でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『移民の政治経済学』白水社

 翻訳本。著者はGeorge J.borjas。翻訳家は岩本正明。

 アメリカのひとつのアイデンティティにもなっている移民政策についての諸問題を、特に経済の観点から見つめ直すことを主題にした作品。一般向けの本なので特別な知識は不要であるし、数値や政策を主体とするのではなく、政治的な潮流や市民活動がもたらす影響など実生活に基づいた理論展開が多いため理解しやすい。文章も平易になるように心掛けられているのか、普通の新書と変わらない感覚で読むことができた。

 

 面白く読んだのだが、この本を購入したときの記憶がない。突然Amazonから出荷された旨のメールが届いてギョッとした。泥酔した状態でAmazonをノリでポチり、翌日以降まったく身に覚えのない商品の発送通知が鳴ってビビるという経験は誰もが通る道だと思う(そうであってくれ)。購入のタブをタッチしたときの記憶はないが、この分野に興味を持った理由は想像がつく。

 最近、海と月社から出版された『CHAVS チャヴ 弱者を敵視する社会』を読み、イギリスにおける資本家への富の集中と、一方でないがしろにされた労働階級の格差が生まれていく経緯を垣間見た。彼らは、政治家の「こうあるべし」というまさにイデオロギーに内包される形で労働環境とコミュニティを剥奪され、中流階級から敵意を向けられつつ、それに反発する不平不満や怒りすら政権に利用されていく。その構造が丹念な取材のなかで明らかになっていく様子には背筋が冷えた。特に、劣悪な労働環境や貧困に喘ぐ労働者層が本来その怒りをぶつけるべき相手である政府ではなく、同じような貧困層や移民、特に生活保護受給者を目の敵にしてしまう意識のすり替えを巧妙に仕組むやり方には強い既視感を覚えた。制度や程度こそ違うものの、同じような潮流は間違いなくいまの日本にも存在しており、そのうねりは一層強くなりそうな気配を感じさせる。

 ……と、国会の労働改革法案審議を眺めながらそんなことを考えていたので、移民というファクターから検索をかけているうちにこの本にたどり着いたのだろう。泥酔しているなりに真面目であるし良い判断である。

 

 前置きがアホほど長くなったが、毎度のことなので気にしない。

 さて、移民。当然ながら日本はいま現在、移民政策を採用してはいない。というか忌避していると言ってもいい。私は昨年の春から実家のある秋田に引っ越してきたが、職業安定所で求人を見る限り、あらゆる業種で人材は不足している(そして給料は安い)。これは片田舎に限った現象ではなく、全国的に人手不足の傾向は強い。介護業界における外国人労働者受け入れに関する法案整備のニュースはときどき取り上げられるので目にする機会も多いだろう。以前勤めていたのは青果市場だったが、大きな農産地では繁忙期に外国人労働者を雇うところも珍しくなかった。

 様々な業種で外国人労働者の労働力に期待する一方で、移民政策に関しては政府ははっきりと意図を否定している。移民政策と受け取られないように慎重に行う必要がある、とわざわざ言うくらいなのだから。

 とはいえ国内の労働人口は増える見込みがなく、日本人があまりやりたがらない一部単純労働や介護の現場には強い労働需要が存在する。そうした状況の中で、日本はいつまで〈移民〉を対岸の存在として無視していられるのだろう? いつまで外国人を〈外国人労働者〉という矮小化したカテゴリーに納めておけるのだろう?

 というわけで移民政策に詳しいアメリカさんにお越しいただいたわけだが、いまやアメリカでも移民に対する世論は揺れている。ドナルド・トランプがメキシコとの国境に不正移民の侵入を防ぐ壁を設置することを公約に掲げて当選したことをはじめ、移民が実行したと思われるテロ事件も目にする機会は多い。アメリカン・ドリームの自由、移民政策を矜持としていたその国が、こうした本が出版されるくらいに移民という存在に戸惑いを覚えているのだ。

 

 本書は移民がもともとそこに暮らしている国民にどのような影響を与えるのかを経済の観点から捉え、そこから得られるデータを元に推察される事象や今後懸念される事案についてわかりやすく触れている。

 論旨は非常に明快であり、またショッキングでもある。経済的な面からいえば、移民は労働者にとっては賃金の低下を招くマイナス要因になりうるとはっきりと断言している。一方で低賃金の労働者を雇うことのできる企業家にとっては大きなプラスとなる。その企業家のプラスと労働者のマイナスを総体として見たとき、総額はプラスとしてはたらく要因が大きいことから「移民政策は国民にとって有益」としている。そのお題目を信じて移民政策に邁進することの是非を、著者は読者に問いかける。

 そもそも、著者は作品の中でいかに数字的なデータが役に立たないかを実際のグラフや統計を記しながら解説する。サンプルとなる母体のカテゴリーわけや、数式モデルに当てはめる前提条件によって架空経済の様相はどちらにも簡単に転ぶ。そして移民政策に携わる社会学者や経済学者には「こうあるべき」という理想がすでに存在しており、それに都合のいいデータや統計だけが取り上げられるため、そうした学者が扱う科学的根拠には信憑性がないのだという。なんだかどこかで聞いた話でめまいがしてくる。

 

 著者は移民が与える影響を包み隠さずに言ってしまう。上記の通り、労働者にはリスクが大きく、企業家ばかりが儲かる傾向にあると。その事実をしっかりと踏まえた上で、イデオロギーポピュリズムの枠は存在するものとして別に置かなくてはならないと進言する。著者自身がキューバからの移民であり、多くの移民にアメリカン・ドリームを魅せる祖国を誇りに思い、また愛している。だから彼は移民を受け入れるなかで、国民、特に労働者が大きな不利益を被らないような政策を取らなければならず、そうした現実的な施策を行うには現実を直視した誤魔化しのない議論が必要だと説く。

 この姿勢に私ははっとさせられた。数字だけを見て是非を決めるのではなく、自分が「こうしたい」から、その理想を実現するためにはどのような方策が必要かを講じる。そうすることが当然であるかのように、あらかじめデータを都合よく作り上げるのではなく、有利なデータも不利なデータも同じテーブルに上げてから、それをどうしたいかを論じていく。それこそ本来の人を導く立場の人間が考えるべきことだろう。

 

 今後、私たちもいつか直面するであろう移民という存在と、社会学や経済学に対する自身の身の置き方を考察する上で非常に有意義な一冊になった。