でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

ありのままの姿見せる話

少し前に自分探しなるイベントが流行った。いまも流行ってるのかもしれないが、一時に比べるとあまり聞かなくなった気がする。震災以降は自分なんか悠長に探してる場合じゃねえ、という事実に気がついた聡明な人が増えたということで安心しておきたい。

自分探しの目的というか到達点は「自分自身というものを自己の内面から肯定して自立していく」というところにあると思うのだが、一般人がこれをやろうとするのは土台無理な話だと思う。

できるとしたら生きて行くフィールドと求められるポテンシャルやパフォーマンスがはっきりしているプロアスリートくらいだろう。能力以外の要素が理不尽に作用してくる普通の経済社会では無理だ。

そもそも自分というものを構築するものの7~9割は環境によって決定される。家族、友人、風土、天気、宗教、その他外的要因によって日常的に人間というものは絶えず揺さぶられている。環境の変化によって心理状態や行動には大きな変化がある。

なんらかの目的を達成しようと思ったら本人の決心や覚悟なんかよりも、より厳しい環境に身を置いて生活することの方が圧倒的に効果が高い。行き詰まったら部屋の掃除をしろ、というのも周りの環境を変えて仕切り直すための現実的な手段のひとつだ。

環境と自我との摩擦がいい感じになるところで「自分」を置いて生活しているのに、ガラッと環境の違うところに旅行に出掛けて本当の自分とやらが見つかるわけがない。人間の内面というのは驚くほど自分をいうものを持っていない。他者との関わりあいで相対的な評価として初めて自分が見えてくるものだ。

騙し絵というかトリックアートのひとつに、真ん中にツボがあるようで、見方を変えると横顔が向き合っているように見える絵がある。私は「自分」というのはこのツボのようなもので、他者が向き合う形でおぼろげに輪郭が見えてくるのが自分自身というものだろうと考えている。ツボは確かにあるが、それを構築するものの存在なしには語れないのだ。

三十路を過ぎると説教臭くてよくない。私は昔からこんなだった気がするけど。

表題にしたくせにアナ雪の話も全くしていない。だいたい本編見たことなくてレリゴーしか知らないし、私はディズニー特有のあの口角が下品に上がっている笑顔が嫌いなのだ。