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読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『さよなら妖精』米澤穂信

 米澤穂信の作品は『氷菓』から読み始めた。シリーズを通じて生き生きと描写される、学生生活におけるポテンシャルとしての熱量と個々人が抱える気怠さの対比。そして、ミステリアスでありながらどこか生活感や手癖のような日常の気配が色濃く見える謎の存在に魅了された。それら〈古典部シリーズ〉を読了してからはアニメも視聴したが、こちらも原作にはない賑やかさやサービスが世界観を壊さない程度に溢れていて楽しめた。やや後味の悪いエピソードはハッピーエンド風に作り変えられていたのが、個人的にはむしろ嬉しかったくらいである。私は〈良いお話〉のほうが好きなのだ。

 著者が甘酸っぱい学生生活にダークな脚色を好んでいる、という勘違いが正されたのは『満願』を読んだときだった。むしろ著者にとって『氷菓』シリーズは例外的に平和な世界なのであって、実際は「ダークな脚色」の部分に本質があるのだと思い知らされた。そしてそれは魅力の根源でもあった。とても暖かい底意地の悪さとでも呼べばいいだろうか。可愛らしい皮を被った狼は喩えとしてはよく見るが、実物はなかなかお目にかかれない。米澤穂信の作品は、いわばそれである。

 

 本作は平凡な高校生活を送る主人公が、ひょんなことから異邦人と交流を持つところから始まる。生活に不満もないが満足もしていない、どこか冷めたところのある主人公は冒頭こそ古典部シリーズの主人公・折木奉太郎を想像させるが、少しストーリーが進むと彼とは対照的に何者でもない自分の行く末を恐れている姿が見えてくる。賢しいところや達観した姿勢は背伸び程度のもので、本人の行動や内情が揺れ動く姿は作中でも細かく描写されている。

 一方でそうした十代離れした鉄面皮を授けられたキャラクターがヒロイン、というか相棒役の太刀洗万智である。喜怒哀楽を表に出さず、沈着冷静で知識も幅広く、皮肉屋だ。彼女が頭の切れる探偵役で、主人公がその相棒と言ったほうが正しいだろうか。会話は色を欠く淡々としたものが多いが、呼吸は妙にあっているので面白い。

 

 さて、今作の本筋はユーゴスラヴィアから来たマーヤという少女と過ごした初夏のひと時が主体となっている。彼女と一緒に見る場所、聞く物事には時折小さなミステリーが顔を覗かせ、それを解決して行く趣向も読んでいて楽しいのだが、そうした小さな事件はあくまで外野の出来事であり、本筋にはもっと大きなドラマが仕組まれている。

 そう、仕組まれている、という言葉が相応しい。物語はマーヤの不在から始まる。紛争の混迷に攪拌されるユーゴスラヴィアへと帰ってしまったマーヤの足取りを追うべく、主人公(たち)は彼女と過ごした二ヶ月間を丹念に思い返す。彼女はユーゴスラヴィアの何処へ帰って行ったのかが、主人公が追いかける最大の問題だ。

 日常の何気ないやりとりや会話、巻き起こる小さなミステリーすら布石として物語を大きく、より身近に感じさせる演出として活かす。著者の用意周到さと底意地の悪い脚本には感動の嘆息が漏れるばかりだ。

 物語の行き着く先は、辛く厳しい現実が待ち受ける。成長を願う主人公が、成長のためにするべきことを見出していたマーヤの影を追ううちに見出したものは、ありふれているからこそ、突き刺さるメッセージとなる。

 多感な時期はすでにすぎてしまったが、多感だった時期を想像してみることはできる。不毛な想像力であったとしても、どこか歪められた再構築であったとしても、自らがかつて夢見たことに現実を知ったいま、どんな回答を用意できるか。そんな途方も無いことを考えさせられてしまった。

 

 著者の作品に見られる傾向だが物語の枠組には実際に存在する史跡や街並みなど、ファンタジーでありながら現実と地続きな場面が多く、没入感がより大きくなっている。旅行記的な楽しみも描きつつ、現地をよく知る人にはニヤリとできるような要素が含まれているのも魅力のひとつだ。また、本作の根底にはユーゴスラヴィア紛争が大きな影を落としており、物語を通じてその姿形が少し垣間見える作りになっている。

 この作品を始点として様々な知識や物語への波及が強く推し進められて行く切っ掛けになること。それがなにより素晴らしいことかもしれない。