でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

読書感想 6冊目

作品名騎手の一分
作者名藤田伸二
評価(星4つ)
新書には実用書みたいな物も多いので普段は読書感想を残さないのだが、この本はなかなか面白く、同時に考えることが多かったので書き記しておく。

先にはっきり断っておくが、競馬に全く興味が無い人には価値の無い本である。

本書内には専門用語や登場人馬に対する注釈が入っているが、それを当てにしなければ理解が追いつかない競馬知識しか持ち合わせていない人がこの本を読んでも面白くないだろう。注釈が丁寧でも背景は簡単に浮かんでこない。

だから最低でも「GⅠレースの馬券は買うよ」以上の競馬知識が無い人にはおすすめしない(そもそも私見では新書は興味や知識が全く無い分野の本を手に取る類の物でない)。読書感想はもう少し噛み砕くが、それでもいつもよりマニアックになりそうだ。

さて。藤田伸二JRA所属の現役ジョッキーである。いや、正確にはトップクラスの実績と技量を持つベテラン騎手と言えよう。競馬関連の書籍もこれまでに数冊書いているし、どれも読ませる内容になっている。

本人は学が無いことを少しコンプレックスにしているような気配があるが(すぐ「俺は頭が悪いから」とか言う)自身の視点から問題点を突く鋭さや、それを経験と環境の二面から主観と客観を対比させつつ自分の意見を的確に述べていく構成は、彼が極めて理論的で怜悧な判断力や決断力を有していることを雄弁に物語っている。

そして、タイトルが物語る通り、これは藤田伸二の騎手という仕事をに対する「遺書」だ。

自分の話をするが、僕が生まれて初めて的中させた馬券は日本ダービーフサイチコンコルド単勝だった。もちろん当時は中学生だったので自分で馬券を買ったわけではない。競馬を嗜んでいた父親の買い目に自分の意見をねじ込んだのだ。

小遣いで押した金額なので単勝500円が精一杯だった。それが13,000円に化けた。全額は無理だったが、ちょっとした小遣いは貰った。ゲームで覚えた競馬が、現実に比重を傾けた瞬間だった。そのフサイチコンコルドを勝たせたジョッキーこそ藤田伸二だった。

だから思い入れは他の騎手に比べると強いものがあるし、この本で語られる言葉は、辛かった。

本書で藤田はこれからの競馬界を悲観している。中でも「騎手」という職業の行く先をとても憂いている。

これまでの著作でも藤田が競馬界に大して苦言を呈することは多かった。歯に衣着せず、ときには実名をさらしても体制や技術を批判してきた。

しかし今回はその度合いが違う。藤田は、もうJRAの体制が変わらないことを心の何処かで知っている。だから、せめて自分だけは美学を貫いて死のう、と言っている。そういう印象を受けた。

一見するとちょっと穿ち過ぎじゃないかなと思う記述もあるし、効率や運営を考えたら仕方ないと思うような内容もあった。だが、恐ろしいことに読んでいる自分がそれに具体的な対案を考えることができないのだ(新書は対案・反論を考えながら読むのがやはり私見ながらセオリーである)。

著者は騎手の目線と同じくらいファンの目線を大切にしているし、他のスポーツと違う「賭博である」という金額の面からも一番痛いところを次々刺していく。部外者の軟派な意見が差し込まれる余地がない。

自分の仕事というのは藤田のような実績や美学があればこそ「重要であって欲しい」という願望が働くもので、なかなかその職に従事しながら冷静に客観視して物事を考えるのは難しいはずだが、藤田は何処までも冷静に現状を疑問視し、叩く。

それがとても痛ましかった。

何故、一線で活躍し、ファンも多く、信頼も金も稼いでいる成功者がこんなに自分の仕事に憂えなければならないのだろう。

藤田は最後まで、後輩とこれからのジョッキーの未来を心配しているのだ。そしてその補佐すら出来ないことを嘆いている。

本人は潔しとして書いた本かもしれないが、全然そんな風には読めなかった。本書で藤田は「敗者」みたいに見えるのだ。記録にも記憶にも素晴らしい形跡を刻んでいるにも関わらず。

…と。2回通しで読んだのにモヤモヤしていていたのだが、感想に纏めたらすっきりした。

藤田伸二が本を書いたのはファンに呼びかけるためで、僕はその本を読んだ。彼のモヤモヤは読者に共有され、分散されていく。藤田伸二を特別な騎手だと思っている競馬ファンはたくさんいる。だとすれば、僕のようにモヤモヤする競馬ファンはたくさんいるはずなのだ。それこそが、本書の狙いに違いない。

藤田の思いと憂いはファンと共有されることになる。それは少数かもしれないが、藤田ひとりの思いではなくなるし、彼というとても大きな存在が後ろ盾になって自分の思いを強固にする読者もいるだろう。いまの日本競馬、日本人騎手の在り方に疑問を投げつけることこそが本書の目的だったのではないかと思う。

苦言が目立つ内容である本書において、最も強く感じられるのは藤田が競馬と騎手の職を愛し、誇りを持っている事実だった。だからこそ現状に耐えられずこの本を書いたのではなかろうか。

本人の思惑と外れていたら恥ずかしいけど、でも僕だって憂えた。

読んだ人に新しい考え方や捉え方の方向性を示唆できたら、それは新書としても本懐を遂げている。

褒めすぎてあれなので最後に苦言を書き記すが、サブタイトルの「競馬界の真実」は余計だった。

「真実」なんてショボい単語を使わないで欲しかった。本書内で語られるスタイルと矛盾しているようにも感じるので出版社側の意向だとは思うが…。

「騎手の一分」 講談社現代新書