でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

6月1日 休日にいろんな子育て論を眺める

会社が平日休みなので出社が夕方からなので気が楽だ(自分で言ってて狂ってんなと思う)。

ここ数日、Twitterでもニュースでも真っ先に見かけるのは北海道の小学生行方不明事件。事件の発端が発端だけに炎上要素込みで話題になってしまった。まずは子供が無事に見つかると良いが、雲行きは怪しくなるばかりである。

捜索の進展がないことも手伝ってか、様々な躾け論、親への罰則をどうするか、仮に子供が発見された場合親権はそのままで良いのか、ヒグマじゃないのか、人攫いじゃないのか、狂言じゃないのか、キャトルミューティレーションじゃないのか、いろいろ見掛けた。

私は未婚であるし子供も当然いない。なので子供を育てている同年代の方々の苦労もなんとなく見ているが、そうした悩みや辛苦を共有することはできまいと思っているので余計なことは言わないようにしようと思っている。

今回の件に関してもそのスタンスには変わりはないが、唯一気になったのは「正しい教育を施せば正しく育つ」という概念が当然のように跋扈していることだった。

農作物はどんなに丹精込めて作ってもA等級の綺麗なものだけができるわけではない。人間だってそうだろう。教育の「教」にはある程度正解があるかもしれないが「育」には運要素というかランダム性、ノイズ性が存在する。だから間違うな、ではなく間違いに対するリカバリーへの配慮や理解がないと子育てはきっと息苦しいにちがいないと思う。

今回の事件はそうした息苦しさの要因があらゆるところに存在してるなということを感じさせた。元々そんな予定もないが、ますます私は子育てがしたくなくなった。

以上。書きながらガルパン劇場版の監督コメンタリーを聞いていた。声優陣のコメンタリーがお世辞にも面白いとは言い難い代物でガッカリしていたが、こちらはとても面白かった。