んでる最中は"面白かった。

どうも村上春樹の作風は作品としての一応のゴールは用意されていますし、そこまで全力疾走する本筋は

存分に面白いのですが、その途中途中に散りばめられた伏線や謎がそのまま放置されている気がします。

なので初見で読んでいる最中はそれはもう物凄く面白いのですが、読後感が反比例して爽やかじゃない。

「あの人は結局どうなったんだ…?」「あの不思議な出来事は何だったんだ…?」などモヤモヤがそのまま

消化不良に最後の1ページが終わってしまうので、いつも「えっ。これで終わり? 本当に?」と感じます。

そういうモヤモヤがあるせいかだいたい読み終えた後ですぐ2周目の読書に入ってしまうんですけどね。

張るだけ張った伏線を最低限しか回収しないので、ミステリやSFなど細部の辻褄が合うことが必然である

作品で読書を覚えていった人が読むと面食らうことが多いようです。実際にそういう批判はよく目にします。

しかし広げた風呂敷を畳む責任は作家には無いわけです。面白く最後まで読めたならそれはそれで良い。

話の畳み方が見事だからこそ評価される作品があるように、広げ方が素晴らしいという評価もあるでしょう。

そういう意味合いでは村上春樹は週刊連載の少年漫画にノリが近いのかもしれません。セックスするけど。

次週を楽しみにさせるためのハッタリをばんばん散りばめ、見開きで印象的なシーンをガカッと派手に描く。

エンターテイメントとしての読書の面白さとしては、非常にとっつき易くて嘘が無いつくりだと思いますがね。

だからこそノーベル文学賞とかはちょっと色が違うんじゃないのかな、とはごく個人的に思ったりもします。