でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

文学フリマに行った話

さんざTwitterでつぶやいたので今更だが、東京流通センターで行われた文学フリマに行ってきた。何回見ても書いても東京靴流通センターに空目する。


10年位前から知っているメタクソ面白い文章を書くうえにメタクソ数奇な人生を歩んでいる方々が文学フリマに数年前から参加しており、そこで販売された冊子については本ブログでも過去に紹介している通りである。
その「既知だけど顔は知らない人たち」に会ってみたいというのが今回東京まで足を運んだ最大の理由であるが、この文学フリマで販売される本がこれまでと比べて記念碑的に豪華であることも新幹線代の捻出を円滑にした。
ようはベストアルバムが出るのだ。しかも今回は内容が内容だけに中身も分厚く装丁も趣向が凝らされているときた。買わずにいらいでか。

と、かなり狭い視野と目的を持って朝日も満足に昇りきっていない明朝に新潟を発つ。正確には勤め先から最寄りの燕三条駅から新幹線に乗った。帰ったら仕事がある。勤労感謝の日なのにね。おかしいね。

この調子だと今日一日を逐一振り返ってしまうがそれではさすがに長くなる。今日のところは総括的な感想を書いて終わりにする。何しろ、買った本をまだ全部きちんと読んでないのだ。こんな駄文をいつまでも書いているわけにはいかない。読書に移りたい。

というわけで端折る。端折った部分は後日書く。

結果的に会いたかった人たちには挨拶ができたし、欲しかった本も買えた。それ以上に私の中に響くものがあった。
正直、私は文学フリマの規模を舐めていた。参加者の規模も場のテンションも勝手に低く見積もっていた。足を運んでみて初めて思い知ったのだがこんなにたくさんの人々が文章をしたためて、本にして、人から読んでもらいたいと切望しているとは考えていなかった。そういうのはもっとニッチでどこか薄暗い情念だと考えていた。
しかしそこはとても快活だった。たくさんの人が行き交い、各々に情報を交換していた。笑い声や雑談の声が絶えなかった。ここにいる人たちはそれぞれに文字や言葉の海を抱えていて、それを管理したり、あるいは知らない誰かの湛えた海を泳いだり潜ったりすることを楽しみにしている。そう実感できるエネルギーがとても嬉しかった。言葉と文字で遊ぼうという親密な空気にすっかり場酔いしてしまった。
気持ちよくブースをふらふらさまよっているうちに時間は過ぎた。スーツケースではなくビジネスバックで来たことを後悔した。立ち読みで済ませた本がかなりある。次回必ず、と約束してその場を離れた。

結局長くなってしまったが、文章でなにかを表現しそれを紐解こうとする人たちがたくさん集まって生まれる流れに身を委ねた多幸感と、そうして日々研鑽を積んで書くことに向き合っている人たちに対する妙な焦燥感、これまで人となりを知っていながら顔と声を知らなかった人たちと交流できた安心感、いろいろな気持ちが混ざり合っていまとても満ち足りた気持ちになっている。
それを忘れたくないので、楽しみでたまらない本を読む前にこうして記すこととした。

東京を離れ、職場に着いてからも心がはやって仕事になかなか打ち込めなかった。きっとなにかミスをしている。まあそれは明日出社してから正していけばいい。

たまには外に出てみるものだ。とても素敵な一日になった。

あと、東京は若い女の人がいっぱいいるな。すごいな。