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読書感想にかこつけた自分語り

読書感想:『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子

 単刀直入に言うが、これまで読んできた芥川賞受賞作の中でずば抜けて、一番面白かった。圧倒的に面白かった。受賞作を惰性的に読んでいた身として、初めてこの賞の存在に感謝した。そのくらい面白かった。いや本当に驚いた。

 

 文章は三人称の標準語の視点と、主人公のお婆さんが岩手の方言で独り言ちる言葉が折り重なって構成されている。私は秋田の田舎出身なので、黙読していても方言のリズムやアクセントがなんとなく想像できて、とても楽しくスムーズに読むことができたが、そうでない人には少し読みにくいかもしれない。

 そうした懸念を抱えつつ、主人公の老婆の独白は方言でなければ魅力が生まれなかっただろうとも思っている。なんといっても文章のリズムが良い。歌うような、流れるような、生活感と不器用さを隠そうとしない岩手訛りの言葉の本流に寄り添うように、文語体で物語を見守る〈誰か〉が老婆の半生を雄弁かつ鮮やかに押し広げていく。物語の中心に据えられた土地や人への拘泥と、それと相反するようで歩調を同じくしている自分という存在への追求が、孤独な老婆の生活を通して、一方でミュージカルのような賑やかさでどんどん進んでいく。この文章の面白さと人生観の深さ。脱帽としか言いようがない。

 また、芥川賞作品(小説全般、と言ってもいいかもしれないが)には珍しくテーマやメッセージがはっきりしており「読者の判断に任せる」というような逃げ方をしていない。すべてと対峙し、すべてを切り抜けている。明確な答えこそ記されていないかもしれないが、そこにはしっかりと斬り結んだことで生まれる手応えや傷があり、展開への説得力が生まれている。こんなに納得しながら読んだ作品はないかもしれない。描きづらかったり、表現しづらいようなところでも作品として、形として読者の前に提供されており、それを可能としているのが方言の存在のようだ。

 ところどころに現れる方言は、一方ではファンタジーめいた想像力にはたらきかけて読者のなかにテーマを軟着陸させる思考の枠を広げるような作用をし、もう一方では古い言葉、地方の風習に縛られるひとりの個性をしっかりと形作る力強い機能も備えている。この矛盾するような方言の力を作品のなかで自由自在に扱う著者の筆さばきに、ただただ驚かされるばかりだ。

 

 私個人の意見を言わせて貰えば、方言というのは伝統文化というよりは一種の〈因習〉であり、然るべき文化水準の向上と知識教養の普及によって駆逐されるべき、近代の社会制度におけるノイズとしか思っていなかった。できることなら全面禁止にできれば一番良いが、制度的にも人道的にも必要性としても現実的ではないので、そんな論理を振りかざしたりはしない。ーー認識としてはその程度であった。

 本作を読んで思い知らされたのは、方言の持つ独特のリズムと歌うような表現力の素朴さの魅力だった。もし老婆の独白に岩手弁が盛り込まれなかったら、この作品は同じ面白さを持ち得ただろうかと考えると、自分の狭量さ、認識の甘さに身が竦む。

 私は読むことに重きを置きすぎて、聞くことへの敬意が欠けていた。元々はまったく聞き取れない地方の方言に辟易したのが排斥思想のきっかけだと思うのだが、まずはそれを理解しようという姿勢が建設的であり、まっとうな価値観だろうと頭が下がる思いがした。

 

 作品のテーマは根源的で深く、作風としても私自身の考え方にがつんとくるところがあった本作だが、そういう重さや深度とは裏腹に読みやすく、映像としてキャラクターや世界を掴みやすいようにできているのがなんと言っても素晴らしい。

 褒めてばかりだが、本当に褒めるところしかない。そして、それゆえにこれ以上語るべきこともない。と、書いたところで言いそびれていたことに気が付いた。

 この作品で一番気に入っていることは、物語がハッピーエンドで終わるところだ。老い、取り返しのつかない人生、失ってしまったもの、損なってしまったもの、これから向かう〈死〉しかない余生。そういう重く、いつか自分も、と重ねてしまうと背筋が寒くなるようなテーマを、ユーモアと明るさを持って誤魔化さず、受け入れた上でポジティブに捉えようとする主人公の姿。そして、最後に現れる、すべての疑問に対するひとつの救い。そのコントラストが美しかった。

 ひとり、知り合いのおばあちゃんが増えたような気持ちだ。