でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

問題文の外にある問題の存在

 昨晩、テレビで『相棒』の劇場版4が放送されていたのを、母親と一緒に居間で見ていた。いまでこそニュースとスポーツ中継以外の視聴を意識的に避けるレベルのテレビ嫌いを発症している私だが、少年時代はアニメとバラエティをこよなく愛し、観るべき番組がなければテレビゲームに興じていた。放課後の大半はブラウン管の前に座った状態で消費されていたと思う。特にそれに対する未練や後悔はないが、なにがそんなに面白かったのかなと首を捻りたくなるときはある。子猫が夢中になっておもちゃに飛びついているのが、ある日そうしたものにまったく興味を示さなくなるときの境界線みたいなものにはどんな作用があるのだろう。不思議だ。

 脱線した。今回はそんな話ではない。してもいいのだが編集ページを開いたときの意図とはかなり違う。嗜好の変化と不可逆性の有無については機会を譲ろう。『相棒』を見ていたときの話だ。

 

 物語は、英国風の大きな屋敷で少女たちが遊んでいる姿から始まる。白人系の少女たちに唯一アジア系、日本人と思しき少女がいる。彼女らはかくれんぼをして遊んでいるようだ。日本人らしい少女をカメラが追いかける。隠れ場所を探す彼女は、書斎に備え付けられたクローゼットのような隙間に身を隠し、いつの間にか眠ってしまう。彼女が目を覚ましたとき、屋敷には奇妙な静寂が訪れている。鬼が探しにこないことを不思議に思ったのか、眠ってしまったことに後ろめたさを感じたのか、彼女は書斎を出る。すると、廊下の先に人が倒れているのが目に入る。服装から察するに屋敷のメイドのようだ。恐る恐る近寄ってみると、その口からは一筋の血が流れ、目はかっと見開かれている。少女は息を飲み、屋敷の人々が集まっている談話室へと駆け出す。途中の階段でも紳士が一人、事切れている。彼女はますます歩調を早め、荒い息を弾ませながら談話室の扉を開ける。そこに待っていたのも、同じような静寂。豪華絢爛な家具やアンティークの一部であるかのように彼女の両親やメイド、友人たちまで、ことごとく口から血を流し、人形のような骸と化していたーー。

 

 だいたいここまで3分くらいだっただろうか。その後、この屋敷で事切れていた面々は紅茶に盛られていた青酸カリによって毒殺されていたことが明らかになる。

 私と母親はほぼ同時に声を上げた。

 

「んなわけねえだろ!」

 

 屋敷にいた人間は10人まではいかなかったが、片手の指の数よりは多かった。それだけの人数が、ティーポットの紅茶だけで皆殺しにされるなんてことがあるわけがない。ここで刑事ドラマやミステリー作品をそれなりに嗜んできた我々親子はピンとくる。ははあ、この不自然さが今回の物語のミソだな、と。この唯一の生き残りの少女が事件に対してなんらかの歯車になってしまったのだな、と。

 どっこい。まあ、この少女がキーパーソンだったことは間違いないのだが、この毒殺事件に対しては特に追求されることもなくスルーされてしまう。あれれー。右京さーん。絶対おかしいですって右京さーん。

 

 私は厨二病を発症した際、毒物に傾倒した(あと鉱石)。もともと理系アタマではないため高校化学ですらギブアップ気味だったが、専門知識に及ばないまでも概要くらいは抑えている。

 今回の『相棒』で、毒物は青酸カリだと断定されていた。しかし断言させてもらおう。80年代ならまだしも、21世紀になってから特に理由もなく青酸カリで毒殺事件を書くのはあまりに素人すぎる。ヤバイ。氷の刃物で被害者を殺害して凶器が発見されないぞどうしようレベルにヤバイ。本当にヤバイ。マジでヤバイ。

 概略だけ記すと、青酸カリは猛毒ではあるもののそれ自体が危険なわけではない(というのもちょっとおかしいが)。メカニズムとしては青酸カリを服用することで、胃液の塩酸と反応して青酸ガスが発生する。この青酸ガスが猛毒で、胃で発生したガスはそのまま肺に入り、血液に吸収され中毒症状を起こすのだ。しかもぽっくり即死とはいかず、症状は数分から数十分続き、その間もがき苦しむことになる。

 ある意味では胃に入ってしまえば終わりなので「最初の一人が飲んで毒だと思ったら誰も飲まんでしょ」という点は回避できる。口に入れてからも多少の時間差は発生するため、乾杯で一斉に口をつけたとすれば全員が毒を飲んでしまったという可能性自体には糾弾するほどの不自然さはない(それでも屋敷の主賓はおろかメイドや使用人に至るまで同じティーポットから同じタイミングで紅茶を飲んだとは考えにくいが)。

 

 しかし今度は青酸カリの致死量と味の壁が立ちふさがる。猛毒とは言ったものの、青酸カリの経口摂取による致死量は200〜300mgである。百歩譲って150mgとしても、これだけの量を一人ならともかく屋敷の全員に飲ませるのはかなり根気がいる。紅茶に溶かした濃度にもよるだろうが、小さく一口すする程度では致死量には届かないだろう。大きくグビグビと二口くらいはいって欲しいところだろうが、育ちの良さそうな紳士淑女諸君が使用人まで含めてそこまでする作法があるのか疑問が残る。

 とはいえ医者で処方される漢方薬の薬包が2グラム(2,000mg)程度なので、ティーポットにこれだけの量をサラサラと入れれば(作中では最初から水溶液だったが)計算上はなんとかなる。だが、今度は味の問題が仁王立ちになる。

 青酸カリは無味無臭ではない。私も飲んだことはないが(コナンくんは作中で麻薬を舐めて確認したのをよくネタにされている)それなりに個性的な味がするらしい。それをまずまずの量を溶かしこんだら、しかもそれが紅茶であれば当然味は変わる。午後の紅茶だかリプトンのティーパックだかもわからない市井の人間ならまだしも、デカいお屋敷にいるような人々ともなれば口にするのはダージリンのファーストフラッシュとかその辺であろう。薬品臭いアールグレイみたいなのもあるが、あれはあれで個性的な味付けなので別の味が加われば相応に目立つ。茶葉は日持ちはするもののナマモノであるので、紅茶の味が明らかに異様であれば飲んだ人間は当然茶葉の傷みを疑う。

 よって、致死量の青酸カリを飲ませようと思えば味がおかしくなるし、味がおかしくない程度の混入量だとコンパの大学生並みに飲んでもらうことになってしまう。そういうコントみたいな『相棒』もいいと思う。というか昔はあった。

 

 すっかり長くなってしまったが、そういうわけで冒頭の毒殺事件は非常におかしいのだ。圧倒的におかしいのだ。満遍なくおかしいのだ。これはなにか事件の根幹に関わる重大な秘密かトリックが隠されているに違いない。

 と思って見ていたのだが、いよいよ後半までこの矛盾に誰も突っ込まない。確かに劇中で毒物は青酸カリだと名言された。それがティーポットに混入されていたとも。絶対におかしいのだが、それは過去の事件として一切顧みられる気配がない。そうこうしているうちに真犯人の正体が明らかになり、そのテロリズムを阻止すべく特命係が奮闘する。

 なんというか、醒めてしまった。右京が◯◯れてCMに入ったところで、私は部屋に戻った。

 

 有栖川有栖『江神二郎の洞察』でいわゆる探偵役の江神はこんなことを口にする。

ーー俺は以前からミステリを読むたび気になることがあった。それは、作中で別のトリックが使われた可能性を消去する方法がないことやーー

 疑い出したらキリがない世界、トリックがロジックに優先する世界で〈推理小説〉というのは著者と読者の間で暗黙の了解、あるいはひとつの幻想を共有することで初めて紡がれる物語であるという。その矛盾を根底に据えた世界を、限りなく緻密に、精巧に作り上げる幻想小説の創造こそ限りなく素晴らしく人間的で、詩的である、と。

 今回の『相棒』は、その精密さを求められる作業をサボった。あるいはかなり手を抜いた。トリックの世界において、それを追従する存在であるロジックの在り方に配慮を欠いたと思う。その結果、幻想としてもお伽話としても、当然刑事ドラマとしてもイマイチな出来になったような気がする。

 より核心を突くのであれば、本作を含め最近の『相棒』シリーズは正義の形を描こうとする余り、社会悪を安易に持ち込み過ぎる傾向がある。ロジックだけでなくトリックも二の次にしてしまっているということだ。それでもドラマは作れるだろうが、それは刑事ドラマが掲げる理想像から離れた存在になることは想像に難くない。

 前述の青酸カリが致死量を飲ませるには量が多すぎるジレンマを拡大解釈したような結末がここにも見られるかもしれない、と纏めたら、いささか強引だろうか。