でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

髪の毛の話

ここ数日、シャワーを浴びている際の抜け毛の数が明らかに減った。ここ半年は一度髪を洗うごとに数百本は確実に抜けていたし、両サイドがじわりじわりと砂漠化していっているのを自覚もしていた。ついに命の無い荒野が俺の頭にも広がるのか、しかしまあ三十路まで持ったのだからまあここまでかもな、と諦念を持ち始めていた今日この頃だったのだが。何があった。

真逆の経験もしたことがある。

大学を卒業するちょっと前に多発性の円形脱毛症になった。ある日髪を洗っていたらべしゃりと顔に何かが張り付く感覚があった。なんだ? と思って目を開けるとおびただしい数の髪の毛が両手にくっついていた。

リングだったか仄暗い水の底からだったかで、シャワーからでろでろと女の髪の毛が出てくるシーンがあったと思うが、一瞬アレかと思って青ざめた。しかし見ず知らずの女の呪いで生じた髪の毛ならまだ良かった。抜けたのはまさしく自分の髪の毛である。もっと青ざめた。

自分の髪をつまんで引っ張ると、なんの抵抗もなく5、6本纏めて抜けてしまう。最初は残った髪で誤魔化せるかと思ったが、3日もすると明らかに髪の毛の総体のバランスがおかしくなった。皮膚科で冒頭の通り多発性の脱毛症と診断され、帰り道に床屋で少しは目立たなくなるかもと思って坊主頭にした。月のクレーターのように毛のない部分がまだらにある、思ったより不恰好な頭になってがっかりした。

いまでこそ酒の肴に話したりするが当時は本当にショックだった。幸い私の場合は半年ほどで治り、その後もそういった症状はいまのところ出ていない。

多発性の脱毛症は治らなかったり、再発するケースが多いと聞いている。発生と治癒のメカニズム自体もよくわかっていないらしい。私も治療行為はしていなかった。薬は貰ったが医者の説明から気休め程度の治療だと伝わったので開き直っていた。

私は容姿や髪型に基本無頓着で少年時代にも坊主頭にすることがあったりしたので、そんなに抵抗なく坊主頭にして生活を続けたけれども、見た目や頭髪を気にする人が急に同じ目にあったら、特にそれが女性であったりしたらその心労はいかほどだろうと、いま想像しても心臓がぎゅっとなる。あのべっとりと髪の毛が抜けるところはたまに夢に見る。

そんなわけで、ここ数日何故か抜けなくなった毛根たちの頑張りに嬉しくなっている。ひょっとしたら最後の頑張りなのかもしれない。本土決戦なのかもしれない。纏めて力尽きる準備かもしれない。

そのときはそのときである。一度死から生還した連中である。ここまでの頑張りを労うより他ない。