でろでろ汽水域

読書感想にかこつけた自分語り

5月26日 伊勢志摩サミットが開催され、ゾウが死んだ

日記。活字に再び慣れ親しむための準備として、短くても日記を記す。忙しい時には(つまり大抵の日は)一行で終わるだろうが、それなりの文章量を書くことが目的で始めるので少しでも長くこの決意が長引くことを祈るばかり。

ニュースはもっぱら伊勢志摩サミットについてである。厳重な警備を敷く警察官と遠巻きにそれを眺める報道陣の映像が大勢を占めていたように思う。

明日オバマ大統領が広島を訪れ何を語るかが話題になっているが、日本にとって先の戦争の原子爆弾投下は象徴的な出来事ではあるんだけれども、個人的に東京大空襲も首都を焼け野原にするという随分と非人道的な軍事作戦だったように思っている。その辺に対する意見を広島・長崎ほど見掛けないのはどういう経緯なんだろうかとふと思い立ったのでそのうち勉強する。

アメリカといえば大統領選の話題をよく見掛けるが、最初のうちは笑いの種であったトランプ氏が本当に大統領になりそうな雰囲気になってきた。大丈夫かアメリカ。

2009年にオバマ政権が誕生した際には変革に対する期待が多く見受けられたように思うが、今回のトランプ押しはどうもそれとはまた毛色が違う。少なくとも政策や人間性に惹かれての支持ではないように感じられる。

あくまで印象であるが民衆は変革にすら期待しておらず、純粋に政治中枢を形成する富裕層やインテリ層に対する復讐として「こいつが当選したら困るやろ」くらいの感覚でトランプを支持しておるのではなかろうか。

民主主義である以上、選挙となれば多数派が勝つ。貧富の差が拡大し一部のエリート層にのみ経済的恩恵が集中した結果、多数派となった社会的弱者や貧困層は選挙の場でイヤガラセを楽しんでいるような気配を感じる。もちろん本来は自分たちの立場を改善させるビジョンを持った政党なり政治家なりを支持するのが正しい姿勢であるのだが、政治の舞台に完全に失望してしまったらそれをなるたけ台無しにする手段に賭けてみたくなる刹那的な投票行為に走るというのもわからないでもない。

そんなアホな理由だけでトランプ氏が押されているとも思えないが、あのおっさんに何か美点があるとはそれ以上に思えないのでこんな邪推をしてみた次第である。

這い上がるより足を引っ張れ的政治思想は日本でも散見されるし、支持する人も割といる。当然これは将来的には自分の首を絞める選択なのだが、すでにいま十分に苦しくその救済が期待されないとなればそういう思想に傾倒するのも仕方ないかもしれない。

話変わって、井の頭自然文化園で飼育されていた国内最高齢アジアゾウ、はな子が69歳で亡くなった。

ゾウは大変長寿で、70~80年生きるらしい。また記憶力がとても良いとのことで、この記事を書き残しているEvernoteのアイコンがゾウなのも、そうした特徴をリスペクトしてのことだとか。

はな子はタイの風景をどのくらい覚えていたのであろうか。動物園の動物たちが幸せか否かという想像は気分次第でどちらにも行き着くような気がする。