でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

2019年振り返り

 今年も残すところ僅かとなったので、備忘録も兼ねた振り返りをひとつ。

 ざっくりと振り返ると、思うように行かないことが多い一年だったと思う。昨年までの数年間は順調だと感じることが多かったので、ここいらで停滞と我慢の年がやってくるのは巡りあわせとしては自然なのだろうなという気もしている。いずれにせよ、心穏やかな年ではなかった。

 そもそも今年は年の初めから躓いた。昨年末に風邪をひいてしまい、年越しと元旦を体調を崩した状態で迎えてしまった。その後、いつも参拝する神社でいつものように御神籤を引いたところ「小吉」だったのだが、この内容が妙に痛烈であったのだ。

 私は無神論者ではあるものの、バイオリズムというか因果律というか、本人の預かり知らぬところでの浮き沈みみたいなものはあると感じており「いまはノッてる時期だから頑張ろう」とか「ツキが離れてるから謙虚に行こう」というような、心構えの指針や自省の契機として神仏にお参りすることは多い。神に祈るとき、私自身の中に神は内包されており、すなわち私は祈る神そのものである。さあ崇め奉るのです。

 冗談はさておき、私は元来くじ運があまりよくないが(御神籤をくじ運などと言うのも不敬である)今年の運勢を記したそれは、過去に引いた凶御籤と比較しても「吉」要素が極端に薄い小吉であった。

 その一部を抜粋すると、「願望:思うにまかせず目に見えて早くは出来ず」、「待人:来れども遅し」、「旅行:金銭の費多し慎め」、「商売:利益なく損あり」、「争事:勝がたし。言うな」、「恋愛:感情を抑えよ」、「病気:医師をえらべ」などなど、スッと物事が進むようなステータスがひとつとしてなかった。この御神籤をまじまじと眺めながら、マジか、と思った今年の初めだったが、どうにもマジだった。

 

 とはいえ、すべてがすべて的中するわけでもない。御神籤では慎めとあった旅行であるが、今年は仕事の都合で初の海外へ出掛けた。それもいきなり中国に7泊8日である。ベトナムに近い南寧という街が出張先だったが、凄まじい勢いで発展する中国社会のパワーとそれを支える人間の数に圧倒された。思うように行かないことも多々あったが(日本以上に融通の利かないところではあった)、それ以上に勉強になったことが多かった。勝手に抱いていた中国のイメージが良くも悪くも揺さぶられることとなり、慎まずに出掛けてよかったと思っている。幸い、金銭の費も多しというほどではなかった。

 あるいは、御神籤を読み返して「ちょっと油断すると死ぬほどボラれるに違いない。仕事以外では大人しくしとこう」と心に誓ったことが未然に被害を防いだとも考えられる。パラレルワールドの私はハニトラに引っかかって当局に拘束され、身代金を払ったかもしれない。万事塞翁が馬である。

 

 さて、今年の反省点はたくさん挙げられるのだが、忙しさにかまけてまともに趣味活動をしなくなっているのは悪い習慣であると思う。読書も中途半端になったし、運動もできていない。忙しいことに間違いはないが、それでも前職のときに比べれば肉体的な負担は少ないし拘束時間は圧倒的に少ない。そして自由に使えるカネは多くなった。

 したいことはする。なにしろそろそろ年寄りだ。できないことも増えてくる。思い立ったらそこがスタートラインだと励ましてくれるヒット曲は多いが、彼ら(彼女ら)はそれができなかったときの責任を取ってはくれない。あまり真に受けてはいけない。底辺層に泡沫の夢を与えてぺろりと搾取する悪魔だよあいつら。

 先ほどの御神籤の話ではないが、最後に信じられるのは自分だけだ。先ほどの旅行運のようにダメそうだと釘を刺されても、腹を括って挑んでみたら新しい発見や素敵な出来事に出会うことはもちろんあるのだ。そもそも御神籤だってどこかのメーカーが大量生産してカタログを作って全国の神社に配っているのではないのか。その辺りの仲卸はどうなっているのか。どうなの。

 話が逸れた。ちょっとやりたいことがあるので、来年と再来年、2年間を区切りに頑張ってみることにしよう。内容については達成できなかったときに恥ずかしいので言わない。というか、こういう場所でガス抜きをしてしまうと心理的に満足してしまうので控えたほうが良さそうである。

 

 酒が回ってきた。どうでもいいことはいくらでも書けると思うが、そういうエネルギーも有効に使えるように貯めておこう。