でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

「なし水」感想 part2 爪切男さん

引き続き『なし水』感想。
前回のは感想というか考察文みたいになっていて我ながら読み返してちょっとヒいた。久しぶりに長めの文章を書いていたら楽しくなってやりすぎた。
私はシンプルで面白いものをあれこれ理屈をつけてこねくり回すのが好きなだけなので、この感想を読んだからといって造詣が深まるとか何らかの解説になるとかは期待しないで欲しい。
むしろ私のような手合いは単純明快でスッと腑に落ちる物を複雑化して厄介にしている。著者の意図に反することも書いていることと思う。ごめんなさい。



続いては、爪切男さんの「鳳凰かあさん」。

ブログと Twitter を以前から拝見していたため本書で語られている出来事もリアルタイムで確認していた。こんな終戦直後の動乱期みたいな豪快な出来事が、21世紀の東京という世界最大規模の都市で、しかもインターネット発で進行していいのかよ、と思わず天井を見上げたのを覚えている。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。
他にも爪切男さんの日常に出てくる登場人物は本人も含めてだいたいが豪放磊落だ。バッティングセンターのお客さんたちも何か変だし、喫茶店のマスターも何か変だ。著者がよく Twitter に書いているオカマバーのイメージは完全に「シティーハンター」のそれと重なっている。親しい女性にエアガンを配ったりするし、爪切男さんは冴羽リョウだ。もっこりのベクトルがいささか奇妙な冴羽リョウ
さて、この短編では母子の奇跡的な再会に至る経過が明らかになり、それもやっぱり自分の常識の範疇を余裕で飛び越えていて、再び私は天井を見上げることになる。

事実だけを羅列してしまうと、著者の半生にまつわるストーリーもまた重い出来事が多いように思える。先述したこだまさんの半生も強烈であったが、こだまさんは巻き込まれた形とは言え自分の手で「とんでもない扉」を開けてしまった。一方で爪切男さんは物心ついた頃から「とんでもない扉」の内側にいた。そこに選択の余地はない。
にも関わらず、著者にはネガティブなところが全くない。むしろ積極的に楽しんでいるように見受けられる。何と強く、自由奔放なのだろうと思う。いや、自由と言うと語弊がある。正直と言った方が正しいかもしれない。生き方にも性的嗜好にも、著者には秘密がない。この「秘密のなさ」と「豪快な出来事」が折り重なって、とんでもない世界がハツラツとした足取りで読者の脳裏にやってくる。

最も印象的な、母子の再会シーン。一番泣けそうな抱擁のところがものすごいアッサリしていて、その後のボストンバッグから出刃包丁が顔を覗かせる際のギャップとリアリティといったらない。慎重にバッグを閉めるときの、ファスナーがグググという音を立てるのが聞こえるような気がした。
そして母子が離れていた30年という歳月を埋めて行こうとか、その分これからは一緒に居ようとか、そういう描写が全然無い。その必要がないのが、母と子という血の繋がりなのかもしれない。家族の間に貸し借りはない。そのスルーのされ方自体にとても深い愛情を感じた。

感動的で人情味溢れる話を読んだように書いたが(実際、感動はしている)、初見で読んだときは終始笑いながら読んでいた。コメディっぽく描かれている本作に「重さ」の気配は微塵もない。これは冒頭の2014年元旦の出来事から始まる構成の妙でもあろう。
爪切男さんをたびたび「豪快」という言葉で形容したが、『なし水』通販への親切な対応や文学フリマ開催における仕事ぶり、何より家族の大事件とも呼ぶべきこの出来事を面白可笑しく読めるエンターテイメントに仕上げてしまう価値観の柔軟さからも、きめ細かい心配りと他者への配慮を欠かさない静かで丁寧な暖かさを感じずにはいられない。


最後に。『なし水』の通販対応に際して公私ともにお忙しい中、重版や発送など尽力してくださったことに心からお礼を申し上げたい。爪切男さんのお陰でこの面白い冊子に出会うことができ、新しい価値観と感動を抱くことができた。本当にありがとうございます。
皆さんのご健康とご健勝を心からお祈り申し上げる所存だが、こんなにパワフルな人たちに私の祈りなど必要であろうかという疑念は拭えない。まさに北斗の拳だ。君は Tough boy.