でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

霜月でこれなら師走は

厳密にはまだ終わっていないのだが、とにかく今月は忙しかった。無職であるがゆえに会社や仕事に逃げられないという種類の忙しさが存在すると身に染みた一ヶ月だった。少し落ち着いたので備忘録を兼ねて少し纏めておく。

 

月初めに採用試験を受けていた某所から合格通知をいただいた。希望者が多く難関と言って差し支えない審査を乗り切れたことと、今後の生活の目処が立ったことに深く安堵した。来年の春にはめでたく社会復帰である。冬のあいだはなにをして過ごそうかなどととぼんやり考えていたのは数秒のことで、合格通知と一緒にもう一通、私宛の封筒が届いているのに気を引かれた。奇しくもそれは前職の職場からの便りであった。かつての住処から届く知らせは市役所からの後乗せ住民税18万円のインパクトが強かったためにいい思い出がない。とても嫌な予感がした。

詳細は省くが嫌な予感は的中し、端的に言えば金を払えという案内であった。片手の指の数より少し多い一万円札が要求されているわりにはしれっとした文章であるのにいささかムッとしたが、この文章を考えた人間が悪いわけではあるまいと気を取り直す。長年世話になった身であるので支払うこと自体はやぶさかではないが、タイミングが絶妙であることに運命を感じた。それにしても先日まで給付されていた失業保険は毎月の国民年金と昨年の住民税とコイツの支払いでほぼなくなってしまうではないか。極めてやり甲斐のない中継プレーである。大人しくしていても金は出て行くのだ。勉強になった。

月の半ばに祖母が亡くなった。夏に体調を崩して2ヶ月ほど入院していたのだが今月に入ってからは容体が芳しくなく、いよいよかと思ってはいた。しかし先月の初めに余命1週間と伝えられたのだから随分頑張ったものである。お陰で春から働けることを報告できたが、それが最後の孝行になってしまった。合格の通知を見せたとき、祖母が「本物か?」と聞き返してきたのには笑ってしまった。その意気で黄泉の旅路も突き進んでほしい。

さて私の住んでいるところは田舎の集落であるため親戚関係が複雑で煩わしい。通夜や葬式での席順、誰にどこまで連絡をするかなど段取りの確認がとにかく煩雑で気を揉んだ。好みの銘柄のビールを別個に用意するほどの気遣いを見て、田舎から人が出て行くのは仕事や金の問題ではなくこういうところだぞ、と他人事のように思った。準備は両親が進めていたので私は必要なものがあれば買い物に出掛け、送り迎えが必要になれば車を出すなど手足としてはたらいた。お陰でだいぶ親戚の顔と上下関係はわかってきたように思う。祖母が命を使って田舎の人間関係を教えてくれたのかもしれない。

忙しく葬儀を終えた翌日。前々から痴呆気味で様子を見にいっていた親戚がとうとう分水嶺を超えた。電気ストーブになぜか新聞紙を突っ込んで火をつけ、ボヤ寸前の状態になったのだ。玄関を開けて左手の居間から黒煙がもうもうとしているのを見たとき、そのまま戸を閉めて帰ろうと真っ先に思ってしまったのがとても印象深い。人間は合理的にできていないと知った。勉強になった。本当に今月は勉強になってばかりいる。この事件の数日前に連れ立って出掛けた火葬場での挙動がすでにおかしく「ここはなにをするところだ?」「風呂はあるのか?」などと言っていたので、一緒に焼いてもらったほうがいいのではと軽口を叩いていたのだが(我ながらブラックジョークすぎる)本当に実行されるとは思わなかった。事実は想像を先行するのだ。何度目かわからないが本当に勉強になった。

とにかくこの親戚を一人暮らしさせるわけにはいかなくなった。住宅地であるため火災を起こせば大変である。一人息子は関東で暮らしており、連絡は取れたがその人も肉体的にも精神的にもあまり健康的な生活を送っていないため、すぐには来られない。結果、5日間ほどこの親戚を自宅で預かることになってしまった。詳細は省くが、ようは痴呆老人の介護なので面白くないことが立て続けに起こった。こちらは葬儀を終えた直後で疲弊しているし、親戚とはいえここまでする義理は(少なくとも私の常識には)ない。ああ、これが田舎。これが共同体。自分がここで若い人間として、おそらくはリーダーシップを期待されて生きて行かねばならないのかと思うと、就職が決まったときに感じた安堵や希望が急速に縮んでいくのを感じた。この慌ただしい日々は数日前にようやく終わりを告げた。枕を高くして寝る、という慣用句はこれか、と実感しながら深く深く眠った。

 

そしていま。一枚襖を隔てた向こうで、祖母の祭壇が片付けられている。手伝いはいらないと言われたので引っ込んでこれを書いている。葬儀屋さんは丁寧にキビキビと仕事をしてくれている。それが仕事だからと言われたらそれまでなのだが、お客さんが尋常ではない状態を常とする仕事に携わる難しさやストレスはさぞかしのものだろうと思っている。諸々の請求書にはなかなかの金額が記されていたが、高すぎるとは思わなかった。払うのは私ではないし、祖母もその辺りは折り込み済みで貯蓄をしていただろう。

 

本当に忙しかったなあ、と思って文章を書いてみたが、蓋を開ければ二千字程度に収まってしまう。これがすべてではないが、とくに過不足があるとも思えない。長かったようにも短かったようにも思われる一ヶ月だった。

来月は師走。センセイも走る忙しさという風説があるが、私は十分に走り回った心持ちである。穏やかに年を越せるように祈っている。ここまで読んでくださった貴方にも、素敵な年末年始が訪れますよう。