でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

過去の話

そのうち「失恋の話」としてだらだら書こうと思っているが、その準備みたいなもの。

5年ほど前に大きな失恋をした。

それなりに長く付き合っていた彼女に振られたというだけなのだが、いまの自分の3、4割はその後のあれこれで肉付けされているように感じている。

情けないことに、振られた程度のことが自分の人生では一番の大事件だった。付き合う前と振られてからでは人生哲学や服飾・音楽の趣味なんかは大分違う。と、思っている。

引き摺っているか、と言われたらノーなのだが、では新しい一歩を踏み出せているかと言われたらそれもイエスではない。

二度と親しくすることはないだろう、という確信はあるしそういうことをするつもりも全くない。これは徹頭徹尾そうだと言える。終わったことは認めているし、そうなった経緯もいまは納得している。別れるべくして別れたと思っている。

一方で彼女と付き合ってから(厳密には一目惚れしてから)振られて今日いまに至るまで、1日でも忘れた日がないのも事実だ。起き抜け、食事のとき、買い物の最中、ふとした拍子によく思い出している。

それでも不思議なもので、いまでは彼女の顔を思い出すのに時間がかかるようになっている。彼女その人よりも、彼女が居たという気配の親密さをいろんなところで感じているようだ。

ノルウェイの森」の冒頭部分は、主人公が直子に「私のことを忘れないでいて」と言われ「忘れられるわけがない」と返すシーンから始まる。それでも主人公は時を経て、彼女の顔を思い出すのに時間が掛かるようになった事実に戸惑う。そこから物語は幕を開ける。

そのシーンが強烈だったせいか、村上春樹の著書はほとんどすべて読んだ。そのテーマは二つの世界、現実と、そうでない世界の邂逅がもたらすストーリーが多い。そこでは特に、過去の出来事や昔の記憶が歯車になっている。

私は自分の記憶をあまり信用していない。意識的にも無意識にも都合よく改竄されるものだと思っている。だからこそ、これだと思ったときに言葉や文章にしなくてはならないとも思っている。

「時が経てばわかる」というのは半分くらいは嘘だ。重要な部分が風化しすぎて致命的にわからなくなってしまっただけだ。

そういうわけで過去の話を、特に失恋についてあれこれ考えたことの備忘録をつらつら書きためている。それを纏めて形にしたいというのが、実はこのブログを数年前に立ち上げた理由であったりもする。

いまもまだ新しい発見のある問題であるので、完成には程遠いが2015年はこいつを形にすることをひとつの目標に、文章力と構成力を磨いていきたいと思う。

書いといてアレだが、昔の恋の話というのは新しい恋が始まらないと客観的に見れないものだと思う。

そういう機会も用意しなくてはなるまいなと改めて感じている。もう若くない。