でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

「ペンネの日記」感想 part.1

今年の文学フリマで販売された同人誌「ペンネの日記」の感想などをつらづら。

昨年の同イベントで発表された「なし水」の与えたインパクトは凄まじかった。これだけ書ける人がアマチュアなのかという驚き、こんな波乱万丈な生き方を包み隠さずエンタメとして提供していいのかという困惑、下品で俗っぽいテーマであるのに言葉の端々に隠しきれずに存在する豊かな教養と瑞々しい感性への感動。
一部プロのアーティストにすら痛恨の一撃(たぶん会心の一撃ではない)を涼しい顔で放っていった50ページ程度の冊子は、心の底に沈殿し諦観を持って黙り込んでいたカオスたちを共振の元に揺り動かした。アートとは新しい価値観や感動を生活の中に取り込む「かたち」の創造であると言われる(私が言っている)。そのカテゴライズに当てはめるのであれば間違いなくアートであり芸術であった。「なし水」を読んだ後、人は著者のことを、自分のことを、それを取り巻く世界のことを考えずにはいられない。
筆舌には尽くし難いあらゆるニュアンスを含んだ「なんなんだこいつら」が読者の心を鷲掴みにし、そのがっちり掴まれた跡が心霊現象よろしくまだ生々しく残っている今年、待望の「ペンネの日記」が発表された。

前置きがクドイことになるのは毎度のことだ。いい加減にして感想に移ろう。



爪切男さんの「道」。

「道」と聞いて私の脳裏にすぐに思い浮かぶのは、バンクーバー五輪で男子フィギュアスケート高橋大輔選手が銅メダルに輝いたフリー演技の曲目である。あの演技が大好きで、五輪が終わってからも何度も録画した映像を観た。
その「道」が一瞬にして思い出され、私の作品に臨むハードルは上がった。ある意味ではもうすでに感動し始めているのでがっつり下がったと受け取れなくもない。

そして読み始めて、読み終えた。タイトル「犬」じゃねーかと思った。終始犬の話だった。

なんというか、コース取りもアクセル踏み込むところもブレーキのタイミングも全部おかしい。おかしいんだけど運転自体はすごく繊細だし車窓から覗く風景も綺麗、みたいな違和感がスイスイと有無を言わさず流れて行った。おかしい。
爪切男さんのドライビングテクで騙されそうになるが犬との交流は一切ないところがミソだ。全ては車の中で完結している。一歩助手席を降りて外の空気を吸ったら、怪訝な顔でいままで乗っていた車とその運転手の顔を伺うしかないような、そんなドライブであった。
少年時代の爪切男さんの心の動きや、喜怒哀楽の表情は読者の共感を呼ぶイノセントなものであるが、その次の段落での出来事やその結果は「あれぇ?」の連続である。こちらの価値観が狭苦しい、間違ったものだったのではないかと反省しそうになってしまうが、絶対そっちがおかしい。このわかるけど、絶対おかしい、のギャップがとても面白い。

爪切男さんに関わらず性や性欲、そしてその具体的な処理についての言及に惜しみないのが本作の特徴と言えるかもしれないが、その中で慈愛の精神を中心に据えているのは彼だけである。ちょっと慈しむ対象がおかしいし方法も直接的かもしれないが、その垣根と行動に目を瞑れば、そこに存在するのは愛し、愛されることへの渇望を求める男が、再生して行く物語と読めなくはない。

純粋でありながら基盤が妙に歪んだ愛情の行き先がどうなるのか、興味は尽きない。



しりこだまさんの「断らない人」。

エッセイ書かせたら職業作家が土下座するレベルの書き手だと思うのだが、書いている内容が内容なので読者も土下座したくなる苦労人。テーマ、構成、文章とひとつの作品を造り上げる要素が一際洗練されていて、作品に独特の色と重さがある。今回もやっぱりとんでもない。
丁寧ですらりと飲み込めてしまう優しい文体と、抗い難い嫌悪感をべっとり纏わせた重たいテーマを両立させながらひとつの皿に乗っけて出してくる技量には相変わらず舌を巻く。何よりほとんどが著者の実体験なのが刺さる。何を育て、何を諦めたらこうなれるのか。抱えている物の全容は未だ窺い知れない。
今回は3作の話。それぞれにくすりと笑える面白いところがあり、ぐっと背筋を伸ばさずにはいられないような迫力を宿した部分もあった。

入院中の闘病生活を綴った「二〇三五の使者」。
出だしから2ペーシの畳み掛けがもうヤバい。ごめんなさい、と思う。たまに聞く「罪もない人」というセンテンスに秘められた欺瞞が透けて見えてしまう。この無神経さ、この業の深さ。我々はいかに見逃し、押し付け、周りを見ていないのか。流れていく風景のように粗末に扱ってしまう物事の中に、人の心を置いていってはいないだろうか。
そして読者を引き連れて物語が進行し、最後にもう一度、前述の事実を問う。うっ、と思った。最初にあれほど強烈に迫った感情を、数分別の話題に逸らされただけで忘れかけてしまっている。それを著者が意識的に仕組んだとは思わないが、この感情の揺さぶり方は脱帽と言う他ない。

親子の話「母子ともに火だるま」。
爪切男さんの母親への憧れを一心に綴られた物語(相応に狂ってたけど)を読んだ後には堪えるお話。ここまで過去の自分と、また母親と向き合って文章にできるという事実が救いのようでもあり、呪縛のようにも感じられた。
よく芸術的感性も両親からの遺伝的素質が大きいように語られているのを目にするが、この話を読む限り、こだまさんの観察眼と文才は何処からやってきたのだろうと思わずにはいられない。何かを得たから書ける部分と、何かを失ったから書ける部分、それらが混在しているように思った。これからは幸福なことばかり続いたらいいなと心から願った。

灰色の情事「山と君のあいだに」。
親交の延長にあるセックスと、性欲処理を円滑にするセックスと、本来の目的あってのセックスの、どれでもない歪みとしか言いようのないセックスについてのお話だった。
本当は性的な欲望ではないのだろうけれど、名前のない欲求の塊というか感情の出口がたまたま性欲という形をとって、しかもなんか変な亀裂から変な飛び出し方をしてしまった人と、それに巻き込まれた異性のツガイという絵面が不幸すぎる。
こだまさんの性を扱った描写には本当に色気がなくて良い。普通は性を扱うと少なからず紅が差すようなところがあったりするのだけれど、こだまさんのは何処までも色がない。そこに窺える残滓の存在は何とも言いようがない。作品の読後感としてのみ伝えられる情景のように感じられる。



以上。
長くなってしまったし、思考がかなりぐるぐるし始めたので今夜はここまで。続きは明日以降。