でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

『夫のちんぽが入らない』読書感想

書き終えて推敲しているが、以下の文章は厳密には読書感想ではない。

二言三言しか言葉を交わしたことはないが、私は個人的にこだまさんを知っている。だから純粋に本だけを読んでの感想というのがどこからどこまでなのか、よくわからない。本を読んで思ったことでもあるし、この本を書いた著者を想って書いた部分もずいぶんある。だからあんまりフェアな読書感想とは言えないのだ。
しかしそれでも書いた甲斐はあった。正直、読んですぐには感想が纏まらなかった。なんだこれ、しかなかった。この本の持つメッセージの強さとエンターテイメントとしてのパワーに圧倒され、ただただ呆然としてしまった。その感覚をちくちく文章にすることで少しずつ解きほぐして、ようやく自分の消化が始まったように思う。
面白くて感動的で、壮絶な本だ。受け取るものが多すぎて戸惑ってしまうかもしれないが、本書はその理解を急かさない。すでに著名人を含め、多くの人が感想を寄せている。それらの尊い気持ちが全部、この本を触媒にして読者が掴んだもの全部、この著者のワザなのだ。改めて、すごい。



以下、だらだらと感想を書く。

読み始めてすぐに感じたのは「いつものこだまさんじゃねえな」という違和感だったかもしれない。夫だ。シラフの夫がたくさん書かれている。

これまでもこだまさんの著作やブログに夫が登場することはまれにあった。しかし大抵は面白現象を引き起こすか巻き込まれるか、あるいはやや離れたところからそれを眺めているかという、ユーモアのフィルターを通過した後の夫だった。
記憶に残る限りで唯一、夫が妻を労わり伴侶としての優しさを見せたのが同人誌『なし水』で『夫のちんぽが入らない』を読んだときだった。教師を辞める決意を初めて話したときの「自分のしたいようにすればいい」という台詞。ぶっきらぼうだけど、率直で付け足すことのない、すべてを肯定することを伝える言葉。冷たく感じる人だっているかもしれない。別の夫婦だったら喧嘩になるかもしれない。でもこの言葉を聞いて妻は積年の重圧を慰撫された気持ちになって安心するのだ。この阿吽の関係性こそが余計な言葉で装飾する必要のない、夫婦の結びつきの強さの証明だと感じた。
このときに「底の知れないこだまさんの伴侶なんだから、この夫だって只者じゃねえに決まってるんだよな」となんとなく思ったことを今更ながらに思い出した。

とはいえだ。こんなにかっこいいのか、夫よ。まるで恋愛ドラマの第1話じゃねえか、ananのコラムじゃねえか。甘酸っぱいぞ、くすぐったいぞ、どうしたんだこだま。予想だにしなかった新しい引き出しへの驚きが読んですぐに私を襲った。
こだまさんの文章は、いつも灰色の深い霧のような風景からすうっと物語に入っていく。物事の輪郭や気配は少なからず不吉なかげを持って眼前に現れる。もちろんすべてがそのままそうなるわけではない。物語の深部に近付くにつれそれらの姿形ははっきりと見え始め、色や匂いや本来持っていた素朴な憧憬を、まるで自分が昔から抱えていたかのように丁寧に共振させていく。霧が晴れた後には不吉だった影もどこかユーモラスな彫刻のように見えてしまったり、空には虹が輝くような雨上がりの気配があったりする。著者の柔らかくユーモアに富んだ文章構成によって、雨降りや暗闇も素敵だな、と思わせてしまうのだ。自分が恐れていた世界や概念が著者の視点を通して可愛らしく見えてしまう。
しかし今回はのっけから霧がピンク色だ。甘い香りだ。どうなってしまうんだ、夫ちんぽ。……などと思っていたら私生活の絶妙なダサさや、ベッドでの狩猟時代の営みや、過去の恋愛に対する疑問や諦観を経るうちにいつものこだま節が戻ってくる。カラフルな気配は霧散し、2章からガラリと雰囲気が変わった。

今作でこだまさんはこれまでの作品よりもずいぶん丁寧に自分自身、そして生活の中で関わってきた人々の感情を拾い上げて深い洞察を加えている。普段ならユーモアや軽口で流していくような場面でも立ち止まり、そこに含まれている意味や示唆を捉えようとしている。いつもの闊達さが控えめになり、心情の吐露が多いように思った。見落とさないぞ、目を逸らさないぞ、という覚悟で筆を進めている姿が見えるようだった。
ひとりの辛さや出口の見えない絶望をこれでもかと書きながら、文章自体はすらすらと頭に入ってくる。まだ傷ついてしまうのか、まだ辛いことがあるのか、と悲壮な気配を感じながらもページはどんどん進んでしまう。暗く冷たい川なのに、流れとせせらぎには澱みがない。たまに超ド級の変態がぷかぷか流れてきたりもする。
そうして少し重たくなりすぎるか、というところで紙面に夫が登場したときの安心感といったら!
今回『夫のちんぽが入らない』を加筆修正、いわばちんぽのパラダイムシフトを図るなかで注力されたのがおそらく夫の存在だったのだろう。夫婦の物語なのだから伴侶にある程度スポットが当たるのは当然のことであるが、それでもこんなに素敵な男性だとは思わなかった。読んでいて夫の言葉で涙腺が緩む場面が何度もあった。特に教師として頑張っている姿は印象的だった。夫の描かれ方が加わったことで、こだまさんがなにを見ようとしていたのかが改めて示されているように感じた。

最後のあとがき。私はここで、とうとう落涙してしまった。
自分を傷つけたものにさえ慈しむ心を持って接し、もっとこう出来たのではと自分を嘆く。自分が一生懸命やってきたことなのに、頑張れたのは誰かのお陰だと嫌味なくさらっと感謝の言葉を言ってのける。そのメッセージが誰に向けられたものであるか。
もうお腹いっぱいである。ここで私の感情上限はたぶん、パンクしてしまったのだろう。冒頭に書いた通り、なんだこれ、以外の言葉が出てこなくなった。それを自分なりに解きほぐして、ここまで書いてみた。でもまだとっちらかった部分が多くて全容を掴めた気はしない。いや、掴めるわけがないのかもしれない。そういう枠を持たないと決めた二人の物語なのだから。

誰だって、自分が損なわれ、駄目になってしまうのを自覚するのは怖い。それは環境のせいでもあるが、自分の弱さのせいでもあるだろう。だからこそますます救いようがなく怖くなるのだ。我が身を助けられる術がなにもないように感じる。この落下がいつまでも続くような絶望感が襲う。
そこへ、その自分が落下していくであろう奈落の底から「案外大丈夫でした」と朗らかな声が聞こえてくる。地獄だと思っていた暗闇からなぜだか平気な顔をした人が出てくる。
恒久に輝く「幸せ」という光のせいで自分の影に恐ろしいほどの暗い闇や、奈落の底が見えてしまうのではないだろうか。本当に自分の頭の上でぎらぎらしているものは幸せの正体なのだろうか。
苦しむこと、絶望すること、できないこと、叶わないこと。それらは乗り越えたりしなくても、捨ててしまわなくても意味のあるものとして糧にできるのではないか。

著者にそんな気は無くても、この本に励まされ、慰められる人はたくさんいるのだろうと想像する。そうした感想を読んで回るのも面白いかもしれない。
きっと、いろんなちんぽが、いろんな刺さりかたをしている。