でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

「なし水」感想 part3 たかさん

間が空いたが、決して感想を書くのに飽きたわけではない。

毎日午前4時半に出社(起床じゃないぞ、出社だぞ)、午後2時から4時頃まで長めの休憩を挟み、それから再び午後7時頃まで仕事をして帰宅するという生活を送っている。そのため平日は時間がないのだ。足りないのではなく、ない。

ちなみに休日も午後4時からの仕事は確実にあるため、丸一日休めるのは盆正月と連休の初日、年間10日前後である。これで年収が工場勤めの弟の6割程度というから救いがない。同期は2年で全員辞めた。上司は「限りなくグレーだよな」と苦笑いするが、こんな黒光りするグレーがあってたまるか。

というわけで、感想は休日の午前中や休日前の夜に纏めて書いている。

本題。たかさんの「弱いもんばっかいじめやがって」。

『なし水』を読んだら絶対に感動すると思っていたが、実際読んでみたら想像以上に面白くて笑ったし、得体の知れない力強さに惹き付けられた。でも4作中、涙がこぼれたのはたかさんの作品だけだ。

読み始めて最初に思ったのは、たかさんからは主人公感がしないな、ということだった。先に物語を書いたふたりは「公私に一生懸命だけど不器用な社会人こだま」と「常軌を逸した言動ながら爽快なアクティブさを持つ爪切男」だった。クセはあるが、というかそのクセが説得力として枠を作り出す魅力的な主人公だ。

一方でたかさんは傍観者として物語に現れる。中心にいるのは超個性的な親父だ。たかさんの少年時代の回想は、まるでその圧倒的引力に兄弟や親戚が引っ張られて歪んだように思わせる。コントのようなテンポで描かれる少年たかの生活は「三丁目の夕日」から心暖まる要素を引いて、下品さを倍に増した裏メニューといった感じだ。そんな古い時代ではないはずだが、親父さんのキャラクターのせいでそう見えた。

そして少年たかが成長し、大学生となり、家庭に事件が起こる。ここの過程で物語の主人公が間違いなくたかさんになっている。この構成に「あ、すごいな」と思わされた。中心から親父がフェードアウトし、いつの間にか青年となったたかさんの物語が始まっている。油断していて背後を取られた気分だった。

毎回書いている気がするが、こだまさんも爪切男さんも客観的に事実の羅列だけを見れば結構重い出来事を題材にしている。しかしこだまさんの場合は教職と夫のちんぽ、爪切男さんのは家庭の特殊性と、私の生活圏から見るとかなり遠くの世界で起きた事件であることは否めない。

一方でたかさんが経験した「母親が倒れる」という事件は僕も今後必ず経験することになるだろう。考えるだけでも気の重いことだが、その分だけ著者に近い気持ちで物語を感じることができた気がする。

たかさんが部屋のカレンダーが新しくなっていることに気がついて涙を流す場面で、私も涙腺が解けてしまった。2分前までにやにやしながら読んでいた物語に泣かされるというのはちょっと記憶にない。

たかさんは以前「今夜は金玉について語ろうか」という人気ブログを開設していた。ブログサービス提供元の会社が夜逃げ同然にいなくなり、ある日サービスごと更地になるという衝撃的な最期を迎えたことはたかファンの間では記憶に新しい。そのブログでは本書で語られた家族の話以外にも別のエピソードが多数載っていた。

母親の一件が最大の事件であるのは間違いないが、この話では触れられていないもののお姉さんもお兄さんもかなり強烈なキャラをしているし、たかさん自身にもここでは語られていないパンチの利いた話がたくさんあった。どれもこれも見るたびに笑っていた。

そこで読んだ物語がフラッシュバックしながら読めたために「弱いもんばっかいじめやがって」を何倍も楽しむことができたように思う。ページ以上の情報量が脳味噌から引き出される感覚は新鮮だった。

たかさんにはネットでのやり取りでは本当に優しくしてもらっているし器の大きさばかりを感じているのだが、ブログを見ると日常生活ではいろんな物に怒ったり声を荒げたりしている(だいたい相手が120%悪い)ようなので「どのたかさんが本当のたかさんなんだろう」という疑問はたまに感じていた。

最近人生経験を積んでわかってきたが、ようはクサりたくなる有象無象が世の中にはたくさんあるし、たかさんはそこに力を入れてクサってくれているのだ。

冒頭、自分の職場への愚痴を書いたが私も自分の生き方に対して、引いては社会の在り方に対してだいぶクサってきている。たかさんがクサった目線で描く出来事は胸に響く。この心地よい俗っぽさはたかさんならではだろうと思う。

しかし「弱いもんばっかいじめやがって」という愚痴っぽさとは裏腹に、ダイハード的な力強さもまたそこから感じずにはいられない。その強かさに憧れる自分は間違いなくいる。

大学時代に金玉ブログで何度げらげら笑ったかわからない。特にあの、まんこが付いたクッションの衝撃と言ったら筆舌に尽くし難い。思い出し笑いだけでひと月はいけた。いま思い出してもニヤつく。

「下品」という二文字が無限の広がりを持っている。きっとそこが本来の人間の居場所なのだろうし、身の回りのものも本当は下品がメッキを被っているだけなのだ。みんな上品なフリをしているのは、とっておきの下品を楽しむための準備なのだ。

石から裸婦像を「取り出す」と表現したミケランジェロのように、たかさんがひょいひょい取り出してくる「下品」はとても魅力的だ。