でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『死にたい夜にかぎって』爪切男

 ついに発刊となった爪切男さんの処女作。過去の同人誌や日刊SPA!の連載で実力は折り紙付きであったが、それだけに一冊の本でなにを語るのかは書籍化決定当初から気になっていた。だからTwitterでタイトルが発表された際には少し驚いた。これまでの直接的で前向きだった表題とは一変して、詩的で少しネガティヴな印象を与える『死にたい夜にかぎって』という言葉。なにが続く? 答えは、最後まで読めばわかる。

 

 内容に触れる前に、まずは本書の製本を褒めたい。なんという冒険をするのだろう。粗雑な感じを出すために紙質や色をわざと不均等にする。ページ数は振るけど目次は設けない。そのせいでタイトルを捲ったらいきなり物語が始まる。それも、笑顔が虫の裏側に似ている、という不吉な自己紹介から始まる。それに続く著者の半生は、紙面いっぱいに敷き詰められた文字となって(余白が上下左右ほとんどない。ぴちぴち)読者に襲い掛かる。これらの本の雛形を嘲笑うような試みはすべて、著者の勢いがそのまま飛び出してくるような魅力的な演出として機能している。この本に関しては、本当に関係者がタッグを組んでいる。まさにツープラトン。力強く美しい合わせ技が目まぐるしく展開する。

 どのエピソードにおいてもまさに縦横無尽、ときに肉体がときに精神が飛び跳ねる。情景描写は愉快だし、揺れ動く様々な葛藤も生き生きと描かれている。それらは軽快でパンチの効いたユーモアと共に炸裂するため、読者も休む間がない。普通の書き手ならちょっと遠慮するようなところにもずかずかと入っていって、直接的な単語や表現でその面白さを書いていく。一方で文章には流れるようなリズムと、著者の溢れんばかりの優しさが滲み出ている。ひとつひとつの物語のカロリーが高く、章が終わるごとにインターバルを迎えたような安堵を感じたのは私だけではあるまい。

 

 パワフルでワイルドな作りの本作であるが、一通り読んだときに感じる手応えは〈美しさ〉だった。我ながら「馬鹿な」と思ったが、本書を読んだ後にはどこか気持ちが浄化されているのだ。なぜだ。そんな要素は一切なかったじゃないか。むしろ十二分に汚かっただろ。下ネタだっただろ。何回オナニーとセックスって単語出てきたよ。変な人いっぱい出てきたろ。騙されたらいけねえよ。そう思いながら冒頭へ戻ったときに「あっ」と思う。

 この物語はある日の朝から始まる。しかもそれは別れの朝だ。そこからいまと過去を行き来して、ある夜の風景に終わる。薄れることのない慕情と微かな再生の希望を込めた「死にたい夜にかぎって」の言葉に着地して、この賑やかな舞台は幕を閉じる。荒々しくも繊細で、そのくせ剥き出しの感性が爆発しているかと思ったら、それは実は物語の王道をしっかりと歩いている。この事実に気が付いたとき、全身にぶわっと鳥肌が立った。

 私は奥手で、恋愛や下半身の事情に対して奔放なほうではない。だから著者のような生き方はできないし似たような経験もない。それでもこの本に込められた痛切な思いと、未来に託した希望、それを支える良し悪し含めた過去の存在は、とても身近に感じることができる。「恋する」という得体の知れない熱病のような感覚が存在していた場所、治癒したのか壊死したのかわからない心のどこかに、著者の物語るエピソードは不思議と心地よく刺さった。

 

 最後に。出身母体である『なし水』から読んでいる身としてはどうしても対にして考えてしまう、こだまさんと比較して少し拡張した感想を書きたい。先日感想を書かせていただいた『ここは、おしまいの地』の発売日が一日違いだったこともこの心理にいくらか影響している。

 二人は文章のノリこそ違うが、数奇な運命に彩られた半生を綴るというスタイルが共通している。両者とも強烈な少年時代を過ごし、そこから個性的な思想や表現力を身につけている。環境における現状把握と自己を粛々と受け入れる中で、こだまさんが耐え忍ぶ方向に特化していくとするなら、爪切男さんは抵抗する方向に特化した。抵抗と言っても現状を打破しようとか相容れない社会を批判するのではなくて、マイナスからプラスを見出す、可能であればマイナスをプラスと認識して吞み下すくらいのバイタリティで著者は邁進する。

 どちらの作者も著作においては隠し事をしない。お茶を濁して格好つけたり、道化を演じて煙に巻くようなことはせず、カッコ良かったことはそう書くし、掻いた恥は素直に届ける。そこから人の弱さを受け取って慰められたり、強さを見出して励まされたりするのだが、著者たちにはそんな気はないだろう。ただ面白く読んで欲しいという一心で自分の半生を振り返り、こうして物語として差し出してくれていると想像する。だからこそ、とても多くの示唆と教養を含みながら、ふたりの本は極上のエンターテイメントとして純粋に染み渡る。笑えて、苦しくて、少し泣けて。余すことなく書きながら押し付けない、絶妙なバランスで私たちに提供されている。

 きっとこのエピソードを書いてるときは辛かっただろうなあ、とか、相当恥ずかしいんだろうけど書かなくちゃならない話なんだろうなあ、と物語の〈かたち〉を絞り出す苦悩のようなものが垣間見えて、その努力に対して感謝を述べたくなった。

 本当にありがとう。次も買う。読む。