でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

あけおめことよろ

新年が明けてからすでに一週間が経過してしまったが、改めて新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。



年々会社での拘束時間が増えていくが、幸い年末年始は故郷の秋田に帰って家族で過ごすことができた。
親戚一同とも久々に顔を合わせたのだが、そろそろ30代の半ばに差し掛かる独身の野郎ということで「結婚はいつするのか」「相手はいないのか」という質問がどうしても聞こえてくる。そんなに心配してくれんでも、と本人は思ってしまうのだが、おそらくそれを言う側にしても久々に会って特に話題もない親戚の甥っ子相手に喋れる議題はないかと少し脳味噌を回転させたところで私の独身というスペックに気がつけば天気の話の次くらいに「そういえば結婚はしないのか」が出てくる構図に不自然さはない。向こうも私も特に深刻さはないのだから(ないんじゃないかな)、適当に返していいのだなと思うようになった。かえって定型文で応対ができるのでどんとこいである。趣味や仕事の話の方が厄介だ。

深刻な話題、といえば家によく顔を出す親戚のうちのひとりがだいぶやばくなっていた。
昨年の正月に会ったときも軽度のアル中みたいになっていたのだが(手の震え、記憶の混濁他)、今年はアル中に痴呆症までプラスされていた。若い頃に自衛隊で鍛えたタフガイで、暇があると山でキノコや山菜を採ってくる活動的な人だった。それがいまでは足元もおぼつかず、自分で家の鍵を開けることもできない。歳をとることの残酷さを見た気がした。
経年劣化で人間が壊れるところをこれからは嫌でも見ていくことになるし世話することにもなるんだぞ、と現実を突きつけられて正月早々グサッと地に足がついた。

昨年は年明け早々に近所の神社へ出かけ、初詣を済ませた後でおみくじを引いたところ生まれて初めて凶を引いた。そこまで悪いことは書いてなかったし、実際悪いことは起こらなかったのだが別段良いことにも遭遇していない。無事健康であることがなによりであるが、予期せぬ大金を手にしたり空から女の子が降ってきたりとかそういうロマンスが起きることに対してもやぶさかではない。今年はなにかカラフルなイベントが起こることに期待したい。
そんな邪念もそれなりに抱きながら、今年は秋田市日吉神社へ初詣に出かけた。家族の無病息災を祈願してから引いたおみくじは大吉だった。一緒に出かけた親父も大吉だったので、とりあえず家族の心配はあまりしなくてもいいのかもしれない。神様背後は任せた。

2日には古くからの友人と駅前で酒を飲んだ。気持ちがでかくなってどんどん地酒と料理を頼みどんどん食べて飲んでしていたが、しばらくすると隣の席で60代と20代の怪しい二人組のラブロマンスが始まったのでそっちに気を持って行かれて大変だった。1時間足らずでいなくなってしまったが後を着ければよかった。経緯をよく覚えていないが会計をやたら払ってしまった。

3日の夜に新潟へ戻った。郵便受けを見ると年賀状が何通か届いていた。ありがたい。
せめてお返事くらいはしなくては、と思いながらすでに8日の夕方だというのにブログを更新する文章を書いている。ごめんなさい。寒中見舞いになってしまうけど必ず書きます。
そういえば今年とうとう頂戴する年賀状がすべて嫁or旦那or子供と一緒、という構図になった。これも月日の流れを感じさせる変化のひとつである。自分はその波に乗る日が来るのか。眺めてるだけで十分という気もしないでもない。

すっかり長くなった。
本年の目標はとにかく本を読むこと。おそらく春から始まる新生活に柔軟に対応すること。定期的なアウトプット、つまりブログの更新をすること。そんなところである。
健康に過ごせればなによりであるが、その健康の維持に対してもそろそろ努力が必要な年齢になってきた。神経を使うことは増える一方である。何にせよ、皆々様と一緒に健やかに1年を過ごせれば幸いである。本年もよろしく。