でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

2020年の年明けによせて

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

 いま? と思われた貴方は実に正しい。1ヶ月と1日遅い。そんなことは十分承知している。なんやかやと忙しくしているうちにあっという間に経過してしまった。恐ろしい。

 このご時世、受験生であればセンター試験の追い込みから本番、二次試験の申請までを終えている。一生を決定付けるとまではいかなくとも、その選択肢を夢に垣間見る泡沫から具体的な名前のついた枠に嵌めてしまう程度には選別してしまう、生きていくうえで避けられない人生の関門である。そういう重要な時期を漫然と過ごしていたわけだ。

 が。思い返せば私がセンター試験を迎えた高校3年生の頃にも、案外ぼんやりと過ごしていた。地元では進学校に数えられる高校に進み、日々の勉強をサボるほど情熱を傾ける部活や趣味もなかったため、割と順調に成績を伸ばして(いま思うと悲しい学生生活)高校3年生を迎えた。

 当時の私は「これではいかん」と急に思い立ち、突然マンドリンを習い始めた。楽器経験もなく受験戦争が本格化する中でのこの選択。面白い。我ながら面白い。その後無事に大学に合格して地元を離れることとなったため、わずか1年学んだだけになってしまったが、楽譜の読み方を覚えられただけでも有意義だったと思う。

 私の高校3年生時代の寄り道はそれだけではない。夏休みにFF10に激ハマりしたところ、成績が見事に伸び悩んでしまった。某キャラの隠し武器を取るために、部屋を真っ暗にして意識を集中し、稲光に合わせてボタンを押す作業に勤しんでいた受験生もそうはおるまい。隠し要素にもガチで挑んだ結果、学業がまあ伸びなかった。というか落ちた。運動部の引退組が目覚ましい成長を見せるのに反比例する形で偏差値を10近く落としたのは、私の人生における最初の「転落」だったように思う。

 ちなみに私は本気で挑むほど熱中した物事が少ないため、図らずも挫折の経験が少ない。人生で唯一の挫折と呼べそうなものは10年ほど前の失恋であるが、それについては2万字くらい書けそうなので別の機会に譲ろう。

 

 さてはて。そんなこんなで迎えたセンター試験。私は普通の受験生が絶対に避けるミスを犯す。ある教科の試験中に、どうしてもトイレが我慢できなくなり途中退席したのだ。

 緊張で睡眠時間が短かったこともあって、持参したコーヒーを昼食の際にがぶ飲みしたのがよくなかった。試験開始直後から尿意を感じ「ひょっとしたらマズイかも」と思ってから数分で「これは終了時間までは持たん」という確信に変わった。いざというときに思い切りがいいのは私の数少ない長所である。集中して問題を最後まで解き、名前と問題番号のマークをチェックしてから躊躇せず挙手。トイレに立った。

 途中離席は試験会場に戻れないはずなので、試験会場の入り口でパイプ椅子にでも腰掛けて試験終了を待っていたのだろうが、そのときの記憶は定かでない。

 というのも、その後の大学での二次試験で同じことをしたため、トイレでスッキリした後の記憶がどちらのものなのか判然としないのだ。我ながら迂闊としか言いようがない。二次試験のときは試験会場には戻れなかったため、喫煙室の向かいのベンチに座って惚けていた確かな記憶がある。センターのときにどうしたかは、そのときの感覚と混然となっていてぼんやりとしている。

 

 そんなこんなで同じ受験生たちの前で存分に恥はかいたが、その後国公立大学に現役合格をキメたので結果オーライである。恥のついでに白状するが、私はその大学を4年で卒業していない。お金を出してくれた両親には迷惑をかけたと思っているが、大学時代の経験はいまでも私という人間の根幹を作る礎となっているため後悔はない。

 そうやって入った大学生活を送るために実家を離れて一人暮らしをはじめ、そのまま地元を離れて就職し、15年してから色々あって故郷に帰ってくることになった。

 いまの私は、いわゆる「こどおじ」である。田舎の実家暮らしは窮屈なことも多いが、貯金が捗るというのは大きなメリットだ。すげえ捗る。町内には気に入らないジジババもいるが、間も無く鬼籍に入る連中ばかりだと思えば親切にすることは容易い。……容易いは言いすぎたが我慢できなくはない。

 

 さて。横道に逸れて随分とペラペラと書いてきたが、まあまあの文量になってきたのでこのくらいにしておこう。

 そうそう、昨年は「ヤバイ『小吉』を引いた」と何度か口にしたが、今年の初詣で引いた御神籤も残念ながら小吉であった。しかし昨年の小吉に比べると各項目に書かれた優しい内容だったので少し希望を見出している。

 なにか面白いことがあれば書き記すようにしよう。ともあれ、今年もよろしく。